2018年2月27日火曜日

天照大御神が隠れた天石屋 〔175〕

天照大御神が隠れた天石屋



<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
天照大御神と速須佐之男命は宇気比を行って多くの命を生んだのだが、宇気比に勝ったと思い込んだ速須佐之男命の乱暴狼藉が始まり、天照大御神が拗ねて石屋に閉じ籠るという事件が発生する。その経緯は「古事記新釈」を参照願うとして、天石屋の件を詳細に紐解いてみよう。

有名な段なので読み飛ばしてしまうところであるが、「天」の地が紐解けて来た今ではもっと古事記が伝えることを読み解けるような気がするのだが・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蠅那須此二字以音滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而訓集云都度比、高御巢日神之子・思金神令思訓金云加尼而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而麻羅二字以音、科伊斯許理度賣命自伊下六字以音、令作鏡、科玉祖命、令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命・布刀玉命布刀二字以音、下效此而、天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦此三字以音、木名而、令占合麻迦那波而自麻下四字以音天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而自許下五字以音、 於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡訓八尺云八阿多、於下枝、取垂白丹寸手・青丹寸手而訓垂云志殿、此種種物者、布刀玉命・布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言禱白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲𦆅天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而訓小竹云佐佐、於天之石屋戸伏汙氣此二字以音蹈登杼呂許志此五字以音、爲神懸而、掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。
[そこで天照大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇くなりました。永久に夜が續いて行つたのです。そこで多くの神々の騷ぐ聲は夏の蠅のようにいつぱいになり、あらゆる妖がすべて起りました。こういう次第で多くの神樣たちが天の世界の天のヤスの河の河原にお集まりになつてタカミムスビの神の子のオモヒガネの神という神に考えさせてまず海外の國から渡つて來た長鳴鳥を集めて鳴かせました。次に天のヤスの河の河上にある堅い巖を取つて來、また天の金山の鐵を取つて鍛冶屋のアマツマラという人を尋ね求め、イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に命じて大きな勾玉が澤山ついている玉の緒の珠を作らしめ、アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いてわしめました。次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘にこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の
玉の緒を懸け、中の枝には大きな鏡を懸け、下の枝には麻だの楮の皮の晒したのなどをさげて、フ
トダマの命がこれをささげ持ち、アメノコヤネの命が莊重な祝詞を唱え、アメノタヂカラヲの神が
岩戸の陰に隱れて立つており、アメノウズメの命が天のカグ山の日影蔓を手襁に懸け、眞拆を 鬘として、天のカグ山の小竹の葉を束ねて手に持ち、天照大神のお隱れになつた岩戸の前に桶を覆せて踏み鳴らし神懸りして裳の紐をに垂らしましたので、天の世界が鳴りひびいて、たくさんの神が、いつしよに笑いました]

上記に登場する言葉を、既に出現したものも含めて列記すると…、

①天石屋
天安河之河上之天堅石
天金山之鐵
鍛人天津麻羅
伊斯許理度賣命
天兒屋命・布刀玉命
⑦天手力男神
⑧天宇受賣命

高御巢日神之子・思金神くんが例によって種々雑多な提案をなされるのである。効果ある?…なんてことを言うのではなく、そこに実は大切な「情報」が潜められている、ことが多いのである。と、思金神くんを少し弁護して先に進むのであるが、①天岩屋、②天金山之鐵を最後に述べてみたい。

②天安河之河上之天堅石

「天安河」は現在の谷江川及びその支流の後川川と比定した。神岳山の北麓を流れる川でその上流には勝本ダムが鎮座している。おそらく当時はダムの更に西側(神通の辻)から流れ出ていたものと推測される。「天安河」の特定が決まれば現在の地図から容易に読み取れる場所であろう。

その神通の辻の東麓、国道382号線沿いに「炭焼の岩脈」という場所がある。調べると溶岩が固まってできた見事な玄武岩・流紋岩の岩脈が見られるとのことである。下図を参照願う。




右図は、壱岐市立一支国博物館のサイトに掲載された「炭焼の岩脈」の写真である。岩脈とは、「地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して板状に固まったもの。マグマが地層に平行に貫入したものは岩床という」とある

Google Map:Tatsuya Fukuyamaさんの口コミを引用…、

<炭焼の岩脈>
勝本町国道382号線沿いの炭焼バス停近くの建設資材置き場の崖一面に見られる岩脈は炭焼の岩脈と呼ばれています。この岩脈は海岸に露出する郷ノ浦町にある初瀬の岩脈とは逆に、玄武岩の隙間に流紋岩が貫通しています。赤く色が変わっている部分う見るといいでしょう。あまりにもスケールが大きすぎて気が付きにくいのですが、よく見渡せば両端に玄武岩の層が確認できます。剥き出しの岩肌が間近で観察できるので、地質学ファンの間では隠れた人気スポットとなっています。

またこんな口コミも書かれている。
<柄杓粒の柱状節理
溶岩がゆっくり冷やされると、体積が減少することにより割れ目が出来ます。この規則的な割れ目を節理といい、柱状に分離したものを柱状節理といいます。勝本町の口頭伝承によると、「御手洗湾の入口にある洲が、柄杓の形に似ているので、柄杓と呼ばれた。柄杓柄(ひしゃくえ)は長さ二町五十七間一尺五寸、幅十六間という。柄杓粒(ひしゃくりゅう)は、柄杓柄の北西の端にあたる所の呼び名で、柄杓の水をくむ部分に似ている。」とあります。ここの柱状節理は本当に立派で見ごたえがあります。特に北壁の柱状節理の眺めは干潮の時だけしか見れませんが、神殿の建物みたいです。

…柱状節理もさることながら、「柄杓(柄)」の地形象形が口頭伝承されている。「柄杓」は頻出、更に「柄」は「許勢小柄宿禰」での紐解きに関連して興味深い。

壱岐島には幾つかの岩脈が知られている。初瀬の岩脈などが有名のようだが、上記の炭焼の岩脈も「天堅石」としてもっと注目されると良いかも、である。いずれにしても壱岐は溶岩台地という特異な地形であり、そこに「天」があったと告げているのである。所在は勝本町本宮東触、下図を参照願う。

これに気付かされて「天之常立神」の意味がより明確になったと思われる。岩脈にしろ柱状節理にしろ「大地が立った」ように見られること、それを表現したものと思われる。大地の隆起という直感的には把握し難いものではなく、見たままが示す岩脈(柱状節理も)から大地が出来上がったと理解していた、と思われる。

「天堅石」の記述は極めて重要な古事記の認識を伝えていると判った。と、同時に本ブログの「古事記紐解きの手法」が妥当なことに繋がるように思われる。

④鍛人天津麻羅

「麻」=「磨」と置き換えると…、


天津麻羅=天津(天の津)|麻(擦り減った)|羅(薄い布)

…「天の津にある擦り減った薄い布のようなところ」と紐解ける。特徴的な地形が見出だせる。現地名は勝本町新城東触となっている。古事記的表現の男性器と解釈しても通じるかもしれない…。下図を参照願う。

⑤伊斯許理度賣命

後に邇邇芸命の降臨に随伴することになる。鏡作りの名人だったのだろうか。一文字一文字で解くしか仕方がないようである。「伊斯許理度」は…、


伊(神の)|斯(之:蛇行する川)|許(傍ら)|理(連なる田)|度(越えて行く)

…「神岳近隣で蛇行する川がその傍らにある連なる田を越えて行くところ」の女の命と紐解ける。天安河が大きく曲がるところ、現在の勝本町片山触の北辺、飯森神社辺りではなかろうか。下図を参照願う。後に「作鏡連等之祖」と記述される。それにしてもここの登場人物は邇邇芸命と運命を共にする人々なのであり、既に大移動の準備が整っていたのかもしれない。

⑥天兒屋命・布刀玉命

「天兒屋命」は思金神の思い付きでありとあらゆるものの調達を命じられた命の一人である。邇邇芸命の降臨に際しての筆頭の随行者に挙げられている。伊邪那岐・伊邪那美の国生みで登場した「兒」であろう。「◯◯◯に成り切っていない小さな」と解釈した。「嶋」ではなくて「屋」=「山稜、尾根」である。


