2018年2月12日月曜日

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:十神 〔164〕

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:十神


大八嶋及び六嶋が生まれて引き続き多くの神が生まれる。別天神五柱の神々によって、「天」の地は①隆起した台地、②山麓の葦が茂る治水された水田の二つの地形に特徴があることが判った。その地に三名の指導者が居たことも示された。

更に神世七代の神々によって「國」…「天」に対して不特定の「大地」を意味する…にも①隆起した台地 ②雨雲が覆う平らな土地があることが知らされた。

加えて③山麓及び州の近傍に並ぶ田畑、④山稜の端が長く延びたり、分かれたりしたところ、⑤柄杓の形をした三方を山稜で囲まれた地、⑥崖のある台地及びその近傍の田畑の地形が示された。これらは古事記の時代に人々が衣食住を満たした地形であったと告げているのである。

このことは人々が如何に山麓に寄り添い、そこから流れ出す蛇行する川(下流で州を形成)の近傍に日々の基盤を置いていたことを表していると思われる。神々の名前に「志:之(蛇行する川の象形)」「須:州」が多用されることからも伺えるものである。

最後に登場するのが伊邪那岐・伊邪那美神である。彼らはその名前の通りに「誘い導く」役割を担った神である。そして更に詳細な彼らのとって必要な地形を記述するのである。古事記記述の一貫性を信じて膨大な数の神々を紐解いてみよう。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…

既生國竟、更生神。故、生神名、大事忍男神、次生石土毘古神訓石云伊波、亦毘古二字以音。下效此也、次生石巢比賣神、次生大戸日別神、次生天之吹男神、次生大屋毘古神、次生風木津別之忍男神訓風云加邪、訓木以音、次生海神、名大綿津見神、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神。自大事忍男神至秋津比賣神、幷十神。
[このように國々を生み終つて、更に神々をお生みになりました。そのお生み遊ばされた神樣の御
はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神をお生みになりました。次に海の神のオホワタツミの神をお生みになり、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神とをお生みになりました。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神です]

大事忍男神

伊邪那岐・伊邪那美神から生まれた最初の神である。「事」=「神に仕えること」が原義のようである。「忍」=「人目から隠れた、一見では分からない」の意味であろう。

大事忍男神=大事(大神に仕える)|忍男(人目から隠れた人)|神

…冒頭の神に別天神五柱の大神を祭祀する神を置いたのではなかろうか。「忍男」と記されるように一見では見分けがつかない形であることを示している。通説では「大仕事を為した後に生まれた神」もしくは間違って記述したなどと言われるが、不詳である。

石土毘古神

通説では「石・土の男神」とされる。そのままの解釈でも意味は通じるようであるが、「毘古」を紐解くと…

毘古=毘(田が並ぶ)|古(固:しっかりと定める)

…となる。「男神」と記述しないことを受けると、単に「岩・土」というモノ(物質)の神ではなく…、

石土毘古神=石土(岩からできた土)|毘古(田を並べてしっかりと定める)神

「整地して田畑を作り上げる神」と解釈され、畑作の神を意味するようになる。

石巢比賣神

上記の石土毘古神と対を成すような女神とされ、砂の神、堅固な住居の神などと言われるが果たしてそうであろうか?…「比賣」も併せて紐解くと…、


石巢比賣神=石巣(岩が寄り集まってる)|比(整え並べる)|賣(出す)|神

…と解釈される。「多くの岩があるところから石を切り出す神」の意味となる。

大戸日別神

「大戸」は「家の戸口」を示すのであろうか?…自然の地形、造形物に関する記述の流れからは受け入れられない。「大戸」=「大斗」であろう。「斗=柄杓」の意味を持つ。その柄杓の象形をしたのが「戸」と思われる。「日別」=「時を識別する」と解釈できる。「戸=斗」を取り囲む山稜の形と太陽の位置から年を通した「時」を知ることができると思われる。


大戸日別神=大戸(大斗)|日別(時を識別する)|神

…既に「意富斗能地神・妹大斗乃辨神」の両神が居た。この神は大戸に居て時(季節)を告げる神であったことを伝えていると推測される。後述するが「大斗」=「出雲国」現在の北九州市門司区大里辺りである。そこに戸ノ上山が聳える。現存する地名との深い繋がりと思われるが、現地名の由来は不詳である。

天之吹男神

「天」と特定された名前である。「吹男」はそのままの通り、自噴する蒸気が見られるところと思われる。端的には温泉場があるところ、しかも自噴するほどのところである。「天」に存在するのか?…神功皇后が三韓征伐の折に発見したという由緒のある温泉場がある(壱岐市勝本町立石西触、湯ノ本温泉)。何を隠そうこれこそが伊邪那岐・伊邪那美が生んだ正真正銘の神の湯である。


