2017年7月25日火曜日

伊邪那岐命・伊邪那美命:伯伎国と黄泉国 〔068〕

伊邪那岐命・伊邪那美命:伯伎国と黄泉国


古事記創世の記、既に一部を紐解いていきたが、振り返りながら記述してみたい。高天原において造化三神から伊邪那岐・伊邪那美までの神々が誕生する。古事記の中で彼ら二人の活躍が物語の始まりである。

「国生み」神話については既に紐解き「大八嶋」「六嶋」併せて十四の島々、それらは響灘、玄界灘に浮かぶ島々であった。現在の企救半島が「筑紫嶋」、若松半島(北九州市若松区)が「伊豫之二名嶋」と解釈された。そして大倭豊秋津嶋は現在の貫山・福智山山塊を中心としたところであり、遠賀川、犀川(今川)の古代の川で遮られた「嶋」という認識であった。

「吉備兒嶋」のとは「兒嶋」=「嶋に成り切ってない嶋」と解釈し、現在の山口県下関市吉見近隣の半島を特定した。「国生み」神話の意味するところは「縄文海進」と呼ばれる地球規模の海面上昇現象であろう、と推察した。

言い換えると大地が海面下に沈み、残った「山々」が点在する「嶋」となったと思われる。現在の本州、九州(筑紫嶋、秋津嶋を除く)等を生まないのは、「既に陸地()となっていた=海進によって変化の()ない」大地だから、である。

古事記の記述の中に「国生み」の詳細を伺うことは不可であるが、この海面の変化を常に考慮した紐解きが重要であることを示している。通説のように「児島半島、かつては島であった」という解釈は全ての「嶋」に適用されるべきであろう。

伊邪那岐・伊邪那美の二神は次々と神様を生んでいくが、火之迦具土神を伊邪那美が産んだことで事態は急転する。亡くなった伊邪那美を手厚く葬ったとのこと。

伯伎國


古事記原文[武田祐吉訳]

故爾伊邪那岐命詔之「愛我那邇妹命乎那邇」謂「易子之一木乎」乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時、於御淚所成神、坐香山之畝尾木本、名泣澤女神。故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。[そこでイザナギの命の仰せられるには、「わたしの最愛の妻を一人の子に代えたのは殘念だ」と仰せられて、イザナミの命の枕の方や足の方に這はい臥ふしてお泣きになった時に、涙で出現した神は香具山の麓の小高い處の木の下においでになる泣澤女の神です。このお隱れになったイザナミの命は出雲の國と伯耆の國との境にある比婆の山にお葬り申し上げました]

「香山之畝尾」の「香山」は後に登場する「天香山」であろう。天照大神と須佐之男命の説話の中で幾度も登場する。現在の長崎県壱岐市にある「神岳」と比定した。

更にほぼ北側からの神岳の俯瞰図である。なだらかで、いくつかの山頂からなる山…丘陵に近い…であることが判る。これを「畝」と表現したのであろう。そして「畝尾木本」と記述されるが、下図左端の辺りを指し示しているのではなかろうか。


伊邪那岐の涙で誕生した「泣澤女神」死者を送る時に不可欠な神であったようである。後々まで続いた儀式であるとのこと。

上図二つを合せると「泣澤」は「天之真名井」と連なることが判る。

「真名井」=「神の水」と解釈すればそれらが示す意味が整合するのである。

この水から多くの命が誕生することも後に記述されるが「命の泉」として位置付けられているようである。突然の「香山」の出現の理由は定かでない。奈良の「香具山」に「畝」はない。

葬ったのが「出雲國與伯伎國堺比婆之山」と記述される。出雲国と接する「伯伎国」とは?…「伯」→「白」、「伎」→「支」=「別」と分解して、纏めると「伯伎国」=「白()別」と繋げることができる。「国生み」に記載される「筑紫嶋」に面四があって「肥国」に隣接するのが「筑紫国謂白日別」である。

「肥国=出雲国」から選択の余地なく「伯伎国」=「筑紫国」と紐解ける。出雲と接するのだからわかるでしょ…なんて言われているようである。文字使いの戯れである。「伯耆国」と繋げられる根拠は希薄である。よって現在も候補が多くあって、それも良し?…「伯」を使っての遊びに惑わされては不甲斐なし、である。

この「境」にある山は一に特定できる。企救半島の足立山~戸ノ上山主稜線から北九州市小倉北区赤坂方面に向かう稜線の山である。現在も小倉北区と同市門司区の境界と記されている。「比婆之山」=「肥端之山」出雲の端にある山と解釈できるであろう。



「比婆」=「肥の端」と「並ぶ端」の二つの意味に解釈できる。古事記中に出現する「比」=「並ぶ」である。出雲の端にある二つ並んだ山稜と紐解ける。修正した図を下に示した。伊邪那美を葬った場所は「黄泉国」である。この二つの山稜に挟まれたところを示している。(2018.03.26)


古事記は「国生み」された島々の物語である。されていない島は「筑紫嶋」という「羅針盤」と「登場人物の名前」を使ってその在処、少なくともその方向、を示す。これが古事記の「ルール」である。誰一人として読み解せなかった古事記が伝えたかった最も大切な事柄である。

伊邪那岐の怒りは収まらずおどろおどろしい記述が続く。「建御雷之男神」など度々登場の神も誕生する。更に諦めきれない伊邪那岐は伊邪那美に会いに「黃泉國」に向かう。一日必千人死・一日必千五百人生、というやりとりを経て逃げ帰るという設定である。

黄泉國


「黄泉国」は何処?…どうやら現実の世界から長い坂を通って行くことができるようである。

古事記原文…

以其追斯伎斯而、號道敷大神。亦所塞其黃泉坂之石者、號道反大神、亦謂塞坐黃泉戸大神。故、其所謂黃泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。

「黃泉比良坂」=「出雲國之伊賦夜坂」黄泉()にとっては「比良」、出雲国にとっては「伊賦夜」の関係。「伊賦夜」=「夜を与える」日没時の山影を意味し、出雲国の西端にある山並みの東麓の坂に付けた命名であろう。比良坂の「比良」の意味は何であろうか?…

「比良=平」と置き換えられるであろうが、「平らな」ではなく「盆地」に通じる意味を持つと思われる。「掌=手のひら」であって、周囲を取り囲まれた窪んだ地形を表している。そんな場所があるのか?…下図を参照願う。出雲国と黄泉国はその坂を挟んで東と西に位置する二つの国だ、と述べている。


伊邪那美を葬った「比婆之山」の東麓にある坂道と推定される。

「道敷大神」「道反大神」と「道」が強調される。

後代の意富富杼王が祖となる「山道君」との関連が浮かぶ。

神話・伝説の記述と現実の世界との接点である。

正に古事記の「グルグル」は黄泉と現実の世界との「グルグル」でもある。

しばし、これとのお付き合いであろう。
…と、本日はこの辺りで・・・。