2025年2月4日火曜日

【古事記】別天神五柱神・神世七代 〔710〕

古事記:別天神五柱神・神世七代


天地開闢の記述と言われる段である。別天神名付けられた五人の神と神世七代、計十二名の神々が登場する。正に神様であって古事記が神話を語る書物と言われる所以である。従来よりそう解釈されて来たでのであるが、少々視点を違えて紐解いてみようかと思う。何故なら古事記全般を通じて神様の”名前”は彼の居場所、役割(古事記の中で)、加えてその人となりを、”万葉”に示していると思われるからである。

この視点はこの本著を通じて変わらぬものであり、その解釈から得られた古事記が語る世界こそが本来の日本の古代を表していると信じるものである。従来の解釈としてネットで入手できる武田祐吉氏の訳を併記することにした。解説などは新訂古事記(同氏訳注、角川文庫)を参照し、ネット検索の結果(例えばこちら)も述べながら取り進めたく思う。また、漢字解析については、こちらを参照させて頂いた。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此次高御巢日神、次巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
次、國稚如浮脂而久羅那州多陀用幣流之時流字以上十字以音如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。上件五柱神者、別天神
次成神名、國之常立神訓常立亦如上次豐雲野神。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。
次成神名、宇比地邇神、次妹須比智邇此二神名以音次角杙神、次妹活杙神二柱、次意富斗能地神、次妹大斗乃辨神此二神名亦以音次於母陀流神、次妹阿夜訶志古泥神此二神名皆以音次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神。此二神名亦以音如上。
上件、自國之常立神以下伊邪那美神以前、幷稱神世七代。上二柱獨神各云一代。次雙十神、各合二神云一代也。
[昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、この御三方は皆お獨で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました。次に國ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母(くらげ)のようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出して來るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。この方々も皆お獨で御出現になつて形をお隱しになりました。以上の五神は、特別の天の神樣です。それから次々に現われ出た神樣は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。そのうち始めの御二方は獨立ちであり、ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました]

1. 別天神五柱

高天原 「訓高下天、云阿麻」と註記される。冒頭の「天地」の「天」とは異なる意味を持つことが示されているのである。通説では、「アマ」と読んで「高天原」=「タカマガハラ」とされ、架空の存在説から現実の処々の場所まで、未だ定まってはいないようである。

「阿麻」の文字列が地形を表しているとすると、如何に読み解けるであろうか?・・・「阿」=「阜+可」と分解される。更に「可」=「丂+口」から成る文字である。”隅のある段になった丘”などを意味すると解説される。「阿」=「曲がって延びる谷間に区切られた段丘」を表わすと解釈できる。「阿」=「台地」と簡略に解釈する。

「麻」=「厂+𣏟」と分解される。植物アサの皮を剥ぎ取って繊維にする工程を表す文字と解説されている。地形として、「麻」=「擦り潰されたような様」と解釈する。「磨」の原字とされている。纏めると、天=阿麻=台地が擦り潰されたようになっているところと読み解ける。

この特徴的な地形は、溶岩台地の凹凸が侵食作用で擦り潰され、決して平坦ではないが極端な凹凸もない地形を表現していると解釈される。玄界灘に浮かぶ壱岐島以外にこの地形を求めることは極めて困難と思われる。

「高(タカイ)」と読んで良いのだろうか?…天(ソラ)高く…そんな感じに読めるように記述されているが・・・。「天」=「擦り潰された台地」とすると、「高い」とは矛盾する文字列となろう。

「高」は「筋状に盛り上がった様」を象った文字とされる場合がある。物が乾いて皺が寄った様を表すと解説される。例えば槁・稿(藁)・縞などの文字要素となっている。即ち、「広げた布に皺が寄ってできる筋目がある地形」を表している。

纏めると、高天原=皺が寄ったような(高)地が擦り潰されて(天)平らに広がっている(原)ところと紐解ける。下図の壱岐島の地形を表現したと解釈される。古事記中の「高」が表す地形は、例外なく”高い”ではなく、”皺が寄った”なのである。

