沙本*の乱
<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
「地名」シリーズ、少々中断して、崇神天皇紀に続く垂仁天皇紀の説話である。この天皇の記述はなかなか多彩で既に「無口な御子の出雲行き」なんていうタイトルで記述した。それだけに含まれる情報は豊かである。安萬侶くんの伝えたいこと、しっかり紐解いてみよう。
「サホヒコの叛乱」なんでも古事記中最も物語性の高い記述だとか、兄弟亡くなるわけだから悲劇的なストーリーであることには違いない。また氷室冴子氏の「銀の海金の大地」この物語が原型とか、多くの方がご存知であろう。結論めくが、この暇が取り柄の老いぼれの解釈は、全く異なったものとなりそうである。
全文引用は控えて、必要なところのみ[武田祐吉氏訳]…
此天皇、以沙本毘賣爲后之時、沙本毘賣命之兄・沙本毘古王、問其伊呂妹曰「孰愛夫與兄歟。」答曰「愛兄。」爾沙本毘古王謀曰「汝寔思愛我者、將吾與汝治天下。」而、卽作八鹽折之紐小刀、授其妹曰「以此小刀、刺殺天皇之寢。」[この天皇、サホ姫を皇后になさいました時に、サホ姫の命の兄のサホ彦の王が妹に向って「夫と兄とはどちらが大事であるか」と問いましたから、「兄が大事です」とお答えになりました。そこでサホ彦の王が謀をたくらんで、「あなたがほんとうにわたしを大事にお思いになるなら、あなたとわたしとで天下を治めよう」と言って、色濃く染めた紐のついている小刀を作って、その妹に授けて、「この刀で天皇の眠っておいでになるところをお刺し申せ」と言いました]
メインの登場人物はこの三人、垂仁天皇、その后の沙本毘賣命とその兄の沙本毘古王である。夫と兄を天秤に懸けるという設定、少々無理があるように感じられるが、内輪の事情を忖度しても致し方ないのでこのまま続けよう。
天皇の寝首をかけとは物騒な話で、何だかその為に妹を天皇に差し出した、と言う感じもする。それよりも自分が天皇になろう、ということだから、えらく力をつけてきた連中であろう。彼らの父は華麗な?日子坐王、母親が沙本之大闇見戸賣という、なんとも堅苦しい名前の持主である。「沙本」という言葉を引継いでいる。
父親の日子坐王は、開化天皇と丸邇臣之祖・日子國意祁都命之妹の意祁都比賣命との御子という触れ込みである。母親の沙本之大闇見戸賣は春日建國勝戸賣(父親不明)の子、これも何とも堅苦しい名前である。「戸賣」だから女性らしいのだが、安萬侶くん、本名かい? これは間違いなくお戯れで、その中に重要な意味を含めている、と思う。
先ずは「沙本」。「沙」=「砂」である。そして「砂」=「辰砂」と読取ることができる。当時の大変貴重な材料である。既に記述した通り丸邇氏はこの「辰砂」鉱物の採掘、精製に長けた一族であった。古事記が詳細に、歌の中にも記載しているキーワードである。「本」はその元となるもの(原鉱物)、在処(採掘)を意味すると解釈される。
先ずは「沙本」。「沙」=「砂」である。そして「砂」=「辰砂」と読取ることができる。当時の大変貴重な材料である。既に記述した通り丸邇氏はこの「辰砂」鉱物の採掘、精製に長けた一族であった。古事記が詳細に、歌の中にも記載しているキーワードである。「本」はその元となるもの(原鉱物)、在処(採掘)を意味すると解釈される。
それを背景にして読解くと、兄妹の母「沙本之大闇見戸賣」は「辰砂のある真っ暗闇の採取坑(道)を見(張)る女人」となる。女性が採掘現場を管理監督するなんて、勇ましい、いや逞しい。でも不思議ではない。闇を見る人、預言者、巫女なんて…安萬侶くん好みではないようである。そんな不思議な女性は登場しない、概ね才色兼備である。「丹」の生産は軌道に乗っていたのであろう。
金属鉱山の坑道は「間歩」と呼ばれ、各地に今も残っている。辰砂の坑道も同じように呼ばれたのであろうが、確認は取れなかった。世界遺産となっている石見銀山を訪れた時、数百も残る「間歩」と周辺の街並み、当時の勢いを感じさせられた。
