2018年2月26日月曜日

速須佐之男命が生ませた五人の命 〔174〕

速須佐之男命が生ませた五人の命


伊邪那岐の「左目」から生まれた天照大御神と「鼻」から生まれた速須佐之男命が「宇気比」を行う。「左」は天地を支配・統治する意味を示し、天照大御神にはその通りの役割を伊邪那岐が伝える。一方「鼻」は山間から流れ出る谷川の州を示すのであるが、速須佐之男命には「海原」を治めると言う。これが駄々を捏ねる元凶と伝えているのである。

何ともよくできたシナリオで結局は速須佐之男命は出雲の…これがまたトンデモナク荒れ狂う…州を統治する羽目になる。英雄ではあるが生まれ持った齟齬は何処かに矛盾を抱えていたのかもしれない。彼の子孫はスンナリとは出雲に落ち着かなかったのである。これについてはまた後日に述べてみよう。

さて、「宇気比」で多くの「命」が誕生する。「神」というより生身の人になっていくのである。幾つかは既に紐解き、特段の修正もないようなので補足しながら先に話を進めたく思う。記述のブログはこちらを参照願う。天照大御神が速須佐之男命に生ませた「多紀理毘賣命、亦御名、謂奧津嶋比賣命。次市寸嶋上比賣命、亦御名、謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命」に続く段である。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

速須佐之男命、乞度天照大御神所纒左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而、奴那登母母由良爾、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纒右御美豆良之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天之菩卑能命。自菩下三字以音。亦乞度所纒御𦆅之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天津日子根命。又乞度所纒左御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、活津日子根命。亦乞度所纒右御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、熊野久須毘命。自久下三字以音。幷五柱。
於是天照大御神、告速須佐之男命「是後所生五柱男子者、物實因我物所成、故、自吾子也。先所生之三柱女子者、物實因汝物所成、故、乃汝子也。」如此詔別也。
[次にスサノヲの命が天照らす大神の左の御髮に纏いておいでになつた大きな勾玉の澤山ついている玉の緒をお請けになつて、音もさらさらと天の眞名井の水に滌いで囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミの命、次に右の御髮の輪に纏かれていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアメノホヒの命、次に鬘に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアマツヒコネの命、次に左の御手にお纏きになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はイクツヒコネの命、次に右の御手に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はクマノクスビの命、合わせて五方の男神が御出現になりました。
ここに天照らす大神はスサノヲの命に仰せになつて、「この後から生まれた五人の男神はわたしの身につけた珠によつてあらわれた神ですから自然わたしの子です。先に生まれた三人の姫御子はあなたの身につけたものによつてあらわれたのですから、やはりあなたの子です」と仰せられました]

代わって須佐之男命が天照大御神に生ませた神は…、

①正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命
②天之菩卑能命
③天津日子根命
④活津日子根命
⑤熊野久須毘命

…と記述される。やはり「左」に本命を置いている。これが一貫した古事記の「仕様」なのであろう。①の天之忍穂耳命は幾度か古事記に登場する。また邇藝速日命の父親ということになっている。とうことは邇邇芸命の兄になるが、確定的ではない。

前記したように現在の福岡県田川郡赤村に関連する「吾勝」「葛野」の深く関連するのであろうが、古事記は語らない。情報が少ないが彼らの居場所を求めてみよう。

①正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命

既に「耳」に関連して紐解いた。詳細はこちらを参照願う。概略を示すと・・・。


忍穂耳=忍(一見では分からない)|穂(稲穂の形)|耳(縁)

…「穂」は二つの川に挟まれた地形であろう。おそらく一方の川が小さく穂の形として判別し辛いところであろう。「耳」はそれに付随するところがある、と言うような地形と思われる。下図を参照願うが、勝本町新城東触にある新城神社辺りが該当すると判る。

「勝」は「ものを持ち上げる」と言う意味を持つのようである。「天之常立神」との関連で大地が持ち上がった光景を連想させる。壱岐市勝本町の名前にも関連しているように思われるが、定かではない。

繰り返すが、「耳」は決して「古代の尊称」ではない。ましてや「耳族」なんていう解釈は的外れ以外の何物でもない。極めて重要な地形象形なのである。

②天之菩卑能命

「菩卑」を何とするか?…後の記述に「卑=比」とされる。おそらく「菩卑=穂比」とできるであろう。この神は出雲に降臨したのだが、梨の礫の行動を取る。お気に召されなかった様子である。


菩卑=穂比=穂(穂の形)|比(並ぶ)

…三本の川で並べるのか、それとも立って並ぶのか…後者で見つかる。現地名の片山触にある標高73.1mと76mのほぼ同じ形をした山が並ぶところがある。こう見てくると「菩」の字が適切なようにも思われるが、類例はなく検証は難しいようである。

③天津日子根命

現在の谷江川が複数の川と合流する最も津らしいところであろう。その近隣として比定できそうである。現地名は新城東触、下図を参照願う。

④活津日子根命

「活」=「氵+舌」と分解すると川に挟まれた舌の形をした地形と思われる。そのものズバリの地形が見つかる。現地名は勝本町北触である。下図を参照願う。


⑤熊野久須毘命

文字解釈を試みてみよう…「久須」=「奇す」、「毘」=「助くる」として…、


熊野久須毘命=熊野(隅の野)|久須(霊妙な力)|毘(佐:助くる)|命

…「隅にある野で霊妙な力(神)が助くる命」と紐解ける。神岳の麓で川が蛇行しているところを示していると思われる。下図を参照願う。



上記五名の命は高天原の中心の地に配置されていたことが判る。古事記のストーリーからして納得のいくところであろう。④活津日子根命及び⑤熊野久須毘命についてはその後に登場することなく終わる。壱岐島の中で子孫を繋げていったのであろう。

北九州に比べると何とものっぺらな地であるが、それなりに地形の特徴を掴むことが可能と判る。確かに「月讀命」の活躍の場は北九州にはなかったようである。がしかし「天神」一族は東へ東へと向かい立去って行ったと思われる。③天津日子根命の活躍についてはこちらを参照願う。


…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。