2018年11月28日水曜日

日向の綿津見神:宇都志日金拆命と阿曇連 〔287〕

日向の綿津見神:宇都志日金拆命と阿曇連


竺紫日向の地に関わる最後の神生みである。が、これが意味するところは極めて難解でるが、重要なキーワードが含まれていることも事実であろう。古事記原文[武田祐吉訳]の最後の段を抜き出し、引用しながら解読してみようかと思う。

於水底滌時、所成神名、底津綿津見神、次底筒之男命。於中滌時、所成神名、中津綿津見神、次中筒之男命。於水上滌時、所成神名、上津綿津見神訓上云宇閇、次上筒之男命。
此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。伊以下三字以音、下效此。故、阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金拆命之子孫也。宇都志三字、以音。其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也。
[水底でお洗いになつた時にあらわれた神はソコツワタツミの神とソコヅツノヲの命、海中でお洗いになつた時にあらわれた神はナカツワタツミの神とナカヅツノヲの命、水面でお洗いになつた時にあらわれた神はウハツワタツミの神とウハヅツノヲの命です。このうち御三方のワタツミの神は安曇氏の祖先神です。よつて安曇の連たちは、そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。また、ソコヅツノヲの命・ナカヅツノヲの命・ウハヅツノヲの命御三方は住吉神社の三座の神樣であります]
 
八十禍津日神等を生む続きである。これらも難解であった。詳細はこちらを参照願う。「底・中・上」の場所を分けて生んだと記述される。
 
綿津見神・筒之男命(墨江之三前大神)

底津綿津見神、底筒之男命。中津綿津見神、中筒之男命。上津綿津見神、上筒之男命」が誕生する。三柱の筒之男命は墨江之三前大神の別称があると記される。綿津見神については、前記の伊邪那岐・伊邪那美の両神が生んだ大綿津見神=偉大な「海と川が交わるところを見張る神」と紐解いた。派生した「綿津見神」を示している。

「上」に「訓上云宇閇」と註記される。「宇閇」は…、
 
宇(山麓)|閇(閉じる)


<三柱綿津見神・墨江之三前大神>
…入江の奥を示すと思われる。これが重要なヒントとなり、入江の中に三つの区切られた場所がある、と告げていることが解る。

図に示した通り、広大な汽水湖の隅にある場所と推定される。

「筒」は何を意味しているのであろうか?…三つの山稜に挟まれた谷を示していると気付かされる。

後に細長い場所を「竹」と表記するが、同様の解釈となろう。

「底・中・上」から海深のように受け取ってしまうが、やはり徹底した地形象形であった。塚田川に合流する支流(図を拡大表示)があるが、当時に塚田川は存在せず、汽水湖の状態であったろう。

その合流点を見張るのが「綿津見神」である。そして「筒之男命」は…、
 
筒のような地で田を耕す命

…と紐解ける。実に丁寧な表記であり、かつ図の地形を見事に表わしていると思われる。

後の仁徳天皇紀で詳述するが、福岡県行橋市を流れる長峡川沿いにある上津熊・中津熊・下津熊は場所こそ違え、関連するのではなかろうか。この地も古事記では「墨江」と称されているのである。
 
宇都志日金拆命:阿曇連

綿津見神は阿曇連の祖先であり、綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫と記される。「宇都志」は「山麓で蛇行する川が集まっているところ」と解釈する。上記では現在の北九州市門司区藤松辺り、伊邪那岐が黄泉國から脱出して三つの桃と遭遇した場所としたが、類似の地形を「墨江」に見出すことができる。「日金拆命」は…、
 
日([炎]の地形)|金(山麓の高台)|拆(分かれ離れる)
 
…「
<宇都志日金拆命・阿曇連>
[炎]の地形の山麓の高台が分かれ離れたところ」
の命と紐解ける。現在の春日神社がある辺りを表していると思われる。

「拆」=「扌+斥」と分解される。「斥」=「二つに割れる、分かれ離れる様」を示すと解説される。谷を挟んで二つの高台がある地形を示す。

「阿曇連」の解釈はどうであろうか?…「阿(台地)」として「曇」=「日+雲」と分解すると…、
 
日([炎]の地形)|雲([雲]の地形)

…「[炎]のようであって[雲]のようにゆらゆらと立ち昇る地形がある台地」と紐解ける。山陵がゆらゆらと曲がっている様を模したのではなかろうか。

「曇」を分解して解釈することによって「阿曇」の由来が求められたように思われるが、「曇」には「水を深く湛える」の意味がある。上図に示した[炎]の谷間は当時は海であって、阿曇=水を深く湛えた台地と読むこともできる。両意に重ねられた表記と思われる。勿論、この地形に基づく名称が「阿曇」であることには変わりはない。

古事記に「阿曇連」が登場するのは、これが最初で最後である。尚且つ唐突にである。後に著名な海人族として知られる一族、訳があっての簡略記述なのであろう。響灘の外海ではなく古遠賀湾を航海する内海航路の主要な拠点であったと推定される。
 

「連」は古代の姓の一つ、中でも高位に位置するとされている。類似の「造」なども何らかの地形を象形しているのではなかろうか。とするならば「連」が示す場所がその地の中心であることを伝えていることになる。重要な意味を有すると思われる。

「連」=「辶+車」と分解できる。「車」が突き進んでいく様を表しており、連続的な動きから通常使用される「連なる」のような意味を示す文字と解釈されている。後に登場する「輕」はより先鋭的、直線的なイメージから導かれた文字である。
 
山稜の端が長く延びる様

では地形象形的には何と表現されるのであろうか?…見たまんまの「山稜の端が長く延びる様」と読み解ける。その地形の場所に居た者の名前に付加した、と解釈される。と同時にその地域の中心地であることを示すことになる。極めて明瞭で、授ける天皇にも”混乱”がない、かもしれない。上図に示した「連」そこが中心の場所と推定される。

詳細は後段で述べるが、天神達の思惑通りには事が運ばなかった場所となる。簡単な記述は、おそらく、古事記の非奔流に関する記述は簡略に、という方針なのか、はたまた原資料の欠如であろうか・・・綿津見神に出自を持つ航海技術に長けた一族「阿曇連」の本貫の地である。(2019.12.18改訂)









2018年11月26日月曜日

伊邪那岐の禊祓:神々=竺紫日向 〔286〕

伊邪那岐の禊祓:神々=竺紫日向


黄泉国を脱出した伊邪那岐は竺紫日向之橘小門之阿波岐原で禊祓を行う。それから実に多くの神が誕生したと伝える。最後に三貴神が伊邪那岐自らの身体から生まれ出て行くことになる。神名が意味するところなど、従来は全く理解されて来なったのが実情であろう。

この膨大で、一見ややこしい名前は何のために付けられたのか?…何故そうする必要があったのか?…問い詰められることもなく今日に至っているのである。竺紫日向、橘小門、阿波岐原でさえ闇の中に葬っている現状からすると当たり前のことかもしれないが、古事記は全て何かを伝えるために、難解と言われる名前を付けたのである。

禊祓を行った順に全ての神名を紐解いてみよう。
 
身之物から誕生した神

故、於投棄御杖所成神名、衝立船戸神。次於投棄御帶所成神名、道之長乳齒神。次於投棄御囊所成神名、時量師神。次於投棄御衣所成神名、和豆良比能宇斯能神。此神名以音。次於投棄御褌所成神名、道俣神。次於投棄御冠所成神名、飽咋之宇斯能神。自宇以下三字以音。次於投棄左御手之手纒所成神名、奧疎神。訓奧云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音。下效此。次奧津甲斐辨羅神。自甲以下四字以音。下效此。次於投棄右御手之手纒所成神名、邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。
右件自船戸神以下、邊津甲斐辨羅神以前、十二神者、因脱著身之物、所生神也。
[その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝き立つフナドの神、投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、投げ棄てる衣であらわれた神は煩累の大人の神、投げ棄てる褌であらわれた神はチマタの神、投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神はオキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツカヒベラの神、投げ棄てる右の手につけた腕卷であらわれた神はヘザカルの神とヘツナギサビコの神とヘツカヒベラの神とであります。以上フナドの神からヘツカヒベラの神まで十二神は、おからだにつけてあつた物を投げ棄てられたのであらわれた神です]

❶衝立船戸神

伊邪那岐が身に着けていたものから神が誕生する。「杖」からの「衝立船戸神」は…、
 
衝立(突き立てた)|船戸(船が出入りする戸口)|神

…「杖」を柱にして「突き立てた柱がある船の出入り口」の神となる。澪標と同じく水脈(水路)を示すものであろう。当時は「州」の近隣が船着き場とする場合が多かったと推測されるが、水脈の在処は着船するには極めて重要であったろう。禊祓の場所は「阿波岐原」飛沫の盛んな水辺の場所である。

これは上記の「橘小門」の別表記であろう。「門」は船の出入りするところと解釈される。深く入り込んだところは船着き場としての機能を十分に果たしたと推測される。

❷道之長乳齒神

「帯」からの「道之長乳齒神」は…「道」=「辶+首」と分解して、「首」地形の場所と思われる。「首」の地形は下図<首>を参照。
 
道之(首の地形)|長(長い)|乳歯(綺麗に並んだ稜線)|神

<禊祓>
…図<首>に示した地形に類似する場所が見出だせる。下記の「道俣神」に隣接するところと推定される。

図に示した禊祓の場所を中心として竺紫日向の詳細な地形を表していると思われる。引き続き誕生した神々を紐解いてみよう。

❸時量師神

囊」からの「時量師神」は…、
 
時(時間)|量(測る)|師(専門家)|神  

…「囊」からもの出すのに掛かる時間で時を測った、と解釈するのであろうか?(砂時計のような)。従来より「時」を司る神様のように解釈されている。全般的な神を特定の禊祓の地で誕生させるとは到底思えないのだが・・・。

