2020年10月6日火曜日

天渟中原瀛眞人天皇:天武天皇(21) 〔458〕

天渟中原瀛眞人天皇:天武天皇(21) 


即位十一年(西暦682年)正月からである。引用は青字で示す。日本語訳は、こちらこちらどを参照。

十一年春正月乙未朔癸卯、大山上舍人連糠蟲、授小錦下位。乙巳、饗金忠平於筑紫。壬子、氷上夫人薨于宮中。癸丑、地動。辛酉、葬氷上夫人於赤穗。二月甲子朔乙亥、金忠平歸國。是月、小錦下舍人連糠蟲卒、以壬申年之功贈大錦上位。

前記で連姓を与えた舍人連糠蟲小錦下と昇位しているが、この月に亡くなっている(乱の功績で大錦上位を贈る)。十一日、昨年の十月に来た新羅の使者を筑波で饗応したと記している(二月十二日に帰国)。十八日、藤原大臣の娘であった氷上夫人が宮中で亡くなっている(二十七日に赤穂に埋葬)。翌日地震あり。

三月甲午朔、命小紫三野王及宮內官大夫等遣于新城令見其地形、仍將都矣。乙未、陸奧國蝦夷廿二人賜爵位。庚子、地震。丙午、命境部連石積等、更肇俾造新字一部卅四卷。己酉、幸于新城。辛酉、詔曰「親王以下百寮諸人、自今已後、位冠及襅褶脛裳、莫着。亦、膳夫・采女等之手繦・肩巾肩巾此云比例並莫服。」是日詔曰、親王以下至于諸臣、被給食封、皆止之、更返於公。是月、土師連眞敷卒、以壬申年功贈大錦上位。

三月初めに三野王…小紫位故に栗隈王の子、三野王ではなく、おそらく乱の書紀に登場した美濃王であろう…及び宮中の官人等を新城に派遣して、都を造るべくその地形を検分させたと記している。翌日に陸奥國蝦夷二十二人に爵位を与えている。本著の流れからすると自然に受け入れられる記述であるが、通説はこの一文に対する解釈はスルーのようである。「蝦夷(エゾ)」ではない。七日に地震、頻発である。

十三日、唐に渡った経験のある境部連石積等に「新字」を作れ、と命じている。一部四十四巻と記されているが、現存していないようである。新しい字体、新規に加えられた文字なのか、詳細は不明。「記紀」の解読には記載された、所謂旧字体でなければならないと述べて来たが、記述のために簡略化した文字体だったのかもしれない。興味深いところではあるが、これ以上の詮索は不可のようである。十六日、天皇自ら新城に出向いている。

二十八日に親王、百寮諸人の服装について取り決めている。唐風にしたのかもしれない。また「食封」の返却を命じている。「公地公民」の徹底、皇族及びそれに関わる人々に手本を示せ、なのであろう。この月に土師連眞敷(土師連千嶋に併記)が逝って、乱の功績で大錦上位を贈っている。前述したように「千嶋」の降伏を勧めた人物だったのかもしれない。

夏四月癸亥朔辛未、祭廣瀬龍田神。癸未、筑紫大宰丹比眞人嶋等、貢大鐘。甲申、越蝦夷伊高岐那等、請俘人七十戸爲一郡、乃聽之。乙酉、詔曰「自今以後、男女悉結髮。十二月卅日以前、結訖之。唯結髮之日、亦待勅旨。」婦女、乘馬如男夫、其起于是日也。五月癸巳朔甲辰、倭漢直等賜姓曰連。戊申、遣高麗大使佐伯連廣足・小使小墾田臣麻呂等、奏使旨於御所。己未、倭漢直等男女悉參赴之、悅賜姓而拜朝。

四月九日、恒例の「廣瀬龍田神」を祭祀している。二十一日に筑紫大宰の丹比眞人嶋(父親の丹比公麻呂に併記)等が「大鐘」を献上したと述べている。いつの間にやら任命?…これも幾度か…またまた、きっと何処かを開拓したのであろう、以下に求めてみよう。翌日、越蝦夷の「伊高岐那」等が「俘人」(俘囚:捕虜)の七十戸を纏めて一郡としたいと申し出て認めたと記載している。

四月二十三日に男女共に「結髮」せよ、と命じられている。女性も馬に乗るようになったとか。五月十二日、倭漢直(幾人かが登場)に「連」姓を与えている(二十七日にお礼の拝朝)。十六日、佐伯連廣足小墾田臣麻呂等を、昨年七月に引き続いて高麗に派遣している。