<壱岐島>

古事記は全編を通じて、漢字の文字列によって「地形」を表す。これを…、

地形象形

…と名付ける。従来より難解、意味不明などとして解釈されて来なかった文字列が本著の中で、活き活きと、それが伝えるところを示すのである。

1-1. 別天神:三柱神

この高天原に三柱神が現れたと記述される。天之御中主神・高御巢日神・巢日神である。この神々の名前は何と読み解けるのであろうか?・・・勿論、地形象形表記の筈である。

①天之御中主神 従来より「天の真中を領する神」と解釈されている。三柱神の中でも最も高位な位置付けであるが、他の二神は古事記本文に登場されるのだが、この神が登場するのはこの記述のみである。また、文字列が示す意味も、それらしく読めることから異論のない神のように理解されている。

しかしながら使われている文字をよく見れば、地形象形する場合に頻出する文字列あり、この神の居処を表しているのである。一文字一文字を解いてみよう。「天」=「阿麻」として、「御」=「束ねる様」、「中」=「真ん中を突き通す様」と解釈する。

<天之御中主神>
「主」を何と読み解くか、であろう。辞書によれば「主」=「灯をともす皿の中の灯心」を象ったものと言われる。

その形から「真っ直ぐにじっと立って動かない」様を表す文字として使われていると解説されている。

地形象形的には、古文字を図中に示したが、これを「火を噴く山稜」の象形として用いたのではなかろうか。

纏めると、御中主神=真ん中を突き通す(中)真っ直ぐに延びる火を噴く山稜(主)を束ねる(御)神と紐解ける。三柱神の「柱」=「木+主」と分解される。木=山稜であり、柱=火山を示していることになる。ここでの「主」は「柱」を略した表記と解釈することもできる。

「御中主神」が坐した場所は、現地名勝本町本宮東触辺りと推定される。”神通の辻”を中心とする火山群、それが「天(阿麻)」の中心であることを伝えている。また、後に登場する天安河の上流部にある谷間である。

②高御產巢日神 上記と異なり、文字通りに読み下してもスッキリとは受け取れない文字列である。通説でも読み下した例は少なく、「本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である」と言う説ぐらいであろう。

次の「伊邪那岐・伊邪那美」のように「神產巢日神」と対をなして「産む」神としての解釈であろう。「伊邪那岐・伊邪那美」と違って性別不明なことが引っ掛かるようでもあり、曖昧な状態である。

例えば、高御產巢日神=高(高所から)|御(束ねる)|產(生み出す)|巣(住処)|日(日々)|神
…として、「人々が寄り集まり住まう住処を生み出すために高所から(高い位置から)統御する日常の神」と読んでみたものの、スッキリとはしないのは通説同様である。
 
<高御產巢日神・神產巢日神>
と言うことで、「創造」の神のイメージを示しながら、やはりこの神の居処を表す地形象形表記と思われる。
ならば一文字一文字を紐解いてみよう。「高・御」は上記に従う。

「產(産)」=「文+厂+生」と分解される。「文」=「交差する様」、「厂」=「山麓」、「生」=「生え出る様」と解釈する。

「子を産む」の意味を示すが、地形象形的には「產」=「山麓で交差する山稜が生え出る様」と読み解く。「巢(巣)」=「[巢]のように丸く窪んでいる様」、「日」=「[炎]のように山稜が延びている様」と解釈する。

「日(炎)」はこの後古事記に頻出する文字である。「日」=「太陽」を象っている文字であるが、古事記は太陽を丸い形に捉えるだけではなく、輝く[炎]のような姿として表している。更にその[炎]の形を山稜から延びる複数の稜線を象ったと解釈する。

すると高御產巢日神=皺が寄ったような地(高)の麓で交差するように山稜が生え出ている(產)[巢]の形をした谷間を束ねる(御)[炎](日)のような山稜が延びているところに坐す神と紐解ける。図に示したように山腹に皺の筋が見える地に囲まれた地形を表していると思われる。

現地名は、勝本町仲触と東触との端境である。この神は、後に高木神と別名を持っていたと告げられる。簡単な表記であり、坐していたのは最も南側の山稜(麓)と推定した。

③神產巢日神 この神の名前には「神」が二度も用いられている。勿論、最後の「神」は「神様」を表すのであろう。すると最初の「神」=「示+申」と分解され、「示」=「高台」、「申」=「長く延びている様」と解釈される。「神」=「高台が長く延びている様」の地形を表していることになる。「神」=「雷:稲妻」と解釈することも可能であろう。

