2019年8月6日火曜日

古事記の『高千穂』 〔362〕

古事記の『高千穂』

古事記に「高千穂」の文字列が登場するのは、「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」が最初である。そして邇邇芸命が坐した「高千穂宮」と山佐知毘古(日子穗穗手見命)が葬られた場所「高千穂山之西」である。

この文字列も様々に解釈されて来たようである。世界大百科事典では「高く秀でた山,あるいは豊かな稲穂の山の意の普通名詞」と記されている。勿論現在の地名、伝承がある場所とされている。また、天孫降臨の地を博多湾岸に求める方々も「普通名詞」と扱って特に違和感なし、と言った有様であろう。


『高』


<難波之高津宮>

既に紐解いたように「高」は高いの意味を示す記述ではない。古事記冒頭に登場する高天原の解釈も「天空高くにある野原」ではない。

勿論そう受け取るように仕向けた表記である。それに惑わされては古事記は読めない、と言える。詳細はこちらを参照。

また仁徳天皇の難波之高津宮の「高」も「高いところ」を示してはいない。

御所ヶ岳山系の無数にある枝稜線が麓で寄り集まっている様を表したものと解釈される。

実に判り易い表記であろう。民の竈の煙を見渡す高台にあった宮と片付けてしまっては、その宮の場所を求めることは叶わない。

「高」の文字を巧みに活用して、山(丘)稜が描く模様を表しているのである。「高」=「皺の筋(目)のようなところ」と解った。


<高御產巢日神・神產巢日神>
造化三神の一人、「高御産巣日神」のことを「高木神」と別名で表記される。「隠身」であって所在不詳なのだが、別名を示している。

常世國と比定した現在の壱岐市勝本町仲触にある、珍しく標高100mを越える山稜に縦皺が寄った山腹を持つところが見出せる。

高木神の比賣、高天原に坐していた萬幡豐秋津師比賣命が邇邇芸命の母親と伝えられる。

天孫降臨地「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」と言われる出来事に「高」で繋がって行くのである。

いずれにしても「高」の文字は古事記で多用されているが、直近に述べた「遠・近」のように、通常使われる「高・低」の意味を表しているのではない。


『千』

では「千」は何と紐解くか?…これも日常で使われる文字であり、かつ極めて簡略な文字形である。「千」=「人+一」と分解される。「千」=「山稜(人)を横切る谷間(一)がある」と紐解ける。もう少し補足すると、「人」の集団を表し、それを区切って「千」という”単位”を表すと解釈される。数直線上の区切りを示すと考えると分かり易い。

すると実に地形象形的に用いたイメージが浮かび上がって来る。「高千穂」を纏めて…、
 
皺の筋のような山稜を横切る谷間がある稲穂の形の地

…と読み解ける。上記の「竺紫」、「久士布流多氣」の文字が表す意味を補う文字列である。「竺紫日向」であって古事記に「筑紫日向」の文字列は存在しない、と述べた。「高千穂」の示すところが解れば、「筑紫日向」は全くあり得ないことなのである。


<高千穂>

古事記は「大」(平らな頂の山稜)、「小」([小]の字形の様)、「遠」(山稜の端のゆったりとした三角州)など、「大・小」、「遠・近」そして「高・低」は比較対象が存在する場合を除き、総て地形象形の表記をしているのである。


<葛城之高千那毘賣・味師内宿禰>
最後に関連するところを・・・、

葛城之高千那毘賣

大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)が娶った「尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣」に「高千」が含まれている。上記と同様に紐解けると思われる。

福智山山系にある鷹取山の山稜を示している。やはり上記の孔大寺山稜と同じく皺に切れ目が入ったところである。

その麓に坐していた毘賣を表している。古事記の全くブレない表記にあらためて感動させられる記述であろう。

「宿禰」の文字が初めて登場する場面である。前記参照。