天之吹男神=天にある自噴する温泉の神

…と紐解ける。この特徴的な地表を表現したものと思われる。「國之吹男神」がないのは古事記の範疇にある「國」には温泉が無いことを示すと考えられる。伊余湯は温泉場ではない。「天」ではない自噴する温泉場は古事記の記述の範囲外と結論付けられる。

壱岐島は溶岩台地と知られる。「天」が壱岐島にあったことに対して極めて重要な記述と思われる。通説は屋根葺きの神と解釈されるようである。



大屋毘古神

通説は「大きな家屋」という解釈であるが…「毘古」を上記と同様にして…、

大屋毘古神=大屋(大きな山稜)|毘(田が並ぶ)|古(固:しっかりと定める)|神

…「大きな山稜の麓に広がる田の神」と紐解ける。山稜を地表を覆う形をしたものと象形した表現と解釈する。後述に「蚊屋」という表現が登場する。「大屋」に対して用いられたものであろう。その時は「蚊のような(小さな)家屋」と解釈するのであろうか…。


風木津別之忍男神

これはそのまま文字通りに解釈することは不可である。「風+木」=「楓」と結合すると、楓の葉脈が示す地形を表していると思われる。


右図の葉脈が「川」を表し、それらが集まって「津」を形成する。「津」は古代の人々が住まう場所として重要な地であったと思われる。

その地形を「人目から隠れる、一見では分からない」ように司る神のことを述べているのである。

「津」=「氵+聿(ふで)」=「水+毛の束(穂)」=「川が束ねる(集まる)」と解釈する。「つ」という語幹は「寄り集まる」ことを示しているようである。

古文解釈である「~の」も使われるが地形象形していることを見逃してしまうのである。

「風木津別之忍男神」を紐解くと…、



風木(楓の葉脈のように)|津(寄り集まる川)|別(地)|之(の)|忍(そっと)|男神

…川の合流点の複雑な形、またそれらが時と共に変化することを示しているようである。明確に捉えることはできないが重要な地形の要素であると述べていると思われる。

石土毘古神から風木津別之忍男神までの六神を「家宅六神」と呼ばれるとのことである。先ずは「家」が重要なのだと古事記が伝えているとの解釈である。六神中一部の神名が家屋に関連させられることからであろうが、不詳である。上記の解釈はそれとは全く無縁である。

上記のごとく大地が生まれて、更にその詳細な特徴ある地形、人が衣食住を満たすために欠かせない地形を司る神々の列挙と解釈される。古事記の記述はこの地形の中で生起した出来事の記録なのだと告げていると思われる。


海神:大綿津見神

次いで海神が生まれる。名を「綿津見神」と言う。一文字一文字を紐解くと…「大=偉大な」として…、


綿津見神=綿(海)|津(海と川が集まる)|見(見張る)|神

偉大な「海と川が集まるところを見張る」神となる。通説のような単なる海の神ではないと解釈する。


水戸神:速秋津日子神・妹速秋津比賣神

「水戸」=「内海と外海との境」と解釈する。古代は縄文海進により多くの内海、汽水湖が形成されていたと推測される。またそれらの地点は交通の要所でもあり、海と川の混じり合う豊かな水辺でもあったと思われる。

その神に具体的な名前が付けられている。それは何処を指し示しているのであろうか?…神生みの時期に当て嵌まる地があるのか…「天」に次ぐ古事記の重要な地点であろう。下図を参照願う。





「秋津」の「秋」=「禾+火」と分解し、略等間隔で海に突き出る三つの岬を「火」の頭の部分にもしたものと推測される。後に登場する「畝火山」の表現に類似するものであろう。上図(含拡大図)から判るように現在の標高で推定して草崎に連なる山稜線の両脇は大きな汽水湖を形成していたと推測される。

この地は邇邇芸命が降臨した竺紫日向に隣接し、後に神倭伊波禮毘古が訪れた国「阿岐(アキ)国」と呼ばれたと読み解いた。現地名は宗像市の赤間である。「秋津」の名前が全てに繋がっていることが伺える。「速」=「辶+束」と分解して「速秋津日子神」「速秋津比賣神」を紐解くと…、


速(束にした)|秋(火の)|津(川と海の合流地)|日子神(男神)
速(束にした)|秋(火の)|津(川と海の合流地)|比賣神(女神)

…「火の三つの頭の部分を束ねた川と海の合流地」の神となるであろう。「速」は「道を束ねる」のが原義とある。それが「はやい」の意味へと繋がるのである。古事記は文字の成り立ちに戻り、表現することを忘れてはならない。「火」の頭の場所を「道」で束ねた(繋げた)地形だと伝えていると思われる。

生まれた神がまたその子孫を生んでいく、古事記で描かれる主要な地形が誕生して行くのである。更に神生みは続くが、本日はここまでで・・・。最後の「秋津」は「大倭豊秋津嶋」に繋がる言葉である。詳細はこちら