2018年1月23日火曜日

寸=尊? 〔158〕

寸=尊?


用明天皇は僅か三年ばかり天下を治められて崩御される。皇位継承が変則になるが葛城一族の持ち回りの感じで古事記はその役割を終える。

古事記原文…

丁未年四月十五日崩。御陵在石寸掖上、後遷科長中陵也。

後に移った「科長中陵」は前記の敏達天皇紀に出てきた「川內科長」の近隣と思われる。「中陵」とあるからには西側の山腹中程に近付いたところであろう。下図を参照願う。墓所がこの近辺に集中してきたようである。



当初の墓所石寸掖上」は何処を示すのであろうか?…「掖上」は「葛城掖上宮」「掖上博多山上」で登場した。福智山山塊の深い谷筋を「掖=脇」と見做したと紐解いた。となると「石寸」は「石」が絡む高山を意味すると判る。「寸」に「山」の意味があるのか?…通常ではあり得ない。

仁徳天皇紀に寸河」の記述があり、その中に「寸」の文字が出現した。「キ」読むとのことであった。一本の高い木があって、その影が朝は淡道嶋に届き、夕には高安山を越えるという神話的記述とされている段である。勿論、通説の大阪難波~淡路島間の紀伊水道を跨ぐ舞台が揺るぎないものならば、そうであろう。古事記原文…

此之御世、免寸河之西、有一高樹。其樹之影、當旦日者、逮淡道嶋、當夕日者、越高安山。

この説話は現在の北九州市門司区大里~下関市彦島間の関門海峡を跨ぐ舞台として紐解いた。全く有り得ない話ではないようである。因みに最短距離幅で紀伊水道は約10km、関門海峡は約1kmである。

一高樹」の位置は作図上求めることができ「免寸河」は現在の「戸上川」と推定される。=斗=戸」としてその斗にある川と解釈できる。がしかし「寸」の意味は明瞭ではなかった。「寸」が「山」の意味を持つならば「寸河」の解釈も極めて合理的になる。「斗の山」とできれば、「寸河」は「斗(戸)の山」から流れ出る川として紐解ける。

状況証拠的にはほぼ満足いくことになりそうなのであるが、やはり「寸」は一体何を表しているのか?・・・、


寸=尊

…即ち、「尊」の略字と紐解く。「神=人知を越えた尊い存在」これらを合わせれば…


寸=尊=神=上

と表現していることが判る。これで全てが繋がったのである。


石寸=石上
免寸=斗上=戸上

…「免寸」は「鳥髪」に繋がる。須佐之男命が降臨した地である。伊邪那岐・伊邪那美が国生みの後に神生みを行い、そこに「大戸日別神」が誕生する。「斗=戸」の表現が既に行われていたのである。自在な文字使い、だがそこに横たわるルールは不変である。地図を参照願う。「石寸掖上」は…、


…五徳川の谷間を示す。おそらく中央(真行寺)辺りかと思われる。

自由だが、そこにルールがある。再確認の古事記であった…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。