2017年8月10日木曜日

天孫降臨のエピローグ 〔079〕

天孫降臨のエピローグ


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
さあ、いよいよ出立である。何と言っても天下に轟渡る武将の二人が傍に侍る布陣、安萬侶くんも名調子になっている。高揚した記述は意味不明の言葉も散りばめられる。「天」を離れる場所が「天之石位」とある。早速探索に出立である。

古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)

故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、離天之石位、押分天之八重多那雲而、伊都能知和岐知和岐弖、於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。故爾、天忍日命・天津久米命、二人、取負天之石靫、取佩頭椎之大刀、取持天之波士弓、手挾天之眞鹿兒矢、立御前而仕奉。<追記>[そこでアマツヒコホノニニギの命に仰せになって、天上の御座を離れ、八重立つ雲を押し分けて勢いよく道を押し分け、天からの階段によって、下の世界に浮洲があり、それにお立ちになって、遂に筑紫の東方なる高千穗の尊い峰にお降り申さしめました。ここにアメノオシヒの命とアマツクメの命と二人が石の靫を負い、頭が瘤になっている大刀を佩いて、強い弓を持ち立派な矢を挾んで、御前に立ってお仕え申しました。このアメノオシヒの命は大伴の連等の祖先、アマツクメの命は久米の直等の祖先であります]

天之石位


壱岐の港に絞って「石位」に関連するところ探すと…谷江川の河口(芦辺漁港)に壱岐市芦辺町諸吉大石触という地名がある。安河(谷江川)の上流から下流そして河口から「天」を離れた、という設定になる。納得できる行程であろう。高天原の地名に確からしいものが一つ加わったと思われる。

通訳「天上の御座を離れ」…さすがに武田氏、上手い訳を…。前記の「邇岐志」「八衢」も併せて地図に示す。高天原も地上の国らしくなってきたかな?…併せて大石神社の口コミも…。



「伊都能知和岐知和岐弖」この辺りが名調子に感じるところかも?…訳したら、誤りのない訳であろうが、リズムがない、ということであろう。

次の一文も訳に困るところであろうか…「宇岐士摩理、蘇理多多斯弖」…「宇岐」は「浮」と掛けている感じである。「宇」を人の象形とすると「宇岐」=「両脇」と解釈される。

「蘇理」=「弓の反り」と合わせると「宇岐士摩理、蘇理多多斯弖」=「脇を締めて、弓を立たせて」と紐解ける。御伴の者達が背筋を伸ばして武器を小脇に支えて整列した状況を表現しているようである。

絵になるところ、いや、そう読めるように記述している。安萬侶くん、歌の才能もあるんだと…余計なことか…。


「天浮橋」そして「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」は既に紐解いたところである。彼らは猿田彦の道案内で「天浮橋」に到着、そこは「天之国」と「葦原中国」の「国境」の地である。だから隊列を整えて「国境」を越えるのである。何故、言向和平した出雲国に渡らなかったのか?

彼らのミッションは「豐葦原水穗國」を言向和平すること、だから猿田彦の案内に任せて新しい地「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」を目指したのである。加えて国境近くの煩わしかった出雲国を言向和平した後は、その遥か西方にあるところから「豐葦原水穗國」への侵攻を想定したのである。

「天浮橋」から見て上陸可能な場所は極めて限られていた。多くの人が住めて後の侵攻作戦が実行できそうなところは「日向国」しかなかったというのが現実であったろう。幾度となく述べてきたように縄文海進の時代の玄界灘、響灘に面した地域は衣食住を満たす環境は稀有であった。

本ブログで特定した場所…「天浮橋」「日向国」等々…の配置は彼らの行動を納得性高く示すことができる。過分の修飾や奇想天外な比喩を取り除けば現在でも十分に伝わってくる出来事なのである。武将達の出立の表現も物々しさが伝わってくるのである。

古事記原文…

故爾詔天宇受賣命「此立御前所仕奉、猨田毘古大神者、專所顯申之汝、送奉。亦其神御名者、汝負仕奉。」是以、猨女君等、負其猨田毘古之男神名而、女呼猨女君之事是也。故其猨田毘古神、坐阿邪訶、爲漁而、於比良夫貝其手見咋合而、沈溺海鹽。故其沈居底之時名、謂底度久御魂度久、其海水之都夫多都時名、謂都夫多都御魂、其阿和佐久時名、謂阿和佐久御魂。[ここにアメノウズメの命に仰せられるには、「この御前に立ってお仕え申し上げたサルタ彦の大神を、顯し申し上げたあなたがお送り申せ。またその神のお名前はあなたが受けてお仕え申せ」と仰せられました。この故に猿女の君等はそのサルタ彦の男神の名を繼いで女を猿女の君というのです。そのサルタ彦の神はアザカにおいでになった時に、漁をしてヒラブ貝に手を咋い合わされて海水に溺れました。その海底に沈んでおられる時の名を底につく御魂みたまと申し、海水につぶつぶと泡が立つ時の名を粒立御魂と申し、水面に出て泡が開く時の名を泡咲御魂と申します]

無事に降臨した邇邇芸命が、功績大である猿田彦に天宇受賣命を譲る場面である。天照大神の岩屋事件時の最大の功績者であり、巫女であったろう彼女への心配りのように思われる。と同時に国神との融和を示しているようでもある。いずれにしてもこの説話の背景には深いものが横たわっているように感じる。

阿邪訶


順風に思われた猿田彦が不慮の事故で亡くなってしまう。その場所が「阿邪訶」なんとも簡単な表記、現在の三重県松阪市(旧一志郡阿坂村)と言われているが、さて、そうであろうか?…物語の流れからは伊勢とは繋がらない。降臨地、日向国内にあった場所ではなかろうか。