「師」は後に登場する師木などに含まれ「諸々(小さな凹凸)の地」と解釈される。この」時量師神」も何らかの地形象形をしていると思われる。では何と紐解くか?…「時」=「日+寺」と分解され、「日が進む」と解説されている。

「寺」は、勿論、寺院の意味に使われるのは後代のことであり、「止め(ま)る」の意味を示のだが、一方で「之(進む)」の意味を併せ持つと解釈されている。「シ」の音で繋がっているとも言われるようである。静と動の対立概念を持つ文字と思われる。漢字の成立ちに関連して実に興味深いところでもある。「時」は…、
 
日(炎)|寺(之:進む)

…「炎のように揺れ曲がりながら進む様」と紐解ける。安萬侶コード「之(蛇行する川)」の象形と併せて矛盾のない結論と思われる。「量」=「液体を注ぎ込む」が原義とある。「時量師神」は…、
 
時(蛇行する川)|量(流れ込む)|師(凹凸のあるところ)|神

<禊祓で誕生した神①>
…「蛇行する川が流れ込む凹凸のあるところ(干潟)」の神と解釈される。これこそ禊祓の場所「阿波岐原」のことを指し示していると思われる。

「橘」のような谷川から流れ出て来た川の河口を示すには、「囊」から誕生したとして納得できるものであろう。

また禊祓の地「阿波岐原」は広大な汽水湖があったところと推定した。

邇邇藝命の禊祓から時が計られ始めた、とでも言うのであろうか・・・何とも文字遊びとしか受け取れないような感じなのだが・・・。

「時」も昼・夜を繰り返して流れて行く。それと川が蛇行するする形「之」とを重ねて用いていると思われる。古事記の自然観が出ているようである。存在するもの全てが決して直線的に進むのではなく、蛇行し、捻れながら進むことの理解である。
 
まさか、あの螺旋構造を!?
 
❹和豆良比能宇斯能神

衣」からの「和豆良比能宇斯能神」は…、
 
和(ゆったりと曲がる)|豆(高台)|良(なだらかな)|比(並ぶ)
能(の)|宇(山麓)|斯(蛇行する川)|能(の)|神

…「衣」が広がって「ゆったりと曲がっていて、なだらかな高台が並ぶ麓にある蛇行する川」の神となる。上図の橘小門の左手にある山麓を示しているようである。既述した日子坐王の御子「丹波比古多多須美知能宇斯王」が登場する。この「宇斯」と繋がるのである。


<首>
❺道俣神

褌」からの「道俣神」は…ここまで詳細に具体的に神を述べて来て、単に「道の俣」とは到底思われない。

上記と同様に「道」=「辶+首」に分解すると…「首の俣」海に面して大きく凹んだところの奥にあるところであろう…、
 
道(首の形)|俣(奥の付け根)|神

…両足の象形であろう。谷の奥が更に二股に分かれている地形が見出だせる。見事に合致した表現であることが判る。

彦島向井町と記されたところが神の居場所と思われる。褌」からできたとして上出来の配置であろう。図では少々分かり辛いが台地が刳り取られて「首」の地形になったところは多く見られ、古事記に幾度か登場するのである。


<飽咋之宇斯能神>
❻飽咋之宇斯能神

冠」からの「飽咋之宇斯能神」は少々ややこしい解釈となるようである。「飽」=「食+包」と分解される。

「食」=「人+良」=「なだらかな山麓」、これは讃岐国の謂れ飯依比古の解釈と同様である。

「包」=「勹+己」であり、蛇行する川(己)が囲まれて(勹)でいる様を表していると読み解ける。

「咋」=「口+乍」で通常は「食らう」という意味であるが、「乍」=「削ぎ落とす」の意味を用いていると思われる。
 
飽(なだらかな山麓の蛇行する川を囲むところ)|咋(削ぎ落とす)
之(の)|宇(山麓の)|斯(蛇行する川)|能(の)|神

…「なだらかな山麓を流れる川の河口を囲むところが削ぎ落とされたような地形になっている蛇行する川の神」と紐解ける。図に示したところが急斜面の山麓に挟まれた河口となっていることがわかる。

「ノ」と読める文字が二つ、「之」と「能」。前者は間違いなく「ノ」であろうが、後者は「能」=「熊」=「隅」の解釈も成り立つようである。「山麓で蛇行する川の隅」…ならば現在の山崎神社辺りが、一に特定された表記と思われる(上図<飽咋之宇斯能神>参照)。

「冠」については少々補足を要する。冠の部位は下図のように解説されている。部位名称の由来は定かではないが、天辺に甲(山)があり、額、磯、海と山のある島の象形のような名付けである。

形状から判るように河口を挟む地形は冠の様相である。二つの冠の間を流れる川を傍らに坐した神と思われる。生まれの素性は、かなり確かなものと思われる。

❼奧疎神・奧津那藝佐毘古神・奧津甲斐辨羅神

左御手之手纒」からの「奧疎神」は…、
 
奥(沖の)|疎(遠く離れた)|神 ⇒???
 
…註記(於伎=オキ=沖)に従って読むと上記のようである。沖だから遠く離れている?…沖と被る解釈となり、意味が通らない。「奥疎」は「手纒」から生じているのなら「山」の地形と関連するように思われるが・・・。

「於伎」は何と解釈するか?…「於」=「㫃(旗の原字)+二(区切り)」と分解される。「㫃」=「竿に付けられた旗がなびく様」を象った文字と解説されている。地形象形的には主稜線から延びた枝稜線がなびくように延びる様と読み解ける。「伎」=「人+支」=「谷間で分れる、離れる様」と読んで来た。すると「於伎」は…、
  
旗がなびく様に延びた山稜が区切られ谷間で分れたところ

…と紐解ける。下図を参照すると、北に向かう[炎]の山稜がところどころで区切られた様子を示している。内陸の「奥」にある配置に加えて、「於伎」は地形を表現する文字列であることが解る。

「疎」=「𧾷+束」と分解する。「速秋津」の「速」=「辶+束」と同じ扱いにしてみると、「足」=「伸びた山稜」を束ねた地形と解釈される。後の神倭伊波禮毘古命の段に足一騰宮が登場する。伸びた山稜の端が一段高くなっている様を表現したと解釈できる。
 
奥(離れたところ)|疎(山稜の束)|神
 
…「離れたところにある複数の山稜が束になっている地」の神と紐解ける。禊祓の地から遠く離れたところは竺紫日向の最南端であろう。戸田山を中心とした山稜の場所と推定される。手纒」の地形象形として納得できるものであろう。古事記中には「疎」の文字はこの段のみである。残念ながら検証は叶わないのであるが・・・。

上記の場合と同様である。続いて「奧津那藝佐毘古神」は…、
 
奥津(離れたところの津)|那藝佐(渚)|毘古(田を並べて定める)|神

…「奥津」と一纏めにしたが、「於伎」にある「津」=「川と海の合流地点」を意味する。戸切川が古遠賀湾に接するところと思われる。そこが「渚」であろう。更に「奧津甲斐辨羅神」は…、
 
奥津(離れたところの津)|甲斐(山に挟まれた)|辨羅(花弁が連なる)|神

…「奥津」は上記と同じ。「花弁」は「甲斐」を作る斜面が整った山腹を表すと解釈される。この空間は人が住まうのに好適であり、それが複数ある重要な地点であることを告げているのである。

❽邊疎神・邊津那藝佐毘古神・邊津甲斐辨羅神

次いで「右御手之手纒」からは「邊疎神、邊津那藝佐毘古神、邊津甲斐辨羅神」が誕生する。「奥=離れたところ」に対して「邊」=「近いところ」である。それ以下の神名は同様の解釈であろう。


<禊祓で誕生した神②>

図に「奥」「邊」の神々の場所を示した。「邊」は矢矧川流域が該当すると思われる。解けると、その見事さに感動!…である。

この帰結は禊祓の地の比定の強力な傍証になっていると判る。古事記はその地を繰り返し伝えているのである。

後に邇邇芸命が降臨する竺紫日向之久志布流多氣(現在の孔大寺山系)の麓に伊邪那岐の禊祓の地があったと読み解いた。

間違いなくこの地域に多くの渡来があったと思われる。そして「天」の天神一族が移り住んで来たところである。

しかしながら遠賀川河口付近の土地は狭い。豊かな水田にするには当時の「技術」では叶わぬ夢物語であったろう。古事記を通読すると、河口付近の開拓までには及んでいないことが窺い知れる。宗賀(蘇我)一族がそれを為し得た地は全く稀有の場所であったのだろう。いや、だからこそ彼らが圧倒的な財力を有することになった、と思われる。

滌御身で生まれた神

於是詔之「上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱。」而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神名、八十禍津日神訓禍云摩賀、下效此。、次大禍津日神、此二神者、所到其穢繁國之時、因汚垢而所成神之者也。次爲直其禍而所成神名、神直毘神毘字以音、下效此、次大直毘神、次伊豆能賣神。幷三神也。伊以下四字以音。
[そこで、「上流の方は瀬が速い、下流の方は瀬が弱い」と仰せられて、眞中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。この二神は、あの穢い國においでになつた時の汚垢によつてあらわれた神です。次にその禍を直そうとしてあらわれた神は、カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです]

