2018年2月27日火曜日

天照大御神が隠れた天石屋 〔175〕

天照大御神が隠れた天石屋



<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
天照大御神と速須佐之男命は宇気比を行って多くの命を生んだのだが、宇気比に勝ったと思い込んだ速須佐之男命の乱暴狼藉が始まり、天照大御神が拗ねて石屋に閉じ籠るという事件が発生する。その経緯は「古事記新釈」を参照願うとして、天石屋の件を詳細に紐解いてみよう。

有名な段なので読み飛ばしてしまうところであるが、「天」の地が紐解けて来た今ではもっと古事記が伝えることを読み解けるような気がするのだが・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蠅那須此二字以音滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而訓集云都度比、高御巢日神之子・思金神令思訓金云加尼而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而麻羅二字以音、科伊斯許理度賣命自伊下六字以音、令作鏡、科玉祖命、令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命・布刀玉命布刀二字以音、下效此而、天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦此三字以音、木名而、令占合麻迦那波而自麻下四字以音天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而自許下五字以音、 於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡訓八尺云八阿多、於下枝、取垂白丹寸手・青丹寸手而訓垂云志殿、此種種物者、布刀玉命・布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言禱白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲𦆅天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而訓小竹云佐佐、於天之石屋戸伏汙氣此二字以音蹈登杼呂許志此五字以音、爲神懸而、掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。
[そこで天照大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇くなりました。永久に夜が續いて行つたのです。そこで多くの神々の騷ぐ聲は夏の蠅のようにいつぱいになり、あらゆる妖がすべて起りました。こういう次第で多くの神樣たちが天の世界の天のヤスの河の河原にお集まりになつてタカミムスビの神の子のオモヒガネの神という神に考えさせてまず海外の國から渡つて來た長鳴鳥を集めて鳴かせました。次に天のヤスの河の河上にある堅い巖を取つて來、また天の金山の鐵を取つて鍛冶屋のアマツマラという人を尋ね求め、イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に命じて大きな勾玉が澤山ついている玉の緒の珠を作らしめ、アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いてわしめました。次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘にこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の
玉の緒を懸け、中の枝には大きな鏡を懸け、下の枝には麻だの楮の皮の晒したのなどをさげて、フ
トダマの命がこれをささげ持ち、アメノコヤネの命が莊重な祝詞を唱え、アメノタヂカラヲの神が
岩戸の陰に隱れて立つており、アメノウズメの命が天のカグ山の日影蔓を手襁に懸け、眞拆を 鬘として、天のカグ山の小竹の葉を束ねて手に持ち、天照大神のお隱れになつた岩戸の前に桶を覆せて踏み鳴らし神懸りして裳の紐をに垂らしましたので、天の世界が鳴りひびいて、たくさんの神が、いつしよに笑いました]

上記に登場する言葉を、既に出現したものも含めて列記すると…、

①天石屋
天安河之河上之天堅石
天金山之鐵
鍛人天津麻羅
伊斯許理度賣命
天兒屋命・布刀玉命
⑦天手力男神
⑧天宇受賣命

高御巢日神之子・思金神くんが例によって種々雑多な提案をなされるのである。効果ある?…なんてことを言うのではなく、そこに実は大切な「情報」が潜められている、ことが多いのである。と、思金神くんを少し弁護して先に進むのであるが、①天岩屋、②天金山之鐵を最後に述べてみたい。

②天安河之河上之天堅石

「天安河」は現在の谷江川及びその支流の後川川と比定した。神岳山の北麓を流れる川でその上流には勝本ダムが鎮座している。おそらく当時はダムの更に西側(神通の辻)から流れ出ていたものと推測される。「天安河」の特定が決まれば現在の地図から容易に読み取れる場所であろう。

その神通の辻の東麓、国道382号線沿いに「炭焼の岩脈」という場所がある。調べると溶岩が固まってできた見事な玄武岩・流紋岩の岩脈が見られるとのことである。下図を参照願う。




右図は、壱岐市立一支国博物館のサイトに掲載された「炭焼の岩脈」の写真である。岩脈とは、「地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して板状に固まったもの。マグマが地層に平行に貫入したものは岩床という」とある