纏めると、神產巢日神=山麓で長く延びた高台が生え出た[巢]の形をした谷間がある[炎](日)のような山稜が延びているところに坐す神と紐解ける。現地名は勝本町仲触である。「高御產巢日神」と全く同様の[炎]の地形が谷間を形成していることが分かる。

また「雷」=「雨+畾」に分解できるとすれば、恵みの雨を誘起するという穀物を育てるには不可欠な存在、それを活用していた神であることを伝えていると推察される。後述される須佐之男命の段に「天」を追い払われ、出雲に降臨する際、大氣津比賣神から食物を調達しようとする。その比賣神の身体から種々の食物が生えてくるのをせっせと巢日神が取り集めて種にするという記述がある。

また大國主命の段に常世國から神產巢日神之御子・少名毘古那神が登場する。大國主命に稲作技術を伝えに来たと紐解いた。その役割は、巢日神の名前に刻まれていたのである

ところで「御中主神」には「天之」と冠されるが、他の二神には冠されない。即ち二神の居処は「天(阿麻)」ではないのである。漠然とした”天上”の存在ではなく、地に足付けた存在であったことが伺える(上図<壱岐島>参照)。
 
1-2. 別天神:二柱神

次いで二柱神が登場する。「宇摩志阿斯訶備比古遲神、次天之常立神」と記される。この二柱神に割り当てられた役割は何であろうか?…名前に刻まれているのである。何とも奇妙な名前の持ち主から紐解いてみよう。

①宇摩志阿斯訶備比古遲神 「阿斯訶備」=「葦牙」とされるようである。「牙」=「カビ」と読み、意味は武田氏の通り「葦の芽」、「芽」=「艹+牙」である。だがこの四文字だけを抜き取って読むとは、都合が良過ぎるのではなかろうか。

阿斯訶備」も含めて文字を一文字一文字を解釈すると…「宇」=「宀+于」=「谷間に山稜が延びている様」、「摩」=「麻+手」=「山稜が手の指のように細かく岐れる様」、「志」=「之+心」=「奥まった地で川が蛇行して流れている様」と解釈する。補足すると、「摩」は「擦られて細かく岐れた様」である。勿論、地形に従って「麻」と使い分けられている。「之」は「蛇行する形」を象形している。古事記中多用される文字である。

斯」=「其(箕:分ける)+斤(斧:切る)」=「山稜が切り分けられている様」、「訶」=「言(耕地)+可(谷間)」=「谷間が耕地になっている様」、「備」=「谷間が筒のようになっている様」と解釈する。補足すると、「言」=「辛(刃物)+囗」=「地を耕す様」、「備」=「人+𤰇(箙エビラ)」=「谷間で矢筒のようになっている様」と解釈される。

「比」=「くっ付いて並んでいる様」、「古」=「丸く小高い様」、「遲」=「山稜が[犀]の角のように延びている様」となる。すると、「宇摩志阿斯訶備比古遲神」は…、

⑴宇摩志=谷間に延びた山稜(宇)が細かく岐れた(摩)麓で蛇行する川(志)が流れているところ
⑵阿斯訶備=切り分けられた(斯)台地(阿)の麓で筒状の谷間(備)が耕地になっている(訶)ところ
⑶比古遲=丸く小高い地がくっ付いてくっ付いて並んで[犀]の角のように延びているところ

…の地形がある場所に坐す神と解釈される。壱岐島でそんな場所は見つかるのか?・・・。
 
<宇摩志阿斯訶備比古遲神>
現在の地名が壱岐市芦辺町の場所が
上記に含まれる地形を余すことなく再現していることが解る。

壱岐島の、決して山岳地形ではないが、台地形状の複雑な地形を、この長い名前で表現したものであろう。

「葦」=「芦(蘆)」違いは、前者は穂が出て、後者は未だ出ていない、とのこと。共に「アシ」で残存地名かもしれない。確かに葦牙」の形に見えなくもない地形を表しているようである。

更に読み落としてはならないことは、上記でも述べたように”天(阿麻)”が付かないことである。この地は「阿麻」ではなく「宇摩志阿斯」が特徴的な地形なのである。

後に物部氏の祖と伝えられる「宇摩志麻遲命」も上記と同様にして春日の地に求めることができる。案外壱岐の「宇摩志」と繋がっているのかもしれない、何の根拠もないが・・・。

