神倭伊波禮毘古命の娶り
邇邇芸命の三名の子供達から神倭伊波礼比古に至るまでの説話をもう少し紐解いてみよう。大山津見神之女・木花之佐久夜毘賣を娶って火照命(後の海佐知毘古)、火須勢理命、火遠理命(後の山佐知毘古)が生まれ、そしていずれはそれぞれの道を歩むことになる。
「照」→「須勢理」→「遠理」火が付いて勢いを増してその後遠ざかる。木が燃える様を名前にしている。元文化庁長官(京大名誉教授)の河合隼雄氏が『中空構造日本の深層』という著書の中で「火照命と火遠理命という対称的な神の間に火須勢理命のように何もしない神を置くことで、バランスをとっている」という心理学的分析をなさったとか。
暇が取り柄の老いぼれの見方は…古事記は様々な諸現象を三つの要素で表現しようとする。「木の上枝、中枝、下枝」とか「丹の上の土、中の土、下の土」などが出てきた。「上」と「下」は両極にあり、その間を「中」が繋いでいると考えているようである。
両極は一見離れた存在のように見えるが、実は関連(相関)し合ってると信じているのである。即ち「中」は「空」のように見えるが「空」ではない、見えないだけ、と考えている。その考えが現れるのが「丹の土」の「中」は黒でもなく赤でもないが「上」の「赤」となったり「下」の「黒」になったりすることを述べているからである。
木が燃えるという動的な現象を両極(木と炭)だけでとらえるのではなく、勢いよく燃えるという過程を見逃していない。「燃える=炎」という実体のないものを理解している。人の生死、木が燃えることと通じる。まやかしの無い自然が為すことをそのまま素直に受け入れて到達する思惟である。
「バランス」という表現も良いかもしれないが、古事記はもう後何歩も先に進んだものの見方をしていると思われる。古代史のブログから「火遠理」であるが、粒子と波動の両極の統一的な理解を示した量子力学に基づいて武谷三男氏が提案した「三段階論」を連想させる。
本質と現象の間に「実体」が存在すること。本質は実体を伴って初めて現象する、ということであろうか。その目に見えない「実体」を顕在化させることが物事の理解に繋がる。湯川秀樹氏の中間子論である。
和漢混淆の文書の中に幾度となく、人も含めた自然現象の理解に「三段階論」の影が覗き見えるのである。また、こんな視点から古事記を紐解いてみようかな…「當岐摩道」に入り過ぎなので、元に戻って…
和漢混淆の文書の中に幾度となく、人も含めた自然現象の理解に「三段階論」の影が覗き見えるのである。また、こんな視点から古事記を紐解いてみようかな…「當岐摩道」に入り過ぎなので、元に戻って…
火遠理命は海神之女・豐玉毘賣命と結ばれ天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が誕生する。鵜葺草葺不合命は其姨・玉依毘賣命を娶り、五瀬命、次稻氷命、次御毛沼命、次若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、亦名神倭伊波禮毘古命の四人が誕生する。五瀬命と豐御毛沼命が大倭豊秋津嶋への侵攻を果たすのである。
当初の「日向」「宇沙」の地の修正を加えたこと以外の変更はなく、ファイナルな提案としたい。とあるサイトで「熊野」=「隈野」山奥にある場所と読まれている方がいた。だがもう一歩踏み込んで「熊」=「隅(スミ)=角=阿」とすると「熊野」の在処が見えてくるのでは?…。
無理であろう、拡大解釈で紀伊半島としてしまっては地形象形も反って難しい。いずれにしても「吉野河川尻」の説明ができなければ矛盾の解消はあり得ない。「熊曾国」=「隅が重なり合って高くなった国」角が山の形状した地形の象形例であろう。
現在の福岡県行橋市上津熊、中津熊、下津熊という地名、古事記の世界そのものではなかろうか。「底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也」とある。「熊」=「隅」=「墨」である。現存する地名だけから解釈するなら「難波津」は「行橋市」と言えるのではなかろうか…。
無理であろう、拡大解釈で紀伊半島としてしまっては地形象形も反って難しい。いずれにしても「吉野河川尻」の説明ができなければ矛盾の解消はあり得ない。「熊曾国」=「隅が重なり合って高くなった国」角が山の形状した地形の象形例であろう。
現在の福岡県行橋市上津熊、中津熊、下津熊という地名、古事記の世界そのものではなかろうか。「底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也」とある。「熊」=「隅」=「墨」である。現存する地名だけから解釈するなら「難波津」は「行橋市」と言えるのではなかろうか…。
