2018年2月21日水曜日

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その弐 〔172〕

伊邪那岐の禊祓から生まれた神:その弐


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
伊邪那岐の禊祓の続きである。「身之物」ではないので少々感じが異なる神々の誕生となるが、果たして如何なる神々が生まれるのであろうか・・・。

滌御身で生まれた神

於是詔之「上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱。」而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神名、八十禍津日神訓禍云摩賀、下效此。、次大禍津日神、此二神者、所到其穢繁國之時、因汚垢而所成神之者也。次爲直其禍而所成神名、神直毘神毘字以音、下效此、次大直毘神、次伊豆能賣神。幷三神也。伊以下四字以音。次於水底滌時、所成神名、底津綿津見神、次底筒之男命。於中滌時、所成神名、中津綿津見神、次中筒之男命。於水上滌時、所成神名、上津綿津見神訓上云宇閇、次上筒之男命。
此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。伊以下三字以音、下效此。故、阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金拆命之子孫也。宇都志三字、以音。其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也。
[そこで、「上流の方は瀬が速い、下流の方は瀬が弱い」と仰せられて、眞中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。この二神は、あの穢い國においでになつた時の汚垢によつてあらわれた神です。次にその禍を直そうとしてあらわれた神は、カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです。次に水底でお洗いになつた時にあらわれた神はソコツワタツミの神とソコヅツノヲの命、海中でお洗いになつた時にあらわれた神はナカツワタツミの神とナカヅツノヲの命、水面でお洗いになつた時にあらわれた神はウハツワタツミの神とウハヅツノヲの命です。このうち御三方のワタツミの神は安曇氏の祖先神です。よつて安曇の連たちは、そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。また、ソコヅツノヲの命・ナカヅツノヲの命・ウハヅツノヲの命御三方は住吉神社の三座の神樣であります]

「八十禍津日神」「大禍津日神」は…「八十=多くの」「大=大きな」として「禍津日神」は…、

禍(災い)|津(集まる)|日(日々の)|神

…「津日」=「の神霊」と訳されるようであるが、古事記は「霊」を好まないので意味を加える必要がある。「汚垢」から生じた神と伝える。「神直毘神、大直毘神、伊豆能賣神」が「禍」を直す神として挙げられる。

神(雷:稲光)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
大(大きな)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
伊豆(膨らんで凹凸の表面)|能(の)|賣(外に出す)|神

…前二者は「禍(摩賀:マガ)」(曲がった)と読めと註記されている。それを「真っ直ぐに」するのを助ける神と解釈できる。「毘」を「日」に置き換えることは誤りである。

「豆」は「禍」によって「表面が凹凸ができて曲がった状態」を示すものと紐解ける。中に含まれた「禍」を「賣=中にあるものを外に出す」、膿を絞り出すような様相を表していると思われる。古事記表記の肌理細やかさであろう。因みに「賣=女」を示す原義がここにある。「売る」とは「中にある財貨を外に出すこと」を意味するのである。

底津綿津見神、底筒之男命。中津綿津見神、中筒之男命。上津綿津見神、上筒之男命」の神が誕生する。綿津見神については、前記の伊邪那岐・伊邪那美の両神が生んだ大綿津見神=偉大な「海と川が交わるところを見張る神」と紐解いた。派生した「綿津見神」を示している。例によって三つに分けて「底・中・上」水深で分けているのである。


墨江之三前大神

「筒」は何を意味しているのであろうか?…通説は不詳である。種々の試案の中で最もらしく思われるのが…「筒=水の流の速さ、方向を制御する」と思われる。「筒之男命」は…、

水の流れを御する男の命

…と紐解ける。「底・中・上」の海流が航海するにあたって最も需要なものの一つであろう。彼らは「墨江之三前大神」と記述される。既に仁徳天皇紀の記述で福岡県行橋市を流れる長峡川沿いにある「上津熊・中津熊・下津熊」に比定した。「墨=隅=熊」である。強烈に蛇行する川を鎮める神として祭祀されたのであろう。

綿津見神は阿曇連の祖先であり、綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫と記される。「宇都志」は上記の「山麓が集まって川が蛇行、分岐しているところ」現在の北九州市門司区上藤松辺りとした。「日金拆命」は…、

日(肥国)|金(西方)|拆(切り開く)|命

…「出雲の西方を切り開く命」の名前を持つと紐解ける。現在の企救半島の西方は響灘、玄界灘の海洋を切り開いたと伝えている。参考に地図を示す。



<参考までに…「比良坂」=「手の平|坂」掌の形を示すところである。伊賦夜坂は「夜をもたらす坂」で出雲西の果てにあることを意味するのであろう。上図の破線◯印で示した>

阿曇一族、古事記がわざわざ追記するくらいで古代の有力な海人族と知られている。発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷と言われているようであるが「宇都志国」はそこにはない。この地には「宇美」(神功皇后が応神天皇を産んだ地:上図の伯伎国内、現地名北九州市小倉北区富野に比定)もあり、しっかり国譲りされているようである。

さて、いよいよ三貴子の登場である・・・。