日本書紀では二人の名前は「狭穂毘古」「狭穂姫」である。読みが合えば良し、ではなかろう。全く意味違いの言葉となる。また伝わるものも伝わらない、トンデモない書換えである。いや、粗鉱か…いずれ純鉱物を掘り出さねば…。もう既に通説から遥かに逸脱した内容となった。
祖母の名前がまたすごい。「建国勝」とはどう意味であろうか?…「建国しがち(仕勝ち)」=「建国を心密かに目論む」と解釈できる。なんとも壮大な夢を持った女性なのである。「丹」は人の気持ちをここまで高揚させる物であったか、と思わせる。正に国を支配できる「モノ」であったのだ。
父方の祖母である日子坐王の母親、意祁都比賣命、「意祁都」=「思いは大きく都にする」とすれば、負けじと壮大である。丸邇臣之祖・日子國意祁都命之妹である。
要するに彼ら兄妹の両親、祖母達は「丹」を獲得して、この「虚空見日本国」で果てしない夢と希望を抱いてきた、そのことを名前の中に刻んでいたと思われる。そんな思いを背負った二人には、それがどれだけの重荷になっていたことであろう。
こんな背景が天皇家の王子に取入り、そして天皇そのものに取入った今がチャンスと「どっちが大事」と言わせしめたのであろう。そしてそれに応えようとした妹…
…事は成就しなかった。何も知らない、心優しき夫の寝首などかける筈もなく、全てを曝してしまう…ドラマチックな展開、世に言われる物語性十分な場面である。そして…
乃天皇驚起、問其后曰「吾見異夢。從沙本方暴雨零來、急沾吾面。又錦色小蛇、纒繞我頸。如此之夢、是有何表也。」[そこで天皇が驚いてお起ちになって、皇后にお尋ねになるには、「わたしは不思議な夢を見た。サホの方から俄雨が降って來て、急に顏を沾ぬらした。また錦色の小蛇がわたしの頸に纏いついた。こういう夢は何のあらわれだろうか」とお尋ねになりました]
夢を使って「言向」である。いや、本当に見た夢なんだから・・・。迫真の演技に后は思わず「言向」に答えてしまった。
物語は終盤に…時が過ぎて二人の間に出来ていた御子について、夫婦間の思いやり、涙を誘う場面が続く。最後の場面である…
又問其后曰「汝所堅之美豆能小佩者、誰解。」美豆能三字以音也。答白「旦波比古多多須美智宇斯王之女、名兄比賣、弟比賣、茲二女王、淨公民、故宜使也。」然、遂殺其沙本比古王、其伊呂妹亦從也。[またその皇后に「あなたの結び堅めた衣の紐は誰が解くべきであるか」とお尋ねになりましたから、「丹波のヒコタタスミチノウシの王の女の兄姫・弟姫という二人の女王は、淨らかな民でありますからお使い遊ばしませ」と申しました。かくて遂にそのサホ彦の王を討たれた時に、皇后も共にお隱れになりました]
几帳面な安萬侶くんらしい奏上の記述であろうか? 起承転結しなければ落着かなかったのであろうか? 高い物語性…緻密な戦略性を読取った高度な訳になってる筈ですが・・・。
この説話は間違いなく垂仁天皇が仕組んだ「罠」である。急激に台頭してきた丸邇氏一族の処置、これが彼の最重要な課題であった。その技術を受け継ぎながら天皇家に巣食う彼らの放逐、またその首謀者たる者の処分、それらを両立させた解を求めたのである。
后に後添いの心配をさせ、最もよく知る春日の地の比賣を紹介せず、他国の「淨公民」を推薦する。それに従う心優しきだけの天皇、ではないであろう。后に優しく「言向」て全てを曝させることができた天皇であった。
首謀者の沙本毘古王は採銅、採石場所の日下部連の祖、鏡の製作には朱砂は欠かせない研磨剤であり、そのままでは全ての実権を握られる不安があった。他の二人の王子、袁邪本王と室毘古王は葛野別、近淡海之蚊野別の祖及び若狭之耳別の祖にそれぞれ配置されている。
「春日」に入って来たのは旦波と山代出身の母親を持つ二人の王子である。伊許婆夜和氣王:沙本穴太部之別祖、五十日帶日子王:春日山君、高志池君、春日部君之祖となる。
事件の最後に引取った御子、品牟都和氣命は無口であった。「阿藝(アギ)」としか言わない。これは何をいわんとするのか未だに不明、宿題である。だがこの御子を無口にした理由はなんとなく理解できる。出雲の神の祟りではなく、である。古事記にはその後登場しない、沙本毘賣の血は途絶えたのであろう。