古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…
故、坐日向時、娶阿多之小椅君妹・名阿比良比賣生子、多藝志美美命、次岐須美美命、二柱坐也。然更求爲大后之美人時、大久米命曰「此間有媛女、是謂神御子。其所以謂神御子者、三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比賣、其容姿麗美。故、美和之大物主神見感而、其美人爲大便之時、化丹塗矢、自其爲大便之溝流下、突其美人之富登。爾其美人驚而、立走伊須須岐伎、乃將來其矢、置於床邊、忽成麗壯夫、卽娶其美人生子、名謂富登多多良伊須須岐比賣命、亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。是者惡其富登云事、後改名者也。故、是以謂神御子也。」[はじめ日向の國においでになった時に、阿多の小椅の君の妹のアヒラ姫という方と結婚して、タギシミミの命・キスミミの命とお二方の御子がありました。しかし更に皇后となさるべき孃子をお求めになった時に、オホクメの命の申しますには、「神の御子と傳える孃子があります。そのわけは三嶋のミゾクヒの娘のセヤダタラ姫という方が非常に美しかったので、三輪のオホモノヌシの神がこれを見て、その孃子が厠にいる時に、赤く塗った矢になってその河を流れて來ました。その孃子が驚いてその矢を持って來て床の邊に置きましたところ、たちまちに美しい男になって、その孃子と結婚して生んだ子がホトタタライススキ姫であります。後にこの方は名をヒメタタライスケヨリ姫と改めました。これはそのホトという事を嫌って、後に改めたのです。そういう次第で、神の御子と申すのです」と申し上げました]
阿多之小椅
神倭伊波禮毘古命の娶りの説話になる。日向時代に娶った比賣「阿多之小椅君妹・名阿比良比賣」の「阿多」は熊曾国又は近接するところと紐解いた。偶然の一致ながら、通説も熊曾国なのである。勿論場所が異なる。ほとんどの地名が準備されているので苦労は無し、通説の場合であるが…。
この地の特定で熊曾国を詳細に眺めることになって「長谷」の地名(北九州市門司区長谷)が残っていることがわかった。実際の地形もその通りである。この地形には間違いなく「宮」があったと推測できる。「長谷」は「宮」の立地条件を満たすからである。
「小椅」決して長くない谷であり、むしろ肘掛の左右の山が特徴の地形と言える。後に登場する「倉椅山」と共に、なんとも言い得ている象形である。出雲国に隣り合わせるこの地の地名が登場して、ホッとする気分である。良き場所だが、如何せん狭かった、のであろう。
美和之大物主神
さて、曲者の「美和之大物主神」の登場である。赤い矢に変身できる、これだから生尾人達にも見つからずに潜んでいられたのか…古事記はこの神の出自を明かさない。結局大国主神と「同神」、その「御魂」だとか、八十神の一人かもしれないという諸説が出る。この正体不明の化物がシャシャリ出てくるのである。<追記>
出雲、即ち須佐之男命の血が色濃く混じっていることはわかる。紛う事無く先進の地であったわけであるし、「天」の神様達の息のかかった、「葦原中国」であった。それに係る人物として、それ以上は曝さない方針なのであろうか?…。神様としての配役ならば良いのだが「突其美人之富登」とまで・・・。
三嶋の女
「伊須氣余理比賣」は母親似?…おや、大物主神も「麗壯夫」であった。一応、神の子かな…。その母親は「三嶋湟咋之女・名勢夜陀多良比賣」とある。「湟咋」=「溝杭」=「用水路を造るために杭打ちする人」と意訳できるであろうか。「三嶋(ミノシマ)」と読めるから、後に出現する「意富多多泥古」が住んでいた「河內之美努村」辺りで探してみよう。
現在の福岡県京都郡みやこ町勝山箕田に三島団地がある。由来などは不明であるが、該当する場所ではなかろうか。長峡川と初代川に挟まれた中州の地であり、治水されていたものと思われる。山から川の流れに沿って赤い矢になって向かうには格好の場所である。女は玉、男は矢、判り易い表現かも…。
「伊須氣余理比賣」は日子八井命、次神八井耳命、次神沼河耳命の三人の御子が誕生する。そして跡目の争いが勃発するが、それは次回に…。
…と、まぁ、読み飛ばしたところが多多にある・・・。
<追記>
2017.09.03「美和山」等の場所修正。後日に詳細、結論のみ…①「美和山」=「足立山(竹和山)」(北九州市門司区・小倉北区) ②「麻紐の先の神社」=「妙見宮上宮」(妙見山) ③「畝火山=美和山」の重複回避 ④御諸山:谷山(足立山~戸ノ上山稜線上の複数の頂を持つ山;下図の右上△403.9)
美和之大物主神については「大物主大神の正体」を参照願う。