「八十禍津日神」「大禍津日神」は…「八十=多くの」「大=大きな」として「禍津日神」は…、
 
禍(災い)|津(集まる)|日(日々の、日常の)|神

…「津日=~の神霊」と訳されるようであるが、敢えて意味を加えてみた。「汚垢」から生じた神と伝える。神直毘神、大直毘神、伊豆能賣神」が「禍」を直す神として挙げられる。
 
神(雷:稲光)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
大(大きな)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
伊豆(膨らんだ凸の表面)|能(の)|賣(生み出す)|神

…前二者は「禍(摩賀:マガ)」を真っ直ぐにするのを助ける神と解釈できる。「毘」を「日」に置き換えることは誤りである。「豆」は「禍」によって「表面が凹凸ができて曲がった状態」を示すものと紐解ける。中に含まれた「禍」を「賣=中にあるものを外に出す」、膿を絞り出すような様相を表していると思われる。古事記表記の肌理細やかさであろう。

上記のように「禍」に対応する神々として解釈することができるようであるが、地形を表す「神」「伊豆」「毘」などの文字が並んでいるようでもある。かなり後の段になるが允恭天皇紀に「味白檮之言八十禍津日前」として明らかに地名(地形)を示す表記が登場する。地形を表す表現として紐解いてみよう。

❶八十禍津日神・大禍津日神

「八十」=「八(谷)+十(十字に)」=「谷が十字に交差したところ」、「禍」=「頭蓋骨のような形をして丸く小高くなったところ」、「日」=「炎の地形」、「大」=「山頂が連なる尾根からの谷間が広がったところ」とすると…「丸く小高い凸部が集った炎の地形の傍らにある」…、
 
谷が十字に交差したところ
尾根からの谷間が広がったところ

…と紐解ける。
<禊祓で誕生した神③>

❷神直毘神・大直毘神

「神」=「稲妻の形」「大」は上記と同様とし、「直」=「従う」、「毘」=「田を並べる」とすると…、
 
稲妻の形に従って田を並べる
尾根から広がる谷間に従って田を並べる

…と紐解ける。

❸伊豆能賣神

そのままの表記で…「伊」=「僅かに」、「豆」=「高い台地(高台)」、「能」=「熊(隅)」及び「賣」=「生み育てる」とすると…、
 
僅かに高い台地の隅で生み出す神
 
<禊祓で誕生した神(全)>
…と読み解ける。これらの神々の名前は日向の典型的な地形(耕作地)を示していると気付かされる。

汚垢」の禊祓から誕生した神々、それは稲作には欠かせない「汚泥」に繋がるものであろう。

安萬侶くんが伝えたかったのは、やはり、竺紫日向の地の詳細であったと判る(⓲⓳については後日に述べる)。

実に興味深いことに現在の行政区分と重なるのである。遠賀郡岡垣町の東は遠賀郡遠賀郡であり、南は宗像市となっている。

北の湯川山から始まる孔大寺山系は、南へぐるりと回って東へ向かい、そこから北上する。竺紫日向の地はこの山塊と響灘・古遠賀湾に囲まれた地域であることを示している。海面水位に相違はあっても古事記の時代と今も変わらぬ地形なのである。

古事記は、それをあからさまに表現することなく記述した。地形に従った耕作のやり方、それぞれに堪能な神を周到するとは筋の通ったことである。ものの捉え方に「上中下」を持って来ることに通じるであろう。

葦原中国(出雲)、竺紫日向に降臨した伊邪那岐は、その地を天神達の統治する場所としたのである。周到に、そして精緻なまでに語られる物語を読めて来なかったことに忸怩たる思いである。






2018年11月22日木曜日

天浮橋 〔285〕

天浮橋


古事記神代における重要なランドマークである「天浮橋」については、本居宣長を始めとして様々な解釈がなされて来た。各説も含めて記述されている文献はこちら「天と地との間に架かる橋」という解釈から「聖界と俗界との境」まで、上記の著者は「境界と国見」の解釈だから折衷された説のようでもある。いずれにしても2010年時点で「多陀用幣流之國」のようである。
 
<天浮橋>
この橋の場所は淤能碁呂島など伊邪那岐・伊邪那美の国(島)生みに関連した場所が定まると必然的に導き出されるとして解読した。

前記した天沼矛で述べたように淤能碁呂島に近接する場所、その端にあり、独立したところとして現在の下関市彦島竹ノ子島と比定した。

「浮いている橋のような地形」が文字解釈であった。古事記が文字によって地形を表すことを一貫しているとするならば、これは曖昧であり、特定困難な表記と思われる。

では、この三文字は何を表わしているのであろうか?・・・順に紐解いてみる。

「天」=「テン:頭(上)」であろう。注目すべきは足(下)に該当するところの地形である。釣り針のような形・・・これで読み解けた。
 
天(頭)|浮(浮き)|橋(釣り針)

…「頭の浮きに釣り針がぶら下がったところ」と紐解ける。

「橋」は「釣り針」を表せるのであろうか?…「橋」=「木(山陵)+喬」と分解できる。「喬」=「夭+高」の組合せであり「曲がって高い」の意味を示すと解説される。両意合された文字であるが、例えば「矯正」などでは「ねじ曲がる」の意味を表すと思われる。

古事記は、ここで「橋」を…、
 
ねじ曲がった山陵=釣り針(鉤)

…として用いていることが解る。

「浮き」を当時に使っていたかは不詳であるが、平安時代初期の出土物に軽石を使ったものが見つかっているそうである。現在の洗錬された形とは異なるが、魚を釣る時には重要なものであることは間違いない。

「釣り針」は後の海佐知毘古・山佐知毘古の説話に「鉤」の文字で登場する。「釣魚」の道具として用いると明確に記載されている。勿論「釣」「鉤」は、ねじ曲がった様を示す文字である。

既に述べたようにこの地は響灘から関門海峡への入口に当たる。葦原中国(出雲:現在の北九州市門司区大里)を臨むところである。関門海峡の潮流の変化に伴う潮待ちの場所でもあろう。間違いなく「境」であり、それを渡り越える「橋」と表現した。「高天原」と「葦原」を結ぶ場所であったと告げているのである。

2018年11月20日火曜日

天之御柱・八尋殿 〔284〕

天之御柱・八尋殿


伊邪那岐・伊邪那美が国(島)生みをする前段となるところをあらためて載せると、まだまだ何かを伝えているようである。神話の件は神話らしく読む…のではなかろう。やはり、と言うかもっと秘められた意味があると、気付かされた。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

於是天神、諸命以、詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神「修理固成是多陀用幣流之國。」賜天沼矛而言依賜也。故、二柱神、立天浮橋而指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇畫鳴而引上時、自其矛末垂落之鹽累積、成嶋、是淤能碁呂嶋。
於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是、問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成。」答曰「吾身者、成成不成合處一處在。」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」訓生、云宇牟。下效此。伊邪那美命答曰「然善。」爾伊邪那岐命詔「然者、吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比此七字以音。」
如此之期、乃詔「汝者自右廻逢、我者自左廻逢。」約竟廻時、伊邪那美命、先言「阿那邇夜志愛上袁登古袁。此十字以音、下效此。」後伊邪那岐命言「阿那邇夜志愛上袁登賣袁。」各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇此四字以音興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。
 [そこで天の神樣方の仰せで、イザナギの命・イザナミの命御二方に、「この漂っている國を整えてしっかりと作り固めよ」とて、りっぱな矛をお授けになって仰せつけられました。それでこの御二方の神樣は天からの階段にお立ちになって、その矛をさしおろして下の世界をかき廻され、海水を音を立ててかきして引きあげられた時に、矛の先から滴たる海水が、積って島となりました。これがオノゴロ島です。
その島にお降くだりになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てになりました。 そこでイザナギの命が、イザナミの女神に「あなたのからだは、どんなふうにできていますか」と、お尋ねになりましたので、「わたくしのからだは、できあがつて、でききらない所が一か所あります」とお答えになりました。そこでイザナギの命の仰せられるには「わたしのからだは、できあがつて、でき過ぎた所が一か所ある。だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして國を生み出そうと思うがどうだろう」と仰せられたので、イザナミの命が「それがいいでしよう」とお答えになりました。そこでイザナギの命が「そんならわたしとあなたが、この太い柱を廻りあつて、結婚をしよう」と仰せられてこのように約束して仰せられるには「あなたは右からお廻りなさい。わたしは左から廻つてあいましよう」と約束しておりになる時に、イザナミの命が先に「ほんとうにりつぱな青年ですね」といわれ、その後あとでイザナギの命が「ほんとうに美しいお孃じようさんですね」といわれました。それぞれ言い終つてから、その女神に「女が先に言つたのはよくない」とおつしやいましたが、しかし結婚をして、これによつて御子水蛭子をお生みになりました。この子はアシの船に乘せて流してしまいました。次に淡島をお生みになりました。これも御子の數にははいりません]


