2019年9月10日火曜日

古事記の『香』 〔369〕

古事記の『香』


古事記には「香(山)」の文字が幾つか登場する。その最初は「坐香山之畝尾木本、名泣澤女神」、伊邪那岐命が「神避」となった伊邪那美命を偲んで泣き崩れた段である。その涙から生まれたのが「泣澤女神」と述べている。

この「香山」は後に「天香山」と記される場所であろう。「天石屋」の事件では頻度高く記載される。古事記全般では後にも「香(山)」が登場する。速須佐之男命が降臨したと解釈した出雲國之肥河上・名鳥髮地、また伊豫之二名嶋の粟國に聳える山の表記に使われている。前者では「大香山」及び「香山」と記される。

通説は「香山」とくれば「天香具山」であり、大和三山の一つと解釈される。出雲國、粟國における記述では「天香具山」と関連付けることは難しく、精々「神霊」のごとき解釈で終始するようである。勿論「香山」は地形象形された表記である。それを纏めて示すことにする。

天香山

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…、

故爾伊邪那岐命詔之「愛我那邇妹命乎那邇」謂「易子之一木乎」乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時、於御淚所成神、坐香山之畝尾木本名泣澤女神。故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。
[そこでイザナギの命の仰せられるには、「わたしの最愛の妻を一人の子に代えたのは殘念だ」と仰せられて、イザナミの命の枕の方や足の方に這はい臥ふしてお泣きになった時に、涙で出現した神は香具山の麓の小高い處の木の下においでになる泣澤女の神です。このお隱れになったイザナミの命は出雲の國と伯耆の國との境にある比婆の山にお葬り申し上げました]

<天香山・香山之畝尾木本>
「香山之畝尾」の「香山」は後に登場する「天香山」であろう。天照大神と須佐之男命の説話の中で幾度も登場する。

現在の長崎県壱岐市にある「神岳」と比定した。詳細はこちらを参照。

この地の中央部に位置し、現存名からしても真っ当な場所と思われるが、「香山」は何を意味しているのであろうか?・・・。

「香」=「黍(キビ)+甘」と分解されると解説される。「甘」を「曰」として「黍を供えて祝詞を申す」とする向きもあるが、「香り」に繋がらない解釈であろう。

図に示したようにこの文字形をそのまま地形に当て嵌めたと思われる。高台に繋がってしなやかに曲がる山稜を表していると解る(甲骨文字と金文の古文字は図を参照)。

<香山之畝尾木本・泣澤女神>
更に北側からの神岳の俯瞰図を示した。なだらかで、いくつかの山頂からなる山…丘陵に近い…であることが判る。これを「畝」と表現したのであろう。

そして「畝尾木本」と記述されるが、図の左端の辺りを指し示しているのではなかろうか。
 
木(山稜)|本(麓)

「畝尾木本」は…、
 
畝った尾根が延びた山稜の麓

…と紐解ける。

伊邪那岐の涙で誕生した「泣澤女神」は、死者を送る時に不可欠な神であって、「泣き女(泣女)」として後々まで続いた儀式であると言われている。それらしき意味を示してはいるが、「澤」の文字は何を意味しているのであろうか?・・・。

「泣」=「氵+立」と分解される。「立」=「人が立っている様(正面)」と解説される。この古文字形を谷の形に模したと推測される。「澤」=「氵+睪」に分解すると、「睪」=「次々とつらなる」・「並べた中から選び出す」を表すことから、一気に流れるのではなく、途切れ途切れのように岩間を川が流れる様と解釈される。「泣澤」は…、
 
人が両脚を広げたような形の谷で川が岩間を流れているところ

…と読み解ける。現在は水田にされているが、当時は渓流が流れる谷間となっていたのではなかろうか。

古事記には「澤」の文字が使われるのは二度である。残りのところでは「潤う、恵み」の意味と解釈される。谷間が頻出する古事記では「澤(沢)」は殆ど用いられていないのである。新字体「沢」は「川が流れる谷間」と解釈される。勿論古事記には登場しないが、地形象形的にはこの方が適切(?)な感じである。

現在でも東日本は殆どが「沢」であって、一方の西日本では「谷」が使われる。これを縄文人と弥生人の違いに根拠を求められているサイト(沢・谷の分布図)あった。天神達が手を加えず自然のままにしておいたところなのであろうか…原住民の表現をそのままにしたのかもしれない。

確かにここは天之眞名井から流れ出る、即ち天照大御神と速須佐之男命が宇氣比に用いる水が流れるところ、彼らにとっての”聖地”なのかもしれない。「真名井」=「神の水」と解釈すればそれらが示す意味が整合するのである。この水から多くの命が誕生することも後に記述されるが「命の泉」として位置付けられているようである。