Google Map:Tatsuya Fukuyamaさんの口コミを引用…、

<炭焼の岩脈>
勝本町国道382号線沿いの炭焼バス停近くの建設資材置き場の崖一面に見られる岩脈は炭焼の岩脈と呼ばれています。この岩脈は海岸に露出する郷ノ浦町にある初瀬の岩脈とは逆に、玄武岩の隙間に流紋岩が貫通しています。赤く色が変わっている部分う見るといいでしょう。あまりにもスケールが大きすぎて気が付きにくいのですが、よく見渡せば両端に玄武岩の層が確認できます。剥き出しの岩肌が間近で観察できるので、地質学ファンの間では隠れた人気スポットとなっています。

またこんな口コミも書かれている。
<柄杓粒の柱状節理
溶岩がゆっくり冷やされると、体積が減少することにより割れ目が出来ます。この規則的な割れ目を節理といい、柱状に分離したものを柱状節理といいます。勝本町の口頭伝承によると、「御手洗湾の入口にある洲が、柄杓の形に似ているので、柄杓と呼ばれた。柄杓柄(ひしゃくえ)は長さ二町五十七間一尺五寸、幅十六間という。柄杓粒(ひしゃくりゅう)は、柄杓柄の北西の端にあたる所の呼び名で、柄杓の水をくむ部分に似ている。」とあります。ここの柱状節理は本当に立派で見ごたえがあります。特に北壁の柱状節理の眺めは干潮の時だけしか見れませんが、神殿の建物みたいです。

…柱状節理もさることながら、「柄杓(柄)」の地形象形が口頭伝承されている。「柄杓」は頻出、更に「柄」は「許勢小柄宿禰」での紐解きに関連して興味深い。

壱岐島には幾つかの岩脈が知られている。初瀬の岩脈などが有名のようだが、上記の炭焼の岩脈も「天堅石」としてもっと注目されると良いかも、である。いずれにしても壱岐は溶岩台地という特異な地形であり、そこに「天」があったと告げているのである。所在は勝本町本宮東触、下図を参照願う。

これに気付かされて「天之常立神」の意味がより明確になったと思われる。岩脈にしろ柱状節理にしろ「大地が立った」ように見られること、それを表現したものと思われる。大地の隆起という直感的には把握し難いものではなく、見たままが示す岩脈(柱状節理も)から大地が出来上がったと理解していた、と思われる。

「天堅石」の記述は極めて重要な古事記の認識を伝えていると判った。と、同時に本ブログの「古事記紐解きの手法」が妥当なことに繋がるように思われる。

④鍛人天津麻羅

「麻」=「磨」と置き換えると…、


天津麻羅=天津(天の津)|麻(擦り減った)|羅(薄い布)

…「天の津にある擦り減った薄い布のようなところ」と紐解ける。特徴的な地形が見出だせる。現地名は勝本町新城東触となっている。古事記的表現の男性器と解釈しても通じるかもしれない…。下図を参照願う。

⑤伊斯許理度賣命

後に邇邇芸命の降臨に随伴することになる。鏡作りの名人だったのだろうか。一文字一文字で解くしか仕方がないようである。「伊斯許理度」は…、


伊(神の)|斯(之:蛇行する川)|許(傍ら)|理(連なる田)|度(越えて行く)

…「神岳近隣で蛇行する川がその傍らにある連なる田を越えて行くところ」の女の命と紐解ける。天安河が大きく曲がるところ、現在の勝本町片山触の北辺、飯森神社辺りではなかろうか。下図を参照願う。後に「作鏡連等之祖」と記述される。それにしてもここの登場人物は邇邇芸命と運命を共にする人々なのであり、既に大移動の準備が整っていたのかもしれない。

⑥天兒屋命・布刀玉命

「天兒屋命」は思金神の思い付きでありとあらゆるものの調達を命じられた命の一人である。邇邇芸命の降臨に際しての筆頭の随行者に挙げられている。伊邪那岐・伊邪那美の国生みで登場した「兒」であろう。「◯◯◯に成り切っていない小さな」と解釈した。「嶋」ではなくて「屋」=「山稜、尾根」である。


