須佐之男命:高天原から出雲国に降臨
天照大神と須佐之男命、二人の誓約、兄弟喧嘩みたいなもので、どちらがどうこうと言うこともなく決着をみるのであるが、どうも須佐之男命は分が悪い。高天原を去るしか道はなかったのであろう。しっかり身削ぎをされて、亡き母の国に向かうのである。
「食」の話になるといつものことながら穢い比喩となる。「食」=「生」と「排泄」=「死」の対立概念を同一化しているような記述である。こんな視点から古事記を読み解していないが、いずれ重要な意味を示してくれるのではと思うが…。
いずれにせよ大氣津比賣神から様々な植物などが生えて来る。目敏く神產巢日御祖命が集めて種にするのである。造化三神、古事記の主役達にとってはなくてはならない存在、いや、いい脇役である。種は蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆である。「高天原」から須佐之男命が持参した食物である。
蚕は食べ物?…極めて貴重な動物性蛋白源である。勿論幼虫。絹糸も取れるし、古代は真に貴重な生き物であったことを記している。山中で遭難した時は草ではなく虫を食え、鉄則である。草には毒を持つものが多い。生死の境目に追い込まれたら…が、なかなか食えないものであるが・・・。
古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…
故、所避追而、降出雲國之肥河上・名鳥髮地。此時箸從其河流下、於是須佐之男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、爾問賜之「汝等者誰。」故其老夫答言「僕者國神、大山津見神之子焉、僕名謂足上名椎、妻名謂手上名椎、女名謂櫛名田比賣。」亦問「汝哭由者何。」答白言「我之女者、自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智毎年來喫、今其可來時、故泣。」爾問「其形如何。」答白「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也。」此謂赤加賀知者、今酸醤者也。[かくてスサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。それで河上に人が住んでいるとお思いになって尋ねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか」とお尋ねになったので、その老翁が、「わたくしはこの國の神のオホヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか」とお尋ねになったので「わたくしの女はもとは八人ありました。それをコシの八俣の大蛇が毎年來て食べてしまいます。今またそれの來る時期ですから泣いています」と申しました。「その八俣の大蛇というのはどういう形をしているのですか」とお尋ねになつたところ、「その目は丹波酸漿のように眞赤で、身體一つに頭が八つ、尾が八つあります。またその身體には蘿だの檜・杉の類が生え、その長さは谷八つ峰八つをわたつて、その腹を見ればいつも血が垂れて爛ただれております」と申しました]
出雲國之肥河上・名鳥髮*
須佐之男命が向かった出雲国、その中の地を述べている。いろんな文字使いで困惑させられている感じであるが、紛う事無く、以下のように特定できる。いつの間にか伊邪那岐・伊邪那美の国生み直後に生まれた大山津見神がこの地に来ていた。
「肥河」は「肥(フトル)河」=「太(フトル=オオキイ)河」=「大川」である。現在の北九州市門司区の中を、東部山地の複数の谷間から流れ出て永黒辺りで合流し、大里東の傍を流れて関門海峡に注ぐ川である。国土地理院地図で確認できる支流の数は十を超える。豊な水源であったと推測される。
今は治水され決して大きな川のようには見えないが、とりわけ河口部の標高から推測されるように古代では現在の河口付近に大きな入江を形成していたと思われる。ネット検索で過去の大川を回想され、昔はもっと大きな川であったというブログもある。半世紀も経たない期間の変化も加わっているようである。
「鳥髪(トリカミ)」=「鳥(ト)の髪(カミ)=「戸ノ上」である。既に紐解いた「鳥取(トトリ)」であり、また邇藝速日命が落ち着いた「鳥見(トミ=登美)の白庭山」に通じる。降臨のイメージからその主体を「鳥」に見立て「ト」の音に「鳥」を用いたのであろう。「ト」は「斗」に由来すると帰結されよう。
「肥国」=「出雲国」と解釈してきたが、あらためてそれを確信する。通説は「肥国」を律令制によって制定された「肥前」「肥後」佐賀、熊本県辺りを示し、出雲国は島根県を示す、拡大と分割を行うのである。そして現存する地名のみからその場所を比定しているのである。意味不明な話になると神話・伝説の世界に古事記を落とし込んできた、何度も述べてきたように…続く説話「八岐大蛇」も紛れもなく該当する。