②天之常立神 「天之常立神」には「天」が付くので「阿麻」の神である。「常立」は何と読み解くか?…天の永久性を象徴する神と言われているようだが、ならば”常世”の方が適切かもしれない。勿論、常世神は出現しないが・・・。

<天之常立神>
「常」=「尚+巾」と分解される。更に「尚」=「向+八」から成る文字と知られ、北側の窓に広がりながら延びている様を表す文字と解説されている。

地形象形としては、「常」=「山稜が北に向かって広がり延びている様」と解釈される。詳細は省略するが、常世國、常陸國などなど主要な地名に用いられている文字である。

「立」もそれなりに頻度高く用いられる文字である。この文字は、人が両足を揃えて立つ様を模した文字と知られている。即ち「立」=「竝(並ぶ)」を表している。地形象形としては、「立」=「並んでいる様」と解釈される。纏めると、常立=北に向かって広がり延びる山稜が並んでいるところと紐解ける。

注記されて常立=登許多知と訓されている。初見の四文字を読み解いてみよう。「登」=「癶+豆(高台)+廾(両手)」と分解される。「癶」=「人が足を開いて動く様」を象った文字要素と知られる。地形象形的には「小高い地から谷間が延びる様」=「谷間の奥に小高い地がある様」と解釈される。

「許」=「言+午」=「[杵]のような耕地が[臼]を突いているような様」と解釈する。「午」=「杵」である。「多」=「夕+夕」と分解される。「夕」=「肉片(三日月)の形」=「山稜の端が三角になっている様」であり、二つ重なって地形としては、「多」=「山稜の端に三角州がある様」と解釈する。古事記中、最も多用される文字の一つである。

「知」=「矢+口」=「[鏃]のような様」を表している。纏めると、登許多知=小高い地から谷間が延びた先で耕地が杵を突くように広がり山稜の端が三角州になっているところと紐解ける。「常立」の地の更に詳細な地形を表していることが解る。

上図に示したように神通の辻(天之御中主神)の西側に、その地形を見出せる。現地名は勝本町本宮西触である。火箭の辻がある地域を表している。ご出現なさってはすぐに身を隠されたようなのだが、即ち子孫は不詳のようなのだが、後に大國主命の子孫が蔓延ることになる。

別天神五柱神はあくまで壱岐島に関わる神々であり、彼らの子孫が為したことを古事記が記述したというシナリオが貫かれていると思われる。芦辺町、勝本町とに二分される地域となっている。古事記冒頭の記述との深い繋がりを感じさせるものであろう。

2. 神世七代

神世二世代の二柱神と対になった五世代の十柱神の計十二名の神々が登場する。これらの神々は「成神」と記述される。「成」=「成し遂げる」即ち実行する神々という意味であろう。別天神五柱、中でも最初の三柱神の指示の下での実務担当の役割を担う神々である。

2-1. 神世二世代:二柱神

「國之常立神」と「豐雲野神」の二神と記され、「獨神成坐而、隱身也」単独で成し遂げる神であってその姿は見えない、というところであろうか。
 
<國之常立神>
①國之常立神 「常立神」は、上記と同じく北に向かって山稜が並ぶ地の神の意味であるが、「國」=「囲われた(ある特定の)地域」を示すと解釈される。

大地に凹凸を付ける、山あり谷ありの地形を作り上げる神なのかもしれない。

すると「天之常立神」の北側の山稜が並んで北に流れる場所が見出せる。現在の勝浦浦とタンス浦の挟まれた地形を表していると思われる。

隱身」である以上坐した場所を求めることは叶わないようであるが、図に示した辺りではなかろうか。間違いなく「天(阿麻)」の地形ではなく、峰が続く山稜の様相である。「天之常立神」と同様に登許多知の地形を確認することができる。

現地名は壱岐市勝本町坂本触である。上記の神產巢日神の西側に当たる場所である。従来説では”国土が永久に立ち続けること”と解釈されたりしているが、曖昧なままであって、定説化しているわけではなさそうである。

<豐雲野神>
豐雲野神 そのまま文字解釈を行うと、豐雲野神=段差のある高台(豐)がゆらゆらと延びて覆い被さるような(雲)麓に平らな地が広がっている(野)ところに坐すと紐解ける。

