2018年3月15日木曜日

神阿多都比賣亦名謂木花之佐久夜毘賣 〔187〕

神阿多都比賣・亦名木花之佐久夜毘賣


邇邇芸命は竺士日向の地に落ち着いたら、早速娶りに取り掛かる。笠沙御前で美人に出会ったと伝える。大山津見神の比賣と言うが、母親は不詳。八上比賣が居た稲羽辺りかもしれないが・・・。伊邪那岐が禊祓をして最後は淡海之多賀に引き籠ったり、大国主命が八上比賣を娶ったり、後には神倭伊波禮毘古命が阿多之阿比良比賣を娶ったりと、日向と出雲との繋がりが頻出する。

この二つの国の地理的環境がそれを可能にしていることが解釈の要点であろう。偶然では済まされない深い繋がりなのである。出雲に降臨した速須佐之男命の関連では日向(現遠賀郡岡垣町)の西にある「秋津」(現宗像市)との繋がりも見逃せないところである。

日本の古代史を紐解く際の「定点」はこの「秋津」である。如何なる権威を持っていてもこの地を動かすことはできなかったのである。常にこの地に視点を置いた認識こそが古代を真っ当に再現することができる紐解きとなろう。現時点で判った唯一の定点を大切にしよう。

さて、歴史上有名な「木花之佐久夜毘賣」、さらりと流していたこの毘賣の素性をもう少し明らかにしてみたく・・・。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

於是、天津日高日子番能邇邇藝能命、於笠紗御前、遇麗美人。爾問「誰女。」答白之「大山津見神之女、名神阿多都比賣此神名以音亦名謂木花之佐久夜毘賣。此五字以音。」又問「有汝之兄弟乎。」答白「我姉石長比賣在也。」爾詔「吾欲目合汝奈何。」答白「僕不得白、僕父大山津見神將白。」故乞遣其父大山津見神之時、大歡喜而、副其姉石長比賣、令持百取机代之物、奉出。故爾、其姉者、因甚凶醜、見畏而返送、唯留其弟木花之佐久夜毘賣、以一宿爲婚。
[さてヒコホノニニギの命は、カササの御埼みさきで美しい孃子おとめにお遇いになつて、「どなたの女子むすめごですか」とお尋ねになりました。そこで「わたくしはオホヤマツミの神の女むすめの木この花はなの咲さくや姫です」と申しました。また「兄弟がありますか」とお尋ねになつたところ、「姉に石長姫いわながひめがあります」と申し上げました。依つて仰せられるには、「あなたと結婚けつこんをしたいと思うが、どうですか」と仰せられますと、「わたくしは何とも申し上げられません。父のオホヤマツミの神が申し上げるでしよう」と申しました。依つてその父オホヤマツミの神にお求めになると、非常に喜んで姉の石長姫いわながひめを副えて、澤山の獻上物を持たせて奉たてまつりました。ところがその姉は大變醜かつたので恐れて返し送つて、妹の木の花の咲くや姫だけを留とめて一夜お寢やすみになりました]

木花之佐久夜毘賣」は本名ではない、いや逆か?…それは横に置いて、いつものことながら毘賣の居場所を示す名前の方を紐解く。


神阿多都比賣

「阿多」は既に何度も登場で、「大斗」の「斗」=「柄杓」の地ではなく「阿」=「台地」形状の地であることを示している。


阿多=阿(台地)|多(大:出雲)

…「台地の出雲」と紐解く。現地名は門司区大字黒川であるが、現住居表示は改名・細分化されているようである。

人名の最初に付く「神」は、ほぼ全て「稻妻のような山稜」として解釈することができる。最近では速須佐之男命の後裔に多数登場する。例えば「神大市比賣」「神活須毘神」「神屋楯比賣命」などがある。戸ノ上山の北~西山稜を比喩したものと解釈した。とすると「神阿多都比賣」は…、


神(稻妻の山稜)|阿多(台地の出雲)|都(集まる)


…「稲妻の山稜があって台地の出雲にある川の合流点の傍らに坐す」比賣と紐解ける。

これに合致する地形は北九州市門司区黒川東・西辺りと推定される。右図を参照願う。

砂利山から延びた山稜を「神」と表現している。山間ではあるが阿多の中心地であったと告げているようである。

「都」は「みやこ」の意味も込められていると思われる。「津」ではなく「都」と表現する。「川」のみに限られず様々なものが寄り集まった地を意味しているのであろう。

山に囲まれ、決して広くはないが自然環境に優れたところであり、当時の「都」となり得る地形と思われる。こんな地には独自の文化が発生することが多いようである。「阿多」が示す意味をしっかりと受け止めることが肝要かと思われる。

この後に登場する御子の「火照命」は「隼人阿多君之祖」と註記される。古事記は多くを語らないが「隼人」の出自に関わる場所であることが述べられる。

例によって姉妹が登場して「因甚凶醜、見畏而返送」となる。「木花」と「石」を対比した比喩はそれなりに面白いのだが・・・。

火照命(後の海佐知毘古)、火須勢理命、火遠理命(後の山佐知毘古)の三人を全て燃え盛る火の中で産んだとか…漸くにして天孫降臨の物語は終わりを告げる。

何と言っても三貴神の一人須佐之男命が降臨して以来物語の舞台は常に出雲の地であった。

だからこそ古事記の記述の中で占める分量が多く、また内容も詳細で具体的である。

通説の出雲国、その地における伝説を付け加えたかの解説は全く当たらない。伊邪那岐・伊邪那美の「国生み」「神生み」の後に途切れることなく続く物語である。古代における「大斗」の出雲国の果たした役割は極めて大きいとあらためて感じるところである。

古事記は「神阿多都比賣」が生んだ三人の御子達の説話に進む。そして「日向」における彼らの生業を伝えていく。また後日に述べてみよう・・・。

…全体を通しては古事記新釈の「日子番能邇邇芸命」を参照願う。