天兒屋命=天(天の)|兒(成り切っていない小さな)|屋(尾根)|命

…「天にある小さな尾根」の命と読める。現在の神岳の北麓に小さく小高いところが見える。この場所にいた命と推定される。現地名は勝本町新城西触である。後に「中臣連等之祖」と記述される。


布刀玉命=布刀(太い、大きい)|玉(勾玉)|命

…「大きな勾玉のようなところ」の命と紐解ける。現地名勝本町北触、谷江川沿いにある。小さいのと大きいのとのペアである。何となく戯れのような記述である。下図を参照願う。

⑦天手力男神

邇邇芸命に随伴する神である。またその後伊勢の地で祖となったと伝えられる。名前は役柄そのものを示しているようで力持ちの神という解釈となろう。伊勢関連はこちらを参照願う。

⑧天宇受賣命

何とも大胆な、そして勇気ある女神であろうか。この命は後の幾つかの説話に登場する。猨女君等之祖」とも記され、天照大御神の信頼も厚い、という感じであろうか・・・。さて、名前は…「受」=「舟の渡し場」の象形という原義に戻って…、


天(天の)|宇(山麓)|受(舟の渡し場)|賣

…「神岳近隣で天安河の川幅が狭まって舟の渡し場があるところ」の女と解釈できる。下図を参照願う。現在も橋が架かっているところである。この勇気ある女神の居場所が解って、訳もなく楽しいのである。現地名は勝本町新城西触である。

①天石屋と③天金山之鐵

「天石屋」は神岳近隣の「天安河」の山腹辺りとおおよその見当は付くのだが、特定には至らない。が、その後の記述で漸く紐解くことができたのである。後日に関連するところを述べることになろうが、大国主命が建御雷之男神によって「言向和」された時…通説では大国主命の出雲の国譲りと呼ばれている段…に彼の父親の代わりに遣わされることになった経緯が記述される。

坐天安河河上之天石屋、名伊都之尾羽張神、是可遣。伊都二字以音。若亦非此神者、其神之子、建御雷之男神、此應遣。且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水而、塞道居故、他神不得行。故、別遣天迦久神可問。
[天のヤス河の河上の天の石屋においでになるアメノヲハバリの神がよろしいでしよう。もしこの神でなくば、その神の子のタケミカヅチの神を遣すべきでしよう。ヲハバリの神はヤスの河の水を逆樣に塞きあげて道を塞いでおりますから、他の神では行かれますまい。特にアメノカクの神を遣してヲハバリの神に尋ねさせなければなりますまい]

伊都之尾羽張」は既に登場で伊邪那岐が火之迦具土神を斬った剣の銘と伝える。とすればその神は現地名は勝本町新城西触、後川川(天安河)を挟んで神岳の北側の山に坐していたと紐解ける。その地が天安河河上之天石屋」と記述される。下図を参照願うが、その山の西側に小ぶりな谷が見える。この場所を「天石屋」と称したと推定される。


刀鍛冶の名人が居る場所、それは「火を使う谷間の岩屋」であろう。決して単なる岩穴を意味しているのではない。後に神倭伊波禮毘古命が「忍坂大室」で生尾の土雲達と戦った説話も併せて古事記が伝える主要テーマである。が、その詳細を語らないのも一貫しているのである。

天照大御神は製鐵(銅も含めて)を支配することによって国を治める神と思われる。前記で「照」=「昭(治める)+灬(火)」と解釈したが、見事に合致している。この灬(火)が消えることは正に真っ暗闇の世界となるのである。

こう眺めてくると「天金山之鐵」の「天金山」は神岳の北側の山、「尾羽張神」の居たところとして間違いないであろう。全ての記述が繋がった記述として受け止められるようである。あからさまに「鐵」を取りに行ったとは記載しない古事記であるが、決して隠蔽することなく晒しているように思われる。それを信じて更なる紐解きに進んで行こう・・・。


「天石屋」は「鐵」の製造に深く、と言うよりむしろそのものズバリの表現であり「天照大御神」はその名前に最新鋭の武器であり、農機具となる「鐵」を支配する神であったことを告げていると思われる。天神一族はそれを求め、更なる繁栄を目指して東へ東へと向かって行った。古事記はその物語を忠実に記した書物と言えるであろう。


































2018年2月26日月曜日

速須佐之男命が生ませた五人の命 〔174〕

速須佐之男命が生ませた五人の命


伊邪那岐の「左目」から生まれた天照大御神と「鼻」から生まれた速須佐之男命が「宇気比」を行う。「左」は天地を支配・統治する意味を示し、天照大御神にはその通りの役割を伊邪那岐が伝える。一方「鼻」は山間から流れ出る谷川の州を示すのであるが、速須佐之男命には「海原」を治めると言う。これが駄々を捏ねる元凶と伝えているのである。

何ともよくできたシナリオで結局は速須佐之男命は出雲の…これがまたトンデモナク荒れ狂う…州を統治する羽目になる。英雄ではあるが生まれ持った齟齬は何処かに矛盾を抱えていたのかもしれない。彼の子孫はスンナリとは出雲に落ち着かなかったのである。これについてはまた後日に述べてみよう。

さて、「宇気比」で多くの「命」が誕生する。「神」というより生身の人になっていくのである。幾つかは既に紐解き、特段の修正もないようなので補足しながら先に話を進めたく思う。記述のブログはこちらを参照願う。天照大御神が速須佐之男命に生ませた「多紀理毘賣命、亦御名、謂奧津嶋比賣命。次市寸嶋上比賣命、亦御名、謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命」に続く段である。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

速須佐之男命、乞度天照大御神所纒左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而、奴那登母母由良爾、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纒右御美豆良之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天之菩卑能命。自菩下三字以音。亦乞度所纒御𦆅之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天津日子根命。又乞度所纒左御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、活津日子根命。亦乞度所纒右御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、熊野久須毘命。自久下三字以音。幷五柱。
於是天照大御神、告速須佐之男命「是後所生五柱男子者、物實因我物所成、故、自吾子也。先所生之三柱女子者、物實因汝物所成、故、乃汝子也。」如此詔別也。
[次にスサノヲの命が天照らす大神の左の御髮に纏いておいでになつた大きな勾玉の澤山ついている玉の緒をお請けになつて、音もさらさらと天の眞名井の水に滌いで囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミの命、次に右の御髮の輪に纏かれていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアメノホヒの命、次に鬘に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアマツヒコネの命、次に左の御手にお纏きになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はイクツヒコネの命、次に右の御手に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はクマノクスビの命、合わせて五方の男神が御出現になりました。
ここに天照らす大神はスサノヲの命に仰せになつて、「この後から生まれた五人の男神はわたしの身につけた珠によつてあらわれた神ですから自然わたしの子です。先に生まれた三人の姫御子はあなたの身につけたものによつてあらわれたのですから、やはりあなたの子です」と仰せられました]

代わって須佐之男命が天照大御神に生ませた神は…、

①正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命
②天之菩卑能命
③天津日子根命
④活津日子根命
⑤熊野久須毘命

…と記述される。やはり「左」に本命を置いている。これが一貫した古事記の「仕様」なのであろう。①の天之忍穂耳命は幾度か古事記に登場する。また邇藝速日命の父親ということになっている。とうことは邇邇芸命の兄になるが、確定的ではない。

前記したように現在の福岡県田川郡赤村に関連する「吾勝」「葛野」の深く関連するのであろうが、古事記は語らない。情報が少ないが彼らの居場所を求めてみよう。

①正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命

既に「耳」に関連して紐解いた。詳細はこちらを参照願う。概略を示すと・・・。


忍穂耳=忍(一見では分からない)|穂(稲穂の形)|耳(縁)

…「穂」は二つの川に挟まれた地形であろう。おそらく一方の川が小さく穂の形として判別し辛いところであろう。「耳」はそれに付随するところがある、と言うような地形と思われる。下図を参照願うが、勝本町新城東触にある新城神社辺りが該当すると判る。

