2018年2月22日木曜日

伊邪那岐の大歓喜:三貴子の誕生 〔173〕

伊邪那岐の大歓喜:三貴子の誕生


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
最後の最後に主役の三貴子が誕生する。「大歓喜」の表現に古事記らしさを感じる。何度も目を通した箇所ではあるが、神生みの続きとして読み直してみよう。伊邪那岐が彼らに役目を言い渡すところ「物語」の最も初めの部分であるが、意味不明とされたり、誤解釈が蔓延って来たようでもある。三貴子の名前の意味することも含めて読み切れていないようである。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…、

於是、洗左御目時、所成神名、天照大御神。次洗右御目時、所成神名、月讀命。次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命。須佐二字以音。右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱神者、因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命、大歡喜詔「吾者生生子而、於生終得三貴子。」卽其御頸珠之玉緖母由良邇此四字以音、下效此取由良迦志而、賜天照大御神而詔之「汝命者、所知高天原矣。」事依而賜也、故其御頸珠名、謂御倉板擧之神。訓板擧云多那。次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。訓食云袁須。次詔建速須佐之男命「汝命者、所知海原矣。」事依也。
[かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は天照大神、右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月讀の命、鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲの命でありました。以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。 
イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、「わたしは隨分澤山の子を生んだが、一番しまいに三人の貴い御子を得た」と仰せられて、頸に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと搖がして天照大神にお授けになつて、「あなたは天をお治めなさい」と仰せられました。この御頸に掛けた珠の名をミクラタナの神と申します。次に月讀の命に、「あなたは夜の世界をお治めなさい」と仰せになり、スサノヲの命には、「海上をお治めなさい」と仰せになりました]

天照大御神

伊邪那岐の左目から生まれた天照大神には高天原を治めよと言い、玉緒を賜う。その名前が「御倉板擧之神」と記される。通説は「倉に棚を作ってそこに安置した」のような解釈である。サラリと読めばそうかも?…そう読めるように記述している節もあるのだが・・・。万葉の世界である。

それはそれとして珠の名前の謂れになるであろうか?…早速紐解きに入る。「倉」=「谷」頻繁にこの表現が使われる。脚注に従って「板擧(タナ)=棚」であろうが倉の中の棚ではなく谷にある棚である。大陸棚の棚、そんな大げさなものではなかろうが、谷川にある「段差」と解釈する。「御倉板擧之神」は…、


御(御する)|倉(谷)|板擧(段差)|之神

…「谷にある段差を御する」神となる。「珠」は人工的に加工してできるものは多くはなかったであろう。自然の造形物としての貴重さ、珍しさにそして美しさに驚嘆するからこそ宝物として扱われたと思われる。

御倉板擧」はその自然が造形する場所と方法を述べていると紐解ける。谷川の水量、流速が源流から下流へと変化する中で岩は砕けその大きさと形状(丸味)が選別されて行く。その格差が段差となって見えてくるのである。それを御する神、勿論見えないもの(隠身)を意味するが、畏敬する対象としての具体的な物を「珠」とした、と解釈される。

「珠」は山、川、谷、岩、石など大地の要素からの産物であり、それを手に入れることは大地を手に入れ、治めることを意味する。だからこそ単なる首飾りを手渡したのではないことを示すために「御倉板擧之神」の文字を記述したと思われる。


月讀命

さらりと扱われる「月讀命」であるが、「夜之食國」(食=袁須)を治めろと言われる。夜食国なんて読みそうな名付けであるが、月讀命に関する記述が皆無であることを考えても少々お戯れの感が強い。通説は文字通りでは何とも意味不明になるので、あれこれと「食国」=「天皇が治める国」のような解釈もある。

では、この文字列を何と紐解くか?…「袁須=袁(ゆったりした衣)|須(州)」として「夜之食国」は…、


夜之(谷の)|袁須(ゆったりした衣の州)|国(大地)

…まだ不十分、更に「衣の州」=「衣(襟:山麓の三角州)」と紐解ける。「衣」は後に幾度か登場する。「許呂母」「三川之衣」と記述される。山麓を首に見立てた襟の部分を指し示すものと思われる。


夜之食国=谷が作る山麓の三角州の大地

…と紐解ける。古代では人が住まう上において極めて重要な地形であると思われる。「衣」ではなく「袁」を用いたのは急峻な山麓ではなく丘陵のような地形…「天」の地形…を示していると気付かされる。肌理細やかな記述である。


建速須佐之男命

最後に須佐之男命に「海原」を治めよと宣う。「天」で生息するために必要な高天原、山麓の三角州そして海原、これらをそれぞれに分担統治しろと言ったのである。古事記では「月讀命」の登場はここのみ。新月の状態であろうか…この命が主役となった物語があるのかもしれないが、闇夜の中である。

今後暫しの間主役となる「須佐之男命」が駄々を捏ねて伊邪那岐を怒らせてしまい「妣國根之堅洲國」へ追い払われてしまう話に移る。そして「物語」は天照大神を中心とした展開に入って行くのである。高天原は多くの人が住まう場所ではなかったのであろう。必然的に目を外に向けた、と解釈することもあり得よう。一方の「月讀命」は「天」の豊かな地で暮らしたのであろうか?…それにしても表舞台に登場しないのは何かを勘繰りたくなるような記述である。

