春日=カスガ?
「春日」を何と読む?…とは愚問もいいところと言われそうである。当然「カスガ」で「ハルヒ」「シュンジツ」などと読む方がおかしいくらいになってしまっている。それだけ「カスガ」の読みが浸透しているのである。勿論、「春」「日」にも「カスガ」の読みなど、辞書には見当たらない。
というわけで、これも「飛鳥=アスカ」「日下=クサカ」の類である。調べれば、「春日=カスガ」の由来は枕詞とすぐに出て来る。「春の日」が掛る言葉が「滓鹿=カスガ」「霞処=カスミカ⇒カスガ」であって、後者の読みで「春日=カスガ」となった。明日香(アスカ)、草香(クサカ)と同様である。
春日=滓鹿、霞処
近つ飛鳥=近つ(近付ける)|飛鳥(隼人:曾婆訶理)を|明日の処[アスカ]で
遠つ飛鳥=遠つ(遠ざける)|飛鳥(隼人:曾婆訶理)を|明日の処[アスカ]で
日下=日(邇藝速日命:櫛玉命[ク])が|下(佐[サ]:加護する・処[カ])
と紐解いた。前者は敵を暗殺するために使った隼(飛ぶ鳥)人の曾婆訶理を褒め殺し(近付けて遠ざける)にするという、少々陰惨な事件に基づくものであり、後の人がそれを包み隠して表現(曾婆訶理を省略)したのであろう。後者は侵出する神倭伊波礼比古(後の神武天皇)に対して青雲の白肩津で登美の那賀須泥毘古が初戦大勝利した時、それは邇藝速日命のお陰と言われたことに由来する。
それぞれ重要な意味を持ち、後代の人々が事件の核心を突いた表現と解釈した。だからこそ今も残る「読み」として1,300年以上も読み続けて来られたと理解できる。大きく、深くそこに隠れた意味があるからこそ漢字本来とは掛離れた読みが定着したものと判る。
決して枕詞だからと簡単に解釈するのではなく、そもそも枕詞とは本来それだけの意味を含んでいると思うべきであろう。言葉の持つ重さ、と言ってもやけに軽いものもあるわけだから、言葉遊びのように感じるものも含めて付き合うことになろうか。安萬侶くんの戯れに多くのその遊びと核心を突く表現とが入り混じっていることを理解しよう。
さて、本題はどうであろうか?…何かの事件でもあったのだろうか?…少なくとも古事記の記述には「春日=カスガ」の読みに関連する説話は存在しないようである。「春日」の文字は計14回出現する。その命名の由来など全くの無口である。既に「春日」の意味は紐解いた…
春日=春(物事の始りの勢い付くとき)|日(邇藝速日命)
邇藝速日命が哮ヶ峯(現在の香春三ノ岳)に降臨した後、定住したのが鳥見(トミ)の白庭山(現在の戸城山)と解釈し、その山麓一帯を「春日」と名付けたと推定した。この地にはトンデモナイ宝が眠っていたのである。地元の人々(古事記は「沙本」と名付ける)が細々と掘り出していた「辰砂」である。
「壹比韋」と呼ばれた辰砂が眠る場所について古事記は何度となく記述を繰り返す。現在の福岡県田川郡赤村内田山の内である。関連する文字は数えきれないほど出現する。上記の沙本、若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)の「毘毘」=「通気口の前の人々を助ける」、沙本之大闇見戸賣の「大闇見」=「辰砂のある真っ暗闇の採取坑(道)を見(張)る」等々。
留めは、応神天皇の「蟹の歌」であろうか、難解中の難解と言われる歌、辰砂を実に丁寧に詠っているのであった。住居を朱に染め、眉を黒々とし、鏡を光らせる、そして後には仏像を金ぴかにする、そんな魔法のようなことができるもの、それが辰砂であった。多くの人々が集って賑わい、国に彩を与えたのである。
壹比韋=壹(総てに)|比(並べ備える)|韋(囲い)
と読み解ける。また、「一つになって他を寄せ付けない」という意味も含まれているように思われる。正に後代の黒いダイヤ(石炭)騒ぎ、「春日」の近隣で起こった出来事に酷似する。この地の鉱物資源の豊かさ、カルスト台地等、稀有のものが存在していた、いや今も残る、場所なのである。
辰砂から必要なものを取り出すと、圧倒的に多くの残渣も取り出すことになる。それは捨てられ、当時ならば放置されることになる。恰も石炭採掘地に今も残る捨石が集積した「ボタ山(ズリ山)」のように…、
滓鹿(カスガ)=辰砂採掘に伴う捨て砂の山(麓)
と紐解ける。この光景を見て、人々が「春日=カスガ」と呼ぶことになったのであろう。「滓」と言う文字が当てられる不思議さに無神経では済まされない。枕詞云々よりもこの文字を使う理由が大切なのである。「滓」が目立つほどのことが起きる地は稀有である。
「霞処」はどうであろうか?…春の日には霞がかかりやすい、であろうか?…それでは日本全国至るところが「春日」である。地名とするにはその地の特異性を示す必要があろう、出雲が「八雲立つ」の枕詞を持つ意味は「大斗=大きな柄杓」の地形を有しているからである。柄杓が煙突効果を示す、煙突から噴き出る白い煙を作り出すからである。
霞処=辰砂の加熱精製時に発生する煙が立つところ
スモッグの発生場所であった。それも夥しいくらいに、である。だから人々は「春日」のことをそう呼んだのである。自然現象で発生する霞ではあり得ない。雲とも言わず、霧とも言わず、霞と言った表現に無神経であってはならないことなのである。
滓鹿、霞処共に根拠のある由来と読み解ける。言い伝えられて来たこと、何故だか不思議だがという言葉の意味には、やはり深い謂れが潜んでいるのである。「春日=カスガ」は古事記全体の解釈が従来とは全く異なる視点から行われない限り為し得なかったことと思われる。「春日の地」=「辰砂の地」と言う図式が見出せない限り到底行き着くことができなかった、と確信する。
…背景等詳細は「古事記新釈」を参照願う。