「勝」は「ものを持ち上げる」と言う意味を持つのようである。「天之常立神」との関連で大地が持ち上がった光景を連想させる。壱岐市勝本町の名前にも関連しているように思われるが、定かではない。

繰り返すが、「耳」は決して「古代の尊称」ではない。ましてや「耳族」なんていう解釈は的外れ以外の何物でもない。極めて重要な地形象形なのである。

②天之菩卑能命

「菩卑」を何とするか?…後の記述に「卑=比」とされる。おそらく「菩卑=穂比」とできるであろう。この神は出雲に降臨したのだが、梨の礫の行動を取る。お気に召されなかった様子である。


菩卑=穂比=穂(穂の形)|比(並ぶ)

…三本の川で並べるのか、それとも立って並ぶのか…後者で見つかる。現地名の片山触にある標高73.1mと76mのほぼ同じ形をした山が並ぶところがある。こう見てくると「菩」の字が適切なようにも思われるが、類例はなく検証は難しいようである。

③天津日子根命

現在の谷江川が複数の川と合流する最も津らしいところであろう。その近隣として比定できそうである。現地名は新城東触、下図を参照願う。

④活津日子根命

「活」=「氵+舌」と分解すると川に挟まれた舌の形をした地形と思われる。そのものズバリの地形が見つかる。現地名は勝本町北触である。下図を参照願う。


⑤熊野久須毘命

文字解釈を試みてみよう…「久須」=「奇す」、「毘」=「助くる」として…、


熊野久須毘命=熊野(隅の野)|久須(霊妙な力)|毘(佐:助くる)|命

…「隅にある野で霊妙な力(神)が助くる命」と紐解ける。神岳の麓で川が蛇行しているところを示していると思われる。下図を参照願う。



上記五名の命は高天原の中心の地に配置されていたことが判る。古事記のストーリーからして納得のいくところであろう。④活津日子根命及び⑤熊野久須毘命についてはその後に登場することなく終わる。壱岐島の中で子孫を繋げていったのであろう。

北九州に比べると何とものっぺらな地であるが、それなりに地形の特徴を掴むことが可能と判る。確かに「月讀命」の活躍の場は北九州にはなかったようである。がしかし「天神」一族は東へ東へと向かい立去って行ったと思われる。③天津日子根命の活躍についてはこちらを参照願う。


…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。





2018年2月22日木曜日

伊邪那岐の大歓喜:三貴子の誕生 〔173〕

伊邪那岐の大歓喜:三貴子の誕生


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
最後の最後に主役の三貴子が誕生する。「大歓喜」の表現に古事記らしさを感じる。何度も目を通した箇所ではあるが、神生みの続きとして読み直してみよう。伊邪那岐が彼らに役目を言い渡すところ「物語」の最も初めの部分であるが、意味不明とされたり、誤解釈が蔓延って来たようでもある。三貴子の名前の意味することも含めて読み切れていないようである。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…、

於是、洗左御目時、所成神名、天照大御神。次洗右御目時、所成神名、月讀命。次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命。須佐二字以音。右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱神者、因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命、大歡喜詔「吾者生生子而、於生終得三貴子。」卽其御頸珠之玉緖母由良邇此四字以音、下效此取由良迦志而、賜天照大御神而詔之「汝命者、所知高天原矣。」事依而賜也、故其御頸珠名、謂御倉板擧之神。訓板擧云多那。次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。訓食云袁須。次詔建速須佐之男命「汝命者、所知海原矣。」事依也。
[かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は天照大神、右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月讀の命、鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲの命でありました。以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。 
イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、「わたしは隨分澤山の子を生んだが、一番しまいに三人の貴い御子を得た」と仰せられて、頸に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと搖がして天照大神にお授けになつて、「あなたは天をお治めなさい」と仰せられました。この御頸に掛けた珠の名をミクラタナの神と申します。次に月讀の命に、「あなたは夜の世界をお治めなさい」と仰せになり、スサノヲの命には、「海上をお治めなさい」と仰せになりました]

天照大御神

伊邪那岐の左目から生まれた天照大神には高天原を治めよと言い、玉緒を賜う。その名前が「御倉板擧之神」と記される。通説は「倉に棚を作ってそこに安置した」のような解釈である。サラリと読めばそうかも?…そう読めるように記述している節もあるのだが・・・。万葉の世界である。

それはそれとして珠の名前の謂れになるであろうか?…早速紐解きに入る。「倉」=「谷」頻繁にこの表現が使われる。脚注に従って「板擧(タナ)=棚」であろうが倉の中の棚ではなく谷にある棚である。大陸棚の棚、そんな大げさなものではなかろうが、谷川にある「段差」と解釈する。「御倉板擧之神」は…、


御(御する)|倉(谷)|板擧(段差)|之神

…「谷にある段差を御する」神となる。「珠」は人工的に加工してできるものは多くはなかったであろう。自然の造形物としての貴重さ、珍しさにそして美しさに驚嘆するからこそ宝物として扱われたと思われる。

御倉板擧」はその自然が造形する場所と方法を述べていると紐解ける。谷川の水量、流速が源流から下流へと変化する中で岩は砕けその大きさと形状(丸味)が選別されて行く。その格差が段差となって見えてくるのである。それを御する神、勿論見えないもの(隠身)を意味するが、畏敬する対象としての具体的な物を「珠」とした、と解釈される。

「珠」は山、川、谷、岩、石など大地の要素からの産物であり、それを手に入れることは大地を手に入れ、治めることを意味する。だからこそ単なる首飾りを手渡したのではないことを示すために「御倉板擧之神」の文字を記述したと思われる。


月讀命

さらりと扱われる「月讀命」であるが、「夜之食國」(食=袁須)を治めろと言われる。夜食国なんて読みそうな名付けであるが、月讀命に関する記述が皆無であることを考えても少々お戯れの感が強い。通説は文字通りでは何とも意味不明になるので、あれこれと「食国」=「天皇が治める国」のような解釈もある。

では、この文字列を何と紐解くか?…「袁須=袁(ゆったりした衣)|須(州)」として「夜之食国」は…、


夜之(谷の)|袁須(ゆったりした衣の州)|国(大地)

…まだ不十分、更に「衣の州」=「衣(襟:山麓の三角州)」と紐解ける。「衣」は後に幾度か登場する。「許呂母」「三川之衣」と記述される。山麓を首に見立てた襟の部分を指し示すものと思われる。


夜之食国=谷が作る山麓の三角州の大地

…と紐解ける。古代では人が住まう上において極めて重要な地形であると思われる。「衣」ではなく「袁」を用いたのは急峻な山麓ではなく丘陵のような地形…「天」の地形…を示していると気付かされる。肌理細やかな記述である。


建速須佐之男命

最後に須佐之男命に「海原」を治めよと宣う。「天」で生息するために必要な高天原、山麓の三角州そして海原、これらをそれぞれに分担統治しろと言ったのである。古事記では「月讀命」の登場はここのみ。新月の状態であろうか…この命が主役となった物語があるのかもしれないが、闇夜の中である。

今後暫しの間主役となる「須佐之男命」が駄々を捏ねて伊邪那岐を怒らせてしまい「妣國根之堅洲國」へ追い払われてしまう話に移る。そして「物語」は天照大神を中心とした展開に入って行くのである。高天原は多くの人が住まう場所ではなかったのであろう。必然的に目を外に向けた、と解釈することもあり得よう。一方の「月讀命」は「天」の豊かな地で暮らしたのであろうか?…それにしても表舞台に登場しないのは何かを勘繰りたくなるような記述である。

説話の概略は上記のようであるが、今一度この三貴子の名前を考えてみよう。少々強引な解釈もしなければ紐解けないことは重々承知の上で・・・。

①天照大御神*

石屋に隠れたら全てが真っ暗闇になったという記述が後に出て来る。それも併せて従来より「太陽の神格化」のように解釈されて来た。巫女の性格を持つとも言われる。表記の文字列からしても異論を挟む余地はなさそうである。そこでもう少し踏み込んでみると…「照」=「昭(治める)+灬(火)」としてみると…、


