天照大神と須佐之男命の誓約:天菩比命之子・建比良鳥命
さてさて「天」の場所探しであちこち動き回って疲れ果てたところだが、「誓約」はまだまだ終わっていない。天照大神が三女神を霧の中から生んだのは前回に少し記述したが、今度は須佐之男命の番である。天照大神が身に着けているものから、同様に「天之眞名井」の水を使って霧発生…すると今度は五男神が生まれた。
正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命である。一番目の天之忍穂耳命は幾度か古事記に登場する。また邇藝速日命の父親ということになっている。前記したように現在の福岡県田川郡赤村に関連する「吾勝」「葛野」の出自であろう。が、古事記は語らない。
宗像三女神について触れて、二番目、三番目の天之菩卑能命、天津日子根命の語りに進む。これが難解、というか通説、宣長くんが根源なんだろうが、奇想天外?な地名比定を行っているようで、神話と割り切るなら比定しなければ良いものを・・・。ともあれ愚痴るところではないので、一つ一つ丁寧に…A首相の国民の皆様への国会答弁ではありません。
古事記原文[武田祐吉訳]…
此後所生五柱子之中、、建比良鳥命此出雲國造・无邪志國造・上菟上國造・下菟上國造・伊自牟國造・津嶋縣直・遠江國造等之祖也。
[この後でお生まれになった五人の子の中に、アメノホヒの命の子のタケヒラドリの命、これは出雲の國の造・ムザシの國の造・カミツウナカミの國の造・シモツウナカミの國の造・イジムの國の造・津島の縣直・遠江の國の造たちの祖先です]
建比良鳥命
本来は父親の「天菩比命」が出雲国に遣わされて「祖」となる筈なのだが、少々曰くがあって息子になってしまった。後日に記述することになろうが、神話なのだが、俗ぽくって面白いところ。いや、神話ではないかもしれない…。因みに天菩比(全てに秀でた)命=天穂日命である。名前の長さ、長男との格差大である。
1.出雲國造=イズモのコクゾウ
既に頻出の国である。現在の北九州市門司区大里、行政区分上はより細かく分かれているが、代表的な地名で表す。「意富」「大」「多」などと表記されるが、ネット検索でもこの地に特定した例が見当たらない。どうやら全くの的外れか、核心をついているかになってるようである。勿論後者として話を進めることとする。
2.无邪志國造=ムザシのコクゾウ
邪心の無い国、良き命名なのかも?…倭建命の東方十二道に登場した「相武国」が該当すると思われる。現在の同市小倉南区沼である。これも細かな行政区分ではなく代表的な地名である。建比良鳥命あるいはその末裔が統治していたのであろうが、倭建命の時期には、やや、反抗的?…時の権力は流動的であろう。
3.上菟上國造・4.下菟上國造=カミツウナカミ・シモツウナカミのコクゾウ
見慣れぬ文字「菟上(ウナカミ)」が現れた。で、チラッと通説を眺めると「上総」「下総」の各々にある「海上郡」のこととある。千葉県の登場である。何故東方十二道にも入ってない国がシャシャリでるのか?…宣長くんが古文書眺めて見つけた言葉をそのまま持ってきた、それだけのことであろう。前後の脈略皆無である。
と、偉そうなことを言って、何と解釈する?…「菟上(トガミ、トノウエ)」と読む。漸くにしてこの地の「ト」という表現の由来を語る時が来たようである。「戸ノ上山」勿論、同根である。造化三神を含む五つの別天神に続いて生まれた神々、伊邪那岐・伊邪那美と同世代の神に「意富斗能地神」、妹の「大斗乃辨神」の二神がいる。
この二神に共通する「斗」の文字の紐解きが全てを明らかにすることになる。既に幾度か解釈したように「斗」=「柄杓」である。柄杓のよう地形を示す。「由良能斗」「伊斗村」「利波(柄杓田)」が挙げられる。その最も典型的で尚且つ大きな「斗」が「大(意富)斗」=「出雲国」なのである。これは地形象形そのものの表現である。「大」の由来は「大斗」にあった。
山に囲まれて凹になった地形、それは古代においては最も好ましい住環境を提供してくれる場所であり、近隣の自然環境と異なり穏やかな佇まいを示す処なのである。その地を「ト」と表した。そしてその地の上方にあるところを「トのウエ」と表現したのである。
「戸ノ上山」=「斗(ト)の上にある山」そのものを表している。その「戸ノ上」にある国とは?…大長谷、現在の門司区奥田を通り淡島神社の脇を通り過ぎると、行き当たるのが「上菟上國」、少々下ると「下菟上國」となる。「上」は現在の同市門司区伊川、「下」は同市門司区柄杓田・喜多久となる。
彼らの視点は常に淡海から眺めているのである。柄杓の底から山を上がり、その上がった先にある国々を表した国名である。都の位置など無関係、実際の行動に全てが準拠している。単純であり、明快であると思われる。これらの国は高志道に含まれる。高志に禊に行くなど、気安く言えるのは既にその祖が居たからである。
命が移動するにはそれなりの準備が整ってからである。突然現れるなど実際にはあり得ない。神話・伝説に言い逃れるのは古事記を閉じてからにするべきであろう。いや、もしくは全編神話・伝説にしてしまうか、である。
5.伊自牟國造=イジムのコクゾウ
なんじゃこれは、という命名であるが、わかると面白い。「自牟」=「自ら大きくなる」となるとしよう。「猿喰新田」である。僅かな耕作地を巧みな水門を作って水田となしたところ、である。やはりこの地の水門は目を見張るものがあったのであろう。
驚嘆すべき技だった。だから敢えてこんな名前にしたのではなかろうか。また、「喰」にも掛けてあるような気もする。「牟」=「貪る」という意味もある。安萬侶くんの戯れ、かな?…上記と併せて後の「高志国」の全てが揃ったことになる。現地名は同市門司区猿喰、何度眺めても良くぞ残したものである。
6.津嶋縣=ツシマのアガタ
これは動かしようがところ、対馬である。この島は平地が殆どなく住環境的には最悪の場所であったと思われる。交通の要所としての役割、勿論極めて重要なものであろうが、前記したように「天之狹手依比賣」の名称は言い得て妙である。言いづらいことを名前に変えて言う、人麻呂くんに劣らずの安萬侶くんである。現地名は長崎県対馬市である。
7.遠江國造=オンガのコクゾウ
勿論律令制後の国ではない。古遠賀湾の河口付近に位置する国であろう。古事記に出現するのはこれのみである。位置的には日向国と被るところもある。かなり後に「淡海国」という表現が登場する。決して「遠江」=「浜名湖」ではない。日本書紀における「淡海+近淡海」⇒「近江」の無節操な置換えを見逃して日本の古代は紐解けない。
後の「日向国」が遠賀湾西岸となる。律義に邇邇芸命が降臨するまでは「日向」名前は登場させないのであろう。一応その東岸に位置付けてみた(後の淡海之久多綿之蚊屋野辺り)。おそらく「遠江國」としてみたものの、所詮は住環境的に無理があって消滅したのではなかろうか。現地名は福岡県遠賀郡水巻町辺りである。
そんなわけで、「天津日子根命」は次回にして、本日のところを地図に示してみると…
…斗、まぁ、祖の紐解きは手間が掛かる・・・。