「雲」=「雨+云」=「ゆらゆらと延びて覆い被さる様」を表す文字と解釈される。後に登場する「出雲」や「阿曇」などに用いられている。「豐」については下記を参照。

この地形を探索すると谷江川が多くの川と合流する地点、後に「天津」と推定する場所の近くに見出すことができる。

標高差約50mの山稜が作る長い谷間であり、極めて特徴的な地形を示している。この神も隱身」である以上詳細を求めることは控えるが、おそらく図に示した場所だったのではなかろうか。

現地名は壱岐市芦辺町箱崎本村触である。上記二神の場所はそれなりの広域であることが解る。「隱身」とした所以かもしれないが、壱岐島の北部が徐々に開拓されて行った様子を伺わせているのであろう。

2-2. 神世五世代:雙十神
 
五組十神が登場する。「隱身」とは記されず、いよいよ具体的な役割を担う神々であろう。一組づつ紐解いてみよう。

<宇比地邇神・妹須比智邇神>
①宇比地邇神・妹須比智邇神 「此二神名以音」と註記されるなら一文字一文字解いてみる。「比」=「並ぶ、くっつく」、「邇」=「延び広がる」と解釈される。

纏めると、宇比地邇神=谷間で延びる山稜(宇)が並ぶ(比)麓の地が延び広がっている()ところに坐す神と紐解ける。

妹の「須比智邇神」については、「須」=「州、洲」(川中にできる三角州)、補足すると、古事記中「須」=「彡+頁」=「顎鬚の象形」で「州」を表記する。顎から髭が垂れた形で「山稜の端にある三角州」を表している。「州」は、川に取り囲まれた島状の象形であり、異なった地形を表すことになる。

「智」=「知+日」と分解され、更に上記の「知」=「矢+口」(鏃)と「日(炎)」から成る文字である。纏めると、須比智邇神=州(須)が並んで(比)鏃と[炎]の山稜がくっ付いた(智)地が延び広がっている(邇)ところに坐す神と紐解ける。

「宇比地邇神」の南隣の谷間の地形を表していることが解る。「州」、「鏃」そして「炎」の三つの地形が寄り集まった特徴ある場所であろう。古事記の表現に頻出する”以音”、「天」=「阿麻」で登場したように極めて重要な情報を与えてくれているのである。「音」としながら、これに用いられた「漢字」が重要なのである。

要するに谷間を挟んで山稜が並んでいるが、広がらずにむしろ近付くような地形を表している。その地形を求めると図に示した現地名の壱岐市芦辺町江角触にある場所と思われる。

②角杙神・妹活杙神 「角」、「活」は何と解釈するか?…「杙」と関連して…であろう。古事記は「木」を山稜の地形象形として表記する。山稜の広がり方を木の幹、枝で表すのである。詳細はこちらを参照。

「杙」=「棒」即ち棒状の、尾根の分岐が少ない、山稜を示していると思われる。「杙」=「山稜が[杙]のように延びている様」と解釈する。「角」=「二股に岐れた[角]のように延び出ている様」、「活」=「氵+舌」=「水辺で[舌]のように延び出ている様」と解釈される。

<角杙神・妹活杙神
両神の名前を…、

角杙=[杙]のように延びている山稜に二股に岐れた[角]のように延び出ている山稜があるところ

活杙=[杙]のように延びている山稜に水辺で[舌]のように延び出ている山稜があるところ

…と解釈される。各々の地に坐した神々であることを示している。

これだけ明確に記述されているからには、後はこれに合致する地形を探し出すのみ…なのであるが、やや山稜の高低差が少なく簡単ではなかった。辿り着いた場所は現地名壱岐市勝本町北触、谷江川の沿いの地と推定した。

「杙」の地形が若干曖昧なようだが、「角」と「舌」の地形に救われたようである。「隱身」ではないのだが、坐したところは「角」及び「舌」の付け根辺りではなかろうか。

後に登場する「角鹿」=「山稜が鹿の角のように延びている様」と解釈される。特徴的な地形ではあるが、山と入江がある豊かな土地を示す表記であろう。「角」のように尾根の先が二股もしくそれ以上細かく岐れている地形である。
 
③意富斗能地神・妹大斗乃辨神 古事記に「斗」の文字は延べ41回出現する。極めて多用された文字なのである。三方を山に囲まれて一方が海又は川に開口する地形が大半を占める。