天(「阿麻」)|照(昭:治める)|大御神

…「阿麻を治める」大御神となる。「灬(火)」が付いているのはその治める手段として「火」を用いたことを示すものであろう。結果的には石屋に隠れたら世の中暗くなった、かもしれない。

伊邪那岐の「左目」から生まれたと伝える。「左」は「左手+工(大地に突き刺す)」の象形とある。上記したように大地を統治する役目を拝命した神であった。天照大御神の名前は統治・支配の意味を色濃く示した名前と読み解ける。

②月讀命

伊邪那岐から言い付けられたのは「山麓の三角州を治めろ」であった。そんなことが名前に潜められているのであろうか?…やはりキーワードは「衣」であった。「月」は「三日月」の象形である。「衣(襟)」=「三日月」と繋げられる。文字が示す類似した象形なのである。とすると…「讀」=「言+賣」に分解し、更に「言」=「辛+口」の原義に戻ると…、


讀=辛(取っ手のある刃物+口)|賣(中から生み出す)

「言」は「大地を農具で耕地(田畑)にする」象形として「讀」は「大地を耕地にして収穫を得る」と紐解ける。通して解釈してみると…、


月(山麓の三角州)|讀(大地を耕地にして収穫を得る)|命

…と読み解ける。「天」に存在する(現在の地形から見て)多数の大小様々な山麓の三角州を開拓し、そこから豊かな実りを得ることに専心した命であったと推測される。

伊邪那岐の「右目」から生まれた命と言う。「右」は「右手+口」の象形とある。上記のように「口」を「大地に耕地を作る象形」と見なせばその出自も頷ける、かもしれない。

月讀命の登場が少ないことに関して様々に憶測されて来た。古事記の記述に準じるならばこの命は活躍する場所は「天」以外には極めて少なかったと言える。既に述べたように「葛城」、「山代」そして「三川之衣」など倭国は急峻な山麓の地、「衣」は「袁」ではなかったのである。溶岩台地である壱岐の技術に対するニーズは殆どなかった…そんな解釈もできるように思われる。

③建速須佐之男命

これがフルネーム、「建」=「定める、創始する」、「速」=「辶+束」=「束ねる、統括する」を用いて紐解くと…、


建(定める)|速(束ねる)|須(州)|佐(助くる)|之男命

…「束ねた州に助けられて田を作り定める命」と解釈される。「八俣遠呂智」で名を馳せた彼が出雲に残した跡は大きい。「州」とは切っても切れない縁なのである。

伊邪那岐の「鼻」から生まれたと言う。谷から流れ出す川が作る州を暗示していると思われる。伊邪那岐から仰せつかった場所は「海原」であった。そこは渡海の、即ち移動するための場所であって住まうところではない。極めて重要なところではあるが「海原」を開拓することはできない。須佐之男命が恥も外聞もなくゴネるのは、余りに伊邪那岐の指示が曖昧だったからであろう。彼は「州」に向かうのである。

こうして紐解いてみると三貴子の名前に潜められた意味は想定外の深さを示しているようである。特定の地形で検証できる解釈ではないので、一つの提案として留めておこうと思う<追記>

そんなわけで、伊邪那岐は第一線から退くことになる。追記してみよう。

淡海之多賀

故、各隨依賜之命、所知看之中、速須佐之男命、不知所命之國而、八拳須至于心前、啼伊佐知伎也。自伊下四字以音。下效此。其泣狀者、青山如枯山泣枯、河海者悉泣乾。是以惡神之音、如狹蠅皆滿、萬物之妖悉發。故、伊邪那岐大御神、詔速須佐之男命「何由以、汝不治所事依之國而、哭伊佐知流。」爾答白「僕者欲罷妣國根之堅洲國、故哭。」爾伊邪那岐大御神大忿怒詔「然者、汝不可住此國。」乃神夜良比爾夜良比賜也。自夜以下七字以音。故、其伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀也。
[それでそれぞれ命ぜられたままに治められる中に、スサノヲの命だけは命ぜられた國をお治めなさらないで、長い鬚が胸に垂れさがる年頃になつてもただ泣きわめいておりました。その泣く有樣は青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河は泣く勢いで泣きほしてしまいました。そういう次第ですから亂暴な神の物音は夏の蠅が騷ぐようにいつぱいになり、あらゆる物の妖が悉く起りました。そこでイザナギの命がスサノヲの命に仰せられるには、「どういうわけであなたは命ぜられた國を治めないで泣きわめいているのか」といわれたので、スサノヲの命は、「わたくしは母上のおいでになる黄泉の國に行きたいと思うので泣いております」と申されました。そこでイザナギの命が大變お怒りになつて、「それならあなたはこの國には住んではならない」と仰せられて追いはらつてしまいました。このイザナギの命は、淡路の多賀にお鎭まりになつておいでになります]

あまり登場しない文字が並ぶ。「須」=「鬚(ひげ)」いつもの「州」ではない。「啼伊佐知伎、哭伊佐知流」=「泣きわめく」続くところは十二分に誇張した表現である。「根之堅洲國」=「黄泉国」であろう。「妣國(ヒコク)」=「亡母の国」となるが、「妣」=「肥」を掛けているようでもある。

古事記の中では伊邪那美が母とは記述していない。「須佐之男命」が出雲に行く理由付けがなかったからかもしれないが・・・一気に伊邪那岐大神の引退説話に入る。坐したところが「淡海之多賀」とある。通説は島根から宮崎の日向に行ったり、近江の多賀大社に行ったりで大忙しなのだが・・・。



多賀=多の字のように複数の山稜が海に向かう入江

…と解釈される。「多」=「タ+タ」(タが一つの山稜)。山塊と海とが接近した地形の場所であろう。その入江を望む場所、同県門司区羽山にある羽山神社辺りが伊邪那岐大神のシニアライフの場所ではなかろうか。現地名に「二夕松町」由来は不詳であるが、関連しているかもしれない…。

少し後に須佐之男命の子孫(大年神一家)が切り開き、そして天皇家も絡む淡海の主要な地点である。詳細は後日としよう。


国生みから始まった古事記の記述は筑紫嶋を中心とした舞台を示す。だが、現在の地形から推察するのみであるが、当時は今よりも更に急傾斜の山麓の地であり、平地は極僅か、出雲国のみが辛うじて平坦な地形を有していたと思われる。そこに古事記の「物語」は集中するのである。

伊邪那岐達の第一陣部隊はこの地に降下した。多くの人の生と死を乗越え、生きるために不可欠な様々なものを整える為には、また、多くの犠牲を払ったのである。ともあれ三貴子…約一名には気掛かりなところもあるのだが…に後を託して勇退した、と言うことであろう・・・。


2018年2月21日水曜日

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その弐 〔172〕

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その弐


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
伊邪那岐の禊祓の続きである。「身之物」ではないので少々感じが異なる神々の誕生となるが、果たして如何なる神々が生まれるのであろうか・・・。

滌御身で生まれた神

於是詔之「上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱。」而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神名、八十禍津日神訓禍云摩賀、下效此。、次大禍津日神、此二神者、所到其穢繁國之時、因汚垢而所成神之者也。次爲直其禍而所成神名、神直毘神毘字以音、下效此、次大直毘神、次伊豆能賣神。幷三神也。伊以下四字以音。次於水底滌時、所成神名、底津綿津見神、次底筒之男命。於中滌時、所成神名、中津綿津見神、次中筒之男命。於水上滌時、所成神名、上津綿津見神訓上云宇閇、次上筒之男命。
此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。伊以下三字以音、下效此。故、阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金拆命之子孫也。宇都志三字、以音。其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也。
[そこで、「上流の方は瀬が速い、下流の方は瀬が弱い」と仰せられて、眞中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。この二神は、あの穢い國においでになつた時の汚垢によつてあらわれた神です。次にその禍を直そうとしてあらわれた神は、カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです。次に水底でお洗いになつた時にあらわれた神はソコツワタツミの神とソコヅツノヲの命、海中でお洗いになつた時にあらわれた神はナカツワタツミの神とナカヅツノヲの命、水面でお洗いになつた時にあらわれた神はウハツワタツミの神とウハヅツノヲの命です。このうち御三方のワタツミの神は安曇氏の祖先神です。よつて安曇の連たちは、そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。また、ソコヅツノヲの命・ナカヅツノヲの命・ウハヅツノヲの命御三方は住吉神社の三座の神樣であります]

