2017年7月1日土曜日

応神天皇:華麗なる船出-その壱-〔057〕

応神天皇:華麗なる船出-その壱-


国土は拡がり朝鮮半島との繋がりも出来つつある、そんな時に登場した品陀和氣命であるが、何せ神懸かりな活躍を為される。高志前の角鹿で神様と名前の交換したお方だから。途中に挿入される「蟹の歌」、ご自分を蟹に比喩されているのだが、なんとスタートは高志。名前だけじゃなくて中身も交換したのであろうか。

そんな訳で説話は多彩。既に挿入歌も含めて紐解いた。そこで語られる内容に驚かされた。当時の人々、特に天皇家を含む豪族達にとって「丹」は最大の関心の的でだったのであろう。丸邇氏の勢力の隆盛を迎えていた。

依網の日向に朝鮮半島からの渡来が思いを超えて増え続けている。望んだことではあるが、心配事も増える。そんな心境を詠った天皇でもあった。今回は記述された地名関連の詳細を調べてみたい。多彩な説話の背景を知るために…。

娶った比賣の出身は五百木、丸邇、倭、日向、葛城である。旦波、山代といった東及び南の国からは激減している。御子は男女合わせて26人であるが、「祖」となる記述は殆どない。比賣達の出身地の詳細が名前に潜んでいる。

 
高木(五百木)の比賣


古事記原文(脚注略)…

此天皇、娶品陀眞若王品陀之女三柱女王、一名高木之入日賣命、次中日賣命、次弟日賣命。(此女王等之父・品陀眞若王者、五百木之入日子命、娶尾張連之祖建伊那陀宿禰之女・志理都紀斗賣、生子者也。) 故、高木之入日賣之子、額田大中日子命、次大山守命、次伊奢之眞若命、次妹大原郎女、次高目郎女。五柱。中日賣命之御子、木之荒田郎女、次大雀命、次根鳥命。三柱。弟日賣命之御子、阿倍郎女、次阿具知能三腹郎女、次木之菟野郎女、次三野郎女。五柱。

もうすっかり「伊豫之二名島」の名称は消え、「・・・木」の表記に代わっている。五百木=伊豫国、高木=粟国である。景行天皇の三皇太子の一人であった五百木之入日子命後裔の比賣…名前から「高木」に居た比賣…を娶ったという。

大雀命(後の仁徳天皇)、大山守命など説話の登場人物名も見られる。地名に関連すると思われる名前について見てみよう。「伊奢之眞若命」の「伊奢」が指し示すところは何処であろうか? 思い付くところは応神天皇が高志の角鹿で名前を交換した地の神「伊奢沙和氣大神」、「食」の神、気比神宮の主祭神である。

「奢」の意味と合わせるとその場所は「伊奢」=「食物が有り余って分け与えることができる」と解釈できそうである。「高木」は洞海湾の遠浅の漁場に面した、難波に囲まれた古事記の世界では珍しい、貴重なところであった。その中央部である現在の北九州市若松区赤島町・今光辺りを指していると思われる。

「木之荒田郎女」「木之菟野郎女」、「木国」とは記述しないことから、「木」が示すところは、この四つの木…五百木、高木、若木、沼名木…に囲まれた場所と考える。頓田貯水池東側の現地名、同区頓田・畠田辺りであろう。「菟野」は「菟」=「宇」として岩尾山~弥勒山の麓とできる。

「阿具知能三腹」これは難解。挿入の「天之日矛」の説話に「阿具奴摩」が登場する。どうしても「阿具」の解釈に嵌ってしまうのであるが、「阿・具知」=「阿(奥まって隠れたところ)・具知(口)」で解決である。洞海湾の表記そのものであった。現在の同区古前、高塔山南麓である。

更に「三腹」いろいろ思い巡って「腹」=「魚の腹子の個数」に辿り着いた。何とも、本名かい?、と言いたくなるような名付けであるが、意味は通る。「高木」の漁獲量は群を抜いていた、ということであろう。洞海湾は「死海」となったが、それが元に戻りつつあるという、願わくば古代にまで戻ってくれれば…あり得ないことであろうが・・・。

その他地名と判断して見ると、「額田」=「岸から飛び出したところの田」現在、岬の山公園と言われる場所近隣の同区和田辺りであろう。「大・原」=「大・腹」で山腹を示すと考えて、同区大池辺りと思われる。現在も山腹のみに位置するが、現地名の由来など知るすべなし。

「高目」の「目」=「隙間、中心」から現在の同区百合野町辺り。正一位稲荷大明神が鎮座しているところである。「三野」は「三野国」の場所と類似、即ち山稜の角(隅)であろう。現在の同区東二島近隣と推測される。これは「伊余湯」の麓にあたるが、果たして適切であろうか…。




