別天神二柱神:宇摩志阿斯訶備比古遲神・天之常立神
古事記の中をグルグル回って、さて、いよいよファイナルラウンドに…どうなることやら、である。加筆・訂正をしながら冒頭から読み下してみようかと思う。
造化三神(天之御中主神、高御產巢日神、神產巢日神)に続いて登場する四番目と五番目の神であるが、とりわけ四番目の神の名前の持つ意味が掴みづらく、かつ日本書紀の本論には登場しないせいか、解釈もおざなりのかんが強い。既報でこの二神で「天」を二分していると紐解いたが、その基本的な解釈を変更する余地は全く有り得ない。
より精度高く、即ち古事記全文を通じて齟齬のない、一文字一文字の読み解きを行ってみた・・・二柱神が登場する。「宇摩志阿斯訶備比古遲神、次天之常立神」と記される。この二柱神に割り当てられた役割は何であろうか?…名前に刻まれているのである。何とも奇妙な名前の持ち主から紐解いてみよう。
宇摩志阿斯訶備比古遲神に含まれる「阿斯訶備」=「葦牙」とされるようである。「牙」=「カビ」と読み、意味は武田氏の通り「葦の芽」、「芽」=「艹+牙」である。「まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神としている」と読まれて来たようである。
「宇摩志」は?…だがこの四文字だけを抜き取って読む?…別天神五柱の中で”出色”の読み取れない命名なのである。解読不明で今日まで放置されていたと言えるであろう。
「阿斯訶備」も含めて文字を一文字一文字を解釈すると…「宇」=「山麓」、「摩」=「近い」、「志、斯」=「之:川の蛇行の象形」、「阿」=「台地」、「訶」=「言+可」=「谷間の耕地」、「備」=「整える」、「比」=「並ぶ」、「古」=「固:定める」、「遲」=「治水した(された)田」を用いて紐解く。ほぼ初見の通り(一部途中で訂正したが…)であって、この度は、その詳細を下記に補足する。
①宇摩志阿斯訶備比古遲神
「宇摩志」は…、
宇(山麓)|摩(近い)|志(川の蛇行)
阿(台地)|斯(蛇行する川)
…「蛇行する川がある台地」と読める。「訶備」は…、
訶(谷間の耕地)|備(整える)
…「谷間の耕地が整えられた処」と読める。「比古遲神」は…、
比(並ぶ)|古(定める)|遲(治水された田)
蛇行する川が近くにある山麓と蛇行する川がある台地で
谷間の耕地が整えられ田を並べて治水する神
…と解釈される。壱岐島でそんな場所は見つかるのか?・・・。
<宇摩志阿斯訶備比古遲神> |
唐突に「葦」を持ち出さなくても地形を表す解釈となった。壱岐島の、決して山岳地形ではないが、台地形状の複雑な地形を、この長い名前で表現したものであろう。
更に読み落としてはならないことは「天=阿麻」が付かないことである。この地は「阿麻(磨)」ではなく「宇摩志阿斯」が特徴的な地形なのである。
後に物部氏の祖と伝えられる「宇摩志麻遲命」上記と同様にして春日の地に比定した。案外壱岐の「宇摩志」と繋がっているのかもしれない、何の根拠もないが・・・。
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<宇> |
「宇」は168回出現の重要な地形を象形する文字である。「宇」=「宀+于」であり、「宀」=「山稜」、「于」=「弓なりに、ゆるく曲がる」意味から「宇」=「山麓」と解釈する。図に甲骨文字を示した。
古事記は文字の形を時には甲骨文字に求めるようである。そもそも象形の原型と見做せるであろう。山稜から段差があって長く裾野を延した地形を表していると伺える。
また「宀」のみで「山麓」を示すように解釈される場合が登場する。これも略字を用いた場合と見做せるであろう。「宀(ウ冠)」の文字は多数出現する。多彩な表記に用いられていることが解る。
「志(斯)」で計399回登場する。その内「志」は209回である。「王」に匹敵する。この文字の解釈は後に記述される「志賀」から導き出されるもので、漢字そのものの解釈では不可であろう。中国「之江(シコウ)」に由来すると見て、「志」=「之(蛇行する川)」と紐解く。曲がりくねる川の流れを象形している。
この解釈が古事記全般を通じて妥当とするなら、天神一族は中国揚子江南岸に出自を持つ一族であることを暗示している。言い換えれば、古事記の文字解釈は安萬侶コードの解釈となろう。
<言> |
「可」は上記の「阿(台地)」に含まれる。纏めると「台地を切り取った耕地」と解釈される。台地を切り取ったところは谷間となることから「訶」=「谷間の耕地」と読み解ける。「訶」もそれなりに多用されている文字(34回出現)であるが、地形を表現する上において重要である。
「遲」は69回の登場。通常使われる文字の意味からすると多いように思われるが、全く異なる用い方である。「遲→治」であって「治水された(田)」を表すことが後に明らかとなる。古事記では同一場所を両方の文字で記述する。「治」=「氵+台」であって「台」=「ム(鋤)+口」となり、川の水を鋤鍬で大地を掘って御する意味を表していると思われる。
このように古事記に記載される文字を、その原点に立ち戻り解釈する手法で読み解くことにする。ほんの数例を記述したが、主要なところはその都度付け加える。文字解釈の方法として、安萬侶コードの解法としての例示である。
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②天之常立神
<天之常立神> |
「常立」は何と読み解くか?…、
常(大地)|立(盛り上がる)
…「台地」の中で更に盛り上がったところを意味すると紐解ける。
壱岐島の北西部一帯を示すのであろう。「常世国」にも「天」は付かない。拡大図はこちらを参照願う。
後の「天安河之河上之天堅石」の考察から「炭焼の岩脈」が浮かび上がって来た。溶岩が地層の割れ目に侵入して固まったものとある。
「岩脈」=「大地が立った」表現であると紐解いた。壱岐島には多くの柱状節理が見られることでも有名である。溶岩台地が造る自然の形を表現したものと推察される。
「天之常立神」はこの岩脈に基づく神と推察される。彼らは岩脈を見て、大地の成り立ちは「立っている」と思い付いたのであろう。「盛り上がる」よりももっと自然を直接的に捉えていたと思われる。また、それを見たままに表現したものであろう。
<天照大御神の御子> |
「天(阿麻)」は間違いなく壱岐島にあったと告げているのである。現地名は壱岐市勝本町である。
「勝」は「渡し舟」と「ものを上に持ち上げる」象形とある。「立」に繋がる意味を有していると思われる。
この地に天照大神と須佐之男命との宇気比で誕生した「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」に含まれる三つの「勝」は「常立」に関連付けられるのではなかろか
更に「勝本町」も…上記した「芦辺町」も合せると「阿斯(アシ)」と現在の地名との関わりを伺わせるものと思われる。
これら二柱神は壱岐島、特にその北半分を作り上げ、統治した神と伝えているのである。別天神五柱神はあくまで壱岐島に関わる神々であり、彼らの子孫が為したことを古事記が記述したというシナリオが貫かれていると思われる。芦辺町、勝本町とに二分される地域となっている。古事記冒頭の記述との深い繋がりを感じさせるものであろう。
「天地初發之時」の文字に事寄せて魑魅魍魎の世界を描いている、とされて来た古事記、「天」=「阿麻(アマ)」の註記を読み飛ばして来た古事記解釈では全く伝わって来ない。いや、魑魅魍魎と読み解くことを恣意的に促して来たのである。