2018年2月3日土曜日

比比羅木の神々 〔161〕

比比羅木の神々


「比比羅木」=「新羅」と紐解いた。「比比羅木」は景行天皇が倭建命に与えた「比比羅木之八尋矛」また大国主命の子孫が娶った「比比羅木之其花麻豆美神」に出現する。

比比羅木(の国)=一様に並び連なる山(の国)

…を示すと解釈した。ここでも「木」=「山稜の状態」を俯瞰した表現となっていることが判った。「比比羅木」=「柊」では決してない。いくら硬い木といっても荒ぶる神を退治するのに木刀はない。この解釈のままで放置されていることに首を傾げるのである。

以前は紐解きの先を急いで「比比羅木」に居た神々の在処を突き止めていなかった。今回はその全容解明を試みてみよう。朝鮮半島といえども古事記にある地名は同じ「ルール」で記述されているであろう。少々不安なのが詳細な地図の入手が可能かどうか…Google Mapが読み取れるか?…まぁ、一歩進むことであろう。

大国主命の娶りの記述に一連のその地に居た比賣と御子の名前が羅列される。それがヒントであろう。古事記原文[武田祐吉訳](抜粋)…、

此神、娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字、花下三字、以音之女・活玉前玉比賣神、生子、美呂浪神。美呂二字以音。此神、娶敷山主神之女・青沼馬沼押比賣、生子、布忍富鳥鳴海神。此神、娶若盡女神、生子、天日腹大科度美神。度美二字以音。
[この神がヒヒラギのソノハナマヅミの神の女のイクタマサキタマ姫の神と結婚して生んだ子は、ミロナミの神です。この神がシキヤマヌシの神の女のアヲヌマヌオシ姫と結婚して生んだ子は、ヌノオシトミトリナルミの神です。この神がワカヒルメの神と結婚して生んだ子は、アメノヒバラオホシナドミの神です]

上記の「此神」とは大国主命から六世代目、淤加美神之女・比那良志毘賣が産んだ多比理岐志麻流美神である。詳細は後日とするが、壱岐島の芦辺町諸吉大石触・芦辺浦辺りに居た神と紐解いた。壱岐に居た御子が比比羅木の比賣を娶ったと記される。以後比比羅木での娶りが続くのである。

ちょっと余談だが…「淤加美」=「龗」である。「龗」=「雨+龍」と分解すると、雨(水)をもたらす龍となる。では、「龍」とは?…壱岐島を流れる「蛇行する大河・谷江川」のことを意味すると紐解いた。高天原を理解する上で極めて重要なキーワードである。

比比羅木之其花麻豆美神

初めて具体的な固有の名前が記述される。勿論地形を象形した命名として一文字一文字を紐解いてみる。「其」=「箕」の略字と思われる。既述の反正天皇紀の「丸邇之許碁登」で紐解いた表現と繋がる。「碁」=「箕」農作業用の「ミノ」の形を模したものと思われた。

「花」=「艹+化」に分解すると「化ける」と言う意味を示すと紐解ける。「麻」=「摩:近接する」、「豆」=「凹凸」、「美」=「見:見える姿形、状態」とすると…、

其花麻豆美*=其(箕)|花(化けた)|麻(近接する)|豆(凹凸)|美(谷間が広がる)

…「箕に化けた近接する凹凸がある谷間が広がるところ」と紐解ける。「箕」の形は極めて特徴的である。下図を参照願うが、一に特定できる場所が浮かび上がって来る。その中心地の現地名は慶尚南道金海市大東面礼安里辺りと思われる。礼安里古墳群近隣のようである。

大河の洛東江の河口付近に位置し、対馬に最近接する場所でもある。朝鮮半島から渡来する人々が出発する最も重要な地点の一つが古事記に記述されていることが判った。「此神」は壱岐から対馬を経て礼安里に通った。古代の文化圏を垣間見せているのであろう。そして彼らの交流の中心に沖ノ島があったと思われる。

活玉前玉比賣神

その比賣の名前は何処を指し示しているのであろうか?…「活」=「氵+舌」として「舌」の地形象形と思われる。上記の「箕」の西側にそれらしき山稜が見出せる。「舌」の先が丸い形を示している。この山稜の西麓が「伽耶」の中心地であったと推測される。数少ない聞き慣れた地名である。現在に残る古代の名前ではなかろうか。

山稜の南端が現在の金海市の中心地である。古代より大河の河口に開けた地域と推測される。人々が定着し始めたところは、勿論倭国と同様であろう。そんな地で生きる知恵と知識がこの河口から伝えられたと思われる。

美呂浪神

誕生したの御子の名前である。これは直接紐解いてみよう…、

美呂浪神=美(三つ)|呂(背骨)|浪(定まらず)