<意富斗能地神・妹大斗乃辨神>
甲骨文字の上部が椀状の部分、下部が柄の部分を示すと解説される。地形象形的には山稜の一部が大きく湾曲している状態を表すものと紐解ける。

地形象形の表現として、「斗」=「山稜が[柄杓]のように延びている様」と紐解ける。

その地を特定する上において有用であり、以降も幾度となく述べるように地名、番地など現在では当然と思われるものがなかった時代に編み出された手法である。

「意富」、「大」は神世七代での記述だけでは「大きい」として読むことになろう。示される意味としては外れてはいない。だが、これらの文字は繰り返し登場し、より具体的な地形を示していると思われる。詳細は下記することにして、読み進めることにする。

「意富斗能地神」に含まれる「意」=「音+心」と分解される。更に「音」=「言+・」から成る文字であり、「音」=「奥に閉じ込められた様」と表す文字と解説されている。「富」=「宀+畐」=「谷間に[酒樽]のような山稜が延び出ている様」と解釈される。

「能」=「[熊]の象形」と知られている。地形象形としては、何を表す文字としているのであろうか?…「能」=「熊」=「隅(クマ)」と解釈される。”匕匕”の文字が表す形である。

纏めると意富斗能地神=[酒樽]の形をした(富)山稜が奥に閉じ込められている(意)[柄杓]の形をした谷間(斗)の隅(能)の地に坐する神と紐解ける。その東側の隅で「斗」の山稜が曲がって延びている場所を表していると思われる。上記の「宇摩志阿斯訶備比古遲神」の北側現地名は壱岐市芦辺町大左右触である。

妹の「大斗乃辨神」の「大斗」は「意富斗」の別表現であろう。そして古事記中最も多用される文字の一つである「大」が出現している。「大」=「両手・両足を広げた人の象形」と言われるが、地形象形としては、「大」=「一+△」と分解すると、「大」=「山稜の頂が平らになっている様」と解釈される。

「乃」=「曲がって垂れ下がる様」、「辨」=「二つに切り分けられている様」を表すと解説されている。纏めると、大斗乃辨神=平らな頂の山稜(大)の麓で柄杓の形をした谷間(斗)が曲がって垂れ下がる山稜(乃)で二つに切り分けられている(辨)ところに坐す神と紐解ける。二神の名前と地形との合致は、見事であろう。すっかり「隱身」ではなくなった、のかもしれない。

古代は「斗」の地に住み着き開拓し子孫を育んだことを示している。従来の古事記解釈に「斗」を柄杓の地形象形とした例は無いようである。このこと一つで、従来の古事記解釈とは決別することになる

④於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 「於母陀流」とは如何なる意味であろうか?…書紀の「面足尊」の名称から「顔つきが満ち足りていること」などと解釈されているようである。勿論、これらの文字列は、各々の神の居処を表してると思われる。

「於母」の「於」=「㫃+二」=「旗がたなびく様」、「母」=「両腕で抱える様」、「陀」=「阝+它」=「山麓が崖のようになっている様」、「流」=「氵+㐬」=「水が流れ出る様」と解釈する。纏めると、於母陀流神=たなびく旗のような(於)山稜の麓で母が両腕で抱えるような(母)形をした崖(陀)から川が流れ出ているところに坐す神と解釈される。

<於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神
特徴的な地形である「旗」、「母」の地形を探すと現地名壱岐市勝本町東触辺りに見出すことができる。
とりわけ「母」の懐にある谷間が崖状になっていることが注目される。

「母」の文字もそれなりに使われている。例示すると黄泉国の豫母都志許賣、孝霊天皇紀の夜麻登登母母曾毘賣命など実に壮大な「母」が描かれている。

阿夜訶志古泥神は如何に読み解けるのか?・・・「阿(台地)」・「訶(谷間の耕地)」・「志(蛇行する川)」・「古(丸く小高い地)」は、上記を参照することにして順次紐解いてみよう。

「夜」=「亦+夕」と分解され、「亦」は、大の字に立つ人を象形した文字と知られている。特に二つ並ぶ両わきが強調されているのである。「夕」=「三日月:山稜の端が三角州になっている様」と解釈すると、地形象形的には、「夜」=「端が三角州になっている山稜で谷間が二つに岐れている様」と紐解ける。

