伊伎嶋・津嶋
伊邪那岐・伊邪那美の国(島)生みを見直していると、島の場所は明確で動かしようのない二つの島、壱岐島と対馬もあらためて読み解いてみたくなったようで、それぞれの文字の意味をきちんと整理しておこうかと思う。国(島)生みの全体は<伊邪那岐・伊邪那美【国生み】>、<対馬・関門海峡の海水準(海進)>を参照願う。
伊伎嶋
この島は「壱岐島」として間違いはないであろう。現存する地名及びそれに含まれる「壱=一」からも誰も疑いの目を向けることなく今日に至っている。勿論本著も上記の根拠に加えて国生みの経路上適切な位置にある島と推定した。
「伊伎」とはどういう意味なのであろうか?…「伊」=「小さく、僅かに」、「伎」=「人+支(分れる、離れる)」として…、
伊(僅かに)|伎(分かれ離れる)
…「僅かに分かれ離れている」と解釈できる。がしかし、これの意味は何と理解されるのか?…寧ろ不明な解釈に陥ってしまう。図に壱岐島の代表的な川である谷江川と幡鉾川を示した。島の西側の高台(現在の国道382号線沿い)から東に流れる川である。
<伊伎嶋> |
一方、その高台から西に流れる川が見出だせる。地図からでは分かり辛いが、それらが繋がったとすれば島は分断された状態と見做せるのではなかろうか。
要するに壱岐島は「”ほんのちょっと”分かれた島」と記述している。
「伎」の用法は、後に登場する伯伎国の時に類似する。「分岐する、分れる、別れる」の意味を表す文字と思われる。
別の解釈としては「伊伎」=「小さく分岐した地形」も山稜の特徴を捉えているように思われる。重ねた表記かもしれない。
古事記に登場する地名・神名は勝本町・芦辺町に局在する。南の郷ノ浦町・石田町には登場しないのである。現在の行政区分と非常に良く合致しているようである。
高天原等の主舞台は、図の南北二つの僅かな分岐に挟まれたところである。また、詳細は後になるが、常世国、月讀命は同じ勝本・芦辺町だが、谷江川の北岸に配置することになる。登場する地名・人名も見事に使い分けられているようである。
謂れが「天比登都柱」と記される。また「訓天如天」と註記される。「天(アマ)」ではないことを告げている。これに含まれる「比登都」を「一」と読むのである。「アメヒトツバシラ」である。武田祐吉氏は「天一つ柱」と訳している。何れにせよ「壱」であり、壱岐島との繋がりを示唆するのである。
しかしながら本当に「壱」であろうか?…何故わざわざ「比登都」と表現したのか?…国生みの段に「天一根」という表現もある。前記で紐解いたようにこれは「一つ」である。何かを伝えようとしていると思うべきであろう。
これを紐解く鍵は「柱」にあった。天神の数を表し、また通常の柱を意味する例が既出であるが、原義に戻って解釈してみよう。「柱」=「木+主」であり、「主」=「台の上にある燃える火」の象形とある。安萬侶コード「木(山稜)」から、「柱」=「燃える火がある山」を表すと読み解ける。更に「天」=「上部」=「山頂」としてみると…、
天(山頂)|比(並ぶ)|登(高くなる)
都(集まる)|柱(燃える火がある山)
都(集まる)|柱(燃える火がある山)
<壱岐島> |
これは複数の火山の噴火によって作られた島であることを述べていると解釈される。解いてみて初めて言っている意味の凄さに驚かされる。
壱岐島は溶岩台地の地形であることが知られているのである。しかも複数の火山が噴火した経緯も詳しく調査されている(ネット検索で見つかる文献)。これが古事記なのである。
専門外で論文を紹介できるだけの知識はないが、火箭の辻、神通の辻などが該当する。
壱岐の北部が古く、後に南部の岳の辻などが噴火したとのことである。安萬侶コードを信頼して突き進んだ結果であるが、勿論真偽の程は別途としたい。
余談になるが・・・「辻」=「旋毛(ツムジ)」であって、頭頂を示す。「昇って集まる」という表現に繋がるのではなかろうか。
<津嶋> |
「津嶋」=「対馬」は異論のない所であろう。この島は現在でも無数の山稜が無秩序に並び、そして山麓を形成することなく海面下に潜る地形である。
縄文海進を想定すると今よりもっと山麓の緩やかな傾斜地は少なかったと推測される。「津」=「入江」の意味そのままで…「津嶋」は…、
入江の島
…と解釈される。島の中央部の入り組んだところを示していると思われる。現在の辞書では「津」=「港、渡し場」と記載されるが、それは機能面を重視した解釈であろう。
地形としては「入江」が適切と思われる。「水が束ねられたところ」と解釈できる。川が集まるところを「津」と表記することに通じるものであろう。
<対馬・関門海峡の海水準(海進)>で記述したように元は一体であった島が海水準の上昇により無数の島が浮かぶ大きな入江を形成したところを表わしていると思われる。この島の特徴を捉えて命名したものであろう。
謂れが「天之狹手依比賣」とある。「手」=「山稜から突き出た地」と解釈すると…、
狹(狭い)|手(突き出た地)|依(頼る)
…「狭い山稜から突き出た地を頼る」比賣と紐解ける。「津」を補足した表記と思われる。
通説を眺めてみると、「ツシマ」「イキ」と余りに漢字表記の音が明確に一致することからか、疑いもなく比定されている。結果としては間違いないであろうが、それならば逆に使われている一文字一文字の解釈が古事記の表記に合致することが重要であろう。安萬侶コードの検証である。