「高木」の発展が伺える。豊富な漁獲量、急勾配の斜面の開拓などを経て人々が寄集り繁栄する。この流れは後代まで続いたであろう。そんな推移も知りたいところである。古事記は人名、地名の中で伝えようとしている。記憶に留めておかなくはならない大切な事柄である。

丸邇・日向・葛城の比賣


古事記原文(脚注略)…

娶丸邇之比布禮能意富美之女名宮主矢河枝比賣、生御子、宇遲能和紀郎子、次妹八田若郎女、次女鳥王。三柱。又娶其矢河枝比賣之弟・袁那辨郎女、生御子、宇遲之若郎女。一柱。…(中略)…又娶日向之泉長比賣、生御子、大羽江王、次小羽江王、次幡日之若郎女。三柱。…(中略)…又娶葛城之野伊呂賣生御子、伊奢能麻和迦王。一柱。此天皇之御子等、幷廿六王。男王十一、女王十五。

「丸邇」については既に詳細を記述したが、補足しておこう。「比布禮」=「並べて布を敷いたような山裾の高台」と解釈される。丸邇坂のメインストリートにある現在の福岡県田川郡赤村内田中村辺りであろう。

「宇遲」=「(丸の)内(ウチ)」としたが、「宇遲」­=「宇(尾根の端にある)治(治水されたところ)」「宇沙」から連想すれば容易に導かれる。即ち、読みの「内(ウチ)」の表記を地形象形的に表現したのが「宇治」=「宇遲」であると思われる。見事な文字使い、現在の文字能力の退化具合を噛締める羽目に・・・。

さて、漸く「日向」詳細地図が描ける時が来た…油断は禁物、が先に進もう。日向の比賣を娶って生まれた子が「大羽江王」「小羽江王」「幡日之若郎女」である。「羽江」とは? 真に単純、遠賀川河口に二つの大小の台地が存在している。正に「羽状」を示してる。

「大羽江」は現在の福岡県遠賀郡芦屋町芦屋、航空自衛隊芦屋基地に大半が含まれる。一方の「小羽江」はその西隣、同郡岡垣町黒山である。極めて明快な比定となった。日向の比賣から生まれた御子の名前、それは「日向国」の場所及びその中の地域の名称を指し示していたのである。

「幡日」は単純ではなかった、予想の通りではあるが・・・「幡」=「のぼり、旗(めく)、裏返す」などの意味を含む。漸くにして辿り着いたのは「幡日」=「日を裏返す」池の水に映った太陽であった。水面で揺れ、はためく状況を表すとも理解できる。

「依網池」が無数にある場所、それが「幡日」現在の同郡岡垣町野間(大字)と推定された。団地が多数建てられ、古代の様相とは大きく異なると思われるが…。少々回り道をしたが「幡日」が示す処も遠賀川の河口付近を象徴するものであった。


葛城の御子に「伊奢能麻和迦王」と名付けられた。上記の「伊奢」であろう。この地の求人倍率は相当なものであったのだろう。応神天皇の娶りと御子達から、しっかりと地域の様子を教えて頂いた。「日向国」の地、ほぼ確定とみなされる。ならば、天孫降臨の地もほぼ確定である。


大山守命


古事記原文(脚注略)…

是大山守命者、土形君、弊岐君、榛原君等之祖。

宇遲能和紀郎子と戦い敗れ去った王子である。手厚く葬られたのであろうか、祖として名誉は保たれている。結局濡れ手で高木、いや粟の仁徳さんが登場することになる

「土形」には様々な解釈があって、むしろ混乱するところであるが、単純に考える。「土形」=「(粘)土の形(型)」とする。銅の鋳型と考えると場所は狭い範囲で特定できると思われる。残存する地名はないが、現在の福岡県田川郡香春町採銅所に鍛治屋敷という地名がある。その辺りと推測される。


「弊岐」=「弊(尽きる)・岐(二つに分かれる)」一般的な意味である。特定は不可ではあるが、上記の採銅所がある「長谷」の谷間を行くと金辺峠である。


谷間の尽きるところ、それを「弊岐」と呼んだのであろう。


住所表示は変わらず同町採銅所(谷口)である。最後の「榛原」も一般的な名前であり、同町採銅所(道原)辺りではなかろうか。

こうしてみると「大山守命」の「山」は「鉱山」の山であった。しかも最も大事な山であった。




垂仁天皇を亡き者にしようと事件を起こした「沙本比古」も採銅所に関係する。どうやら銅に絡むと気持ちが大きくなるものかも…。

まだまだ応神天皇紀は続くが、一旦小休止。続きは「天之日矛」の昔話からとしよう…。

…と、まぁ、尽きることのない埋め込まれた地名、ボチボチと・・・。