2017年12月7日木曜日

美濃(三野)国の首都 〔134〕

美濃(三野)国の首都


古事記の中で「ミノ」の国が出現するのは「美濃」が先で高御巢日神・天照大御神が何とか葦原中国に足掛かりをと画策している時が最初である。一方「三野」の表現は第二代綏靖天皇紀に初出である。感覚的には逆のようなのだが、「美濃」が使われるのは最初で最後、以後は「三野」となる。その後また「美濃」になるのだから歴史は繰り返す…場所は全く異なるが・・・。

その「美濃」が登場した説話を見直してみよう…古事記原文[武田祐吉訳]

此時、阿遲志貴高日子根神到而、弔天若日子之喪時、自天降到天若日子之父、亦其妻、皆哭云「我子者不死有祁理。」「我君者不死坐祁理。」云、取懸手足而哭悲也。其過所以者、此二柱神之容姿、甚能相似、故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神、大怒曰「我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人。」云而、拔所御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上、喪山之者也。其持所切大刀名、謂大量、亦名謂神度劒。故、阿治志貴高日子根神者、忿而飛去之時、其伊呂妹高比賣命、思顯其御名、故歌曰、
阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也
此歌者、夷振也。
[この時アヂシキタカヒコネの神がおいでになつて、天若日子の亡くなつたのを弔問される時に、天から降つて來た天若日子の父や妻が皆泣いて、「わたしの子は死ななかつた」「わたしの夫は死ななかつたのだ」と言つて手足に取りすがつて泣き悲しみました。かように間違えた次第はこの御二方の神のお姿が非常によく似ていたからです。それで間違えたのでした。ここにアヂシキタカヒコネの神が非常に怒つて言われるには、「わたしは親友だから弔問に來たのだ。何だつてわたしを穢
い死人に比るのか」と言つて、お佩きになつている長い劒を拔いてその葬式の家を切り伏せ、足で蹴飛してしまいました。それは美濃の國のアヰミ河の河上の喪山という山になりました。その持つて切つた大刀の名はオホバカリといい、またカンドの劒ともいいます。そこでアヂシキタカヒコネの神が怒つて飛び去つた時に、その妹の下照る姫が兄君のお名前を顯そうと思つて歌つた歌は、
天の世界の若い織姫の首に懸けている珠の飾り、その珠の飾りの大きい珠のような方、谷つ一度にお渡りになるアヂシキタカヒコネの神でございます。 
と歌いました。この歌は夷振です] 

「阿遲志貴高日子根神」は「阿遅鉏高日子根神」とも表記され、大國主神が胸形奧津宮神・多紀理毘賣命を娶って誕生した神である。迦毛大御神とも呼ばれ、「大御神」が付くのは天照大御神とこの二人だけと言われる。加茂社の神として現在に繋がり、宗像の出身なのである。その妹に高比賣命が居た。

天若日子はと言うと高御巢日神・天照大御神によって葦原中国に送り込まれたのだが、高比賣を娶ってぬくぬくとその国で過ごしてしまい、高御巢日神の怒り、亡き者にされたという経緯である。そんな訳で天若日子の葬儀の場に義兄の阿遲志貴高日子根神がお出ましになったら事件が勃発した。

美濃國藍見河


事件の舞台である。既に紐解いた(参照)が概略を記すと…

藍見河=藍(ぼろ[破れた衣服])|見(見える)|河

「衣服(地面)の破れたところを水が流れたり溜まったりしているように見える川」少々長ったらしいが、こんな解釈であろうか。地形象形してくれているのだが、これでは手の付けようがない…と思いきや、「朽網川(クサミ)」=「ぼろぼろになった網の川」が流れている。誰が名付けたかは不詳であるが、見事である。

藍見河=朽網川

と比定される。なんだか景観悪そうな川なのだが、阿遲志貴高日子根神は死んだ天若日子に似ていると言われて腹を立て、喪屋を壊して蹴飛ばしてしまったと記載される。流石神様、やることのスケールが凄い、何とそれが山になった・・・。

藍見河の河上の喪山

初見とは異なる解釈に入る。「喪山」の現地名は小倉南区朽網東、貴船神社がある辺り(下図中央上部朽網東の左の)としたが、現在の標高からしてこの近辺は藍見河の河口付近と推測される。もっと上流部にある山と思われるが、山また山の地に突入することになる。改めて地図を参照する。


中央にある「昭和池」千本桜で有名な北九州市随一の大きさを誇る池である。農業用水に用いられる貯水ダムとして造られた池とある。地形から明らかなように南から二つの谷川が流れ込む水系となっている。かなりの急流の川であったと推測される。

池の形状を見ると流れ込む二つの川を遮るような形をした小高い所がある。とある方のブログでは「半島」と表現されていたが正にその通り、池に「半島」が突出ているのである。これに注目した。北側から眺めた図である。




高比賣が詠う。初見暇が取り柄の老いぼれも難儀した。

全く解せない歌なのである。大きい玉、二つの谷・・・八岐大蛇の再現か?と仰るお方もおられるようで・・・

今、解けたのである。玉のような半島が二つの谷に跨っている姿を詠んだ…、

その半島の小高いところ=喪山

と言ったのである。

葬儀と言う神の世界に無縁の説話を挿入した意図は美濃国をするためであったろうか…それにしては難解であった。「朽網」及び既に登場した「猿喰」のような難読の地名、大切に残すこと、できればその由縁が解き明かされることを期待したい。

三野國之本巢と長幡

日子坐王が近淡海の息長水依比賣を娶って生まれた御子に神大根王、亦の名は八瓜之入日子が居た。彼は三野國之本巢國造、長幡部連の祖となったと記述される。「本巣」は何を意味するのであろうか?…「藍」が重要な伏線となっていたのである。

本巣=本(麓の)|巣(州)

…「麓の州である」…衣服がボロボロに破れたような地面をしているが、元は立派な州であったと表現している。ここまで訳してくると「本」=「本来の」という意味も込められているように思われる。「◯本」=「◯の麓」、「本◯」=「本来は◯」が適切かとも思われる。沖積が進んだ状態では確認のしようがないが…。上図の「朽網東」と記載された地域を示していると推定される。「長幡」は朽網川沿いのその上流部であろう。

美濃(三野)国は藍見河(朽網川)流域を中心として発展した国と読み解ける。河口付近にあった「本巣」は「首都」として栄えたのであろう。が、縄文海進の後退、沖積の進行に伴って大きく地形は変化した地でもあった。古事記の記述はそれを乗越えて後代にその地の出来事を伝えていると思われる。

…全体を通しては「古事記新釈」の天照大神・須佐之男命、開化天皇の項を参照願う。