比比羅木の国=新羅国
大国主神、いや、八千矛命と高志の比賣との歌、なんともややこしい…言葉使いが少々違っているような感じもするが、加えて内容が内容なだけに、気分転換に先を見ると、ぼんやり記憶にある言葉に目が止まった。倭建命が景行天皇に東に行ったら今度は西に行け、と言われた時に手渡されたのが「比比羅木之八尋矛」その「比比羅木」である。
「比比羅木」これは「柊」と訳され、なるほどと思って引っ掛からなかった。ちょっと、変に感じるのが、木の矛って意味ある?…示威行動の飾りか?…の程度であった。がしかし、今度はそうはいかない、娶りの比賣の地名だからである。
大国主神の後裔の一人、多比理岐志麻流美神が娶ったのが「比比羅木之其花麻豆美」と記述される。「柊」のとしても誰も文句は言うまい?…と思いつつも、古事記の記述パターンでは紛う事無く地名を示す。さて、何と解くか?
古事記原文[武田祐吉訳]…
爾天皇、亦頻詔倭建命「言向和平東方十二道之荒夫琉神・及摩都樓波奴人等。」而、副吉備臣等之祖・名御鉏友耳建日子而遣之時、給比比羅木之八尋矛。[ここに天皇は、また續いてヤマトタケルの命に、「東の方の諸國の惡い神や從わない人たちを平定せよ」と仰せになって、吉備の臣等の祖先のミスキトモミミタケ彦という人を副えてお遣わしになった時に、柊の長い矛を賜わりました]
「比比羅木」が場所を示すとなると、「木」の地形象形であろう。古事記で幾度も出現し、空から見た時の山稜が描く模様を「木」の幹、枝の形で象形したと紐解いた。伊豫二名嶋の五百木、若木、高木、沼名木、師木、最近では茨木等である。「木=山陵」の地形象形である。
「比比」=「物事が並び連なるさま、一様に同じような状態であるさま(どれもこれも)」とある。羅はその状態、模様、柄を表す。「和訶羅河(輪のように曲がった河)」「末羅縣(国の端にある縣)」等で登場した。纏めると「比比羅木(之)」=「一様に並び連なる山がある(ところの)」と紐解くことができる。だが、特定には至らない。
調べると「新羅国」を「比比羅木の八尋矛根底附かぬ国」(播磨国風土記逸文)と表記することがわかった。「八尋矛根底附かぬ国」=「八尋矛が台につかない国」=「戦闘ばかりしている国」と解釈される。となると「比比羅木」=「同じような高さで並び連なる山がある」を掛ける国が「新羅国」となる。
この国の場所は朝鮮半島東南部、文献によると半島の75%は山岳地帯だが平均標高は482m、2,000m以上の山はなく1,915mが最高とある。分水嶺が東部海岸近くにあり、東高西低の地形、西に向かって緩やかに傾斜する。地図で確認するとその通りの「比比羅木」であることがわかる。
「比比羅木之八尋矛」は本家本元の「新羅国」で作られた銘刀、いや、銘矛であった。思い出されるのが「天之日矛」の説話である。新羅国から来た王子、倭人を祖に持つ比賣を追ってやってきたのだが、すんなり受け入れてもらえなかった。多遅麻国に向かい、八つの宝物を持ち込んで、その後にその地に居つき、神功皇后が生まれるという筋書きである。
全て繋がった話であろうし、また、意識的に繋げているようでもある。「比比羅木」という俗称を記述することで新羅の状況、というか新羅国の有様を述べている。要するに武闘国家であり、決して穏健な国ではないこと、それをあからさまに語らない、という記述である。
熊襲と通じる。熊襲を語らないのも新羅に通じるからであろう。必要最小限の記述で終わる。倭について語り、その周辺の国については極めて慎重、配慮が行き届いた記述方針と推測される。なんとも重要なキーワードを見逃していた。まだまだ多くあるのでは?…腐らず、拾って紐解くことと信じる。
ところで、この八尋矛は使われなかった、尾津の一本松に忘れたから。新羅の力を借りずに「言向和平」したことの象徴かもしれない。いや、そうしたかったのであろう。次の時代には凱旋報告をするのだから。
最後に朝鮮半島新羅の一部と九州北部の地形を並べてみた。縄文海進等の影響で現在とは大きく異なろうが、倭は島の国であることが明瞭である。それだけに「比比羅木」のような表記は当て嵌まらず、多くの「木」の表現となったのであろう。この目線で古事記は記述していることを忘れてはならないと思われる。