天兒屋命=天(天の)|兒(成り切っていない小さな)|屋(尾根)|命

…「天にある小さな尾根」の命と読める。現在の神岳の北麓に小さく小高いところが見える。この場所にいた命と推定される。現地名は勝本町新城西触である。後に「中臣連等之祖」と記述される。


布刀玉命=布刀(太い、大きい)|玉(勾玉)|命

…「大きな勾玉のようなところ」の命と紐解ける。現地名勝本町北触、谷江川沿いにある。小さいのと大きいのとのペアである。何となく戯れのような記述である。下図を参照願う。

⑦天手力男神

邇邇芸命に随伴する神である。またその後伊勢の地で祖となったと伝えられる。名前は役柄そのものを示しているようで力持ちの神という解釈となろう。伊勢関連はこちらを参照願う。

⑧天宇受賣命

何とも大胆な、そして勇気ある女神であろうか。この命は後の幾つかの説話に登場する。猨女君等之祖」とも記され、天照大御神の信頼も厚い、という感じであろうか・・・。さて、名前は…「受」=「舟の渡し場」の象形という原義に戻って…、


天(天の)|宇(山麓)|受(舟の渡し場)|賣

…「神岳近隣で天安河の川幅が狭まって舟の渡し場があるところ」の女と解釈できる。下図を参照願う。現在も橋が架かっているところである。この勇気ある女神の居場所が解って、訳もなく楽しいのである。現地名は勝本町新城西触である。

①天石屋と③天金山之鐵

「天石屋」は神岳近隣の「天安河」の山腹辺りとおおよその見当は付くのだが、特定には至らない。が、その後の記述で漸く紐解くことができたのである。後日に関連するところを述べることになろうが、大国主命が建御雷之男神によって「言向和」された時…通説では大国主命の出雲の国譲りと呼ばれている段…に彼の父親の代わりに遣わされることになった経緯が記述される。

坐天安河河上之天石屋、名伊都之尾羽張神、是可遣。伊都二字以音。若亦非此神者、其神之子、建御雷之男神、此應遣。且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水而、塞道居故、他神不得行。故、別遣天迦久神可問。
[天のヤス河の河上の天の石屋においでになるアメノヲハバリの神がよろしいでしよう。もしこの神でなくば、その神の子のタケミカヅチの神を遣すべきでしよう。ヲハバリの神はヤスの河の水を逆樣に塞きあげて道を塞いでおりますから、他の神では行かれますまい。特にアメノカクの神を遣してヲハバリの神に尋ねさせなければなりますまい]

伊都之尾羽張」は既に登場で伊邪那岐が火之迦具土神を斬った剣の銘と伝える。とすればその神は現地名は勝本町新城西触、後川川(天安河)を挟んで神岳の北側の山に坐していたと紐解ける。その地が天安河河上之天石屋」と記述される。下図を参照願うが、その山の西側に小ぶりな谷が見える。この場所を「天石屋」と称したと推定される。


刀鍛冶の名人が居る場所、それは「火を使う谷間の岩屋」であろう。決して単なる岩穴を意味しているのではない。後に神倭伊波禮毘古命が「忍坂大室」で生尾の土雲達と戦った説話も併せて古事記が伝える主要テーマである。が、その詳細を語らないのも一貫しているのである。

天照大御神は製鐵(銅も含めて)を支配することによって国を治める神と思われる。前記で「照」=「昭(治める)+灬(火)」と解釈したが、見事に合致している。この灬(火)が消えることは正に真っ暗闇の世界となるのである。

こう眺めてくると「天金山之鐵」の「天金山」は神岳の北側の山、「尾羽張神」の居たところとして間違いないであろう。全ての記述が繋がった記述として受け止められるようである。あからさまに「鐵」を取りに行ったとは記載しない古事記であるが、決して隠蔽することなく晒しているように思われる。それを信じて更なる紐解きに進んで行こう・・・。


「天石屋」は「鐵」の製造に深く、と言うよりむしろそのものズバリの表現であり「天照大御神」はその名前に最新鋭の武器であり、農機具となる「鐵」を支配する神であったことを告げていると思われる。天神一族はそれを求め、更なる繁栄を目指して東へ東へと向かって行った。古事記はその物語を忠実に記した書物と言えるであろう。