2018年3月14日水曜日

邇邇芸命に随行した天忍日命・天津久米命 〔186〕

邇邇芸命に随行した天忍日命・天津久米命


邇岐志国の天津日子番能邇邇藝命を降臨させることが決まり、随行の神々に申渡しをして、いよいよ出陣という場面である。父親の忍穂耳命が天浮橋で葦原中国の様子を伺ったように邇邇芸命達もそこで陣容を整えたと記述される。それからは迅速、一気に天降ったのである。

古事記原文[武田祐吉訳]…

故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、離天之石位、押分天之八重多那此二字以音雲而、伊都能知和岐知和岐弖自伊以下十字以音、於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖自宇以下十一字亦以音天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣自久以下六字以音。故爾、天忍日命・天津久米命、二人、取負天之石靫、取佩頭椎之大刀、取持天之波士弓、手挾天之眞鹿兒矢、立御前而仕奉。
故其天忍日命此者大伴連等之祖・天津久米命此者久米直等之祖也、於是詔之「此地者、向韓國眞來通、笠紗之御前而、朝日之直刺國、夕日之日照國也。故、此地甚吉地。」詔而、於底津石根宮柱布斗斯理、於高天原氷椽多迦斯理而坐也。
[そこでアマツヒコホノニニギの命に仰せになって、天上の御座を離れ、八重立つ雲を押し分けて勢いよく道を押し分け、天からの階段によって、下の世界に浮洲があり、それにお立ちになって、遂に筑紫の東方なる高千穗の尊い峰にお降り申さしめました。ここにアメノオシヒの命とアマツクメの命と二人が石の靫を負い、頭が瘤になっている大刀を佩いて、強い弓を持ち立派な矢を挾んで、御前に立ってお仕え申しました。このアメノオシヒの命は大伴の連等の祖先、アマツクメの命は久米の直等の祖先であります。
ここに仰せになるには「この處は海外に向つて、カササの御埼に行き通つて、朝日の照り輝く國、夕日の輝く國である。此處こそはたいへん吉い處である」と仰せられて、地の下の石根に宮柱を壯大に立て、天上に千木を高く上げて宮殿を御造營遊ばされました]

降臨の地など詳細はこちらを参照願う。前例のようにそのまま出雲に降りるのではなく全くの迂回ルートを採ったことになる。この記述の布石が随行の神々のへの申渡しの中にある。原文を引用すると…、

天照大御神・高木神之命以、詔天宇受賣神「汝者、雖有手弱女人、與伊牟迦布神面勝神、故專汝往將問者『吾御子爲天降之道、誰如此而居。』」故問賜之時、答白「僕者國神、名猨田毘古神也。所以出居者、聞天神御子天降坐故、仕奉御前而、參向之侍。[天照らす大神・高木の神の御命令で、アメノウズメの神に仰せられるには、「あなたは女ではあるが出會った神に向き合って勝つ神である。だからあなたが往って尋ねることは、我が御子のお降りなろうとする道をかようにしているのは誰であるかと問え」と仰せになりました。そこで問われる時に答え申されるには、「わたくしは國の神でサルタ彦の神という者です。天の神の御子がお降りになると聞きましたので、御前にお仕え申そうとして出迎えております」と申しました]

両神の信頼厚き天宇受賣神へ伝えたこと、武田氏の訳で概ね論旨は通じるが、ここは微妙な表記なのである。今一度詳細に読み解いてみる。「與伊牟迦布神面勝神」→「出會った神に向き合って勝つ神」と宇受賣のことを言っている。「伊牟迦布神」→「出會った神」は読み解けず意訳されたのであろう。


伊(僅かに)|牟(奪う)|迦(道を施す)|布(敷く)|神

…と紐解く。「施し敷いた道を僅かに奪う神」と解釈される。「迦」=「辶+加」と分解して「道を加える」→「道を施す(作る)」の意と解釈する。「迦」=「出会う、合せる」などと訳するが「モノが繋がっていく様」を表現してるとすると同義となろう。

引き続いて「天降之道」と言う。これで論旨が繋がることになる。上記の「道」とは「天降之道」のことを指し示している。全体を見直してみると「伊」の表現をそのまま受け取るわけにはいかないことが解って来る。即ち現実は「僅かに」ではなく「遍く」、ほぼ全てと言っていいくらいに、と読み解くべきなのである。