「八十禍津日神」「大禍津日神」は…「八十=多くの」「大=大きな」として「禍津日神」は…、

禍(災い)|津(集まる)|日(日々の)|神

…「津日」=「の神霊」と訳されるようであるが、古事記は「霊」を好まないので意味を加える必要がある。「汚垢」から生じた神と伝える。「神直毘神、大直毘神、伊豆能賣神」が「禍」を直す神として挙げられる。

神(雷:稲光)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
大(大きな)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
伊豆(膨らんで凹凸の表面)|能(の)|賣(外に出す)|神

…前二者は「禍(摩賀:マガ)」(曲がった)と読めと註記されている。それを「真っ直ぐに」するのを助ける神と解釈できる。「毘」を「日」に置き換えることは誤りである。

「豆」は「禍」によって「表面が凹凸ができて曲がった状態」を示すものと紐解ける。中に含まれた「禍」を「賣=中にあるものを外に出す」、膿を絞り出すような様相を表していると思われる。古事記表記の肌理細やかさであろう。因みに「賣=女」を示す原義がここにある。「売る」とは「中にある財貨を外に出すこと」を意味するのである。

底津綿津見神、底筒之男命。中津綿津見神、中筒之男命。上津綿津見神、上筒之男命」の神が誕生する。綿津見神については、前記の伊邪那岐・伊邪那美の両神が生んだ大綿津見神=偉大な「海と川が交わるところを見張る神」と紐解いた。派生した「綿津見神」を示している。例によって三つに分けて「底・中・上」水深で分けているのである。


墨江之三前大神

「筒」は何を意味しているのであろうか?…通説は不詳である。種々の試案の中で最もらしく思われるのが…「筒=水の流の速さ、方向を制御する」と思われる。「筒之男命」は…、

水の流れを御する男の命

…と紐解ける。「底・中・上」の海流が航海するにあたって最も需要なものの一つであろう。彼らは「墨江之三前大神」と記述される。既に仁徳天皇紀の記述で福岡県行橋市を流れる長峡川沿いにある「上津熊・中津熊・下津熊」に比定した。「墨=隅=熊」である。強烈に蛇行する川を鎮める神として祭祀されたのであろう。

綿津見神は阿曇連の祖先であり、綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫と記される。「宇都志」は上記の「山麓が集まって川が蛇行、分岐しているところ」現在の北九州市門司区上藤松辺りとした。「日金拆命」は…、

日(肥国)|金(西方)|拆(切り開く)|命

…「出雲の西方を切り開く命」の名前を持つと紐解ける。現在の企救半島の西方は響灘、玄界灘の海洋を切り開いたと伝えている。参考に地図を示す。



<参考までに…「比良坂」=「手の平|坂」掌の形を示すところである。伊賦夜坂は「夜をもたらす坂」で出雲西の果てにあることを意味するのであろう。上図の破線◯印で示した>

阿曇一族、古事記がわざわざ追記するくらいで古代の有力な海人族と知られている。発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷と言われているようであるが「宇都志国」はそこにはない。この地には「宇美」(神功皇后が応神天皇を産んだ地:上図の伯伎国内、現地名北九州市小倉北区富野に比定)もあり、しっかり国譲りされているようである。

さて、いよいよ三貴子の登場である・・・。





2018年2月20日火曜日

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その壱 〔171〕

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その壱



<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
伊邪那岐は諦めきれずに黄泉国まで伊邪那美を追って行く。だがそこで見たものは真に棘々しい世界で這々の体で逃げ帰ったと記述される。この間の記述にも興味ある箇所が見出せるのだが、それは後日に述べることにして神生みを優先しようかと思う。

「黃泉比良坂」=「出雲國之伊賦夜坂」を通って逃げたところが「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」である。既に求めた場所で現地名は福岡県遠賀郡岡垣町辺りである。そこで禊祓を行って神々を生むことになるが、その名前の紐解きは高難度である。従来は橘小門も含めて不詳とされるようであるが、さぁ、如何なる結果になるであろうか・・・。

身之物から生まれた神

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…、

故、於投棄御杖所成神名、衝立船戸神。次於投棄御帶所成神名、道之長乳齒神。次於投棄御囊所成神名、時量師神。次於投棄御衣所成神名、和豆良比能宇斯能神。此神名以音。次於投棄御褌所成神名、道俣神。次於投棄御冠所成神名、飽咋之宇斯能神。自宇以下三字以音。次於投棄左御手之手纒所成神名、奧疎神。訓奧云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音。下效此。次奧津甲斐辨羅神。自甲以下四字以音。下效此。次於投棄右御手之手纒所成神名、邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。
右件自船戸神以下、邊津甲斐辨羅神以前、十二神者、因脱著身之物、所生神也
[その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝き立つフナドの神、投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、投げ棄てるであらわれた神は煩累の大人の神、投げ棄てる褌であらわれた神はチマタの神、投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神はオキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツカヒベラの神、投げ棄てる右の手につけた腕卷であらわれた神はヘザカルの神とヘツナギサビコの神とヘツカヒベラの神とであります。以上フナドの神からヘツカヒベラの神まで十二神は、おからだにつけてあつた物を投げ棄てられたのであらわれた神です]

伊邪那岐が身に着けていたものから神が誕生する。「杖」からの「衝立船戸神」は…、

衝立(突き立てた)|船戸(船が出入りする戸口)|神

…「杖」を柱にして「突き立てた柱がある船の出入り口」の神となる。澪標と同じく水脈(水路)を示すものであろう。当時は「州」の近隣が船着き場とする場合が多かったと推測されるが、水脈の在処は着船するには極めて重要であったろう。禊祓の場所は「阿波岐原」飛沫の盛んな水辺の場所である。

「帯」からの「道之長乳齒神」は…、

道之(道の)|長(長い)|乳歯(綺麗に並んだ石)|神

…石垣を組んだような道の表現であろう。「道に長くて綺麗な石を並べる」神となる。現在の防波堤のイメージではなかろうか。干満差の大きなところでは必須の設備かと思われる。これらの二神は港の詳細を示していると思われる。禊祓の場所は間違いなく州、干潟の様相のところである。

囊」からの「時量師神」は…、

時(時間)|量(測る)|師(専門家)|神 ⇒???

…「囊」からもの出すのに掛かる時間で時を測ったのではなかろうか(砂時計のような)…「師」が付くのはそれなりの技術を要することを示している・・・と安萬侶くんの罠に嵌ってしまいそうだが、前後の流れからは全く当て嵌まらない。

では何と紐解くか?…「時」=「日+止(之)+手」とバラバラにしてみると少し見えてくる…「時」=「日が之く(進む)」…出てきました「之」の文字が…「蛇行する川」である。「量」=「液体を注ぎ込む」が原義とある。「師」=「諸々(凹凸)」とすると…「時量師神」は…


時(蛇行する川)|量(流れ込む)|師(凹凸のあるところ)|神

…「蛇行する川が流れ込む凹凸のあるところ(干潟)」の神と解釈される。囊」からできたものとしては納得できるものであろう。また禊の地は広大な汽水湖があったところと推定したところである。これこそメインの神の出現なのである。何とも文字遊びとしか受け取れないような・・・。



「時」も昼・夜を繰り返して流れて行く。それと川が蛇行するする形「之」とを重ねて用いていると思われる。古事記の自然観が出ているようである。存在するもの全てが決して直線的に進むのではなく、蛇行し、捻れながら進むことの理解である。まさか、あの螺旋構造を・・・。

衣」からの「和豆良比能宇斯能神」は…、

和(揃う)|豆良(面)|比(並ぶ)|能(の)|
宇(山麓)|斯(之:蛇行する川)|能(の)|神

…「衣」が広がって「斜面が揃って並ぶ山麓にある蛇行する川」の神となる。上図の橘小門の左手にある山麓を示しているようである。既述した日子坐王の御子「丹波比古多多須美知能宇斯王」が登場する。この「宇斯」と繋がるのである。