香用比賣・大香山戸臣神・香山戸臣神

速須佐之男命の御子、大年神の子孫の中に「香(山)」の文字が登場する。古事記原文…、

大年神、娶神活須毘神之女、伊怒比賣、生子、大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神。五神。又娶香用比賣此神名以音生子、大香山戸臣神、次御年神。二柱。又娶天知迦流美豆比賣訓天如天、亦自知下六字以音生子、奧津日子神、次奧津比賣命、亦名、大戸比賣神、此者諸人以拜竈神者也、次大山咋神、亦名、山末之大主神、此神者、坐近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾、用鳴鏑神者也、次庭津日神、次阿須波神此神名以音、次波比岐神此神名以音、次香山戸臣神、次羽山戸神、次庭高津日神、次大土神、亦名、土之御祖神。九神。上件大年神之子、自大國御魂神以下、大土神以前、幷十六神。

速須佐之男命が降臨したと解釈した出雲國之肥河上・名鳥髮地(現北九州市門司区の戸ノ上山)に関わるところに坐していた神々であろう。


<香用比賣・大香山戸臣神・御年神>
「香用比賣」の「香」は、上記と同様に「香(山)」=「[香]の形をした(山)」と紐解く。

では現在の戸ノ上山は、「香(山)」=「禾+甘」の地形と見做せるのであろうか?・・・。

図に示した通り、桃山を「甘」に見立て、しなやかに曲がる山稜を「禾」と見做したことが解る。天香山に通じる地形象形であろう。

些か解釈に戸惑うのが「用」の文字で、この文字の解釈には幾通りかの説が見受けられる。藤堂明保説に「用」=「突き通す」の原義が示されている。

戸ノ上山の北西麓の瀧ノ観音寺に向かう谷は、正に「用」の字形に合致した地形を示していると思われる。山稜が突き通されたように抉られて、深い谷間の地形となっている。

上記の「(天)香山」と同じく「神を祭祀する場所」、即ち「祭り事の中心地」の意味合いも重ねているのであろう。通説の「香山」→大和の「香具山」はこの意味合いも含めて辻褄が合いそうだが、出雲の「香山」は全く理解の外になってしまう。唐突に出雲の神々(住人)が大和に侵出することになる。古より出雲と大和は深い繋がりがあった?・・・あり得ないのでは?・・・。

御子に「大香山戸臣神、次御年神」と記される。「平らな頂の香山の登り口の臣神」という解釈であろう。「臣」は谷間に坐していた神を表していると解釈される。上記の麓辺りと思われる。

ついでながら、御年神とは…、
 
御(束ねる)|年([禾]のようにしなやかに曲がるところ)

<香山戸臣神・大土神>
…「[禾]のようにしなやかに曲がるところを束ねる」神と紐解ける。

上図に示した通り大年神に隣接し、それほどの長さはないが複数の[禾]の形に延びる山稜を束ねたような場所と思われる。この御子の名前からも母親の居場所の確からしさが伺える。

天知迦流美豆比賣」の系譜にも「大」が付かない「香山戸臣神」が誕生している。
 
「香山戸」とは上記外の戸ノ上山の登り口を意味していると思われる。現在も門司区城山町からの北麓からの登山道が記載されている。おそらくは類似のルートがあったのではなかろうか。

何故「大」が付かない?…この登り口から戸ノ上山を眺めれば「大」=「平らな頂の山」ではないから、であろう。山稜の尾根が延びた麓に当たる場所なのである。実にきめ細かな表記と言える。詳細はこちらを参照願う。


香余理比賣命

大帶日子淤斯呂和氣命(景行天皇)の八十人もの御子を誕生させた一人に「香」が登場する。

古事記原文…「又妾之子、沼名木郎女、次香余理比賣命、次若木之入日子王、次吉備之兄日子王、次高木比賣命、次弟比賣命」

母親が「妾」で、またこの比賣の子孫も不詳である。軽く取り扱われてしまった感じであるが、重要な「香」が含まれている。弟の若木之入日子王も併せて読み解いた結果を図に示す。

香余理比賣命」を紐解いてみよう。香余理(コヨリ=紙縒り)のような比賣、なんてことはあり得ないであろう。


<香余理比賣命・若木之入日子王>
香([香]の形の山稜)|余(残り)|理(筋目)

…「[香]の形の山稜が延びた残りで筋目のあるところ」の比賣と紐解ける。

上記と同様に「香」の地形を求めると、現北九州市若松区の山ノ堂山の山塊、修多羅の高台(高塔山)が見出せる。

また「若木之入日子王」は「入日子」を既出のように紐解いて図に示した場所とした。ちゃんと「日の子」のところに[Y]字の谷が見出せる。

畑地としての土地は多くあるが水田にできそうな谷川は少ない。現在は住宅密集地の様相である。時代が求める変化であろうし、本来耕地とするには狭い土地である。

地図を眺めて今に残る地名「棚田町」(香余理比賣の場所)に救われたような気分である。重要な場所に坐した比賣だから名前を付けたかも、である。妾の住まいは粟国=高木?…定かでない。それにしても景行天皇、こまめにお出掛けなされたことである。比賣の名前も確認しなかったのかもしれない、そんなことはないか?・・・。

「香(山)」が示す地形を用いた登場人(神)物名であることが伺えたようである。各地にある「香(山)」はそれぞれの主要な場所を表していると思われる。これを見逃しては、やはり古事記は読めていない、と言えるであろう。