2018年3月16日金曜日

豐玉毘賣命は何処に? 〔188〕

豐玉毘賣命は何処に?


日子番能邇邇芸命が神阿多都比賣(木花之佐久夜毘賣)を娶って誕生するのが火照命(後の海佐知毘古)、火須勢理命、火遠理命(後の山佐知毘古)の三名。この海と山の佐知毘古の物語である。兄との諍いを嘆き悲しむ山佐知毘古の前に賢人が現れる。いや、神様であった。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

於是其弟、泣患居海邊之時、鹽椎神來、問曰「何虛空津日高之泣患所由。」答言「我與兄易鉤而、失其鉤。是乞其鉤故、雖償多鉤、不受、云猶欲得其本鉤。故泣患之。」爾鹽椎神、云「我爲汝命、作善議。」卽造无間勝間之小船、載其船、以教曰「我押流其船者、差暫往。將有味御路、乃乘其道往者、如魚鱗所造之宮室、其綿津見神之宮者也。到其神御門者、傍之井上、有湯津香木。故坐其木上者、其海神之女、見相議者也。」訓香木云加都良、木。
[そこでその弟が海邊に出て泣き患うれえておられた時に、シホツチの神が來て尋ねるには、「貴い御子樣の御心配なすつていらつしやるのはどういうわけですか」と問いますと、答えられるには、「わたしは兄と鉤を易えて鉤をなくしました。しかるに鉤を求めますから多くの鉤を償いましたけれども受けないで、もとの鉤をよこせと言います。それで泣き悲しむのです」と仰せられました。そこでシホツチの神が「わたくしが今あなたのために謀をしましよう」と言つて、隙間の無い籠の小船を造つて、その船にお乘せ申し上げて教えて言うには、「わたしがその船を押し流しますから、すこしいらつしやい。道がありますから、その道の通りにおいでになると、魚の鱗のように造つてある宮があります。それが海神の宮です。その御門の處においでになると、傍の井の上にりつぱな桂の木がありましよう。その木の上においでになると、海神の女が見て何とか致しましよう」と、お教え申し上げました]


鹽椎神

早速「鹽椎神」の登場である。主役が困った時に現れる有り難い神様達である。通説では「潮流を司る神」「航海の神」「製塩の神」と謂れ、とある神社では主祭神として祀られているとのことである。それはそれとして「鹽椎」は何を意味しているのであろうか?…「椎」=「背骨」と紐解いた経緯がある。

伊邪那岐・伊邪那美の神生みの中で風神、木神、山神、そして野神:鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神で登場した。「山稜の端で狭い隙間の枝稜線」を表現したものと解釈した。

また後に出て来る「針間国」(針のような細い隙間の国)の場所を求めた時に現地名が「椎田」(福岡県築上郡築城町)と言われるところに比定した。

では「鹽」は「塩」の古字である。通常の塩以外の解釈は難しいようでもある。一応、原義に戻ってみると「しっかり見ひらいた目・人・水の入ったタライ」のようである。

これが紐解きのヒントとなった。背骨の形をしているのが(海)水なのである。上図を参照願う。塩水が椎の形となっている。日向の海辺(現地名遠賀郡岡垣町)にあった。その近隣で悩める御子は教えを受けたのである。


鹽椎神=鹽(海水)|椎(背骨の形)|神

…と読み解ける。だとすると、当時はここは海であったことを示している。もう少し正確には「忍海」(海水と川水が交じる海)であったと推測される。現在の標高からしても十分に納得できる場所であろう。現在の多くの池があるが「日向の依網池」と後に呼ばれるところと重なるのである。

「背骨」を示すのが海、川の「液体」だから鹽の「固体」で記述した。本当かな?…とも思えるような精緻さ…おかげで見つけ出すのに手間取るではないか!…ちょっとした顛末記であった。

火遠理命が泣いていたのは上図の「椎」の東側の海辺ではなかろうか…そこは古遠賀湾に面するところと推測される。「鹽椎神」に舟に乗せられ押し出されて「味御路」を行けと教えられた。その教えに従って「道」を行くと「魚鱗」ような宮に行き着いたと記述される。そこが綿津見神之宮でその海神に比賣が居ることまで、細々と情報を貰ったのである。


味御路

流石にここら辺りの紐解きは難しい…が、臆せず進んでみよう。先ずは「味御路」は何と読むか?…「味」は幾度か古事記に登場し、多くは「アジ」の意味で解釈可能かと思われるが、やはり何らかの地形象形の表現であろう。


<味御路>
「味」=「口+未」と分解する。上記は明らかに海路を示すので「口」=「入口」として、「未」の解釈を如何にするか・・・、


未=木(山稜)+一

…に砕く。すると、「山稜を横切る」地形が浮かび上がって来る。「味御路」は…、
 
味(入口がある山稜を横切るところ)|御(統べる)|路(道)

…「幾つかの入口がある山稜を横切るところが纏まって一つになった道」と紐解ける。

古遠賀湾から洞海湾へ抜ける際に幾つかの山稜の谷間が纏まって一つの道になっている状態を述べている。

「御」=「御する、統べる、支配する」=「纏めて一つにする」と解釈した。「御」=「馬を操る」という意味がある。

手綱を纏めて一つにする様を模していると思われる。複雑な地形、かつ縄文海進による当時の海面上昇を考慮する必要があるが、基本的な地形に決定的な相違はないと思われる。

押し出された「无間勝間之小船」は、三つの入口のどれかを選択して、勿論それはすぐに合流して洞海湾に入る。「味」の解釈、安萬侶コードに登録するや否やは後に登場した時に行おう。それにしても何とも味な使い方である。