「阿邪訶」=「阿()・邪訶(サカ:堤)サカ=坂と表記しないことに理由があると思うべし。後に「岡の水門」と呼ばれる場所、現在の福岡県遠賀郡芦屋町にある台地である(現在は大半が航空自衛隊芦屋基地に含まれる)「大羽江」とも表現された特異な地形である。特徴ある地形の場所、当時にはなんの修飾語も必要なく理解されたところと思われる。三つの御魂を付けて弔ったのであろうか…。


説話は「神阿多都比賣」亦名「木花之佐久夜毘賣」との遭遇の場面へと進む。「笠沙御前」で見染めた彼女に早速の求婚、父親の大山津見神、この神伊邪那岐達が国生みしたその後に生まれた山神、が喜んで、姉の石長比賣と二人を差し出した。が、邇邇芸命は姉を返してしまう。後代にも同じ理由で返却の目に遭った比賣が自殺するなんて事件が勃発するのだが、色々と引き摺ることが発生する。御命、短命になった?…。

火照命(後の海佐知毘古)、火須勢理命、火遠理命(後の山佐知毘古)の三人を全て燃え盛る火の中で産んだとか…漸くにして天孫降臨の物語は終わりを告げる。火照命は「隼人阿多君之祖」となるとのこと。出雲国に関連する地であろう。

阿多


「阿多」=「阿(山が入組んで奥まったところ、寄り掛かる)・多(出雲国)」と解釈できる。筑紫嶋の「熊曾国」である。「建日別」の「建」と「隼人」と掛けているのであろう。後の「熊曾建」に繋がる記述である。筑紫嶋のこの地に関する少ない記述の中の一つである。

現地名は北九州市門司区黒川(大字)、当時は現在の丸山・丸山吉野町辺りが中心地であったろう。「阿多」は上記の「神阿多都比賣」また、神倭伊波礼比古が日向時代に娶った「阿多之小椅君妹・名阿比良比賣」に出現する。「小椅」は現在の同市門司区長谷ではなかろうか。


古代における出雲国の果たした役割は極めて大きいとあらためて感じるところである。

何と言っても三貴神の一人須佐之男命が降臨して以来物語の舞台は常に出雲の地であった。

だからこそ古事記の記述の中で占める分量が多く、また内容も詳細で具体的である。

通説の出雲国、その地における伝説を付け加えたかの解説は全く当たらない。

伊邪那岐・伊邪那美の「国生み」そして「神生み」の後に途切れることなく続く物語である。

暇が取り柄の老いぼれも今回のように詳細に考察を加える前までは、挿入される寓話からして物語の一貫性にやや首を傾げたくなる気分であった。

だが今は一点の曇りも無く払拭されたと感じる。古事記は寸分も揺るがぬ編修方針の下に纏められた書であると。それを信じて更に深みへと進んで行きたい…古事記原文は通称「海幸彦」「山幸彦」の説話に進む。「山幸彦」の御子に神倭伊波礼比古が誕生する。

古事記の中をグルグル回って一巡した。古事記が示す地理的範囲は決まった。九州東北部に集中した古事記の舞台、幾人かの先人がその一部を試案として示すに止まったこの舞台がどのようにして現在の日本へと広がって行ったのか、いよいよその繋ぎ目を求めることになろう。

…と、まぁ、なんとか漕ぎ着けたが、上陸できるかな?・・・。



<追記>

天忍日命・天津久米命

帯同した天忍日命・天津久米命について少々書き加えて置こうかと思う。「其天忍日命此者大伴連等之祖・天津久米命此者久米直等之祖也」と記述され、後々まで天皇を支える大将軍の祖となる命達である。

彼らの出自として名前に潜められた場所を紐解いてみよう。

忍日=忍(目立たぬ)|日(火の頭)
久米=久(久の形)|米(川の合流点)

…「火の頭」は上記の「萬幡豐秋津師比賣命」の場所が判れば…「秋」→「火」ということであろう。「久の形」は「句(ク)」の川の形となる。後に出てくる「阿久斗比賣」に類似する。天津の近隣であろう。纏めた図を示す。また後に「久米=黒米」と解釈する場合が生じるが、掛けてあるのかもしれない。

彼らが所持したのが「取持天之波士弓、手挾天之眞鹿兒矢」と記述される。高御巢日神・天照大御神が天若日子を出雲に派遣する時に授けたのが天之麻迦古弓・天之波波矢」別名「天之波士弓・天之加久矢」と記されていた。並べて整理すると…弓は「波士弓(端が反り曲がった弓)」で同じ、矢の表現が更に追加されているような感じである。

「眞鹿兒」は文字通りでは「本物の鹿の児」であろうが、弓矢に関連するとすれば、接着に使用する「膠(ニカワ)」のことを述べていると解釈される。鹿皮などから加熱抽出し、接着剤として古代でも利用されていたことが知られている。


眞鹿兒矢=鹿皮の膠で作った矢

…と読み解ける。矢羽及び矢尻(鏃)を矢柄(篦)に取り付けるには不可欠のものであったろう。この接着が不完全では矢の性能に大きく影響する。重要なキーワードなのである。「眞鹿兒」=「麻迦古(縛り合せて固定する)」と読み替えることができる。膠を使って縛り合せて固定して矢を作ったのである。武器については、真に捻れた表現をしている。本来は極秘であったから、と憶測しておこう。Youtubeに自作の矢が載っていた。尚、詳細はこちら。(2018.03.13)