褌」からの「道俣神」は…ここまで詳細に具体的に神を述べて来て、単に「道の俣」とは到底思われない。そこで・・・「道」=「辶+首」に分解すると…「首の俣」海に面して大きく凹んだところの奥にあるところではなかろうか…、

道(首の形)|俣(奥の付け根)|神

…両足の象形であろう。下図に参考例を示す。首のところは当時海面下であったろう。彦島向井町と記されたところが神の居場所と思われる。褌」からできたとして上出来の配置であろう。上図では少々分かり辛いが台地が刳り取られて「首」の地形になったところは多く見られる。



冠」からの「飽咋之宇斯能神」は…、

飽(飽きるほど)|咋(喰らう)|之(の)|宇(山麓の)|斯(蛇行する川)|能(の)|神

…「冠」については少々補足を要する。冠の部位は右図
のように解説されている。

部位名称の由来は定かではないが、天辺に甲(山)があり、額、磯、海と山のある島の象形のような名付けである。

「冠」から生まれた神は漁獲の豊かな地を作っていたと述べている。大宜都比賣に繋がる表現ではなかろうか。

この比賣は現在の北九州市若松区、石峰山の南麓が洞海湾に接するところに居たと推定した。

山麓と干潟が近接する場所は豊かな漁場を提供していたのである。そこに人が集まり住まっていたこと、古事記が繰り返し記述する古代の暮らしである。

左御手之手纒」からの「奧疎神」は…、

奥(沖の)|疎(遠く離れた)|神 ⇒???

…註記(於伎=オキ)に従って読むと上記のようである。沖だから遠く離れている?…沖と被る解釈となり、意味が通らない。「疎」は何と紐解くか?…「手纒」から生じているのなら「山」の地形と関連するように思われるが・・・。

「疎」=「𧾷+束」と分解する。「速秋津」の「速」=「辶+束」と同じ扱いにしてみると、「足」=「山稜」を束ねた地形と解釈される。


奥(沖の)|疎(山稜の束)|神

…「複数の山稜が束になっているところ」の神と紐解ける。手纒」の地形象形として納得できるものであろう。古事記中には「疎」の文字はこの段のみである。残念ながら検証は叶わないのであるが…。

上記の場合と同様である。続いて「奧津那藝佐毘古神」は…、

(沖の津)|那藝佐(渚)|毘古(田を並べて定める)|神

…「奥津」と一纏めにしたが、沖にある「津」=「川と海の合流地点」を意味する。山稜が束に成ることによって海辺が広がり海岸線も滑らかになると推測される。「山稜の束」と繋がる「渚」の表現と判る。

更に「奧津甲斐辨羅神」は…、

(沖の津)|甲斐(山に挟まれた)|辨羅(花弁が連なる)|神

…「奥津」は上記と同じ。「花弁」は「甲斐」を作る山腹を表すと解釈される。束になった山稜間を表している。この空間は人が住まうのに好適であり、それが複数ある重要な地点であることを告げているのである。

次いで「右御手之手纒」からは「邊疎神、邊津那藝佐毘古神、邊津甲斐辨羅神」が誕生する。「奥=沖」に対して「邊」=「海辺」で、海の手前が「邊」と表現されている。それ以下の神名は同様の解釈であろう。

これらの神々は現在の遠賀郡及び宗像市が響灘・玄界灘に面して広がる広大な海浜地帯を表現しているものと思われる(上図参照)。この帰結は禊祓の地の比定の強力な傍証になっていると判る。古事記はその地を繰り返し伝えているのである。

奥津、辺津の文字は現在の宗像大社に関連する。前記で「秋津」をこの宗像大社がある場所に比定した。後に邇邇芸命が降臨する竺紫日向之久志布流多氣(現在の孔大寺山系)を挟んで伊邪那岐の禊の地があったと読み解いた。間違いなくこの地域に多くの渡来があったと思われる。そして「天」の天神一族が移り住んで来たところである。

しかしながら遠賀川河口付近の土地は狭い。豊かな水田にするには当時の「技術」では叶わぬ夢物語であったろう。古事記を通読すると、河口付近の開拓までには及んでいないことが窺い知れる。宗賀(蘇我)一族がそれを為し得た地は全く稀有の場所であったと判る。いや、だからこそ彼らが圧倒的な財力を有することになったのであろう。

そして、伊邪那岐の末裔、神倭伊波禮毘古命が東に向かう事件が発生するのである。いやぁ~「身之物」と「地形」、何とか繋がりました。記述された文字列の解釈、「之」どころの騒ぎではない・・・まだまだ三貴神に辿り着かない・・・。










2018年2月19日月曜日

迦具土神から生まれた神 〔170〕

迦具土神から生まれた神


自らが生まれることによって母親を亡くしてしまった火之夜藝速男神(又の名を火之炫毘古神、火之迦具土神)を父親が斬ってしまうという、不幸な運命を背負った神…いえ、彼は途轍もなく恐ろしい神であって扱いを間違えるとトンデモナイことになる・・・そんな意味も込められた記述であろうか。その迦具土神の身体から神が生まれたようである。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

所殺迦具土神之於頭所成神名、正鹿山上津見神。次於胸所成神名、淤縢山津見神。淤縢二字以音。次於腹所成神名、奧山上津見神。次於陰所成神名、闇山津見神。次於左手所成神名、志藝山津見神。志藝二字以音。次於右手所成神名、羽山津見神。次於左足所成神名、原山津見神。次於右足所成神名、戸山津見神。自正鹿山津見神至戸山津見神、幷八神。故、所斬之刀名、謂天之尾羽張、亦名謂伊都之尾羽張。伊都二字以音。
[殺されなさいましたカグツチの神の、頭に出現した神の名はマサカヤマツミの神、胸に出現した神の名はオトヤマツミの神、腹に出現した神の名はオクヤマツミの神、御陰に出現した神の名はクラヤマツミの神、左の手に出現した神の名はシギヤマツミの神、右の手に出現した神の名はハヤマツミの神、左の足に出現した神の名はハラヤマツミの神、右の足に出現した神の名はトヤマツミの神であります。マサカヤマツミの神からトヤマツミの神まで合わせて八神です。そこでお斬りになつた劒の名はアメノヲハバリといい、またの名はイツノヲハバリともいいます]

「迦具土神」の身体から生じた神は「山津見」の神であることが判る。前記の大山津見神の解釈を適用すると「山が寄り集まったところ(山塊)を見張る」神を意味していると思われる。「火之迦具土神」は「土器を作る神」と紐解いた。

火之(火で)|迦(重ね合わせる)|具(器)|土|神

…「火で土の紐を重ねた隙間を合せて器を作る」神と紐解いた。日常生活に置いて最も重要な神ではなかろうか。その神に付随する神々が生まれるのは至極当然の成り行きであろう。様々な場所を示しているものと思われるが・・・「頭」からは…、

正鹿=正(真直ぐ延びた)|鹿(麓)

…「山塊の真直ぐ延びた麓を見張る神」となる。「胸」からは…、

淤縢=淤(泥で固まった)|縢(縁をかがる:山裾)

…「山塊の裾が泥で固まったところを見張る神」となる。「腹」からは…、

奧=奥(奥まった)

…「山塊の奥まったところを見張る神」となる。「陰」からは…、

闇=闇(谷)

…「山塊にある谷を見張る神」となる。左手」からは…、

志藝=志(之:蛇行した川)|藝(尽きる)

…「蛇行した川がある山塊の尽きるところを見張る神」となる。「右手」からは…、

羽=羽(端)

…「山塊の端を見張る神」となる。「左足」からは…、

原=原(平らな野原)

…「山塊の麓にある平らな野原を見張る神」となる。「右足」からは…、

戸=戸(山の入口)

…「山塊の登り口を見張る神」となる。人体を山稜に見立てた命名である。上記と同じく身体の背骨にそって四神そして手足で四神の計八神の誕生が繰り返されている。

「迦具土神」は様々な地形に人が土器を作り、またそれを利用して日常の食のための煮炊きをして住まうためには不可欠のものである。その行為が木材の豊富にある地で行われていたことを記述しているのである。人々が畏敬するべき対象を示したとも言える。鉄を扱う人々への感覚に通じるものがあっただろう。