後にかなりの頻度で登場する文字である。簡略に「夜」=「谷」と訳すことも可であろうが、谷間の詳細構造を表しているのである。例示すると夜麻登迦具夜比賣などがある。未だに諸説紛々の”ヤマト”の場所を明瞭に示しているのであるが、さて、如何なる場所なのであろうか・・・後に述べることとする。

「泥」=「氵+尼」と分解される。更に「尼」=「尸+ヒ」から成る文字と知られている。「尼」=「背中合わせの様、近付き離れる様」を象った文字と思われる。登場頻度は高くはないが、重要なところで使用されている。伊邪那岐・伊邪那美の國生みで登場する筑紫嶋の面四の一つ肥国謂建日向日豐久士比泥別孝昭天皇の和風諡号、御眞津日子訶惠志泥命などがある。

纏めると、阿夜訶志古泥神=端が三角州になった山稜で二つに岐れた谷間(夜)がある台地(阿)で耕地に蛇行する川が(志)流れる谷間(訶)の後にある丸く小高い地(古)の麓で川が近付き離れて流れている(泥)ところに坐す神と紐解ける。直訳すると極めて難解になるが、上図を参照すると、余すことなく各々の地形要素を満たしている場所であることが解る。「於母陀流神」の谷間の北側に当たる。

⑤伊邪那岐神・妹伊邪那美神 最後に現れる國生み・神生みの両神である。「伊邪那」=「誘う」と解釈されて来たようである。この二人によって具体的な場所に神々が導かれたと古事記が伝えている。大八嶋、六嶋の嶋生みの記述に始まる詳細な記述に繋がっていくのである。

・・・と、何となく分ったような気分となるのだが、古事記はそんな気分的な解釈は毛頭好んでいない、と確信する。ならばこの二神の出自の場所を何と伝えているのであろうか?…一文字一文字を紐解いてみよう。

<伊邪那岐神・伊邪那美神>
「伊」=「人+尹」と分解される。更に「尹」=「|+又」から成る文字と知られている。地形象形として、「伊」=「谷間に区切られた山稜が延びている様」と解釈される。

「邪」=「牙+邑」=「折れ曲がって連なる様」、「那」=「冄+邑」=「ゆったりと延びる様」、「岐」=「山+支」=「山稜が岐れる様」と解釈される。

後にこれらの文字は頻度高く登場し、それぞれが地形を表す文字であることが分る。とりわけ多用される「伊」は、地形表現として極めて効果的な文字と思われる(古事記本文中325回出現)。

纏めると伊邪那岐神=谷間に区切られた(伊)折れ曲がって連なる(邪)山稜がゆったりと延びた(那)端が岐れている(岐)ところに坐す神と紐解ける。図に示した現在の壱岐島にある男岳の山稜を表していることが解る。上記の「意富斗能地神・妹大斗乃辨神」の北側に隣接する場所、現地名は壱岐市芦辺町本村触となる。

妹「伊邪那美神」の「美」=「羊+大」=「二つの山稜に挟まれた谷間が広がる様」であり、これも実に多く用いられる文字の一つである。伊邪那美命=谷間に区切られた(伊)折れ曲がって連なる(邪)山稜がゆったりと延びた(那)端の谷間が広がっている(美)ところに坐す神と紐解ける。男岳の南側の女岳(現地名は同町釘ノ尾触)の山稜を表していることが解る。

現在名男岳・女岳は山稜の端の地形に由来する名称であろう。後に彼等によって行われた國(嶋)生み、その六嶋の中に「嶋、亦名謂天一根」と「知訶嶋、亦名謂天之忍」の二島が登場する。響灘に並んで浮かぶ北九州市若松区に属する白島(男島・女島)と推定するが、それぞれの島の端の形状が類似する。ありのままの姿を表現したものであろう(詳細はこちら)。

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別天神五柱~神世七代の神々を纏めた図を示す。後に物語の主舞台となる「高天原」に覆い被さるような配置となっている。❶~❺:別天神五柱獨神、❻❼:神世七代(二柱獨神)、❽~⓱:神世七代(雙十神)

<天神十七柱>

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冒頭の段として古事記の舞台、その基本の形を神の名前を通じて述べている。ここに登場した神々の名前も例外なく「地形象形」として読み解くことができる。実に周到な記述であることが示されている。