説話の概略は上記のようであるが、今一度この三貴子の名前を考えてみよう。少々強引な解釈もしなければ紐解けないことは重々承知の上で・・・。

①天照大御神*

石屋に隠れたら全てが真っ暗闇になったという記述が後に出て来る。それも併せて従来より「太陽の神格化」のように解釈されて来た。巫女の性格を持つとも言われる。表記の文字列からしても異論を挟む余地はなさそうである。そこでもう少し踏み込んでみると…「照」=「昭(治める)+灬(火)」としてみると…、


天(「阿麻」)|照(昭:治める)|大御神

…「阿麻を治める」大御神となる。「灬(火)」が付いているのはその治める手段として「火」を用いたことを示すものであろう。結果的には石屋に隠れたら世の中暗くなった、かもしれない。

伊邪那岐の「左目」から生まれたと伝える。「左」は「左手+工(大地に突き刺す)」の象形とある。上記したように大地を統治する役目を拝命した神であった。天照大御神の名前は統治・支配の意味を色濃く示した名前と読み解ける。

②月讀命

伊邪那岐から言い付けられたのは「山麓の三角州を治めろ」であった。そんなことが名前に潜められているのであろうか?…やはりキーワードは「衣」であった。「月」は「三日月」の象形である。「衣(襟)」=「三日月」と繋げられる。文字が示す類似した象形なのである。とすると…「讀」=「言+賣」に分解し、更に「言」=「辛+口」の原義に戻ると…、


讀=辛(取っ手のある刃物+口)|賣(中から生み出す)

「言」は「大地を農具で耕地(田畑)にする」象形として「讀」は「大地を耕地にして収穫を得る」と紐解ける。通して解釈してみると…、


月(山麓の三角州)|讀(大地を耕地にして収穫を得る)|命

…と読み解ける。「天」に存在する(現在の地形から見て)多数の大小様々な山麓の三角州を開拓し、そこから豊かな実りを得ることに専心した命であったと推測される。

伊邪那岐の「右目」から生まれた命と言う。「右」は「右手+口」の象形とある。上記のように「口」を「大地に耕地を作る象形」と見なせばその出自も頷ける、かもしれない。

月讀命の登場が少ないことに関して様々に憶測されて来た。古事記の記述に準じるならばこの命は活躍する場所は「天」以外には極めて少なかったと言える。既に述べたように「葛城」、「山代」そして「三川之衣」など倭国は急峻な山麓の地、「衣」は「袁」ではなかったのである。溶岩台地である壱岐の技術に対するニーズは殆どなかった…そんな解釈もできるように思われる。

③建速須佐之男命

これがフルネーム、「建」=「定める、創始する」、「速」=「辶+束」=「束ねる、統括する」を用いて紐解くと…、


建(定める)|速(束ねる)|須(州)|佐(助くる)|之男命

…「束ねた州に助けられて田を作り定める命」と解釈される。「八俣遠呂智」で名を馳せた彼が出雲に残した跡は大きい。「州」とは切っても切れない縁なのである。

伊邪那岐の「鼻」から生まれたと言う。谷から流れ出す川が作る州を暗示していると思われる。伊邪那岐から仰せつかった場所は「海原」であった。そこは渡海の、即ち移動するための場所であって住まうところではない。極めて重要なところではあるが「海原」を開拓することはできない。須佐之男命が恥も外聞もなくゴネるのは、余りに伊邪那岐の指示が曖昧だったからであろう。彼は「州」に向かうのである。

こうして紐解いてみると三貴子の名前に潜められた意味は想定外の深さを示しているようである。特定の地形で検証できる解釈ではないので、一つの提案として留めておこうと思う<追記>

そんなわけで、伊邪那岐は第一線から退くことになる。追記してみよう。

淡海之多賀

故、各隨依賜之命、所知看之中、速須佐之男命、不知所命之國而、八拳須至于心前、啼伊佐知伎也。自伊下四字以音。下效此。其泣狀者、青山如枯山泣枯、河海者悉泣乾。是以惡神之音、如狹蠅皆滿、萬物之妖悉發。故、伊邪那岐大御神、詔速須佐之男命「何由以、汝不治所事依之國而、哭伊佐知流。」爾答白「僕者欲罷妣國根之堅洲國、故哭。」爾伊邪那岐大御神大忿怒詔「然者、汝不可住此國。」乃神夜良比爾夜良比賜也。自夜以下七字以音。故、其伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀也。
[それでそれぞれ命ぜられたままに治められる中に、スサノヲの命だけは命ぜられた國をお治めなさらないで、長い鬚が胸に垂れさがる年頃になつてもただ泣きわめいておりました。その泣く有樣は青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河は泣く勢いで泣きほしてしまいました。そういう次第ですから亂暴な神の物音は夏の蠅が騷ぐようにいつぱいになり、あらゆる物の妖が悉く起りました。そこでイザナギの命がスサノヲの命に仰せられるには、「どういうわけであなたは命ぜられた國を治めないで泣きわめいているのか」といわれたので、スサノヲの命は、「わたくしは母上のおいでになる黄泉の國に行きたいと思うので泣いております」と申されました。そこでイザナギの命が大變お怒りになつて、「それならあなたはこの國には住んではならない」と仰せられて追いはらつてしまいました。このイザナギの命は、淡路の多賀にお鎭まりになつておいでになります]