淤能碁呂嶋
 
<天沼矛>
天神から賜った「天沼矛」から滴り落ちた塩でできた島を「淤能碁呂嶋」と記述する。

前記でそれを地形に当て嵌めてみた図を示した。現在の下関市彦島の老の山を矛先に見立てると、細く延びた山稜の端にある。

伊伎嶋(壱岐島)に類似する、それよりももっと標高の低い台地(天=阿麻)であることが解る。

一文字の漢字で地形象形するばかりか、文で象形した例であろう。実に鮮やかである、と思われる。

淤能碁呂島の場所が見極められると更にその詳細が浮かんで来るようである。

天之御柱・八尋殿

<天之御柱・八尋殿>
国(島)生みの場所である。通訳は「大きな柱、大きな御殿」である。特に問題はなさそうで、さらりと読み飛ばされてしまうところであろう。

後に登場する八尋矛なら素直に受け止められそうだが、御殿となると、何か他の意味?…を込めているのかもしれない。

順に紐解いてみよう・・・古事記冒頭の「天」=「阿麻(擦り潰された台地)」と読む。

また「柱」は前記の伊伎嶋の別名「天比登都柱」の「柱」=「木+主」=「燃える火がある山」とすると…「御柱」は…、

御(束ねる)|柱(燃える火がある山)

…「擦り潰された台地で燃える火がある山を束ねたところ」と紐解ける。「柱」の周辺、麓の意味と読み取れる。「御」=「御する(操る)、臨む(面する)」と解釈する。図に示した現在の彦島西山町の最高峰(標高31m)の麓を示していると思われる。

「尋」=「奥深く入り込む」が原義(藤堂説)とある。すると…「八尋殿」は…、

八(谷の)|尋(奥深く入ったところ)|殿(大きくて立派な建物)

…と解釈される。御柱の麓にあることを表わしているのである。頻出の安萬侶コード「八(谷)」である。これらを「見立」=「見て立つ」と記す。


<沖ノ島>
天之沼矛を使って淤能碁呂島を作り、そして大八嶋国、六嶋へと国(島)生みが進展する。

対馬海峡が海水準の上昇(海進)に伴って広がり、日本列島から徐々に島が分離独立して行く様を表わしている。

生じた島は沖ノ島を取り囲むように配置された。その島こそ世の中の中心と、人々は思い付いたのであろう。

本州と九州に挟まれた狭い場所にある淤能碁呂島(彦島)から生まれ、散らばったと言う。あたかも人が誕生するように・・・。

天神一族、彼らの原風景を図が示している。この原風景及び周辺に一族の発展を記したのが古事記なのである。

最後になったが、彦島の地質については安山岩を含む層が確認されていて(詳細は山口大学理学部の資料室を参照)、「柱」が立つこととは矛盾しないようである。前記の伊伎嶋も同様、溶岩台地を見事に表現していると思われる。

2018年11月18日日曜日

伊伎嶋・津嶋 〔283〕

伊伎嶋・津嶋


伊邪那岐・伊邪那美の国(島)生みを見直していると、島の場所は明確で動かしようのない二つの島、壱岐島と対馬もあらためて読み解いてみたくなったようで、それぞれの文字の意味をきちんと整理しておこうかと思う。国(島)生みの全体は<伊邪那岐・伊邪那美【国生み】>、<対馬・関門海峡の海水準(海進)>を参照願う。
 
伊伎嶋

この島は「壱岐島」として間違いはないであろう。現存する地名及びそれに含まれる「壱=一」からも誰も疑いの目を向けることなく今日に至っている。勿論本著も上記の根拠に加えて国生みの経路上適切な位置にある島と推定した。

「伊伎」とはどういう意味なのであろうか?…「伊」=「小さく、僅かに」、「伎」
=「人+支(分れる、離れる)」として…、
 
伊(僅かに)|伎(分かれ離れる)

…「僅かに分かれ離れている」と解釈できる。がしかし、これの意味は何と理解されるのか?…寧ろ不明な解釈に陥ってしまう。図に壱岐島の代表的な川である谷江川と幡鉾川を示した。島の西側の高台(現在の国道382号線沿い)から東に流れる川である。


<伊伎嶋>

一方、その高台から西に流れる川が見出だせる。地図からでは分かり辛いが、それらが繋がったとすれば島は分断された状態と見做せるのではなかろうか。

要するに壱岐島は「”ほんのちょっと”分かれた島」と記述している。

「伎」の用法は、後に登場する伯伎国の時に類似する。「分岐する、分れる、別れる」の意味を表す文字と思われる。

別の解釈としては「伊伎」=「小さく分岐した地形」も山稜の特徴を捉えているように思われる。重ねた表記かもしれない。

古事記に登場する地名・神名は勝本町・芦辺町に局在する。南の郷ノ浦町・石田町には登場しないのである。現在の行政区分と非常に良く合致しているようである。

高天原等の主舞台は、図の南北二つの僅かな分岐に挟まれたところである。また、詳細は後になるが、常世国月讀命は同じ勝本・芦辺町だが、谷江川の北岸に配置することになる。登場する地名・人名も見事に使い分けられているようである。

謂れが「天比登都柱」と記される。また「訓天如天」と註記される。「天(アマ)」ではないことを告げている。これに含まれる「比登都」を「一」と読むのである。「アメヒトツバシラ」である。武田祐吉氏は「天一つ柱」と訳している。何れにせよ「壱」であり、壱岐島との繋がりを示唆するのである。

しかしながら本当に「壱」であろうか?…何故わざわざ「比登都」と表現したのか?…国生みの段に「天一根」という表現もある。前記で紐解いたようにこれは「一つ」である。何かを伝えようとしていると思うべきであろう。


これを紐解く鍵は「柱」にあった。天神の数を表し、また通常の柱を意味する例が既出であるが、原義に戻って解釈してみよう。「柱」=「木+主」であり、「主」=「台の上にある燃える火」の象形とある。安萬侶コード「木(山稜)」から、「柱」=「燃える火がある山」を表すと読み解ける。更に「天」=「上部」=「山頂」としてみると…、
 
天(山頂)|比(並ぶ)|登(高くなる)
都(集まる)|柱(燃える火がある山)

<壱岐島>
…「山頂が並んで高くなって集まり燃える火がある台地」と紐解ける。同じような「柱」=「火山」が集まっている様を述べていると読み解ける。

これは複数の火山の噴火によって作られた島であることを述べていると解釈される。解いてみて初めて言っている意味の凄さに驚かされる。


壱岐島は溶岩台地の地形であることが知られているのである。しかも複数の火山が噴火した経緯も詳しく調査されている(ネット検索で見つかる文献)。これが古事記なのである。


専門外で論文を紹介できるだけの知識はないが、火箭の辻、神通の辻などが該当する。


壱岐の北部が古く、後に南部の岳の辻などが噴火したとのことである。安萬侶コードを信頼して突き進んだ結果であるが、勿論真偽の程は別途としたい。

余談になるが・・・「辻」=「旋毛(ツムジ)」であって、頭頂を示す。「昇って集まる」という表現に繋がるのではなかろうか。


<津嶋>
何十万年という周期での噴火が当時にあったとは思えないが、彼らの認識に火山の存在とそれから流れ出た溶岩が陸地を形成していることが含まれていたように思われる。

❻津嶋

「津嶋」=「対馬」は異論のない所であろう。この島は現在でも無数の山稜が無秩序に並び、そして山麓を形成することなく海面下に潜る地形である。


縄文海進を想定すると今よりもっと山麓の緩やかな傾斜地は少なかったと推測される。「津」=「入江」の意味そのままで…「津嶋」は…、
 
入江の島

…と解釈される。島の中央部の入り組んだところを示していると思われる。現在の辞書では「津」=「港、渡し場」と記載されるが、それは機能面を重視した解釈であろう。

地形としては「入江」が適切と思われる。「水が束ねられたところ」と解釈できる。川が集まるところを「津」と表記することに通じるものであろう。

<対馬・関門海峡の海水準(海進)>で記述したように元は一体であった島が海水準の上昇により無数の島が浮かぶ大きな入江を形成したところを表わしていると思われる。この島の特徴を捉えて命名したものであろう。

謂れが「天之狹手依比賣」とある。「手」=「山稜から突き出た地」と解釈すると…、
 
狹(狭い)|手(突き出た地)|依(頼る)

…「狭い山稜から突き出た地を頼る」比賣と紐解ける。「津」を補足した表記と思われる。


通説を眺めてみると、「ツシマ」「イキ」と余りに漢字表記の音が明確に一致することからか、疑いもなく比定されている。結果としては間違いないであろうが、それならば逆に使われている一文字一文字の解釈が古事記の表記に合致することが重要であろう。安萬侶コードの検証である。



2018年11月16日金曜日

水蛭子・淡嶋・天沼矛・淤能碁呂嶋 〔282〕

水蛭子・淡嶋・天沼矛・淤能碁呂嶋


伊邪那岐・伊邪那美の「国(島)生み」は、古代の大陸(プレート)の移動と気候変動に依存する海水準の変化を表わしているのではないか、と考察した。詳しくはこちらを参照願うが、現在の日本海がアジア大陸の内海であって、その海水準が上昇していく状態を述べていると解釈した。

即ち現在の対馬海峡の海水準の上昇(海進)によって、海底に聳える山が島となって行く様を国生みと称したと考えたわけである。対馬を除き、概ね海深20mに海水準が達した時より陸続きの日本列島から次第に切り離されて孤立した島となって行くのであるが、注目すべきは海深5m前後の島の状態を記述していると推察した。

そうなって来ると伊邪那岐・伊邪那美が生んだ島だが数には入れないと断り書きした意味を紐解きたくなる。生んだ島との相違は何であるか、単に海進だけで納得行く説明は可能なのであろうか、と言う課題である。

