2018年3月7日水曜日

騒がしい天安河之河原 〔181〕

騒がしい天安河之河原


出雲は大国主命が治めることにしたのだが、なかなか思うようには進まない。最終兵器「建御雷之男神」(実は田に雨を降らせて耕す神なのだが…)を遣わして終焉する直前のお話である。葦原中国も騒がしいが、それ以上に「天」も騒々しいのである。

対応策に迫られて天安河之河原に八百万の神が集まって…現在の壱岐市の人口は2.6万強とある…そこに八百万も…冗談ですが…河原に、やはりまだ立派な宮殿はなかった、と言うか「天」には建てるつもりがなかったのであろう。

こんな場面では結構凝った表現が出現するのである。紐解き手法の有効性を確認する上においても試みてみよう。まだ高御巢日神は高木神には変わっていないところである。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

爾高御巢日神・天照大御神之命以、於天安河之河原、神集八百萬神集而、思金神令思而詔「此葦原中國者、我御子之所知國、言依所賜之國也。故、以爲於此國道速振荒振國神等之多在。是使何神而、將言趣。」爾思金神及八百萬神、議白之「天菩比神、是可遣。」故、遣天菩比神者、乃媚附大國主神、至于三年、不復奏。
是以、高御巢日神・天照大御神、亦問諸神等「所遣葦原中國之天菩比神、久不復奏。亦使何神之吉。」爾思金神答白「可遣天津國玉神之子、天若日子。」故爾、以天之麻迦古弓自麻下三字以音・天之波波此二字以音矢、賜天若日子而遣。於是、天若日子、降到其國、卽娶大國主神之女、下照比賣、亦慮獲其國、至于八年、不復奏。
[そこでタカミムスビの神、天照大神の御命令で天のヤスの河の河原に多くの神をお集めになつて、オモヒガネの神に思わしめて仰せになつたことには、「この葦原の中心の國はわたしの御子の治むべき國と定めた國である。それだのにこの國に暴威を振う亂暴な土著の神が多くあると思われるが、どの神を遣してこれを平定すべきであろうか」と仰せになりました。そこでオモヒガネの神及び多くの神たちが相談して、「ホヒの神を遣つたらよろしいでございましよう」と申しました。
そこでホヒの神を遣したところ、この神は大國主の命にい著いて三年たつても御返事申し上げませんでした。このような次第でタカミムスビの神天照大神がまた多くの神たちにお尋ねになつて、「葦原の中心の國に遣したホヒの神が久しく返事をしないが、またどの神を遣つたらよいだろうか」と仰せられました。そこでオモヒガネの神が申されるには、「アマツクニダマの神の子の天若日子を遣りましよう」と申しました。そこでりつぱな弓矢天若日子に賜わつて遣しました。しかるに天若日子はその國に降りついて大國主の命の女の下照を妻とし、またその國を獲ようと思つて、八年たつても御返事申し上げませんでした]

古事記の時制は自由である。既に天照大神と須佐之男命の次男坊である天菩比神を遣わしていたのだが梨の礫、それもその筈息子の建比良鳥命が代わりにご活躍だから。古事記の中では影が薄い存在である。そこで代わりに天若日子命を派遣するすることになった。その出自が語られる。それにしても役立たずの思金くん、懲りずに登場である。こんな役やらせたらピッタシの俳優もいそうな・・・。


天津國玉神之子:天若日子命

天津國玉神」は何処に居たのであろうか?…「天」で津と言えば安河(谷江川)が作る「津=川の合流点」であろう。現在の勝本町新城東触にある。その近隣と思われる。「國玉」=「土地が玉の形」とすれば、小ぶりなその地形が見出だせる。天忍穂耳命の直近にあるところと推定できる。おそらく御子もその地に居たと思われる。「古事記の国々」に「天の地名・神名」を追加した。参照願う。