…「三本の背骨のような山稜の凹凸が定まっていない」神となろう。下図を参照されれば一目であろう。現地名は、やや読取り難いが、金海市長有路辺りではなかろうか。

敷山主神之女・青沼馬沼押比賣

美呂浪神が娶ったのが「青沼馬沼押比賣」と記される。其の父親が「敷山主神」とある…、

敷山主神=敷山(山を敷いた)|主神(主の神)

…正に比比羅木=新羅の主神の意味であろう。この神の居場所は現在の慶尚南道庁の所在地にあったと推測される。現地名は昌原市義昌区とある。鎮海に接するところ、新羅国の中心地と思われる。その主神の比賣の名前が、何とも解読不能なような命名なのである。

実際の土地勘と同じく見慣れぬ地図の読み取りには少々時間が…見つかりました。そのものズバリの形の沼があった。これこそ地図を参照願うと一目なので、説明は控えるが、現地名は昌原市義昌区東邑である。東坂貯水池の名称になっている。

見た目の「馬」は理解できるが「青沼」とは何を…隣の沼のことを意味するのか?…と考えが巡るが、地名を調べて解けたのである。東邑の「東」=「青」これは仏教の五色に基づく。安萬侶くんの時代にはあったものであろうが、敷山主神の時代に使われていたとは考え難い。おそらく古事記を読む連中に分かり易く「青沼」と書き、時代が合わないので「馬沼」と追記したのではなかろうか。

青沼馬沼押比賣=東にある馬の形をした沼の傍に田を作る比賣

…としておこう。景行天皇紀に「押」=「手を加えて田にする」と紐解いたが、同様の解釈であろう。現在もこの近隣は広大な水田地帯のようである。洛東江の豊かな水源で開拓された地域と思われる。

布忍富鳥鳴海神

比比羅木の最後の神の登場である。「鳴海」は少し前に「鳥鳴海神」の記述があり「鳴=那留」と読むと註記される。「鳴海」=「ゆったりとした海(水)辺」と紐解ける。また「國忍富神」で解釈したように「忍富」=「目立たない山麓の坂」として(詳細は後日に)、以下のように読むと…、

布忍富鳥鳴海神=布(布を広げたような)|忍富(目立たない山麓の坂)|鳥|鳴海(水辺)|神

…「布を広げたような山麓の目立たない坂に鳥がいる水辺」神と紐解ける。何のことはない、馬沼の近隣である。現地名は注南貯水池という名前のようである。「劔池」以来の久々の感動の地形象形である。全て纏めて下図に示した。



<「沼」の拡大図>


布忍富鳥鳴海神は若盡女神を娶って天日腹大科度美神が誕生する。この続きは別途で記述するが、「天」の地に子孫が移ったことを伝えている。

また、新羅といえば応神天皇紀に登場の天之日矛の段に「阿具奴摩」<追記>という記述もあったが、後日に突き止めてみよう。本日は新羅の国が幾らかでもその実態を見せてくれただけでも良しとしよう・・・。

最後になるが、邇邇芸命が降臨した時に「此地者、向韓國眞來通、笠紗之御前而、朝日之直刺國、夕日之日照國也。故、此地甚吉地」と伝えられる。地図上に直線を引いて云々するのは趣味ではないが、面白いので、ご参考に…。


向韓國眞來通」は当然としても、沖ノ島との三点が乗っかるのは、美しい・・・。


<追記>

2018.02.22
「阿具奴摩」の候補地。「具」は沼の形を象形したと思われる。谷の川が注ぐとことが「具」の足を示しているようである。頭の部分は後に手が加えられたようであるが・・・。地名など少々不明だが、高速進礼JCの西、約5kmのところ(新安里近辺)である。標高は130~160mで「阿(台地)」として問題なしであろう。背後の山塊を越えると新羅の中心地(慶尚南道庁近隣)であったと思われる。

大国主命の子孫、比比羅木之其花麻豆美神の孫神美呂浪神の居場所とは約7~10kmの距離のところにある。天之日矛が追いかけて来た「阿加流比売神」の祖先と繋がるかもしれない。また後日に調べてみよう・・・「比比羅木」楽しくなって来たようだが、又いつの日か・・・。

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其花麻豆美*

別解釈の例示。下記の方が簡単明瞭のようである。詳細はこちらを参照。

「其」=「箕」、「花」=「端」、「麻」=「摩:削る」、「豆」=「高台」、「美」=「見:見える姿形、状態」とすると…「其花麻豆美」は…、

其(箕)|花(端)|麻(削る)|豆(高台)|美(谷間が広がる)

<羊>

…「箕の端となる凹凸が削られた谷間に広がるところ」と紐解ける。

尚、「美」=「羊+大」として、羊の甲骨文字を使った象形と解釈する。上部の三角が山、下部が谷間を示す。谷間に広がる大地と解釈する。(2018.12.06)
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