山塊の谷間、様々な形状の山麓及び裾野と、実に丁寧に古事記が描く世界の山塊の地形を示している。言い換えると、地形象形に用いる漢字を例示しているとも考えられ、古代の地形を示す貴重な記録とも思われる。現在の多くの神社の祭神が如何なる状況なのかを知る由もないが、神社の場所と祭神とが繋がっていることを望むばかりである。


天之尾羽張

使った刀が「天之尾羽張」亦名「伊都之尾羽張」と告げる。どうやら地名らしき表現である。

尾(山稜の端)|羽(羽のように)|張(広がり出る)

…と紐解ける。これでは類似の地形の多い「天」の地で特定することは不可能に近い。又の名「伊都」=「伊(神)|都(集まる)」とすると…、

神が集まる地で山稜の端が羽のように広がり出ているところ

…と解釈される。「天」で神が集まるところは現在の壱岐市勝本町の神岳(天香山)周辺であろう。または「天安河之河原」の周辺であろう。


上図の勝本町新城西触と書かれた羽状の台地を指し示したと思われる。刀の銘にはその産地が入るようである、常にではないが…。今の常識と変わらぬ記述が興味深い。

ところで、この名前(地名)が重要な情報を提供してくれることになる。後の記述になるので、その時に・・・。

2018年2月17日土曜日

伊邪那岐の十拳剣から生まれた神 〔169〕

伊邪那岐の十拳剣から生まれた神


伊邪那岐・伊邪那美の二人の共同作業で生んできた神々、ついに火神を生んだために愛しき伊邪那美が亡くなってしまう。怒った伊邪那岐が火之迦具土神を斬ってしまう。そこからまたまた様々な神が生まれるたと告げる。何となく解りやすいような命名なのであるが、果たして・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]

於是伊邪那岐命、拔所御佩之十拳劒、斬其子迦具土神之頸。爾著其御刀前之血、走就湯津石村、所成神名、石拆神、次根拆神、次石筒之男神。三神次著御刀本血亦、走就湯津石村、所成神名、甕速日神、次樋速日神、次建御雷之男神、亦名建布都神布都二字以音、下效此、亦名豐布都神。三神次集御刀之手上血、自手俣漏出、所成神名訓漏云久伎、闇淤加美神淤以下三字以音、下效此、次闇御津羽神。
[ここにイザナギの命は、お佩きになつていた長い劒を拔いて御子のカグツチの神の頸をお斬りになりました。その劒の先についた血が清らかな巖に走りついて出現した神の名は、イハサクの神、次にネサクの神、次にイハヅツノヲの神であります。次にその劒のもとの方についた血も、巖に走りついて出現した神の名は、ミカハヤビの神、次にヒハヤビの神、次にタケミカヅチノヲの神、またの名をタケフツの神、またの名をトヨフツの神という神です。次に劒の柄に集まる血が手のまたからこぼれ出して出現した神の名はクラオカミの神、次にクラミツハの神であります。以上イハサクの神からクラミツハの神まで合わせて八神は、御劒によつて出現した神です]


御刀前

用いた剣の先に付いた血が「湯津石村」に走り就いたと言う。一字一字の紐解きを行ってみよう。

湯(飛び跳ねる)|津(川が集まる)|石(岩)|村(集まる)

…「岩が集まったところに川が集まるように当たって飛び跳ねる」の意味と読み解ける。迦具土神の血が当たって飛び散り神々が生まれた、という意味であろう。ここで用いられた「湯」の意味はは「熱い水」ではない。ましてや「温泉」では決してない。水(液体)が飛び跳ねる様を表す文字である。

石拆神=岩を二つに割る神
根拆神=根を引き裂く神
石筒之男神=岩を刳り抜く神

…火の玉の迦具土神の血は「鉄」を模したものであろう。農耕作業に不可欠の器具を示していると思われる。鉄が溶けたものも「(溶)湯」と言われるそうである。「温泉」は「湯」が表す一例のこと。鉄の湯、まさか古事記が由来?・・・。

岩やら大木の根っこやら、何とかしなくてはどうしょうもないものを「剣」から生まれた神が助けてくれると述べている。それぞれの出自の表現は比喩として土地を切り開いて行く上において不可欠の要素を示しているのである。


御刀本

剣の元の方に付いた血も同じく「湯津石村」に届き、神々が生まれる。「速」=「束」、「雷」=「雨+田」、「布都」=「沸水(湧水)」として紐解くと…、

甕速日神=甕(瓶)を縛り止める日々の神
樋速日神=樋(トイ)を縛り止める日々の神
建御雷之男神=雷(雨水)を御する勇猛な男神
別名
建布都神=布都(湧水)を勇ましくする神
豊布都神=布都(湧水)を豊かにする神

…雨水、貯水、利水の神が生まれたと解釈される。火の神から水ができる?…現在では最もなこととして受け入れられるであろう。水の蒸発と凝集のサイクルの中で人々が水を利用していることは当然のこととして理解されている事柄なのである。がしかしそれを古代に?…実体験の中から得ていた知識と思う他にないようである。

古事記史上最強の戦士との呼び声が高い「建御雷之男神」の誕生である。が、彼は雨、湧水を司る神なのである。勿論親父は刀鍛冶でそれなりの剣を持っていたことは間違いないのであろうが・・・。彼が登場する名場面は、一つは出雲の国譲りと通称されるところと、神倭伊波禮毘古が熊野の山で彷徨った時に彼自身ではないが「布都御魂」の剣を差し出すというところである。

出雲では八重事代主命、建御名方神を抑えて「言向和」するのであるが、これは何を意味しているのであろうか?…大国主命一族は肥河の氾濫を御してその地を豊かにすることができなかった。川の水を治められなかったのである。一方熊野では山中で迷った時の救いの手は、湧水であろう。

確かに建御雷之男神は最強である。だが、古事記が示しているのは「剣」ではなく、雨・湧水の「水」を操る神なのである。雨は多くても困る、飲水でなくては返って身体を壊す、そんな勝手な人の要求に応える最強の神として記述されている。

雷、剣の上に座るなど、安萬侶くんの戯れに見事に翻弄されているのが実情であろう。彼の真価は身近な「水」を司るところにあったと紐解ける。いや、いずれにしても全く恐ろしい神である。


手俣

次いで手の股から流れ出た血も神を生む。「俣」だから「谷」、多分そうでしょう。「淤加美」とは何であろう?…調べると「龗」と判る。ならば「龗」=「雨+龍」と分解すれば…、


闇淤加美神=闇(谷)の(龗:大きく蛇行する川)の神
闇御津羽神=闇(谷)で寄り集まった川の端を御する神

…谷間の川の状態を司る神のようである。これも上記と同じく迦具土神から出て来たと言う。水は命の源泉である。淤加美神は幾度か登場することに気付き、結果として「龍」=「蛇行する大河」を意味することが判った。この神は肥河(現北九州市門司区の大川)、天安河(現壱岐市の谷江川)に生息していたと紐解けた(2018.03.11追記)。

いくら神様がいても多過ぎることはない。それしてもこの神生みの背景のある自然への理解に驚嘆するのである。

まだまだ火之迦具土から神が誕生するようであるが、本日はこれくらいで・・・。




2018年2月16日金曜日

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:八神 〔168〕

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:八神


二神の神生みの記述の最後となる。古事記の登場人物が活き活きと活躍する舞台を作ったのである。さて、どんな神を生むのであろうか、順次紐解いてみよう。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