あまり登場しない文字が並ぶ。「須」=「鬚(ひげ)」いつもの「州」ではない。「啼伊佐知伎、哭伊佐知流」=「泣きわめく」続くところは十二分に誇張した表現である。「根之堅洲國」=「黄泉国」であろう。「妣國(ヒコク)」=「亡母の国」となるが、「妣」=「肥」を掛けているようでもある。

古事記の中では伊邪那美が母とは記述していない。「須佐之男命」が出雲に行く理由付けがなかったからかもしれないが・・・一気に伊邪那岐大神の引退説話に入る。坐したところが「淡海之多賀」とある。通説は島根から宮崎の日向に行ったり、近江の多賀大社に行ったりで大忙しなのだが・・・。



多賀=多の字のように複数の山稜が海に向かう入江

…と解釈される。「多」=「タ+タ」(タが一つの山稜)。山塊と海とが接近した地形の場所であろう。その入江を望む場所、同県門司区羽山にある羽山神社辺りが伊邪那岐大神のシニアライフの場所ではなかろうか。現地名に「二夕松町」由来は不詳であるが、関連しているかもしれない…。

少し後に須佐之男命の子孫(大年神一家)が切り開き、そして天皇家も絡む淡海の主要な地点である。詳細は後日としよう。


国生みから始まった古事記の記述は筑紫嶋を中心とした舞台を示す。だが、現在の地形から推察するのみであるが、当時は今よりも更に急傾斜の山麓の地であり、平地は極僅か、出雲国のみが辛うじて平坦な地形を有していたと思われる。そこに古事記の「物語」は集中するのである。

伊邪那岐達の第一陣部隊はこの地に降下した。多くの人の生と死を乗越え、生きるために不可欠な様々なものを整える為には、また、多くの犠牲を払ったのである。ともあれ三貴子…約一名には気掛かりなところもあるのだが…に後を託して勇退した、と言うことであろう・・・。



<追記>

2018.03.08
ところで速須佐之男命は「海原」を治めろと言われ、結果的には出雲の肥河の州に坐したと解釈した。また天照大御神は「阿麻」を治めろと言われ、その坐した場所は「石屋」を中心とした「天」の台地と考えて間違いないであろう。

月讀命の「夜之食国」は何処を指しているのであろうか?…長い谷に「穏やかな三角州」がある場所…「阿麻」には含まれない…とすると、現在の芦辺町箱崎本村触と釘ノ尾触の境の谷間が浮かび上がって来る。谷間に多くの三角州が存在するところである。

谷の出口に近いところに箱崎八幡神社がある。噂に依るとここに月讀神社があると・・・それはそれとしても地形的に最も合致した場所のように思われる。古事記にはこの後に登場することはなく、検証も困難であるが、上記と同じく一つの提案として置こう。


<月讀命>

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上記の「夕」と同様にして「月」は「三日月」の象形と見做される。「衣(襟)」=「三日月」と繋げられる。文字が示す類似した象形なのである。

<月讀命・夜之食國>
「讀」は何と読み取れるか?…「讀」=「言+𧶠」に分解できる。

更に「言」=「辛+口」であり、「刃物で大地を耕地にする」と紐解ける。

𧶠の文字の語源は簡単ではないようで、すんなりとは理解し辛い文字である。

関連する文字は「續(続:つづく、次々に通る、つながる)」の意味として使用される。

この文字に含まれる「𧶠」=「つながる」の意味を示すと解説されている。「言葉がつながっている」ことが「読む」という動作を表すと解釈される。

すると…「月讀」は…
 
月(山稜の端の三角州)|讀(耕地がつながる様)
<言>

…「山稜の端の三角州にある耕地が次々とつながっているところ」と読み解ける。谷間に多くの山稜の端が集まり、各々の三角州に耕地を作ることを命じられた命を表していると解釈される。

伊邪那岐の「右目」から生まれた命と言う。「右」は「右手+口」の象形とある。上記のように「口」を「耕地を作る象形」と見なせばその出自も頷ける、かもしれない。現在の芦辺町箱崎本村触と釘ノ尾触の谷間が浮かび上がって来る。谷間に多くの三角州が存在するところである。

谷の出口に近いところに箱崎八幡神社がある。噂に依るとここに月讀神社があると・・・それはそれとしても地形的に最も合致した場所のように思われる。古事記にはこの後に登場することはなく、検証も困難であるが、几帳面な編者の記述からすると、あながち的外れではなような感じである。(2019.08.15)

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