早速、紐解いてみよう・・・。古事記原文は…、

於是天神、諸命以、詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神「修理固成是多陀用幣流之國。」賜天沼矛而言依賜也。故、二柱神、立訓立云多多志天浮橋而指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇此七字以音畫鳴訓鳴云那志而引上時、自其矛末垂落之鹽累積、成嶋、是淤能碁呂嶋。自淤以下四字以音。


如此之期、乃詔「汝者自右廻逢、我者自左廻逢。」約竟廻時、伊邪那美命、先言「阿那邇夜志愛袁登古袁。此十字以音、下效此。」後伊邪那岐命言「阿那邇夜志愛袁登賣袁。」各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇此四字以音興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。

不慣れな二神が最初に生んだ子は「不良」で、「水蛭子」として海に流してしまったと記される。次の「淡嶋」も彼らの子供とはしない、のである。「淡嶋」は最初の認知された子供となった淡道之穂之狭別嶋の誕生に関連して既に述べたが、「淡嶋」の認知問題の解釈は未達であった。

前記で隱伎之三子嶋及び女嶋(天一根)について海図から、現在は海面下ではあるが、それらの島の周辺の海底の地形を知ることにより命名された名前を紐解くことができた。同様に今回も海底からの地形を含めた考察を行うことにする。


淡嶋

関門海峡付近の海進は複雑であった、と言うか現在の地形からの推定が難しい場所であろう。一例だが図に示したJR下関駅があるところは明らかに大きく広い浅瀬を埋立た地であることが判る。そのような背景を含めて考察してみると、関門海峡は海水準が海深約20m(水色)から開通し始めて10m(黄色)でほぼ現在の地形となると解る。
 
<彦島>
その時点では彦島(かつては引島とも)は本州の一部である。それ以降の海進によって大きく地形が変化したと思われる。

図中右側の水色破線で示した淡嶋と淡道嶋の境界は、おそらく川によって区切られていたのではなかろうか。

川は海進とは無関係に存在するわけで、海深5m前後になった時に淡道嶋として分離独立したと見做すことができる。

現在の下関港がある小瀬戸については当時も川のような状態であったかどうかは不明であるが、海水準が更に進まないと谷の状態、少なくとも東西を結んではいなかったのではなかろうか。

即ち国生みに加えられない「淡嶋」は、島の形状ではあるが本州と微妙に繋がった状態と見做したと思われる。彦島関連の過去の地形については大正時代の地図を参照。


<天沼矛>
国(島)生みをする前に「成嶋」とした淤能碁呂嶋と淡嶋との境界は図中左側の水色破線で示した川で区切られていたのではなかろうか。

海深10m程度に海水準が達したところで既に孤立した島の地形になっていると推測される。

「天沼矛」とは?・・・「天(頭)」が沼の矛であろう。老の山を矛先に見立てた地形象形と思われる。

その先から垂れ落ちた塩が固まってできた島を淤能碁呂嶋と名付けたと述べている。「天」は沼の状態、即ち水辺ではあるが、開通した地形と認識していないことが読み取れる。

淤能碁呂嶋は伊邪那岐・伊邪那美が作った島ではあるが、生んだわけではない。生んだ淡嶋はこの「天沼矛」と一体になっていた。思い通りの島にはならなかったのである。下記の「水蛭子」には、一応理由「不良」が付いているが、淡嶋にはない。いや、付ける必要など全くないのである。


水蛭子

「水蛭子」について何と解釈できるであろうか?…「不良」の記述に基づいて奇形児(胎児)のような説が多く見られる。確かに文字の印象はその通りである。話題は国(島)生みである。島の奇形?…胎児?…上記の「淡嶋」のように微妙な状態を示すとすると、近隣に浮かぶ島を思い付くことができる。
 
<水蛭子>
彦島の西にある六連島・小六連(馬島)である。海深10m程度(黄色)で両島合せて島となるが、海深2m前後(赤色)にならないと離れて独立した島にはならないようである。

淡嶋と同様に微妙な状態にあった島と判る。仁徳天皇紀の歌中で呼ばれた名称を図に示したが、極めて重要な海上交通の要所であったと思われる。

伊邪那岐・伊邪那美が生んだ場所は淤能碁呂嶋であり、そこから流したという記述は正しく符合する場所であろう。両島合わせた形状(黄色)を頭でっかちな蛭(子)に模したのかもしれない。

国(島)生みは、海水準が上昇して海深5m前後のところまでの出来事であり、残り2~3mの上昇で島になっても認知しない…「不良」と告げている。実に神話らしくない(?)精緻な表記ではなかろうか。そして玄界灘、響灘に浮かぶ主要な島は、全て伊邪那岐・伊邪那美が手をかけた島であったことを示しているのである。

国(島)生みの神話は、対馬・関門海峡における海水準の変動で解釈できることが示された。縄文海進及びそれに引き続く地球環境の周期的な変化を考慮せずして古事記は読み解けないことがあらためて明らかになったと思われる。





2018年11月14日水曜日

女嶋:天一根 〔281〕

女嶋:天一根


大八嶋国に続いて誕生した六嶋の中の一つの島である。比定した他の島の場所から現在の北九州市若松区に属する女島であることは容易に求められる島である。すぐ隣りにある男島は知訶島、謂れが天之忍男であり、現在の名前との繋がりも伺える。

しかしながら女嶋の謂れ「天一根」については、今一歩納得できる解釈ではなかった。「根」の解釈、古事記の中では概ね「山稜の端にある根のように複数の枝分かれした稜線」であり、とてもこの小さな島には適用しかねるものであった。

前記で対馬海峡の海図情報に基づいて隱伎之三子嶋の解釈を行った。島は海底に聳える山と見做すことができることから、「山稜」の形を表現することが可能なのである。そんな背景で「天一根」を調べてみた。
  
<女嶋①>
「女嶋」の「天一根」んとも可愛らしい謂れ。「女嶋」=「女島」であろう。隣の「男島」=「知訶嶋」謂れの「天之忍男」に着目。

女嶋、亦名謂天一根。訓天如天」と記される。注記があって、天(テン)であって天(アマ)とは読まないとされている。


同様の記述が出て来た例がある。同じ国生みの記述に「次生伊伎嶋、亦名謂天比登都柱。自比至都以音、訓天如天」とある。


また後の大年神が娶った秋津の「天知迦流美豆比賣」にも「訓天如天」と註記される。詳細はこちらを参照願うが、「秋」=「禾+火」として「天=火の文字の頭の部分」を示すと解釈した。

では、女嶋の「頭」とは?…図から分かるように人体に模した表現と思われる。左側の二つに分岐したところが脚、右側が頭部に見立てたのである。



<女嶋②>
上記したように「根」は度々登場する文字なのであるが、概ね「根本、中心」、地形象形としては「山稜の端の根のように広がったところ」などの解釈として来た。

図に示すようにこの島には細く長く続く海堆のようなところがあり、特徴的な地形をしていることが判る。

これを表わしたのではなかろうか…、
 
頭に一本の根がある島

…と紐解ける。現在は当然のことながら大部分は海面下にあるが、島が誕生する過程を考慮すると、この命名は「謂」として重要な意味を持っていると思われる。

当時の海面は現在より3~5m程度高かったと推定されている。大河による沖積の寄与があるところでは7~9m前後と見積もって来たが、この根の部分は間違いなく当時は海面下にあったことになる。隱伎之三子嶋と天一根の表記は、海底からの地形を含めた象形を行っていると思われる。

上記したように国生みが海面水位の変動によって生じた地形の変化を表わしていると推察したことと深く関連する記述ではなかろうか。








2018年11月12日月曜日

隱伎之三子嶋 〔280〕

隱伎之三子嶋


全く欠落していた島名解釈であった。「隱伎之三子嶋」とは何を意味しているのであろうか?…伊豫之二名嶋の次とくれば現在の地島(宗像市地島)辺りで、何となく三つの山から成り立っているように見えるから三子嶋と名付けたか・・・そんな程度の解釈であった。
 
<隱伎之三子嶋①>
「隱」は…「伎」=「人+支(分かれる)」として…、
 
隱(隠す)|伎(分れる)

…「分かれたところを隠している」と紐解ける。「伎」の解釈は「伊伎嶋」と同じ解釈である。

「人」=「人がしたように」と付加することも可である。

「三子嶋」=「分かれたところ」と思われる。隠れたとは?・・・何を意味するのか?・・・。


海中の地形を調べると、宗像市鐘崎の海岸近くにまで隆起したところが列島状に並んでいることが解った。

<隱伎之三子嶋②>
現在も最も浅いところで水深1m、当時としては数mの海面下にあったと推定される。

これを「隱伎」と呼んだのであろう(参照:みんなの海図)。詳細はこちら

後に大国主命の段に登場する。「三子嶋」こそ「海和邇」が並んだ姿を表していると解釈することになる。

そこでは「淤岐嶋」と記述される。
 
泥が溜まった洲が分かれた島

…と紐解ける。

まさに「洲」の状態を表していると思われる。謂れは天之忍許呂別と記される。「忍許呂別」は…、
 
忍(目立たない)|許(傍らに)|呂(連なった)|別(地)

…「目立たないが傍らに連なったところがある地」と紐解ける。古事記の「許呂(コロ)」として読むこともできるが、本来の意味は上記のようである。

この島が後の大国主命の段で登場する「菟」、「氣多之前」など重要なキーワードが登場する。「菟」=「斗」(柄杓の地)の表記である。「菟」の住処を示すのである。「海和邇」も含めて、詳細はこちらを参照願う。