高志之八俣遠呂智
古事記の中で最も印象的な説話の一つであろう。がしかし、合理的な解釈を目にしたことがない。「八俣遠呂智」は一体何を比喩するのか?…これは決して難しいものではない。多くの頭と尻尾を持って身体には木が生えている、これだけで「八俣遠呂智」=「河」であろう。毎年訪れるのは季節に従って氾濫する河の様子である。
だが、この比喩が王道を歩かない。引っ掛かるのが「高志」である。島根と越は河では繋がらないのである。決定的と思われ、納得のいく比喩の最後が空間をワープする、又は日本海で交流があった証拠などと有耶無耶な世界に入り込んでいく。これが現状である。「八俣遠呂智」を紐解くと…、
…「分岐した谷が果てしなく連なるところ」となる。「呂」は背骨の象形から連なった地形を示し、「智」は場所・方角を意味する接尾語と解釈する。
八(谷)|俣(分岐)|遠(果てしなく)|呂(連なる)|智(場所)
…「分岐した谷が果てしなく連なるところ」となる。「呂」は背骨の象形から連なった地形を示し、「智」は場所・方角を意味する接尾語と解釈する。
須佐之男命が「肥河」の氾濫を見事なまでに食い止めたのである。多くの逆巻く波頭を堰き止めて鎮めたと記述されている。「肥河」の源流は「鳥髪」の山にある。そこを「越」えると「高志」である。前記した「上菟上(トのカミ)國造・下菟上(トのカミ)國造・伊自牟國造」である。全てが繋がり、全てが合理的に理解でき、この説話の重要性も伝わってくる。
調べると強調された「丹波酸漿のように眞赤」「草那藝之大刀」は砂鉄及びその酸化物を示すと解釈されているようである。さもありなんである。「高志」に住まう人々の技術力の高さは古事記が幾度となく記述するところである。通説の「八俣遠呂智」の伝説は、読み手が勝手に作り上げた伝説である。
須賀
やんちゃが治まった須佐之男命は出雲の地で英雄となる。亡き母に会いに行ったかどうか古事記は語らないが、宮まで造ることになる。その場所に選定したのが「清々しい」駄洒落をした「須賀」の地である。何処であろうか?…、
須賀=須(州)|賀(入江)
そして「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐・・・」と詠われる。「八雲」=「多くの雲」「八」が多い説話である。何故、八雲?…「斗」である。淡海の湿った空気が「柄杓」の「煙突効果」で山の斜面に沿って上昇気流となり、そして断熱膨張の結果温度が降下、露点を過ぎると凝集して雲となる。「出雲国」が「柄杓(斗)の地」であったことを自然現象的に伝え、そして正に「雲を出(イズ)る国」と表現しているのである。
古事記が伝える事柄の自然との関わりの深さ、大きさ、強さ…それをしみじみと噛締める日々である。地形象形の巧みさはそんな深い関わり方であったからこそ為し得たことであろう。現代人に欠けた大きな課題である。と同時に現在に残る地名の由来を訳の分からないようにしてしまった知を持つと言われる輩の責任は重いと断じる。
最後に大国主命の誕生に関連するところを抜粋してみると…
兄八嶋士奴美神、娶大山津見神之女・名木花知流比賣、生子、布波能母遲久奴須奴神。此神、娶淤迦美神之女・名日河比賣、生子、深淵之水夜禮花神。此神、娶天之都度閇知泥神生子、淤美豆奴神。此神、娶布怒豆怒神之女・名布帝耳神生子、天之冬衣神。此神、娶刺國大神之女・名刺國若比賣、生子、大國主神・亦名謂大穴牟遲神・亦名謂葦原色許男神*・亦名謂八千矛神・亦名謂宇都志國玉神、幷有五名。[兄のヤシマジヌミの神はオホヤマツミの神の女の木の花散る姫と結婚して生んだ子は、フハノモヂクヌスヌの神です。この神がオカミの神の女のヒカハ姫と結婚して生んだ子がフカブチノミヅヤレハナの神です。この神がアメノツドヘチネの神と結婚して生んだ子がオミヅヌの神です。この神がフノヅノの神の女のフテミミの神と結婚して生んだ子がアメノフユギヌの神です。この神がサシクニオホの神の女のサシクニワカ姫と結婚して生んだ子が大國主の神です。この大國主の神はまたの名をオホアナムチの神ともアシハラシコヲの神ともヤチホコの神ともウツシクニダマの神とも申します。合わせてお名前が五つありました]
「天之」と付く神の名前が登場する。その名前から「天」の場所まで特定するには至らないが、実在性のあることを示す例であろう。「天」から「出雲」へいよいよ古事記の舞台が移動する前触れである。上記の中に「刺国」という記載がある。「大国主神」の母親の出自の場所である。
「棘」=「小さな尖った突起」の地形象形である。興味のある方はとあるサイトに挙げられた写真を参照願う。
国生みされた島々、いつかは全て登場するのであろうが、小呂島がこんな形で登場するとは驚きであった。
しかし「渡を佐る」島、しかも壱岐から出雲に向かうには通過する主要拠点であったろう。ともあれ再見できて、感謝である。
…と、まぁ、いよいよ大国主命の出番である・・・。