2019年9月13日金曜日

猨田毘古大神・猨女君:阿邪訶・海鼠 〔370〕

猨田毘古大神・猨女君:阿邪訶・海鼠 


邇邇芸命の降臨に際して登場する「猨田毘古大神」、その道案内をしたことから、現在でも道祖神として広く祭祀されているようである。天宇受賣命が賜った「猨女君」も併せて身近な神なのであろう。

「阿邪訶」の場所を既に求めていたが、あらためてこの説話に登場する文字列を見直してみようかと思う。中でも「海鼠」は通常「ナマコ」と解釈とされて来た。果たしてそうなのか、「鼠」と「ナマコ」とが繋がるとは、到底思われないのだが・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

故爾詔天宇受賣命「此立御前所仕奉、猨田毘古大神者、專所顯申之汝、送奉。亦其神御名者、汝負仕奉。」是以、猨女君等、負其猨田毘古之男神名而、女呼猨女君之事是也。故其猨田毘古神、坐阿邪訶、爲漁而、於比良夫貝其手見咋合而、沈溺海鹽。故其沈居底之時名、謂底度久御魂度久、其海水之都夫多都時名、謂都夫多都御魂、其阿和佐久時名、謂阿和佐久御魂。
於是送猨田毘古神而還到、乃悉追聚鰭廣物・鰭狹物以問言「汝者天神御子仕奉耶。」之時、諸魚皆「仕奉。」白之中、海鼠不白。爾天宇受賣命、謂海鼠云「此口乎、不答之口。」而、以紐小刀拆其口、故、於今海鼠口拆也。是以、御世嶋之速贄獻之時、給猨女君等也。
[ここにアメノウズメの命に仰せられるには、「この御前に立ってお仕え申し上げたサルタ彦の大神を、顯し申し上げたあなたがお送り申せ。またその神のお名前はあなたが受けてお仕え申せ」と仰せられました。この故に猿女の君等はそのサルタ彦の男神の名を繼いで女を猿女の君というのです。そのサルタ彦の神はアザカにおいでになった時に、漁をしてヒラブ貝に手を咋い合わされて海水に溺れました。その海底に沈んでおられる時の名を底につく御魂みたまと申し、海水につぶつぶと泡が立つ時の名を粒立御魂と申し、水面に出て泡が開く時の名を泡咲御魂と申します。
ウズメの命はサルタ彦の神を送つてから還つて來て、悉く大小樣々の魚どもを集めて、「お前たちは天の神の御子にお仕え申し上げるか、どうですか」と問う時に、魚どもは皆「お仕え申しましよう」と申しました中に、海鼠(ナマコ)だけが申しませんでした。そこでウズメの命が海鼠(ナマコ)に言うには、「この口は返事をしない口か」と言つて小刀かたなでその口を裂きました。それで今でも海鼠の口は裂けております。かようの次第で、御世ごとに志摩の國から魚類の貢物を獻たてまつる時に猿女の君等に下くだされるのです]

無事に降臨した邇邇芸命が、功績大である猿田彦に天宇受賣命を譲る場面である。天照大神の岩屋事件時の最大の功績者であり、巫女であったろう彼女への心配りのように思われる。と同時に国神との融和を示しているようでもある。いずれにしてもこの説話の背景には深いものが横たわっているように感じる。

阿邪訶

<猨田毘古神・猨女君・阿邪訶・海鼠>
順風に思われた猿田彦が不慮の事故で亡くなってしまう。その場所が「阿邪訶」なんとも簡単な表記である。

現在の三重県松阪市(旧一志郡阿坂村)と言われている。

が、さて、そうであろうか?…物語の流れからは伊勢とは繋がらない。

日向国に絡む場所であろう。「阿邪訶」は…、

(台地)|邪(曲がりくねる)|訶(谷間の耕地)

…遠賀川河口付近で谷らしきところ、蛇行する谷川が流れるところは図に示した場所のみとなる。遠賀川の西岸は航空自衛隊基地となっており当時の地形は不明、だが川を挟んで隣の台地の形状を見ると勾配があって曲がりくねる川があるとは思えない地形である。
 
『猨』とは?

「猨」=「犭+爰」と分解される。「犭」=「犭(狗 or 犬)」と解釈される。前者で紐解くと、「狗」=「戌」と置換えて「戌」の字形から「平らな山頂の台形の麓」と読み解ける。「爰」=「引き延ばされてゆったりとした様」を表すと解説される。すると「猨」は…、
 
平らな山頂の台形の麓が引き延ばされてゆったりとしたところ

…と読み解ける。「阿邪訶」の谷間が広々としていることを表していることが解る。また犭(犬)」であれば「平らな頂の山麓が引き延ばされてゆったりとしたところ」と読み解ける。平らな頂であれば麓は台形になる場合が多いことからも頷ける結果であろう。

「猨田毘古大神」とも記されているように「大」(平らな頂の山麓)と繋がっていることが解る。後に倭建命の段で犬上君が登場する。この時は「犬」=「戌」と読み替えて解釈する方が明解な例であろう。詳細はこちらを参照願う。「犬」の「、」は尻尾を表しているのかも?・・・。

