2018年2月14日水曜日

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:四神 〔166〕

伊邪那岐・伊邪那美の神生み:四神


古事記の記述は戻って伊邪那岐・伊邪那美の神生みとなる。大まかな地形からどんな風に対象が変わるのか…自然現象であることは間違いないようであるが・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]…、


次生風神・名志那都比古神此神名以音、次生木神・名久久能智神此神名以音、次生山神・名大山津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神自志那都比古神至野椎、幷四神。
[次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ
姫の神、またの名をノヅチの神という神をお生みになりました。シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です]


風神:志那都比古神

現在の人々にとって風の実体を理解することは難しくない。しかし古代に於いてはこの実体の理解は到底不可能なことであったろう。目に見えないものを理解することの難しさ、微生物の存在を認めるようになってまだ200年も経たない。古事記は如何に捉えていたのであろうか?…

志那=品

…とする。本来の「品」の意味ではなかろう。

「品=口+口+口」何か得体のしれないものが「口」の奥にあってそれが吹き出て来る状態を表しているのではなかろうか。捉えどころのない大きさから「口」を三つも揃えた。そんな認識と読み解ける。


志那都比古神=多くの口の男神

…と解釈できそうであるが、更に「都比古」=「都(集め)|比(並べて)|古(固:しっかり定める)」と紐解いてみると…、


志那都比古神=多くの口を集め並べてしっかり定めた神

…となる。風は神の息吹なのであろう。立派な現象論的結論である。

木神:久久能智神

漸くにして木の神が登場する。この神を抜きにして「家宅六神」はないであろう。日本の古代は石造家屋が主体であったと言うのか?…通説は脇に置いて、この神の名前は何と解したら良いのであろうか?…、

久久能智=久久(長い長い年月)|能(の)|智(知恵・知識)

…久遠の生命力を持つ木の知恵、それを会得した神のことを述べている。通説の「智(チ)」は神霊を表す接尾詞の解釈は全く当て嵌まらない。前記の難解な「久比奢母智神」に含まれる「智」と同様の解釈である。

「智」の文字には「支配する、統治する、獲得する」という意味がある。知恵・知識という得体のないものの成せる結果なのであろう。「神」の前に付く「智、見」などはその神の性質を表現していると思われる。「チ、ミ」を神霊と解釈してしまっては古事記は伝わって来ないのである。


山神:大山津見神

この神はそのまま紐解けるであろう…、

大山津見神=大(大きな)|山(山)|津(寄り集まる)|見(見張る)|神

…大きな(高い)山が連なって山脈(山塊)を作っているところを見張る神である。「天」の地にはない地形である。と同時に単なる「大きい山の神」ではなく、この山塊により詳細な地形を生み出すことに繋がる。


野神:鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神

野の神である。山が絡む野となれば…、

鹿屋野=鹿屋(山の麓)|野

…であろう。別名が記される。「椎」=「背骨」脊椎のように小さく枝骨が生えた象形である。

野椎=野|椎(背骨)

…主山稜の端で小さく、狭く何本もに分かれた支稜にある野を示すと解釈される。大きく高い山が作る山塊の麓及び主稜線の端にある野原の神を意味していると思われる。

大きな山塊があり、麓には広々とした野があり、そこには多くの木が茂り、時には強風が吹く、所謂里山の風景であろう。やはり自然現象に関わる神々であった。次いで山神と野神の共同作業が始まるのであるが、次回に・・・。