2018年11月8日木曜日

伊邪那岐・伊邪那美の神生み 〔279〕

伊邪那岐・伊邪那美の神生み


国(大地)を生んだら、次はその大地の中で人が住まうために必要な地形を生み出しているようである。この段の全文を纏めて再掲する。

大八嶋及び六嶋が生まれて引き続き多くの神が生まれる。別天神五柱の神々によって、「天」の地は①隆起した台地、②山麓の葦が茂る治水された水田の二つの地形に特徴があることが判った。その地に三名の指導者が居たことも示された。

更に神世七代の神々によって「國」…「天」に対して不特定の「大地」を意味する…にも①隆起した台地 ②雨雲が覆う平らな土地があることが知らされた。

加えて③山麓及び州の近傍に並ぶ田畑、④山稜の端が長く延びたり、分かれたりしたところ、⑤柄杓の形をした三方を山稜で囲まれた地、⑥崖のある台地及びその近傍の田畑の地形が示された。これらは古事記の時代に人々が衣食住を満たした地形であったと告げているのである。

このことは人々が如何に山麓に寄り添い、そこから流れ出す蛇行する川(下流で州を形成)の近傍に日々の基盤を置いていたことを表していると思われる。神々の名前に「志:之(蛇行する川の象形)」「須:州」が多用されることからも伺えるものである。

最後に登場するのが伊邪那岐・伊邪那美神である。彼らはその名前の通りに「誘い導く」役割を担った神である。そして更に詳細な彼らにとって必要な地形を記述するのである。古事記記述の一貫性を信じて膨大な数の神々を紐解いてみよう。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…

既生國竟、更生神。故、生神名、大事忍男神、次生石土毘古神訓石云伊波、亦毘古二字以音。下效此也、次生石巢比賣神、次生大戸日別神、次生天之吹男神、次生大屋毘古神、次生風木津別之忍男神訓風云加邪、訓木以音、次生海神、名大綿津見神、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神。自大事忍男神至秋津比賣神、幷十神。
[このように國々を生み終つて、更に神々をお生みになりました。そのお生み遊ばされた神樣の御名はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神をお生みになりました。次に海の神のオホワタツミの神をお生みになり、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神とをお生みになりました。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神です]

大事忍男神

伊邪那岐・伊邪那美神から生まれた最初の神である。「事」=「神に仕えること、捧げること」が原義のようである。前記と同様に「大」=「平らな頂の山」、そして「忍」=「人目から隠れた、一見では分からない」、「男」=「田+力」=「田を作る、耕す」とすると…、
 
大(平らな頂の山)|事(神に捧げる)|忍(隠れた)|男(田を耕す)|神

…「平らな頂きの山で神に捧げる隠れた田を耕す」神と紐解ける。冒頭の神に別天神五柱の大神を祭祀する神を置いたのではなかろうか。

神が坐しているところは急峻な頂きではないようである。「忍」と記されるように密やかな行いなのである。通説では「大仕事を為した後に生まれた神」もしくは間違って記述したなどと言われるが、神の食い扶持を先ずは確保であろう。

石土毘古神

通説では「石・土の男神」とされる。そのままの解釈でも意味は通じるようであるが、「毘古」を紐解くと…、
 
毘(田を並べる)|古(固:定める)

…となる。「男神」と記述しないことを受けると、単に「岩・土」というモノ(物質)の神ではなく…「石土毘古神」は…、
 
石土(岩の土地)|毘古(田を並べ定める)|神

「岩のある地に田を並べ定める神」と解釈され、大地に田を作る神を意味すると思われる。

石巢比賣神

上記の石土毘古神と対を成すような女神とされ、砂の神、堅固な住居の神などと言われるが果たしてそうであろうか?…「比賣」も併せて紐解くと…、
 
石巣(岩が寄り集まる)|比(並べる)|賣(生み出す)|神

…と解釈される。「比」=「並べる、接する」である。「賣」=「孕む、生み出す」の意味を持つ。「多くの岩があるところで畑を並べて作物を生み出す神」の意味となる。尚、古事記は「毘」と「比」を使い分けているようである。前者は「水田」、後者は「畑」として解釈する。

<大戸日別神>
大戸日別神

「大戸」は「家の戸口」を示すのであろうか?…自然の地形、造形物に関する記述の流れからは受け入れられない。「大戸」=「大斗」であろう。「戸」を「柄杓」の形に模したものと見做したのであろう。

「日別」の文字は「筑紫嶋之面四」で登場した「白日別」「豊日別」から類推すると「方位」を示すようでもあり、「時を識別する」ような解釈ができそうである。

が、記述の流れからすると、やはり何らかの地形を表しているのではなかろうか。既出の「日(炎)」とすると…、
 
大戸(大斗)|日([炎]の形)|別(土地)|神

…「大斗の[炎]の形をした山麓の地」の神と紐解ける。前出の意富斗能地神の中で山稜の端が長く[炎]のように延びたところを示していると思われる。「大斗」=「出雲国」現在の北九州市門司区大里辺りと推定される。そこに戸ノ上山が聳える。現存する地名との深い繋がりと思われるが、現地名の由来は不詳である。

天之吹男神

「天」と特定された名前である。「吹男」はそのままの通り、自噴する水(蒸気)が見られるところと思われる。端的には温泉場があるところ、しかも自噴するほどのところである。「天」に存在するのか?…神功皇后が三韓征伐の折に発見したという由緒のある温泉場がある(壱岐市勝本町立石西触、湯ノ本温泉)。何を隠そうこれこそが伊邪那岐・伊邪那美が生んだ正真正銘の神の湯である。
 
<天之吹男神>
天にある自噴す水(蒸気)の傍らで田を耕す神

…と紐解ける。この特徴的な地表を表現したものと思われる。

「國之吹男神」がないのは古事記の範疇にある「國」には温泉が無いことを示すと考えられる。

伊余湯は温泉場ではない。「天」ではない自噴する温泉場は古事記の記述の範囲外と結論付けられる。

壱岐島は溶岩台地と知られる。「天」が壱岐島にあったことに対して極めて重要な記述と思われる。通説は屋根葺きの神と解釈されるようである。「國」には必要のない神だった?…腑に落ちない解釈の一つであろう。
 
大屋毘古神

通説は「大きな家屋」という解釈であるが、「大」=「平らな頂の山稜」の象形として、「屋」=「尸+至」で「崖、山麓が尽きる」と紐解く。「毘古」を上記と同様にして「大屋毘古神」は…、
 
大(平らな頂の山稜)|屋(山麓が尽きるところ)|毘(田を並べる)|古(固:定める)|神
 
…「平らな頂の山稜の尾根が尽きるところに田を並べて定める」と紐解ける。山稜を地表を覆う形をしたものと象形した表現と解釈する。後の大国主の段で木國之大屋毘古神が登場する。具体的なイメージはそちらを参照。また、「蚊屋」という表現が登場する。「大屋」に対して用いられたものであろう。その時は「蚊のような(小さな)家屋」と解釈するのであろうか…。
 
風木津別之忍男神

これはそのまま文字通りに解釈することは不可である。「風+木」=「楓」と結合すると、楓の葉脈が示す地形を表していると思われる。

示した図の葉脈が「川」を表し、それらが集まって「津」を形成する。「津」は古代の人々が住まう場所として重要な地であったと思われる。その地形を「人目から隠れる、一見では分からない」ところで田を耕す神のことを述べているのである。

「津」=「氵+聿(ふで)」=「水+毛の束(穂)」=「川が束ねる(集まる)」と解釈する。「つ」という語幹は「寄り集まる」ことを示していると解釈される。

古文解釈である「~の」として機械的に解釈してしまっては地形象形していることを見逃すことになる。重要な情報を示す「津」であると思われる。

石土毘古神から風木津別之忍男神までの六神を「家宅六神」と呼ばれるとのことである。先ずは「家」が重要なのだと古事記が伝えているとの解釈である。六神中一部読み解けた神名が家屋に関連させられたに過ぎないのである。

上記のごとく大地が生まれて、更にその詳細な特徴ある地形、人が衣食住を満たすために欠かせない地形を司る神々の列挙と解釈される。古事記の記述はこの地形の中で生起した出来事の記録なのだと告げていると思われる。
 
海神:大綿津見神

次いで海神が生まれる。名を「綿津見神」と言う。一文字一文字を紐解くと…「大=広大な」として…、
 
綿(海)|津(海と川が集まる)|見(見張る)|神

「広大な海と川が集まるところを見張る」神となる。通説のような単なる海の神ではないと解釈する。
 
水戸神:速秋津日子神・妹速秋津比賣神

<速秋津日子神・速秋津比賣神>
「水戸」=「内海と外海との境」と解釈する。古代は縄文海進により多くの内海、汽水湖が形成されていたと推測される。

またそれらの地点は交通の要所でもあり、海と川の混じり合う豊かな水辺でもあったと思われる。

その神に具体的な名前が付けられている。それは何処を指し示しているのであろうか?・・・。

神生みの時期に当て嵌まる地があるのか…「天」に次ぐ古事記の重要な地点であろう。図を参照願う。

「秋津」の「秋」=「禾+火」と分解し、略等間隔で海に突き出る三つの岬を「火」の頭の部分に模したものと推測される。後に登場する「畝火山」の表現に類似するものであろう。図から判るように現在の標高で推定して草崎に連なる山稜線の両脇は大きな汽水湖を形成していたと推測される。

この地は邇邇芸命が降臨した竺紫日向に隣接し、後に神倭伊波禮毘古が訪れた国「阿岐(アキ)国」(二つに分かれた台地)と呼ばれたと読み解いた。現地名は宗像市の赤間である。「秋津」の名前が全てに繋がっていることが伺える。

