2019年8月9日金曜日

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 〔363〕

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 


天孫降臨に先立って交わされる文言の中に登場する「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」は日本の古き美称として読まれて来たようである。一例を挙げれば「葦原の長く長く幾千年も水田に稲穂のなる国」と言ったところであろうか。

既に述べたように日本の国土は、その七割が山岳地帯である。日本を語るにおいては、何とも似つかわしくない表記なのである。更に縄文海進の状態を重ねると、現在の扇状地の水田地帯のイメージは殆ど消失してしまうであろう。日本の古代史学者は全くの地理音痴と片付けられるところである。古事記は所詮神話の物語であって現実との相違は否めない、と逃げるのであろうか・・・。

この文字列には重要な文字が多数含まれている。「葦」(葦原中国など)、「千」(高千穂など)、「秋」(秋津など)、「五百」(五百木など)、主要な地名に用いられている文字である。言い換えるとこれが読み解けないと言うことは、主要な場所が見出せないでいることを意味する。幾多の古事記解釈本は致命的欠陥を有していることを示している。

さてさて、前置きはそれくらいにして早速紐解いてみよう・・・。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…、

天照大御神之命以「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。」言因賜而天降也。於是、天忍穗耳命、於天浮橋多多志而詔之「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、伊多久佐夜藝弖有那理此。」告而、更還上、請于天照大神。
[天照らす大神のお言葉で、「葦原の水穗の國は我が御子のマサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミの命のお治め遊ばすべき國である」と仰せられて、天からお降しになりました。そこでオシホミミの命が天からの階段にお立ちになって御覽になり、「葦原の水穗の國はひどくさわいでいる」と仰せられて、またお還りになって天照らす大神に申されました]

豐葦原

<意富斗・大斗>
結論を先に述べれば、既に紐解いた「意富()斗」にある葦原中国を丁寧に表記したものと思われる。

「意富」の「意」(内にある閉じ込められたようなところ)の部分を示す。「葦」(囲まれた地)と同じ地形を表している。丁寧に表記すると「山稜に囲まれて閉じ込められたようなところ」と解釈される。

「葦原」に「豐」が冠される。豐國の「豐」=「多くの段差がある高台」と紐解いた。「葦」の山稜が「豐」となっていることを示している。

通常の解釈、「豊かに葦が茂る野原」勿論そう読めるように文字を使っているのであるが、正に”罠”に嵌った状態になろう。

解釈として、間違ってはいないのである。ただ、相手が万葉の世界に居ることを失念してはならないだけである。

「千秋長五百秋之水穗國」を従来の解釈に従って読むと、それなりに意味の通った解釈となる。図中の「意」のところが如何に豊かな地であるかを述べているのであろう。

「豐葦原」を地形象形として解釈したが、更にそれに続く文字列も地形を表しているとすると、如何に読み解けるであろうか?…「千秋長」、「五百秋」と区切ってそれぞれを紐解く。
 
千秋長

「千」=「人+一」と分解される。「人」=「山稜」として「一」=「山稜を横切る谷間」と解釈すると上図の「大」(平らな頂の山稜)がところどころに谷間で区切られている様を表すと紐解ける。後に登場する「高千穂」などに含まれる「千」の解釈に類似する。「秋」=「禾+火」=「しなやかに曲がる[炎]の地形」と読み解ける。すると「千秋長」は…、
 
横切る谷間がある山稜から長く延びる
しなやかに曲がる[炎]の形をした地
 
<飯野眞黑比賣命・大中日子王>
…を表していることが解る。例示をすれば倭建命の子孫に登場する「飯野眞黑比賣命」がその地形を表している。戸ノ上山の北西麓辺りの地形である。
 
五百秋

「五百」は何を意味するのか?…天照大御神・速須佐之男命の宇氣比で誕生した正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命に含まれる「吾」に関連する。

更に「吾」=「五+口」と分解すると、「五」の解釈に類似すると気付かされる。

「五」=「交差する様」を象った文字と見做される。「百」=「一+白」=「連なる小高いところ」と読み解ける。

「五百秋」は…、
 
交差するように連なった小高いところが
しなやかに曲がる[炎]の形をした地


<八千矛神>
…を表している。「交差するような」は、宇迦能山の麓であろう。

「宇都志國」とも表記される場所である。山麓が寄り集まった地にあるしなやかに曲がる[炎]の地形を示していると思われる。

肥河(現大川)の流域を除く、出雲国の大半の地域を丁寧に表記した文字列と解読される。

最後の「水穂國」とは「水(川)が穂(無数に)のように流れる国」と読める。

「水」=「川」を意味すると解説されている。後の穴穂と同じ解釈であろう。

その地は大年神が治めるところであり、その争奪戦が勃発していたのである。

「葦原の長く長く幾千年も水田に稲穂のなる国」と読めるような文字使いだが、その国の詳細な地形を表していたのである。

古事記記述の随所に見られる表記、それは場所の特定を敢えてはぐらかす表記である。あからさまに記述できなかった”事情”によるものであろうか・・・。

本稿では余談となるが、「八千矛神」大国主命の数ある名前の一つだが、その由来を紐解いた図である。活躍の最後の段で登場する名前は、重要な意味を示していた。また機会を設けて述べてみよう。