次生神名、鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神。此神名以音。次生火之夜藝速男神夜藝二字以音、亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神。迦具二字以音。因生此子、美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理邇此四字以音生神名、金山毘古神訓金云迦那、下效此、次金山毘賣神。次於屎成神名、波邇夜須毘古神此神名以音、次波邇夜須毘賣神。此神名亦以音。次於尿成神名、彌都波能賣神、次和久巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音。故、伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。自天鳥船至豐宇氣毘賣神、幷八神。
[次にお生みになつた神の名はトリノイハクスブネの神、この神はまたの名を天の鳥船といいます。次にオホゲツ姫の神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、またの名をホノカガ彦の神、またの名をホノカグツチの神といいます。この子をお生みになつたためにイザナミの命は御陰が燒かれて御病氣になりました。その嘔吐でできた神の名はカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、屎でできた神の名はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、小便でできた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神です。この神の子はトヨウケ姫の神といいます。かような次第でイザナミの命は火の神をお生みになつたために遂にお隱れになりました。天の鳥船からトヨウケ姫の神まで合わせて八神です]

鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船

「鳥のようにはやく、石のように堅固な楠(くすのき)の船を意味する」とコトバンクに記載される。異論を挟む余地はなさそうである。誤解なきように、あくまで神である。後に建御雷神に随行して出雲の国譲りの段に登場する。まるで連合艦隊の司令官というキャスティングのようである。


大宜都比賣神

食物に関して古事記が記述するものは「稲」が多く、「田」に絡む地形、水(治水)など多様である。狩猟、漁獲に関連する神はこの神が唯一ではなかろうか。どうやら狩猟生活から農耕生活に移ってそれほど時が経っていないことを示しているのではなかろうか。

自然にあるがままのものを食する時代から自然に手を加え、太陽の力を借りて育てて食物を得る、その感動が失せていない時のように感じられる。農耕から全てが得られるわけではなくそれまでの方法で得られるものを大切にしながら豊かな生活に移れたことへの感謝を伝えているようである。「大宜都比賣神」は…、


大|宜(肉・魚)|都(集める)|比賣神(女神)

…大いなる「肉・魚を集める」女神と解釈される。「比賣」=「比(並べる)|賣(内から取り出す)」の解釈も妥当であろう(「賣」の解釈は下記参照)。両意に記されているようである。後にこの大宜都比賣神から穀物の種を取り出す説話が記述される。植物、動物を含め自然界の循環を認識している内容である。古事記の自然観の記述は実に貴重な資料として評価できるものであろう。


火之夜藝速男神(火之炫毘古神・火之迦具土神)

「火」に関連する神であることには違いない。最初の名前の「夜藝」=「焼け(る)」(火がついて燃える)とすると「火之夜藝速男神」は…「火之」=「火がついて」として…、


夜藝(燃える)|速(束ねる)|男(田を作る)|神

…「燃え上がる炎を束ねる」であり「炎を御して田を作る神」と解釈される。「速」=「辶+束」の解釈である。焼畑を作る神であり、次の名前「火之炫毘古神」は文字通りで…、


炫(目に眩い)|毘古(田を並べて定める)|神

…のようである。この文字列からは古来から行われている「焼畑農法」の状況を連想させる。休閑期間を設けて繰り返し収穫を得る方法である。間違いなく当時の重要な農法の一つであっただろう。最後の名前「火之迦具土神」は…、


迦(重ね合わせる)|具(器)|土(土の紐)|神

…「火で土の紐を重ね合わせて器を作る」神と紐解ける。粘土から器にするには粘土紐を重ねて形作ったものを焼結させるのが一般的であろう。その隙間を焼いて重ね合せると表現したものと思われる。結果として「土を器にする」即ち「土器を作る神」と解釈される。

遺物に残る中で最も多い土器の神の登場である。火がなければ作れない古代の人々の生業を示すものであろう。生まれた神は極めて現実的である。

後に燧臼と燧杵で火を起こすという記述があるが、「火」に関する記述は決して詳しくはない。ともかくもこの「火の男」はとんでもないことを為出かすのである。伊邪那美が焼け死んでしまったのである。だが、ただでは死なない。



余談だが、現在の火の神様は「迦具土神」と表現される場合が多いようである。秋葉神社などが有名(全国400社以上)だが、やはり神様の表記はこの神となっている。だが上記のごとく「土器作りの神様」であり、「火之夜藝速男神」の名称が適切であろう。山が燃えてしまうか?…古事記はちゃんと本来の素性を明かしてくれている。「夜藝速」=「焼けが速い」としては何だか適切ではないから?…別名であって同じ神様だから問題なし?・・・。いずれにしても「消火」の神様不在のようである。

もう少し身近な火の神様は「秋津の奥津比賣命」で「竈神」と言われた比賣であろうか。秋津の火は火ではないし、大斗は竈でもないのであるが、戯れに近いが、面白いことには違いない。




金山毘古神・金山毘賣神

火から金が出る、銅鉄のできあがる様そのものであろう。銅鉄のことを語らない古事記であるが、それらを使いこなしていたことは記述しているのである。高熱で溶けた銅鉄と吐瀉物、類似していると見えなくもないようである。「毘古」「毘賣」については下記を参照願う。


波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神

何と「屎(クソ)」から神が生まれると記述される。これは一体何を示そうとしているのか?…この二神の名前の意味は?…先ずはそれから紐解いてみよう。「波邇夜須毘古」は…、


波(端)|邇(近い)|夜(谷)|須(州)|毘(田を並べる)|古(しっかりと定める)

…「山稜の端にある谷の出口の州に田を並べてしっかりと定める」神となる。「波邇夜須」「波邇安」は後の孝元天皇紀、崇神天皇紀にも登場する名前である。全て上記の解釈で紐解けるのであるが、何が言いたいのか?…尻と両足が作る谷間の象形と作物が豊かに実る肥えた土地を意味していると思われる。

「夜須=安」は古事記の中で多用される。谷の出口に形成された州は人々が住まい、豊かな収穫が得られるところとして極めて重要な地域であったと推測される。「毘賣」は何と読めば良いのであろうか?…、


毘賣=毘(田を並べて)|賣(生み出す)

…「賣」=「売(ウル)=「内にある貝(財)が出す(る)」のが原義とある。「比賣」に使用されるのも女性の体内から子が出る(を出す)意味を示すからであろう。即ち「整地された田の土から作物が出てくる(させる)」神と解釈される。

上記に登場した「毘古」と「毘賣」は…


土地を整え地中から(出て来る)ものを収穫すること

…を表現したと紐解ける。そしてそれそれが男性、女性を示す言葉に転化したと推測される。転化した後では、そう言われて来たのだから、という理由で元来の意味は蔑ろにされてしまう。意志の伝達を簡略にするには都合が良いからであろう。だが、しっかりと本来の意味に遡って考えることも重要である。同じことが「枕詞」にも言えるであろう。

彌都波能賣神

今度は「尿」からできる神の話である。先ずは神の名前「彌都波能賣」は…、


彌(隅々まで)|都(人が集まるところ)|波(端)|能(の)|賣(生み出す)

…「人が住まう地の果てまで隈なく収穫を得る」神と解釈できるようである。「毘」が付かないのは特に手を掛けることなく得られるものも含めているのであろう。「尿」は「屎」よりも遠くに届くから「彌」が付けたと思われる。いずれにしても作物の成長を促し収穫を得ることを意味していると推測される。この神によって大地の隅々にまで収穫の得られるところをカバーしたということであろうか。


和久產巢日神

文字通りに読み解いてみよう「和久產巢日」は…、


和(穏やかに)|久(長く)|產(造り出す)|巢(住処)

…「穏やかに長い間住処を造り出す」日神(日々の神)と紐解ける。やっと人の住まうところの神の登場である。何とも周到な神々の配置であろうか、感心である。通説の支離滅裂(失礼!)な解釈では至らない結果となった。ここで表現された地形を基に古事記の舞台が作られているのである。それを要として読み進んで行こう。

さて、最後に和久產巢日神から後に登場する「豐宇氣毘賣神」が誕生すると記載される。登場したところで彼女の居場所など紐解いてみることにする。


少し余談になるが…「迦」の文字は古事記中に125回出現する。その最初が「迦具土」である。因みに「波」は238回、「邇」は188回、「須」は194回である。これらの文字の意味が読み取れなければ古事記の解釈は不可能である。ひょっとすると万葉集も…である。

この神生みの段に含まれる文字、どうやら、これからこんな風に使いますよ…と述べているように感じられるが・・・。