「速」=「辶+束」と分解して「速秋津日子神」「速秋津比賣神」を紐解くと…、
 
速(束ねる)|秋(火の)|津(川と海の合流地)|日子神(男神)
速(束ねる)|秋(火の)|津(川と海の合流地)|比賣神(女神)

…「火の三つの頭の部分を束ねた川と海の合流地」の神となるであろう。「日子神」=「稲を作る神」、「比賣神」=「田畑を並。べて穀物を生み出す神」と解釈できる。「ヒコ」「ヒメ」は男女の役割を表したものと思われる。

上記したように類似する地形は多く見出だせる。「水戸神」としての汎用性をも持合せていると述べている。更に付け加えると「水戸神」は「秋津」が発祥の地であると告げているのである。

この二人の神が更に神を生んでいくことになる。汽水湖に関連する彼らは川と海の両方の性格を持合せている。この認識は重要である。そして古代において最も重要な地域であることを示しているのである。記述はそれに従って生まれた神の名前が述べられる。

此速秋津日子・速秋津比賣二神、因河海、持別而生神名、沫那藝神那藝二字以音、下效此、次沫那美神那美二字以音、下效此、次頰那藝神、次頰那美神、次天之水分神訓分云久麻理、下效此、次國之水分神、次天之久比奢母智神自久以下五字以音、下效此、次國之久比奢母智神。自沫那藝神至國之久比奢母智神、幷八神。
[このハヤアキツ彦とハヤアキツ姫の御二方が河と海とでそれぞれに分けてお生みになつた神の名は、アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神であります。アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です]

沫那藝神・沫那美神

「沫」=「飛沫」と解釈すると…、
 
沫那藝神=沫(飛沫)|那藝(凪:穏やかな状態)|神
沫那美神=沫(飛沫)|那美(波:波立つ状態)|神

…川と海とが入り交じる場所での飛沫の状態を表しているのであろう。二つの状態を示していると思われる。
 
頰那藝神・頰那美神

「頬」=「表面」と解釈すると…、
 
頰那藝神=頬(水面)|那藝(凪:穏やかな状態)|神
頰那美神=頬(水面)|那美(波:波立つ状態)|神

…上記と同様に水面の二つの状態を示していると思われる。
 
天之水分神・國之水分神

「水分」=「水を配る」の意と解釈されている。通説に言われるように水源、川の分岐するところの神と思われる。「天」は壱岐島であり、「國」はその他の土地を示していると考えられる。
 
天之久比奢母智神・國之久比奢母智神

「久比奢母智」が難解のようである。通説には「瓢箪」のこととあり、水を取り扱うのに柄杓として瓢箪を使ったことに由来するとされる。その他の解釈は殆ど見当たらないようでもある。この解釈では「神」とするには無理があろうし、最後の「智」が引っ掛かるのである。

「久比」=「杙、切り株」、「奢」=「おごる、分け与える」、「母智」=「持ち:変わりなく続けること」とすると神武天皇紀に登場する三嶋湟咋(溝杭)を連想させる。「茨田(松田)」=「棚田」作りの名人であって、用水路の作成に関わった人物である。「久比奢母智神」は…、
 
杙で水を分け与え続ける神

…と紐解ける。古事記が描く水田には不可欠な神と言える。「天」「國」は上記と同様。生まれた神々は水源から河口に至るまでに流れる水を制御する役割を担っていたと判る。

さて、次は何が生まれるのであろうか?…古事記の記述に従って読み進める。

次生風神・名志那都比古神此神名以音、次生木神・名久久能智神此神名以音、次生山神・名大山津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神。自志那都比古神至野椎、幷四神。

此大山津見神・野椎神二神、因山野、持別而生神名、天之狹土神訓土云豆知、下效此、次國之狹土神、次天之狹霧神、次國之狹霧神、次天之闇戸神、次國之闇戸神、次大戸惑子神訓惑云麻刀比、下效此、次大戸惑女神。自天之狹土神至大戸惑女神、幷八神也。
[次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ姫の神、またの名をノヅチの神という神をお生みになりました。シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です。
このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けてお生みになつた神の名は、アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神であります。アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です]

風神:志那都比古神

現在の人々にとって風の実体を理解することは難しくない。しかし古代に於いてはこの実体の理解は到底不可能なことであったろう。目に見えないものを理解することの難しさ、微生物の存在を認めるようになってまだ200年も経たない。古事記は如何に捉えていたのであろうか?…、
 
志那=品

…とする。本来の「品」の意味ではなかろう。

「品=口+口+口」何か得体のしれないものが「口」の奥にあってそれが吹き出て来る状態を表しているのではなかろうか。捉えどころのない大きさから「口」を三つも揃えた。そんな認識と読み解ける。「志那都比古神」は…「多くの口の男神」…と解釈できるが、更に「都比古」=「集め並べてしっかり定める」と紐解いてみると…、
 
多くの口を集め並べ定めた神

…となる。風は神の息吹なのであろう。立派な現象論的結論である。

木神:久久能智神

漸くにして木の神が登場する。この神を抜きにして「家宅六神」はないであろう。日本の古代は石造家屋が主体であったとも言うのであろうか?…通説は脇に置いて、この神の名前は何と解したら良いのであろうか?…、
 
久久能智=久久(長い長い年月)|能(の)|智(知恵・知識)

…久遠の生命力を持つ木の知恵、それを会得した神のことを述べている。通説の「智(チ)」は神霊を表す接尾詞の解釈は全く当て嵌まらない。
 
山神:大山津見神

この神はそのまま紐解けるであろう…、
 
大(大きな)|山(山)|津(寄り集まる)|見(見張る)|神

…大きな(高い)山が連なって山脈(山塊)を作っているところを見張る神である。「天」の地にはない地形である。と同時に単なる「大きい山の神」ではなく、この山塊により詳細な地形を生み出すことに繋がる。
 
野神:鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神

野の神である。山が絡む野となれば…「鹿屋野神」は…、
 
鹿(山麓)|屋(尾根が尽きる)|野

…「尾根が尽きる麓の野」の神と解釈できる。別名が記される。「椎」=「背骨」脊椎のように小さく枝骨が生えた象形である。「野椎神」は…、
 
野|椎(背骨の形)

…「山稜の端で小さく、狭く何本もに分かれた支稜にある野」の神を示すと解釈される。大きく高い山が作る山塊の麓及び稜線の端にある野原の神を意味していると思われる。

続いて大山津見神と鹿屋野比賣神とが更に神を誕生させると記述される。

天之狹土神・國之狹土神

狭土=狭(狭い)|土(地面)

…山に挟まれたところ、峡谷であったり、後に登場する「甲斐」のように山で挟まれた地形を示していると思われる。「天」「國」も同様なのであるが、「國」に居場所がありそうな大山津見神が「天」の神を生んでることになる。不合理ではないが、こんな例もあるということか…。

天之狹霧神・國之狹霧神

「霧」の解釈であろう。そもそも「狭(サ)」は接頭語とされて来た。上記は土地の神であり、狭霧は霧の神と言われる。山塊の神が地面(土地)を生む、これでは本末転倒であろう。山塊のより詳細な地形を意味する筈である。「狭霧神」は…、
 
狭(狭い)|霧(切戸、切通)

…「深く鋭角に山稜が抉られた場所を表すところ」の神と紐解ける。隧道の技術がない時代山稜を跨ぐには切り通し、両脇が崖となった地を利用するしか方法はなく、またその場所を切り開いて人が住まうようになったと推測される。現在の山岳用語の「キレット:稜線がV字に凹んだ箇所」はこの切戸が由来との説もある。

風の神が生まれたのだから霧もある、ではないであろう。山と野の神だけではなく、水の神が加わって初めて霧の発生が納得される。それにしても接頭語と接尾語にしてまう解釈、枕詞と同様、古事記が伝えようとする意味を見失ってしまう元凶である。「天」「國」は上記と同じ。
 
天之闇戸神・國之闇戸神

「闇戸」=「洞穴」であろう。自然発生的なもの、人為的に作られたものも含めていると思われる。穴掘りは後述する「朱」の産出に関わる極めて重要な技術となる。「穴太部」はその技術集団と解釈した。開化天皇紀には「沙本之大闇見戸賣」という后も登場する。「闇」の示すところは同じと思われる。「天」「國」は上記と同じ。
 
大戸惑子神・大戸惑女神

「惑」=「麻刀比」と註記される。「惑」=「一定の区域を囲み動く」これは「惑星」で用いられる場合の意味である。「惑」=「纏」と置き換えると…「大戸惑」は…、
 
大(平らな頂の山)|戸(斗:柄杓の地)|惑(山裾に纏わり付く地)

…と紐解ける。後の「纏向」と同様の表現と解釈される。「大戸」を変わらず大きな戸口としていては全く伝わらない記述であろう。大山津見神と野椎神は山塊にある地形の細部に関わる場所の神々を生んだのである。特に山稜に挟まれ山並みの隙間を活用した地形、洞穴、切通し、隧道そして彼らにとって重要な「斗」の山裾の野など、実にきめ細やかな記述と思われる。