降りろ、と言ってはみたものの降りるところがない有様、だから宇受賣よしっかりせよ!と伝えている。更に国神の猨田毘古神を引き摺り出して案内させたと告げているのである。出雲に手こずった天神達(古事記は語らないが、邇藝速日命の件も…)の苦悩を長々と書き連ねたのは、この現状を知らしめるためであったと思われる。

宇岐士摩理、蘇理多多斯弖」緊張感を漂わせて迂回の地に降り立ったと記述される。降臨の難しさ、多くの犠牲を払わなければ達成できないことを語る。たとえ降臨できたしてもその地を開拓していくことは一層の困難を伴うこと、それらを語る古事記と読み取ることができる。「天」の地からは想像を遥かに越える厳しい環境の地への移動、それを語っていると思われる。

今日は何を書こうかと…忘れるところであった・・・。随行者の話であった。


天忍日命

帯同した天忍日命・天津久米命について少々書き加えて置こうかと思う。「其天忍日命此者大伴連等之祖・天津久米命此者久米直等之祖也」と記述され、大伴氏、久米氏として後々まで天皇を支える大将軍の祖となる命達である。彼らの出自として名前に潜められた場所を紐解いてみよう。


忍日=忍(目立たぬ)|日(火の頭)

…「火の頭」は前記の「萬幡豐秋津師比賣命」の「秋」に関連すると読む。「秋」→「火」と紐解いた。伊邪那岐・伊邪那美が最初に生んだ十神の内:水戸神の速秋津日子神・妹速秋津比賣神に含まれる文字である。現在の宗像市に居た神々とした。

「日」=「火」は幾度となく登場する置き換えである(借字)。最近の例で言えば、前記の多藝志に居た飯日比賣命、大国主命の後裔である天日腹大科度美神に含まれる「日」は「火(頭)」を示すと解釈した。

「忍」も度々の登場で「目立たない、隠れている、一見ではそう見えない」など状況によって適当な訳にする文字である。「忍穂耳命」=「一見では穂(川に挟まれた州)に見えないところの縁」などと解釈した・・・いずれ「古事記で用いられる地形象形文字」ととして纏めるかも…あ、万葉集も、である。

幸運にも「萬幡豐秋津師比賣命」の居場所が突き止められた今ではこの命の居場所は容易に推定することができる。下図を参照願うが、真に「忍」の「火」が鎮座しているのである。大伴氏の祖先はここに居た。

天津久米命

「天津」は現谷江川の最大の合流点の近傍に居た命に間違いはなかろう。それを背景に「久米」を紐解いてみる。「久」は川の形で「米」合流点そのものを示しているのではなかろうか。

久(久の形)|米(川の合流点)

…と紐解けるが、さて本当であろうか?…下図を参照願う。地図を右方向に45度回転したものである。

「久」と読めるかどうかは読み手に依存する、かな?…まぁ、概ね読めそうな感じである。

現在の地形と相違することは十分に理解できるが上記で紐解いた「久米」の意味するところと合致した結果である。

後に出てくる阿久斗比賣に類似する。また後に「久米=黒米」と解釈する場合が生じるが、掛けてあるのかもしれない。下図に纏めて二人の命の居場所を示した。





天之波士弓・天之眞鹿兒矢

彼らが所持したのが「取持天之波士弓、手挾天之眞鹿兒矢」と記述される。高御巢日神・天照大御神が天若日子を出雲に派遣する時に授けたのが「天之麻迦古弓・天之波波矢」別名「天之波士弓・天之加久矢」と記されていた。別名と合せて…、

縛り合わせ固定して端が反り曲がった弓
二枚の羽が交差した角のある矢

…であると読み解けた。

並べて整理すると…弓は「波士弓(端が反り曲がった弓)」で同じ、矢の表現が更に追加されているように思われる。

「眞鹿兒」は文字通りでは「本物の鹿の児」であろうが、弓矢に関連するとすれば、接着に使用する「膠(ニカワ)」のことを述べていると解釈される。鹿皮などから加熱抽出し、接着剤として古代でも利用されていたことが知られている。


眞鹿兒矢=本物の鹿皮の膠で作った矢

…と読み解ける。矢羽及び矢尻(鏃)を矢柄(篦)に取り付けるには不可欠のものであったろう。この接着が不完全では矢の性能に大きく影響する。重要なキーワードなのである。

「眞鹿兒」=「麻迦古(縛り合せて固定する)」と読み替えることができる。膠を使って縛り合せて固定して矢を作ったのである。武器については、真に捻れた表現をしている。本来は極秘であったから、と憶測しておこう。Youtubeに自作の矢が載っていた。