2018年3月8日木曜日

月読命が治めた夜之食国 〔182〕

月読命が治めた夜之食国


古事記の冒頭から登場する八百萬の神々の名前を曲りなりにも紐解けたような気分である。目に見えるもの、それは多くは自然の造形物に対する表現は実に的確であり、一方目に見えないものに対しての彼らの認識の高さを知る切っ掛けとなった。

例えば、風神・名志那都比古神」神の口から吹き出て来るものという捉え方であろうが、「多くの口を集め並べて定めた」の表記は「神」という抽象的な概念を「口」という具体的なものに止揚するものであろう。古事記全編を通じて「御霊」を示す記述はみられない。これは「黄泉国」を作り出した手法に通じるものと思われる。

話題が横道にそれそうなので元に戻して、伊邪那岐が生んだ三貴子、それぞれの役割が決められ、それぞれの地に坐したと解釈した。速須佐之男命は「海原」を治めろと言われ、結果的には出雲の「肥河」の州(北九州市門司区大里)に坐したと解釈した。また天照大御神は「阿麻」を治めろと言われ、その坐した場所は「石屋」を中心とした「天」の台地(壱岐市勝本町新城西触)と考えて間違いないであろう。

だが、右目から生まれた月讀命に対しては…、

詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。訓食云袁須

…と記されている。この「夜之食国」は…、


夜之(谷の)|袁須(ゆったりした衣の州)|国(大地)

…まだ不十分、更に「衣の州」=「衣(襟:山陵の端の三角州)」から…、


夜之食国=谷が作る山稜の端のゆったりとした三角州の大地

…と紐解いた。加えて「月」=「三日月」=「襟」と繋げると「月讀命」そのものが「三角州を耕し収穫を得る」という意味を持つことが読み解けたのである(前記参照)。

どうやら上記の解釈の繋がりから「月讀命」の示すところは確実なように思われたが、では何処に坐したと推定できるのであろうか?…その前に従来どのように解釈されて来たのかを例示すると…Wikipedia参照…、

❶月を神格化した、夜を統べる神
❷「つきよみ」とは「次世見」のことであり、次の時代の形を読み解き、人々に知らせる役割を持つ
❸アマテラスとスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスを
 とっているとする説
❹「暦や月齢を数える」ことを意味する

…などが列挙されている。

❶と❹は「月」「讀」の二文字そのままに解釈したものであろう。古事記の編者は目に見えないものを如何に具体的なものに置き換えるか、徹底的に曖昧模糊とした表現を回避する記述を行っている。言わば「神格化」とは真逆の考え方を示しているのである。上記の風神の例である。

❷は真に自由な解釈で、次の時代とは何であろうか?…一層曖昧な解釈であろう。❸は元文化庁長官(京大名誉教授)の河合隼雄氏が『中空構造日本の深層』という著書の中で述べられた文章である。既に記述したのでこちらを参照願うが、バランスの支点は何であろうか?…その目的は何処にあるのか?…使い勝手の良い、分かったように気にさせる言葉、物事を解釈する上において陥りやすいところである。

いずれにしても明解な解釈には至っていないことが判る。そんな状況を踏まえて「夜之食国」の場所を求めてみよう・・・長い谷に「穏やかな三角州」がある場所・・・そして「阿麻」には含まれない・・・とすると、現在の芦辺町箱崎本村触と釘ノ尾触の境にある、角川が流れる谷間が浮かび上がって来る。谷間に多くの三角州が存在するところである。

谷の出口に近いところに箱崎八幡神社がある。噂に依るとここに月讀神社があると・・・それはそれとしても地形的に最も合致した場所のように思われる。古事記にはこの後に登場することはなく、検証も困難であるが、一つの提案として置こう。


月読命

「月讀命」はこの地の開拓に努め、後裔も東に向かうこともなかった…個人的なものは別にして大船団を組んだ移動はなかったということなのであろう。葦原中国の急傾斜の三角州に適用できる技術ではなかったことも彼(女?)らのニーズは少なかったのかもしれない。

全国にこの命に関連する月読神社は数百社に達するとある。ただ、総社というべき社がないようである。壱岐島にその源があるようなのだが・・・歴史の表舞台からは遠ざかった系列と思わざるを得ない状況である。また、いつの日かお目もじできることを祈って・・・。




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「月」は「三日月」の象形と見做される。「衣(襟)」=「三日月」と繋げられる。文字が示す類似した象形なのである。

<月讀命・夜之食國>
「讀」は何と読み取れるか?…「讀」=「言+𧶠」に分解できる。

更に「言」=「辛+口」であり、「刃物で大地を耕地にする」と紐解ける。

𧶠の文字の語源は簡単ではないようで、すんなりとは理解し辛い文字である。

関連する文字は「續(続:つづく、次々に通る、つながる)」の意味として使用される。

この文字に含まれる「𧶠」=「つながる」の意味を示すと解説されている。「言葉がつながっている」ことが「読む」という動作を表すと解釈される。

すると…「月讀」は…
 
月(山稜の端の三角州)|讀(耕地がつながる様)
<言>

…「山稜の端の三角州にある耕地が次々とつながっているところ」と読み解ける。谷間に多くの山稜の端が集まり、各々の三角州に耕地を作ることを命じられた命を表していると解釈される。

伊邪那岐の「右目」から生まれた命と言う。「右」は「右手+口」の象形とある。上記のように「口」を「耕地を作る象形」と見なせばその出自も頷ける、かもしれない。現在の芦辺町箱崎本村触と釘ノ尾触の谷間が浮かび上がって来る。谷間に多くの三角州が存在するところである。(2019.08.15)

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