2017年11月24日金曜日

尾張の奥津余曾 〔127〕

尾張の奥津余曾


<本稿は加筆・訂正*あり。こちらを参照願う>
丸邇関連の地名を調べていたら、未読の文字が現れた。春日及び丸邇の地名も随分とその詳細が見えてきているが、尾張国もそれなりになってきた。漏れ落ちたところを気長に拾う作業が連続するかもしれないが、一つ一つ丁寧に・・・。

孝昭天皇(御眞津日子訶惠志泥命)が葛城掖上宮に坐して娶った比賣が尾張連之祖奧津余曾之妹・名余曾多本毘賣命で、長男に「天押帶日子命」が居た。次期天皇の兄が猛烈に活躍されるパターンの一つである。とりわけ春日、丸邇の詳細地名、勿論尾張も含めて祖となる名称は十六にもなるという記述であった。

古事記原文…

御眞津日子訶惠志泥命、坐葛城掖上宮、治天下也。此天皇、娶尾張連之祖奧津余曾之妹・名余曾多本毘賣命、生御子、天押帶日子命、次大倭帶日子國押人命。二柱。故、弟帶日子國忍人命者、治天下也。兄天押帶日子命者、春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本*臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造之祖也。天皇御年、玖拾參歲、御陵在掖上博多山上也。

上記の地名は既に紐解いたこちらを参照願うが、何故か「尾張の奧津余曾」が抜けていた。ということで早速紐解きに入ると・・・「奥津」=「奥まった場所の川が合流するところ」は問題ないようであるが、やはり「余曾」は簡単には解釈できないようである。

「曾」=「重な(ね)る」で既に幾つか登場した文字である。「熊曾国」=「隅が重なった(山)」の解釈で現在の北九州市門司区にある古城山が特徴の国であると紐解いた。これもほぼ確実に今回に適用できると思われる。残りは「余」である。

いろいろ辞書を紐解いてみると、あまり、よぶんなどなど、どうも上手く合致しないが、尾根が延びた残りの場所を意味すると考えると…、


余曾=余([尾根の]残り)|曾(積み重なる)

…「尾根が延びた残りが積み重なって高くなったところ」と読み解ける。「奥津」があって「余曾」の地形を探すと…現在の北九州市小倉南区大字横代、岳の観音トンネルの近傍が合致することが判った。何のことは無い最近紐解いた「尾張の志理都紀斗賣」の山を越えた東側の地であった。

「豊国宇沙の足一騰宮」稜線の端が高くなっているところにあった宮と同じ状況である。山の稜線の特徴を捉えて表現する、古事記の主要なパターンに含まれる例であろう。


<奥津余曾>
「多本毘賣命」は…、


多(多くの山稜)|本(麓)|毘(田を並べて)|賣命

…「多くの山稜がある麓で田を並べている」比賣と解釈される。広くはないが豊かなところであったろうか…。現在の地形からでも綺麗な棚田が形成されているようである。

…全体を通しては古事記新釈孝昭天皇・孝安天皇・孝霊天皇を参照願う。


柿本*
「柿本」の由来は何であろうか?…ほぼ間違いなく現在地名「柿下」であろう。「柿」は消すに消せない重要なキーワードなのであろう。



図は別表示で拡大願いたいが、「柿」=「木+市」=「山稜が市」尾根と山稜が作る地形が「市」を模していると見做したのであろう。


柿本(下)=山稜が作る市の字形の麓

現在に繋がる地名由来であるが、果たして納得頂けるであろうか・・・。






奥津余曾
(2019.07.30)


<奥津余曾・余曾多本毘賣命・天押帶日子命>