天皇に奏上する体裁を保ちながら暗に示した記述は流石である。「丹」は柱を鮮やかな朱色に変える、神宝となる鏡の輝を増す、金と合せ使えば(アマルガム)、なんと黄金の館が生まれる、艶めかしい女性の眉を引く、何故か食物が腐らない…一般人には無用なものもあろうが、天皇及び王族にとっては欠かせないものであったろう。また、その摩訶不思議な変化、魔術であった。それに惹かれた。
決して丸邇氏一族を排除したのではない。天皇家に絡んできた、その一部の者達を排除しただけである。残った彼らはその技術に誇りと自信をもって益々需要の高まる「丹」を生産したことであろう。身内以外には殲滅作戦を取らない、と言っているようである。
登美の地に邇藝速日命の一団、三十数名の将軍を抱える大船団がやって来た。現在の福岡県田川郡赤村、そこに聳える戸城山を根城として、十種の神宝を持ち、天神の見印をかざして侵攻した。その地を「春日」(日=邇藝速日命)という呼び名に変えて「虚空見日本国」への第一歩を歩んだのである。
しかし、思うようには事は運ばず、特に「銅」の産地を抑えられなかったのが痛かった。「神」の怒りをかってしまい、神倭伊波禮毘古命の登場となった。彼の戦略は当たった(太陽⇔邇藝速日命でキャンセル)。邇藝速日命から受け継いだ神宝を守り、香春の地に落ち着いたのである。
だが、決して楽ではなかった。幾人かの天皇が変わって始めて「春日」に辿り着き、そして都の中心「師木」(低く小さな山が無数にあるところ)、現在の名福岡県田川郡香春町中津原・大任町今任原辺りに、漸くにして行き着いた。
ところが、その「春日」の地に銅に勝るとも劣らない「宝」が眠っていた。そこに多くの人が集まり出し、天皇家を脅かす輩も現れる。この危機を乗越えずしてなんとする、垂仁天皇の知恵の出しどころでもあった。それを記したのが、この説話であった。
「春日」は邇藝速日命を敬うことを基にした漠然とした名称であろう。その地には「日子国」国という枠を作ったのであろう。後世に出現する「宇遅」は丸邇一族が結束した、その地の地域なのであろう。そして丸邇一族から天皇家を脅かす者は出て来なかったようである。
戸城山西麓、大坂山南麓のこの地は多彩なところであった。難波津に向かう重要な交通路でもあった。今は静かな佇まいのように思うが、人々が踏み残した跡は計り知れないものがあった、が、今は知るすべを知らない。あらためて香春岳周辺の資源の豊かさに驚かされる。銅(一時金も)、石灰石、丹、後世には石炭あり。鉱物種類の豊富さには目を見張るものがあるとの報告もある。
資源ではないが極めて特異な、穴ぼこだらけのカルスト台地もある。また、決して楽に暮らせるところでもなかった。葛城、葛原の地名、「葛」=「乾いてゴツゴツしている様」、加えて低山ながら驚くほどの急斜面の土地、それらを巧みに利用してきた「知恵」と「工夫」の豊かさにも驚かされる。
そんな「技」を大切に思う心を持っていたこと、と言うか、それこそ「国力」を示す、今も変わらない根本を繰り返し述べている古事記に教えられた。こんなことを考えると日本の発祥の地として、さもありなん、という気持ち、少ない資源を如何に有効に使い続けていくこと、それが現在、未来の日本人としての変わらぬ原点、と心よりそう思う。
なんだか纏めの論調に…ちょっと気分転換に記したまでと・・・。
さて、垂仁天皇の后を調べていたら、見逃していたことが見つかった。旦波国の「沼羽田之入日賣命之弟・阿邪美能伊理毘賣命」御子が「伊許婆夜和氣命」で、「沙本穴太部之別祖」となる。「穴太部」だから「大闇見」である。しっかり入替っているのである。
「沼羽田」=「羽根のように広がっている沼の傍らの田」現在の福岡県行橋市稲童・道場寺にある「畠田池」辺りとしたが、「阿邪美」を読み飛ばしていた。「阿邪美」=「呰見」同県京都郡みやこ町呰見である。畠田池とは、南西に1km強離れているところである。数少ない残存地名であろう。
阿邪美
「沼羽田」=「羽根のように広がっている沼の傍らの田」現在の福岡県行橋市稲童・道場寺にある「畠田池」辺りとしたが、「阿邪美」を読み飛ばしていた。「阿邪美」=「呰見」同県京都郡みやこ町呰見である。畠田池とは、南西に1km強離れているところである。数少ない残存地名であろう。