「猨女君」はゆったりと窪んだところにある小高くなったところ(現在の大君神社辺り)に坐していたのであろう。残念ながら芦屋町大字山鹿には川こそ現存しているようだが現在は再生可能エネルギーの生産場所となっており、土地の状態は不明である。加えて「平らな頂」は広大な団地開発がなされている。そんなことで少々不鮮明な比定ではあるが・・・。

この山鹿の地には平家の安徳天皇の逸話が伝えられているとのこと。遠賀川河口の要所であったのであろう。様々に時と共に移り変わるが、地形の基本に変わりはないようである。
 
海鼠

短編説話が記されている。「猨田毘古神」が亡くなってその後を「猨女君」が引き継ぐのであるが、「鰭廣物・鰭狹物」(ヒレが広い・狭い)魚は皆「仕奉」と言うが「海鼠」は答えない。故に口を切り裂いたら、今も裂けたままだ、と記述される。
 
<海鼠>
「魚」=「漁夫」であろう。後の海佐知毘古・山佐知毘古の段で登場する和邇魚と同じ解釈となろう。

「海鼠」通説は「ナマコ」と訳される。鼠の後姿が酷似するからとの説がある。これも大国主命の段の海和邇で読み解いたように「海」=「海女」であろう。

がしかし、「鼠」は何と解釈できるのであろうか?・・・。「鼠」の文字は、その姿を象ったものである。それを地形象形したのか?・・・。

『説文解字』によると「鼠」=「穴蟲」とされる。穴の蟲(生き物)である。

野鼠の巣は、極めて複層の構造で「巣室」がある。「穴蟲」とすればモグラも?・・・通路と室(部屋)を持ち合わせていると知られる。これを地形象形したと思い付かされる。

「阿邪訶」の東方に現地名北九州市若松区蜑住という地名がある。その谷間には、正に「巣室」の形態をした入組んだ場所が見出せる。即ち「海鼠」は…、
 
海女が居る鼠の巣のような入組んだ谷間

…を表していると紐解ける。現在の標高(約6m以下)からこの谷間は大半が海であったと推定される。

そして「海鼠口」([海鼠]の入口)は現在の江川に通じ、洞海湾と遠賀川に跨る川である。「於今海鼠口拆也」の表記に繋げていることが解る。ナマコ(orコ)の口が裂けているとは到底思えない、と首を傾げている方もおられるが、通説は無口で語らずである。

蜑住」は「海女が住まうところ」と解釈できるであろう。繋がっている地名ではあるが、更に「アマ(ネ)ズミ」とすればそのものズバリかもしれない。残念ながら現在の地名由来は不詳である。

「阿邪訶」は遠賀郡芦屋町山鹿に属し、「海鼠」は北九州市若松区にある。「仕奉」とするには「口拆」が不可欠だったのである。幾度か述べるように現在の行政区分と重なる記述に驚かされるところである。『和名類聚抄』に準じて本居宣長が解釈して以来「海鼠(ナマコ)」となっている。古事記に註訓はない。

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横道に逸れるが、「猨田毘古大神」の「大」が付加されるのが気に掛かってられる方もおられるようで、国津神だが「大」を付けざるを得ないような存在であったかのような解釈が見受けられる。古事記が全く読めていない証左、「大(ダイ、オオキイ)」の意味で使われていない。

また邇邇芸命が降臨した「竺紫日向」は全く未開の地、そこにいきなり降臨というのも頷けない、だから「猨田毘古大神」のような「大神」が存在していたかのような読み取りがなされる。竺紫日向は未開の地であろうか?…伊邪那岐が禊祓をして産んだ神は「竺紫日向」を総て網羅した筈である。相変わらず「筑紫日向」と記述されているようだから、未開の地?…存在しない地であろう。

「猨田毘古大神」が演じた役割は、天神達が支配する地への行程上にあったと告げているのである。天浮橋から洞海(現洞海湾)を経て古遠賀湾へ抜ける道である。天宇受賣命が、その最も要所となるところにいた「海鼠」の口を切り開いたのである。古遠賀湾の河口付近を手中にし、洞海へのルートを確保した、と伝えているのである。

後に火遠理命が鹽椎神に教えられる味御路が登場する。「海鼠口」ルートに加えて更に多様な古遠賀湾~洞海ルートがあったことが伺える。そして「猨田毘古大神」が早々に古事記の舞台から降りるのは、傑女「天宇受賣命」による、一応の敬意を払いながら、謀殺を暗示させるものではなかろうか・・・。

本説話を童話、神話のような捉え方では、古事記の伝えるところは闇の中であろう。竺紫日向から筑紫・出雲そして大倭豐秋津嶋への海上ルートが開けたことを述べる極めて重要な説話と読み解ける。当時の海流の詳細は不明だが、東→西の行程は「海鼠口」、一方、西→東は「味御路」が有利だったように推測されるが、また後日のこととしよう。