天若日子命に「天之麻迦古弓・天之波波矢」を授けたと記述する。武田氏訳は纏めて「立派な」である。深く考えずに紐解くと…、


麻迦古弓=麻(縻:縛る)|迦(合せる)|古(固定する)|弓

…「縛り合わせてしっかり固定した弓」のような・・・。


波波矢=波(羽)|波(羽)|矢

…「羽が二つの矢」かもしれない・・・何だか戯れ記述のような気もするが・・・。

「下照比賣」は秋津に居た「下光比賣」であろう。大国主命が胸形奧津宮神・多紀理毘賣命を娶って誕生した比賣である。「慮獲其國」=「その国を得ようと良からぬことを計画する」ということであろう。その国とは秋津のある阿岐国ということになろうか…そうは簡単には進まない、既に八年が過ぎた、とのこと。

少々長いが続きを引用すると…この段で「高木神者、高御巢日神之別名」と入替る…、

故爾、天照大御神・高御巢日神、亦問諸神等「天若日子、久不復奏。又遣曷神以問天若日子之淹留所由。」於是諸神及思金神、答白「可遣雉名鳴女」時、詔之「汝、行問天若日子狀者、汝所以使葦原中國者、言趣和其國之荒振神等之者也、何至于八年不復奏。」
故爾鳴女、自天降到、居天若日子之門湯津楓上而、言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣此三字以音聞此鳥言而、語天若日子言「此鳥者、其鳴音甚惡。故、可射殺。」云進、卽天若日子、持天神所賜天之波士弓・天之加久矢、射殺其雉。爾其矢、自雉胸通而、逆射上、逮坐天安河之河原、天照大御神・高木神之御所。是高木神者、高御巢日神之別名。
故、高木神、取其矢見者、血著其矢羽。於是、高木神告之「此矢者、所賜天若日子之矢。」卽示諸神等、詔者「或天若日子、不誤命、爲射惡神之矢之至者、不中天若日子。或有邪心者、天若日子、於此矢麻賀禮此三字以音。」云而、取其矢、自其矢穴衝返下者、中天若日子寢朝床之高胸坂以死。此還矢之本也。亦其雉不還、故於今諺曰「雉之頓使」是也。
故、天若日子之妻・下照比賣之哭聲、與風響到天。於是在天、天若日子之父・天津國玉神、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於其處作喪屋而、河雁爲岐佐理持自岐下三字以音、鷺爲掃持、翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、如此行定而、日八日夜八夜遊也。
[そこで天照らす大神、タカミムスビの神が大勢の神にお尋ねになつたのには、「天若日子が久しく返事をしないが、どの神を遣して天若日子の留まつている仔細を尋ねさせようか」とお尋ねになりました。そこで大勢の神たちまたオモヒガネの神が申しますには、「キジの名鳴女を遣りましよう」と申しました。そこでそのキジに、「お前が行つて天若日子に尋ねるには、あなたを葦原の中心の國に遣したわけはその國の亂暴な神たちを平定せよというためです。何故に八年たつても御返事申し上げないのかと問え」と仰せられました。そこでキジの鳴女が天から降つて來て、天若日子の門にある貴い桂の木の上にいて詳しく天の神の仰せの通りに言いました。ここに天の探女という女がいて、このキジの言うことを聞いて天若日子に「この鳥は鳴く聲がよくありませんから射殺しておしまいなさい」と勸めましたから、天若日子は天の神の下さつたりつぱな弓矢をもつてそのキジを射殺しました。ところがその矢がキジの胸から通りぬけて逆樣に射上げられて天のヤスの河の河原においでになる天照らす大神高木神の御許に到りました。この高木の神というのはタカミムスビの神の別の名です。その高木の神が弓矢を取つて御覽になると矢の羽に血がついております。そこで高木の神が「この矢は天若日子に與えた矢である」と仰せになつて、多くの神たちに見せて仰せられるには、「もし天若日子が命令通りに亂暴な神を射た矢が來たのなら、天若日子に當ることなかれ。そうでなくてもし不屆な心があるなら天若日子はこの矢で死んでしまえ」と仰せられて、その矢をお取りになつて、その矢の飛んで來た穴から衝き返してお下しになりましたら、天若日子が朝床に寢ている胸の上に當つて死にました。かくしてキジは還つて參りませんから、今でも 諺に「行つたきりのキジのお使」というのです。それで天若日子の妻、下照姫のお泣きになる聲が風のまにまに響いて天に聞えました。そこで天にいた天若日子の父のアマツクニダマの神、また天若日子のもとの妻子たちが聞いて、下りて來て泣き悲しんで、そこに葬式の家を作つて、ガンを死人の食物を持つ役とし、サギを箒を持つ役とし、カワセミを御料理人とし、スズメを碓をつく女とし、キジを泣く役の女として、かように定めて八日八夜というもの遊んでさわぎました] 