後の允恭天皇紀に登場する味白檮と同様に「味御路」も全く解釈されて来なかった。殆ど無視と言って良いものである。「味御路」は「海の路」を意味する。大海原を茫洋と進むのではなく「路」を示すところを進めと鹽椎神が告げているのである。この説話の舞台はそれを満たす地形のところを…明確に…示している。それほど重要なキーワードなのである。

では、豐玉毘賣命は何処に居たのか?…「玉」探しである。


豐玉毘賣命

下図を参照願うが「勾玉」の地が見出せる。よく見ると「魚鱗」の形の丘である。現地名北九州市小倉南区湯川新町。後に「三川之穂」「三川之衣」と表現され「豐」が冠される地である。現在の三河地方に「豊」が付く、豊田(挙母)、豊川(穂)、豊橋(穂)これら全て国譲りをされた結果であろう。きちんと譲られたら遡及できるのである。


<豐玉毘賣命>
三川之衣の「衣」=「襟」であり、首元の開いた状態を示している。

山麓を模した表現と解釈できる。その開いたところにある「玉」が豐玉毘賣の居場所と推定される。

流石に龍宮城などに比喩されて海の底にあった宮、通常の地図では識別不可能であった。見難くはなるが、明らかに標高が異なるのである。

当時は山稜の端が一段高くなって干潟に突き出た岬のような地形だったのではなかろうか。

舟が進んだ道筋を下図に示した。何だか解けてみれば呆気ない感じのルートである。



上図に示したように邇邇芸命が降臨した「竺紫日向」から古遠賀湾、洞海湾そして現在の小倉北区の大半を占めた淡海を過ぎれば届く。この地域は古代の地形から大きく変化したことが知られている。がしかし、その特徴は残されているようである。古代の人々にとってこの移動は非日常の出来事では決してなかったと推測される。

少し余談になるが…伊邪那岐・伊邪那美が生んだ「綿津見神」の解釈を前記で以下のようにした。


海神:大綿津見神

次いで海神が生まれる。名を「綿津見神」と言う。一文字一文字を紐解くと…「大=偉大な」として…、


綿津見神=綿(海)|津(海と川が集まる)|見(見張る)|神


偉大な「海と川が集まるところを見張る」神となる。通説のような単なる海の神ではないと解釈する。


Wikipedia:「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる…と記述されている。「津」「見」の解釈は全く当て嵌まらないのである。古事記は「霊」を語ることはない。下記するように「日子番能邇邇芸命」であり「日子穗穗手見命」である。「番」→「見」としていることが判る。

古代の海面を考慮せずしてこの地は浮かび上がって来ない。ましてや「海の神霊」がこんな内陸に居ることはあり得ないであろう。神霊とすれば存在場所などどうでもよい、のかも。些細なことを…と言われそうだが、古事記全体解釈上、極めて重要な差異であることを付け加えて置きたい。

虛空*津日高

山佐知毘古(火遠理命)には別名の「天津日高日子穗穗手見命」が付加される。邇邇芸命のフルネームに類似するようである。「穂手」=「揺らぐ穂先」即ち「火(ホ)の手」のように解釈し、「天津日高」=「天津(天の津)|日高(日々高くなる)」として、「日子穗穗手見命」は…


日子穂(日が生んだ稲穂)|穂手(揺らぐ穂先)|見(見張る)


…命・・・何と息子になると「豊かに実った穂先を見張る」に変化する。安萬侶くんの戯れにほぼ近いようである。が、彼らの名前の紐解きは、ほぼ間違いないように感じさせられることになる。

上記では「天津」ではなくて「虛空津」と記述される。「天=ソラ」に読み替えたとも言えるが、邇邇芸命が降臨して「邇岐志国の天」は「虚空」になったことを表しているようである。戯れもここまで来ると文化であろう。漢字を用いて表現することを継続するなら、やはりこの戯れは残しておきたいものである。

押し流されて豊玉毘賣命を娶り、海神・綿津見神の宮に三年も居候するのだが、そのままでは皇統が途切れる。突然あの日のことが蘇ってと記される。時を超越した物語である。いつものことだが・・・。


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虚空*
「虚」=「虎+丘」とされ「虎(巨:大きい)+丘」=「大きな丘」と解説されている。これで解釈することもできるが、少し紐解いてみると…霊獣として対峙する「龍」は「淤迦美神(龗神)」として「川の蛇行」する様に比喩されている。ならば「山」を意味しているのではなかろうか…山の神として崇敬の対象であったことはよく知られている。体表面の縞模様と山稜との相似も考えられる。

単に「大きな丘」ではなく「虚」=「山の傍らにある丘陵」と解釈することができる。山があってその傍にある丘である。一般に「虚」=「中身・実体がない、一見では無いに等しい」という意味に相応しい解釈となる。

「空」=「宀+ハ+工」と徹底的に分解すると「麓の谷で田を耕す」の意味と思われる。纏めると…、


虚空=山の傍らにある丘陵の麓の谷で田を耕す

…と紐解ける。何とか意味のある文字列に還元できたようである。すると・・・「虚空津日高=天津日高」の解釈がピシャリと填まるのである。既に詳述したように「天」は山稜とは言い難く大半は丘陵と看做される地形である。しかもそれは天香山(壱岐島の神岳)の傍らにあり、その谷間が作る津を「天津」と呼んでいたのである。(2018.04.28)
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