品陀の意味
応神天皇の和風諡号は「品陀和氣命」とあり、それに含まれる「品陀」その意味についてはまだ紐解いていなかった。「宇陀」「阿陀」の文字が登場、古事記で用いられている意味は「陀」=「崖」急勾配の山の斜面を意味することが確認した。応神天皇紀を読む限り「陀」に関連するような説話は登場せず、不思議な命名と思われる。
応神天皇紀にある「吉野の国主の歌」にその読みは「本牟多(ホム(ン)タ)」であると記述されている。また日本書紀では「誉田」であり、そもそもの意味は何を示しているのか、何とも怪しげで曖昧な状況のようである。これは何としても読み解いておかなくてはと、勇んでみたが・・・。
天皇自らが語られる出自は「蟹の歌」と言われる中にある。ところがそれは「越前の蟹」であってそこからエッチラオッチラやって来たなんていう物語なのである。母親の息長帯比賣命(神功皇后)が彼を産み落としたのが「筑紫の宇美」そこに行くまで新羅国など朝鮮半島にお出ましであった。
「品陀」の影、ましてや「崖」の臭いも全く感じさせない記述なのである。では如何なるカラクリがあるのか・・・思い出すのが、建内宿禰に連れられて高志前に禊に行ったことである。そこで何かが起こった・・・。再度関連する古事記原文を載せると…
故、建內宿禰命、率其太子、爲將禊而、經歷淡海及若狹國之時、於高志前之角鹿、造假宮而坐。爾坐其地伊奢沙和氣大神之命、見於夜夢云「以吾名、欲易御子之御名。」爾言禱白之「恐、隨命易奉。」亦其神詔「明日之旦、應幸於濱。獻易名之幣。」故其旦幸行于濱之時、毀鼻入鹿魚、既依一浦。於是御子、令白于神云「於我給御食之魚。」故亦稱其御名、號御食津大神、故於今謂氣比大神也。亦其入鹿魚之鼻血臰、故號其浦謂血浦*、今謂都奴賀也。
こんな時は古事記に「品陀」の文字が何処に記されているか、検索するのが手っ取り早い。すると妙なところでヒットした。「品陀」の文字は応神天皇にだけ付けられていたわけではなく、もう一人居る。
品陀眞若王
である。注記に「品陀二字以音」とある。間違いなく地形象形の目的があったと推測される。応神天皇が最初に娶った高木之入日賣の父親で、五百木之入日子の子と注記されている。では地形象形の「品陀」は何と紐解けるか…
品陀=品(段差)|陀(崖)
「段差のある崖」である。高木は現在の北九州市若松区藤木にあった場所で、洞海湾に面した石峰山南麓の地と比定した。極めて急峻な地形であることは一目でわかる地形をしている。西麓には「伊余湯」のあった場所としたところでもある。
足立山(竹和山)の南麓と同様の地形を持つところである。高木之入日賣の父親であり、高木に住んでいたと思われる品陀眞若王の命名としては実に合致した表現と思われる。地の神の名前は「伊奢沙和氣大神之命」と言う。
これに含まれる「伊奢」は応神天皇が高木之入日賣に産ませた「伊奢之眞若命」にある文字である。石峰山南麓にあった場所と推定した。「奢=おごる、贅沢、有り余る」潤沢な海の幸、高木=粟国は「大宜都比賣」の謂れを持つことが根拠である。
即ち、地の神の名前は…、
足立山(竹和山)の南麓と同様の地形を持つところである。高木之入日賣の父親であり、高木に住んでいたと思われる品陀眞若王の命名としては実に合致した表現と思われる。地の神の名前は「伊奢沙和氣大神之命」と言う。
これに含まれる「伊奢」は応神天皇が高木之入日賣に産ませた「伊奢之眞若命」にある文字である。石峰山南麓にあった場所と推定した。「奢=おごる、贅沢、有り余る」潤沢な海の幸、高木=粟国は「大宜都比賣」の謂れを持つことが根拠である。
即ち、地の神の名前は…、
伊奢=品陀*
…和氣大神之命という亦の名を持っていたと推測できる。その「品陀」を貰い受けたと紐解ける。高木の急峻な斜面の名前を引継いだのが品陀和気命、応神天皇であったと告げているのである。そして代わりにその大神は「御食津大神(気比大神)」の名前を賜ったのである。
地形象形の表現そのままの文字を貰ったことになり、応神天皇そのものには何ら関わりのない名前となったのである。いや、彼は後に品陀の比賣を娶り、御子達が高木の地の全体に散らばることになる。深い関係を築くのである。グルグル回して名前の由来を地名と共に知らしめる、いつもの手だと思いながらも、少々悔しい思いもする読み解きであった。
地形象形の表現そのままの文字を貰ったことになり、応神天皇そのものには何ら関わりのない名前となったのである。いや、彼は後に品陀の比賣を娶り、御子達が高木の地の全体に散らばることになる。深い関係を築くのである。グルグル回して名前の由来を地名と共に知らしめる、いつもの手だと思いながらも、少々悔しい思いもする読み解きであった。
「品陀和氣命」確かに高志から来た。名前はその人を示す。実に明解である。文字そのものが示すところを記述する。それが古事記であろう。文字に対する現在の感覚と異なる、今は忘れ去られた部分を示している。日本語をこれからもこよなく使うならば、忘れてはならないことではなかろうか。それを古事記が教えてくれているように感じる。
血浦*
角鹿に「血浦」はあるのか?…「血原」「血沼」と同様な地形の場所を求めることになる。
探すと容易に上図に示したところが見出せる。砕石によって際どい状態であるが「血」の地形を残している。図中の青く見えるところは現在の海抜10m以下で大半が海面下にあったところと推測される。
ここが「血浦」であろう。麓にある貴布祢神社辺りが氣比大神の居場所であったと推定される。この地が伊奢沙別命を主祭神とする氣比神宮の本来の場所であることを告げているのである。「血」の地形象形の確からしさに感嘆である。詳細はこちらを参照。(2018.04.05)
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伊奢=品陀*
確かに潤沢な海の幸に恵まれた地との関連は的を得ているようでもあるが、それでは高木の海辺全てに亘ることになりそうである。しかも状況証拠的であって古事記の直截感が出ない。やはり「奢」の紐解きであろう。
「奢」の意味は上記の通りであるが、「奢」=「大+者」と分解できる。「大」=「大の形」=「平らな山頂の山」、「者」=「交差させ集めた木の枝+台」が字源とある。地形象形的には「者」=「稜線が交差したような麓の台地」と紐解ける。
伊(僅かに)|奢(平らな山頂からの稜線が交差したような麓の台地)
…「僅かに平らな山頂からの稜線が交差したように見える麓の台地」と読み解ける。石峰山山頂の様子とその麓にある台地示していると解読される。これが「伊奢」の地である。図からも判るように極端な急勾配の山腹であって、稜線が交差している、というか谷の形成が未達で明確な谷筋を作れない山容である。それを「奢」の文字を使って表現したと思われる。
これで心置きなく…、
伊奢=品陀
…とすることができる。(2018.06.27)