氷羽州比賣命
これに気を良くして姉の氷羽州比賣命も紐解いてみた。「氷」=「冫水」二水扁である。氷が割れた時の象形文字の典型。「氷羽州」=「大きく二つに割れた川中島」現在の稲童を流れる長野間川と前田川に挟まれ、その中にもう一本の川(名称不明)が流れる。畠田池とは北東に1km強離れている。正に文字通りの川の流れと「州」の形状である。当時と変わってなければ、のことだが…。
沙本*
春日建國勝戸賣之女・名沙本之大闇見戸賣
「建國勝」とは何の意味?…「建国しがち(仕勝ち)」=「建国を心密かに目論む」と解釈できる。なんとも壮大な夢を持った女性なのである。娘の名前がなんとも奇妙なもの…本名とは思えない…これこそ名前で伝える、安萬侶くん、である。
「沙本」から紐解いてみる。「沙」=「辰砂」とし「本」=「麓」=「(踏(フ)み元(モト:初め)」と解釈すると…、
沙本=沙(辰砂の)|本(麓)
…「辰砂(の山)の麓」と読み解ける。「大闇見戸賣」は何と解釈できるであろうか?…
大闇(真っ暗闇)|見(見張る)|戸(凹地)|賣(女)
…「真っ暗闇(の採掘坑)を見張る凹んだ地の女」と紐解ける。「闇を見る人→預言者→巫女」のような解釈ではなく「辰砂(丹)」の採掘の有り様を示していると思われる。<沙本と壹比韋> |
女性が採掘現場を管理監督するなんて、勇ましい、いや逞しい。でも不思議ではない。古代の女性は逞しい、勿論現在も・・・古事記に登場するのは概ね才色兼備である。しかも想像を遥かに越える、である。
既に幾度か述べたように安萬侶くんは神憑りな話は決して好みではない。登場人物の名前は実務に即した命名である。
図に示したが、彼らの住まうところは稲作のできる地である。腹が減っては戦は不可、採掘現場に程近い場所が「沙本」であったと告げている。続いて記述される御子達の名前がその場所の環境を顕にしていると思われる。
誕生した御子が「沙本毘古王、次袁邪本王、次沙本毘賣命・亦名佐波遲比賣此沙本毘賣命者、爲伊久米天皇之后。次室毘古王。四柱」である。
沙本毘古王・沙本毘賣命
妹の沙本毘賣命は後の伊久米(垂仁)天皇の后となる。古事記中最もドラマチックな説話が展開されるが、後に譲ろう。因みに日本書紀では「狭穂」と記されている。確かに狭い三角州(穗の形状)であるが、伝わるべきものが激減するし、居場所も不確かに…思惑通りなのであろうが・・・。沙本毘賣命の別名「佐波遲比賣」は…、
佐(促す)|波(端)|遲(田を治水する)
…「端にある田の治水を促す」毘賣(田を並べて生み出す女)と読み解ける。沙本毘古王は「沙本の田を並べて定める王」である。上図で示した場所は「登美能那賀須泥毘古」が居た長い谷間に田を広げたところ、その下流に当たる場所である。豊かな水田を作ることができる貴重な地であったと推測される。が、この読み解きは後に起こる大事件の伏線でもある。その段で述べてみよう。
袁邪本王・室毘古王
「袁邪」は開化天皇が坐した伊邪河宮の「伊邪」と対比されていると思われる。「小ぶりで曲がる」のではなく「ゆったり大きく曲がる」と読み解ける。「袁邪本王」は…、
やはり御子達の命名によって彼らが住まう地が語られていたのである。逆に言えば「那賀須泥毘古」が居た場所の確度も高まったと思われる。
「室毘古王」の解釈は如何なものであろうか?…「室=岩屋」では迷路に入り込むだけであろう。彼らの住まいは深い谷間ではない。「室」=「宀+至」と分解すると「山麓+至(矢を地面に突き立てた象形)」となる。「室毘古王」は…、
室(山麓に挟まれた三角の地)|毘古(田を並べて定める)|王
…と紐解ける。上図<沙本と壹比韋>に示したように二つの稜線に挟まれた鏃のような地がある。彼らの居場所の北側に当たるところである。それにしても真に丁寧な記述であることが判る。一人一人の御子に、手を抜くことなく、命名しているのである。畏敬の念さえ浮かんでくる有様である。四人の兄妹のお蔭で「沙本」は確定したようである。(2018.04.26)