2019年8月17日土曜日

竺紫日向の『日向』 〔364〕

竺紫日向の『日向』


「日向(ヒムカ)」の文字の意味は何と解釈できるのであろうか?…辞書に拠れば…、

日本神話における地名。九州南東部の地名であるが,記紀の伝承では必ずしも実際の場所を指すものではない。伊弉諾尊が黄泉国のけがれを祓うためにみそぎをし,瓊瓊杵尊が降臨した所が〈筑紫の日向〉とされている。そこは〈朝日の直刺す国,夕日の日照る国〉であり,現実の出雲ではなく神話的空間としての〈出雲〉(出雲神話)や〈黄泉国〉といった日の没する闇の国と表裏一対をなす神話的世界でもあった。(世界大百科事典 第2版)

…と記されている。要するに「神話」の世界の地名としつつ、九州南東部の地名とされている。「日向(ヒナタ)」=「日の当たっている所」と読まれるが、それでは漠然としてて、九州南東部とするのは、現在の地名(日向:ヒュウガ)に依存した解釈であろう。

本ブログで引用している武田祐吉氏は「東方」と訳され、「竺紫日向」=「筑紫の東方」となっている。通説では「筑紫」=「現九州」だから九州の東部、もしくはより本州辺りまでを示すように受け取られる。いずれにせよ文字そのものが示す意味を解釈したわけではなく、辻褄が合うように訳した、のであろう。

既に幾度か述べたように古事記では「竺紫日向」であって「筑紫日向」ではない。「竺紫」と「筑紫」が混同されて使用されてはいないのである。日本書紀は、敢えて「筑紫」と記したと思われる。理由は「竺紫」では、その場所が一に特定されてしまう、そんな懸念があったからであろう。

では、「日向」とは一体何を表わそうとしているのか?…今一度文字解釈を行ってみよう。「日」=「炎」として問題なく読める。この地で誕生する御子達は「火」がキーワードである。木花之佐久夜毘賣が家に「火」を放って火照命・火須勢理命・火遠理命産んだと記述されている。

勿論「火」=「山稜が[火]の形」を示すと読み解いた。燃え盛る火の中でお産をしたと”神話風”に表現しているだけである。文字そのものをそのまま読んで、そこに含意された事柄を読取っていない、解釈不能に陥ることが前提で、神話だから意味不明と逃れる。撞着した解釈でもお構いなし、と言った有様である。

「向」=「宀+口」と言う極めて簡略な構成である。これについては、ほぼ定説化しているようであるが、「家の北側についている窓」を象った文字と言われる。北向きの窓の象形を使って「向き(かう)」と言う意味を表す文字となったようである。OK辞典、また常用漢字論―白川漢字学説の検証を参照願う。白川漢字学の「囗(サイ)」は全く使い物にならないようである。


<竺紫日向>
伊邪那岐の禊祓で誕生した神々の配置は、「竺紫日向」の詳細地形を表すと読み解いた。

北の湯川山から始まる孔大寺山系は、南へぐるりと回って戸田山を経て東へ向かい、馬頭岳から北上する。

「竺紫日向」の地は、この山塊と響灘・古遠賀湾に囲まれた地域であることを示している。即ち西~南~東を山稜に囲まれた地なのである。

伊邪那岐が生んだ神々、邇邇芸命と木花之佐久夜毘賣の御子の名前に潜められた総ての記述が収束することが解る。

そして、「日向」の意味、全くの地形象形の表記であることが紐解けたのである。

「日向」は…、
 
「日(炎)」の山稜が「向(北側の窓)」へ延びているところ

…と告げている。釈然としないながらも結局は神話の世界へと逃げ道を作って来た解釈、古事記を神話物語に閉じ込めて来た日本の古代史、それを主導して来た輩の責は重い。

加えて、古事記の漢字そのもの解釈も極めて真っ当である。現在の漢字学が白川漢字学の類に惑わされているとしたら、真に悲しいものがある。いや、真っ当な漢字学に正道を歩かせないように仕向けられて来た感がある。

追記になるが、「竺紫」の「紫」は「紫」=「此+糸」=「連なる山稜が並ぶ」様を象ったと解釈した。「筑紫」は「比婆之山」そのものが「紫」を表していた。「竺紫」も、やはり「連なる山稜が並ぶ」地形を示していることが解った。並んで北方に延びる、いくつかに区切られた山稜だったのである。