まだまだご登場の人が…「天佐具賣」「天」も人材豊富である。通説では日本書紀の記述から「佐具」=「探」とされている。


佐具=佐(助く)|具(手立て)

…「対応策を補佐する女」なのである。探りに来た鳴女にどう対応するかの案を考える役目の女である。ちょっと乱暴な案…思金くんの女性バージョンかも…ところで彼は男性?か不詳であった。

それでまたまた弓矢が登場するのであるが、名前が違う…天神から授かったものと書いているので上記の弓矢に間違いはない。「天之波士弓・天之加久矢」何故変えた?…取り敢えず名前を紐解いてみよう。幾度も登場する「士」=「志:之(川の蛇行)」の象形を用いて…、


波士弓=波(端)|士(之:曲がった)|弓

…「端が反り曲がった弓」となろう。


加久矢=加久(角のある)|矢

…「角のある」矢・・・なんと上記と併せて漸く意味が伝わる。ちょっと戯れが過ぎるようで…、


麻迦古・波士・=縛り合わせ固定して端が反り曲がった弓

波波・加久・=二枚の羽が交差した角のある矢

…「弓」の文字そのものが上下(端)が曲がった形を表している。矢は二枚の羽を交差させて四つ角ができることを述べているのである。


余談だが…弓矢を調べていて「矢筈」の意味が解った。弦を留める弓の端の切込みである。北九州市門司区にある「矢筈山」は頂上が二つに割れた形していることから名付けられたのであろう。古事記は「速甕」「久久」と表現すると紐解いた。二つに割れると見るか、二つが縛られたと見るか、二つ並んでると見るか…一つの形を違った表現としているのである。現象を観察する上において重要なことであろう。

全国に矢筈山と命名されている山が十七あるとのこと。四国に多い。由来は様々であるが、頂上がM字になっていることから名付けられたものであろう。尚、関東ではそれを「駒」と言う。馬の背の山、分かり易い表現である。


さて、邪心があるかないか、手続き上の話が続いて、しゃしゃり出て来た高木神に結局は亡き者にされてしまう。神様の葬儀、まるで人が亡くなった時のようである。鳥が重要な脇役となっている。登場したのは「河雁、鷺、翠鳥、雀、雉」何となく分かりそうなキャスティングなのだが、登場の多い…何故雉?…不詳である。

「高木神」は「高御産巣日神」と補足されている。現在のところ確信はないが、伊豫之二名嶋の「粟国」後に「高木」と記されるところ、現在の北九州市若松区藤木辺りと比定したが、その石峰山に居たのではなかろうか。全体を統括管理するには絶好のポジションなのだが・・・。

弓と矢、その表現も本ブログの「古事記の紐解き方法」で読み解けることが判った。ネットを少し検索してもこの弓矢の名前を解いた例は極わずか、一件のみ。上記の二種類の表現を別名、「波波矢」は二枚羽と気付かれている。大半は神憑りな弓矢か、無解釈である。如何に古事記が読み解かれていないかを示すものであろう。

上記余談の「矢筈」と同じく異なる表現を用いる例の一つになるであろう。古事記表記の一貫性にあらためて驚かされる。

そんなわけで今回は軽い記述に…この段に続くところはこちら、美濃(三野)の地の詳細が記述される段となる・・・。