2017年7月20日木曜日

吉備兒嶋=建日方別 〔067〕

吉備兒嶋=建日方別


古事記の中をグルグル回って、何回目かの創世の記、やはり古事記の神髄は神代かな?…と思いながら神話・伝説に陥れないように読み解そうとし始めた。なんとかなりそう、いや、皆目見当もつかない・・・とグルグル回ってる間に見落としの記述を発見。本日は短く、タイトルのことについて…。

伊邪那岐・伊邪那美がグルグル回って国生みの説話、大八嶋で2回、最後の3回目の巡回の最初の嶋、というか成りかけの嶋である「吉備兒嶋」の別名が「建日方別」との記載があった。その直前の記述…

筑紫嶋、此嶋亦、身一而有面四、毎面有名、故、筑紫國謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥、熊曾國謂建日別

に「建日別」がある。前記「天孫降臨の地:日向」で紐解いたように上記の四つの「日別」はそれぞれ「方位」を表すものであった。概略を記すと、「白日別」=「西」、「豐日別」=「南」、「建日向日豐久士比泥」=「西北」、「建日別」=「北」である。筑紫嶋を中心として、東を除く「西、南、北」の文字の字源が「白、豊、建」に対応している。

「豊国」の場所は筑紫嶋の南方にあり、「豐日別」=「南」と紐解ける。同様にして「筑紫の日向国」は「白日別」=「西」にあることを示すものと解釈された。これが天孫降臨の地、日向国に聳える高千穂の久士布流多氣の場所を表し、その地を具体的に示している。

「建日別」=「北」の例が「吉備兒嶋」に当たることがわかった。「建日方別」の「方」の表現は微妙な誤差を表すのであろうか。下図を参照されたい。


他の記述に「吉備之臣建日子」とあり、吉備国が熊曾国の北方にあることを補足している。前記した通りに筑紫嶋を羅針盤とした方位の表現であることが確信できる。通説に従うと筑紫嶋は「九州」であり、建日別の熊曾国は現在の熊本・鹿児島県である。また「吉備兒嶋」は岡山県の吉備半島に当て嵌める。

「九州」を中心として「日別」したとしても全く「建日別」の意味は繋がらない位置関係である。吉備兒嶋、亦名謂建日方別」の吉備は熊曾国なの?…とすると、大混乱である。古事記が懸命に示す「座標」を活用して神話・伝説の世界を紐解こうとするが、「座標」のない通説は単なる文字の羅列に過ぎないことを、併せて紐解くことになろう、古を未来に取り戻すために…。

…と、まぁ、こんな調子で先に進もう・・・。