天照大御神
何と言っても古事記の主役中の主役である大御神である。ほぼその素性を解明したつもりでいたが、この大御神の居場所を突き止めていなかった。大御神だから「隠身」扱い?…いや、そうではないであろう。
そんなわけであらためてこの文字列を紐解くことにした。今一歩踏み込みが不足したという反省を込めて・・・。既報はこちらを、また全体を通してはこちらを参照願う。
三貴神の誕生場面を引用しておく。伊邪那岐の身体から誕生する彼らに役目を言い渡す下りがある。「物語」の最も初めの部分である。それだけに意味不明とされたり、誤解釈が蔓延って来たようでもある。
古事記原文[武田祐吉訳]…、
古事記原文[武田祐吉訳]…、
於是、洗左御目時、所成神名、天照大御神。次洗右御目時、所成神名、月讀命。次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命。須佐二字以音。
右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱神者、因滌御身所生者也。此時伊邪那伎命、大歡喜詔「吾者生生子而、於生終得三貴子。」卽其御頸珠之玉緖母由良邇此四字以音、下效此取由良迦志而、賜天照大御神而詔之「汝命者、所知高天原矣。」事依而賜也、故其御頸珠名、謂御倉板擧之神。訓板擧云多那。次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。訓食云袁須。次詔建速須佐之男命「汝命者、所知海原矣。」事依也。
[かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は天照大神、右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月讀の命、鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲの命でありました。
以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。
イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、「わたしは隨分澤山の子を生んだが、一番しまいに三人の貴い御子を得た」と仰せられて、頸に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと搖がして天照大神にお授けになつて、「あなたは天をお治めなさい」と仰せられました。この御頸に掛けた珠の名をミクラタナの神と申します。次に月讀の命に、「あなたは夜の世界をお治めなさい」と仰せになり、スサノヲの命には、「海上をお治めなさい」と仰せになりました]
伊邪那岐の左目から生まれた天照大神には高天原を治めよと言い、玉緒を賜う。その名前が「御倉板擧之神」と記される。「倉」=「谷」頻繁にこの表現が使われる。註記に従って「板擧(多那)=棚」=「段差」として…「御倉板擧之神」は…、
御(御する)|倉(谷)|板擧(段差)|之神
…「谷にある段差を御する」神となる。「珠」は人工的に加工してできるものは多くはなかったであろう。自然の造形物としての貴重さ、珍しさにそして美しさに驚嘆するからこそ宝物として扱われたと思われる。
「御倉板擧」はその自然が造形する場所と方法を述べていると紐解ける。谷川の水量、流速が源流から下流へと変化する中で岩は砕けその大きさと形状(丸味)が選別されて行く。その格差が段差となって見えてくるのである。それを御する神、勿論見えないもの(隠身)を意味するが、畏敬する対象としての具体的な物を「珠」とした、と解釈される。
「珠」は山、川、谷、岩、石など大地の要素からの産物であり、それを手に入れることは大地を手に入れ、治めることを意味する。だからこそ単なる首飾りを手渡したのではないことを示すために「御倉板擧之神」の文字を記述したと思われる。
その神を授けたのだから天照大御神が中心となって物語が進行すると受け取れるが、神の意味こそ極めて重要な大地を治める役割であることを告げているのである。そんな流れに沿って解釈したのが…「照」=「昭(治める)+灬(火)」として…、
天(「阿麻」)|照(昭:治める)|大御神
<照> |
…「阿麻を治める」大御神となる。「灬(火)」が付いているのはその治める手段として「火」を用いたことを示すものであろう。天石屋に隠れたら全てが真っ暗闇になったという記述が後に出て来る。
天照大御神は「太陽の神格化」のように解釈されて来た。巫女の性格を持つとも言われる。「火(炎)」に絡む名称であることには変わりはないが、より具体的なものと読み解ける。
さて、上記の考察は間違いなく「天照」の一つの側面であろうが、地形象形としては何処を示しているのであろうか?…「灬(炎)」の地形・・・壱岐の神岳は「炎」の山陵を持つ。「召」=「手を曲げて招く」と解説される。「照」=「日・灬(炎)が曲がる」と紐解ける。「天照」は…、
天の[炎]の麓が曲がっているところ
…と読み解ける。神岳そのものを表しているのである。高天原の中心にある神なる山、それが天照大御神が坐していたところと解読される。
<天照大御神> |
また、「昭・照:日の光がまんべんなく照らす」と記述されている。これを地形象形したのである。
漢字学としては「照・昭」の文字は様々に解釈される。多くの漢字がそうであるのだが、漢字の成立ちの解釈は、スンナリとは受け入れ難いものが多いようである。
古事記が行う地形象形では、明確である。「刀」が意味するところは「ぐるりと巡る」であろう。
天照大御神は壱岐島北部の神岳に坐していた。高天原の中心の地である。落ち着くところに落ち着いた感じだが、複数の解釈ができる文字使いにあらためて感動させられる。万葉の時代、現在では思いもつかないほど漢字が持つ多様性を楽しんでいたのであろう。