迷い子の神格化…確かに古事記は奇想天外で神話ムード一杯の読み物…古事記がそうなのではなく読者が迷い子なのである。ご丁寧に男女の神とされている。

いよいよ神生みも最後の段となった。様々な地形の神が終わって次は如何なる神様になるのだろうか…、

次生神名、鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神。此神名以音。次生火之夜藝速男神夜藝二字以音、亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神。迦具二字以音。因生此子、美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理邇此四字以音生神名、金山毘古神訓金云迦那、下效此、次金山毘賣神。次於屎成神名、波邇夜須毘古神此神名以音、次波邇夜須毘賣神。此神名亦以音。次於尿成神名、彌都波能賣神、次和久巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音。故、伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。自天鳥船至豐宇氣毘賣神、幷八神。
[次にお生みになつた神の名はトリノイハクスブネの神、この神はまたの名を天の鳥船といいます。次にオホゲツ姫の神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、またの名をホノカガ彦の神、またの名をホノカグツチの神といいます。この子をお生みになつたためにイザナミの命は御陰が燒かれて御病氣になりました。その嘔吐でできた神の名はカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、屎でできた神の名はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、小便でできた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神です。この神の子はトヨウケ姫の神といいます。かような次第でイザナミの命は火の神をお生みになつたために遂にお隱れになりました。天の鳥船からトヨウケ姫の神まで合わせて八神です]

鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船

「鳥のようにはやく、石のように堅固な楠(くすのき)の船を意味する」とコトバンクに記載される。異論を挟む余地はなさそうである。誤解なきように、あくまで神である。後に建御雷神に随行して出雲の国譲りの段に登場する。まるで連合艦隊の司令官というキャスティングのようである。

大宜都比賣神

食物に関して古事記が記述するものは「稲」が多く、「田」に絡む地形、水(治水)など多様である。狩猟、漁獲に関連する神はこの神が唯一ではなかろうか。どうやら狩猟生活から農耕生活に移ってそれほど時が経っていないことを示しているのではなかろうか。

自然にあるがままのものを食する時代から自然に手を加え、太陽の力を借りて育てて食物を得る、その感動が失せていない時のように感じられる。農耕から全てが得られるわけではなくそれまでの方法で得られるものを大切にしながら豊かな生活に移れたことへの感謝を伝えているようである。「大宜都比賣神」は…、
 
大|宜(肉・魚)|都(集める)|比賣神(女神)

…大いに「肉・魚を集める」女神と解釈される。「比賣」=「比(並べる)|賣(内から取り出す)」の解釈も妥当であろう(「賣」の解釈は下記参照)。両意に記されているようである。後にこの大宜都比賣神から穀物の種を取り出す説話が記述される。植物、動物を含め自然界の循環を認識している内容である。古事記の自然観の記述は実に貴重な資料として評価できるものであろう。

尚、この「大宜都比賣」は全く別の解釈を行った経緯がある。国生みで誕生する伊豫之二名嶋の「粟国」の謂れである。「平坦な頂の山の麓に段差がある高台が集まるところに座す比賣」と紐解いた。この文字列は全く異なる意味を重ねた表記と思われる。古事記の難解さであり、面白さかもしれない。
 
火之夜藝速男神(火之炫毘古神・火之迦具土神)

「火」に関連する神であることには違いない。最初の名前の「夜藝」=「焼け(る)」(火がついて燃える)とすると「火之夜藝速男神」は…「火之」=「火がついて」として…、
 
夜藝(燃える)|速(束ねる)|男(田を作る)|神

…「燃え上がる炎を束ねる」であり「炎を御して田を作る神」と解釈される。「速」=「辶+束」の解釈である。焼畑を作る神であり、次の名前「火之炫毘古神」は文字通りで…、
 
炫(目に眩い)|毘古(田を並べて定める)|神

…のようである。この文字列からは古来から行われている「焼畑農法」の状況を連想させる。休閑期間を設けて繰り返し収穫を得る方法である。間違いなく当時の重要な農法の一つであっただろう。最後の名前「火之迦具土神」は…、
 
迦(重ね合わせる)|具(器)|土|神

…粘土から器にするには粘土紐を重ねて形作ったものを焼結させるのが一般的であろう。その隙間を焼いて重ね合せると表現したものと思われる。結果として「土を器にする」即ち「土器を作る神」と解釈される。遺物に残る中で最も多い土器の神の登場である。火がなければ作れない古代の人々の生業を示すものであろう。生まれた神は極めて現実的である。

後に燧臼と燧杵で火を起こすという記述があるが、「火」に関する記述は決して詳しくはない。ともかくもこの火の玉男はとんでもないことを為出かすのである。伊邪那美が焼け死んでしまったのである。だが、ただでは死なない。


――――✯――――✯――――✯――――

余談だが、現在の火の神様は「迦具土神」と表現される場合が多いようである。秋葉神社などが有名(全国400社以上)だが、やはり神様の表記はこの神となっている。だが上記のごとく「土器作りの神様」であり、「火之夜藝速男神」の名称が適切では?…と思われるのだが・・・。

山が燃えてしまうか?…古事記はちゃんと本来の素性を明かしてくれている。「夜藝速」=「焼けが速い」としては何だか適切ではないから?…別名であって同じ神様だから問題なし?・・・「焼畑」は遠い過去に追いやられたのであろう。いずれにしても「消火」の神様不在のようである。だから「龍神」が必要なのかも?…。

もう少し身近な火の神様は「秋津の奥津比賣命」で「竈神」と言われた比賣であろうか。秋津の火は火ではないし、大斗は竈でもないのであるが・・・大年神系はメジャーにはならなかったのであろう。加えて大斗の所以は避けたかったこともあろう。戯れに近いが、根深いもので、面白いことには違いない。
 
――――✯――――✯――――✯――――
 
金山毘古神・金山毘賣神

火から金が出る、銅鉄のできあがる様そのものであろう。銅鉄のことを語らない古事記であるが、それらを使いこなしていたことは記述しているのである。高熱で溶けた銅鉄と吐瀉物、類似していると見えなくもないようである。
<今>

生まれる神々の流れからは上記のような解釈も飛び出て来るようではあるが、地形象形的には逸脱した表記であろう。

「金」=「今(含む)+ハ(鉱物)+土」と解説される。「今」の甲骨文字から「段差のある山麓」と紐解ける。「ハ」=「[ハ]の字の地形」、「土」=「台地」として…「金山」は…、
 
麓の段差が[ハ]形に広がる台地がある山

…と読み取れる。嘔吐物の形を模しているのであろうか。「金」の文字の登場は少ないが人名に使われ、特徴ある地形を示している。「毘古」「毘賣」については下記を参照。
 
波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神

何と「屎(クソ)」から神が生まれると記述される。これは一体何を示そうとしているのか?…この二神の名前の意味は?…先ずはそれから紐解いてみよう。「波邇夜須毘古」は…、
 
波(端)|邇(近い)|夜(谷)|須(州)|毘(田を並べる)|古(しっかりと定める)

…「山稜の端にある谷の出口の州に田を並べてしっかりと定める」神となる。「波邇夜須」「波邇安」は後の孝元天皇紀、崇神天皇紀にも登場する名前である。全て上記の解釈で紐解けるのであるが、何が言いたいのか?…尻と両足が作る谷間の象形と作物が豊かに実る肥えた土地を意味していると思われる。

「夜須=安」は古事記の中で多用される。谷の出口に形成された州は人々が住まい、豊かな収穫が得られるところとして極めて重要な地域であったと推測される。「毘賣」は何と読めば良いのであろうか?…、
 
毘賣=毘(田を並べて)|賣(生み出す)

…「賣」=「売(ウル)=「内にある貝(財)が出す(る)」のが原義とある。「比賣」に使用されるのも女性の体内から子が出る(を出す)意味を示すからであろう。即ち「整地された田の土から作物が出てくる(させる)」神と解釈される。

上記に登場した「毘古」と「毘賣」は…、
 
土地を整え地中から(出て来る)ものを収穫すること

…を表現したと紐解ける。そしてそれそれが男性、女性を示す言葉に転化したと推測される。転化した後では、そう言われて来たのだから、という理由で元来の意味は蔑ろにされてしまう。意志の伝達を簡略にするには都合が良いからであろう。だが、しっかりと本来の意味に遡って考えることも重要である。同じことが「枕詞」にも言えるであろう。

彌都波能賣神

今度は「尿」からできる神の話である。先ずは神の名前「彌都波能賣」は…、
 
彌(隅々まで)|都(人が集まるところ)|波(端)|能(の)|賣(生み出す)

…「人が住まう地の果てまで隈なく収穫を得る」神と解釈できるようである。「毘」が付かないのは特に手を掛けることなく得られるものも含めているのであろう。「尿」は「屎」よりも遠くに届くから「彌」が付けたと思われる。いずれにしても作物の成長を促し収穫を得ることを意味していると推測される。この神によって大地の隅々にまで収穫の得られるところをカバーしたということであろうか。
 
和久產巢日神

文字通りに読み解いてみよう「和久產巢日」は…、
 
和(穏やかに)|久(くの字に曲がる)|產(造り出す)|巢(州)

…「穏やかにくの字に曲がり州を造り出す」日神(日々の神)と紐解ける。「州」は「住処」に通じるのであるが、この神はその「州」の形を変えて人の住まう、また収穫の得られる地にする神の意味であろう。通説の支離滅裂(失礼!)な解釈では至らない結果となった。ここで表現された地形を基に古事記の舞台が作られているのである。それを要として読み進んで行こう。

さて、最後に和久產巢日神から後に登場する「豐宇氣毘賣神」が誕生すると記載される。登場したところで彼女の居場所など紐解いてみることにする。「州」に密接に関連し、食物の収穫を担う神と伝えられる。