<筑紫大鐘>
筑紫大鐘

上記したように、間違くなく、「大鐘」の地を開拓したのである。さて、その地形が見出せるか?…大宰から少し北に向かうと山稜の端が小高くなって鐘がぶら下がったように見える地がある。

古事記の帶中津日子命(仲哀天皇)紀に御裳之石と名付けられた地と推定した。小文字山の西麓であり、大=平らな頂の麓と解釈される。

現在の地図からではあるが、この小高いところ(現地名は北九州市門司区寿山町)の上部は小規模の宅地となっており、元来平坦な地形を有していたのではなかろうか。

ちょっと珍しい場所故に献上した、と思われる。即位六年(西暦677年)に筑紫大宰が赤鳥を献上したと記されていた。

当時は海面が迫り、筑紫國は崖下の地であって、山裾の急傾斜をいかに開拓するかが重要だったと推測される。僅かな平らな地形を活用したのであろう。

● 伊高岐那

前出の越蝦夷の地で「伊高岐那」の場所を探してみよう。幾度も登場の「高」=「皺が寄ったような様」と読んで来た。伊高岐那=谷間に区切られて皺が寄った山稜が岐れてなだらかに延びたところと読み解ける。

<伊高岐那>
都岐沙羅柵の西側の山稜の端を表していると思われる。「俘人」は通常「捕虜」と訳されているが、少々意味合いが異なるのかもしれない。

憶測になるが、更に東方の津輕蝦夷などからの”難民”だったように伺える。彼らを住まわせ一つの郡としたのではなかろうか。

彼らを取り込むことは、管理すれば新羅の侵出に対する防波堤になったように思われる。

六月壬戌朔、高麗王、遣下部助有卦婁毛切・大古昴加、貢方物。則新羅遣大那末金釋起、送高麗使人於筑紫。丁卯、男夫始結髮、仍着漆紗冠。癸酉、五位殖栗王卒。

六月初め、高麗王が使者を派遣して「方物」(特産品:高級高麗人参?)を貢いでいる。この時も筑紫に新羅が送迎したようである。六日に初めて男夫が髪を結って、「漆紗冠」(漆塗りの薄い布の冠)を着けたと述べている。十二日に五位の殖栗王が亡くなっている。この王の出自もあまり詳細なことは分かっていないようである。

橘豐日天皇(用明天皇)の御子、殖栗皇子(自身ではない)に関係するのであろうが、資料的な根拠に乏しいのかもしれない。古事記で言えば、上宮之厩戸豐聰耳命(廐戸皇子)の兄弟である植栗王に該当する。特異な地形であることから、「皇子」とは何らかの繋がりがあってこの地を出自としたのではなかろうか。

秋七月壬辰朔甲午、隼人、多來貢方物。是日、大隅隼人與阿多隼人相撲於朝庭、大隅隼人勝之。庚子、小錦中膳臣摩漏、病。遣草壁皇子尊・高市皇子而訊病。壬寅、祭廣瀬龍田神。戊申、地震。己酉、膳臣摩漏、卒。天皇驚之大哀。壬子、摩漏臣、以壬申年之功贈大紫位及祿、更皇后賜物、亦准官賜。丙辰、多禰人・掖玖人・阿麻彌人、賜祿各有差。戊午、饗隼人等於明日香寺之西、發種々樂、仍賜祿各有差。道・俗、悉見之。是日、信濃國・吉備國並言、霜降亦大風、五穀不登。

七月三日に「隼人」が多数来て「方物」を貢いでいる。この日、「大隅隼人」と「阿多隼人」が朝庭で相撲を取ったと述べている。勝ったのは前者とのこと。「大隅隼人」は初出である。九日に膳臣摩漏(宍人臣に併記)が病に罹って、草壁皇子尊・高市皇子が見舞っている(十八日に逝去、乱の功績に鑑みて二十一日に大紫位を贈)。十一日、恒例の「廣瀬龍田神」を祭祀している。十七日、またもや地震。

二十五日、「多禰人・掖玖人・阿麻彌人」(こちらを参照)に禄を与えている。二十七日に明日香寺(飛鳥寺の別表記)の西側で隼人等を饗応し、禄を与えている。この日、「信濃國」・吉備國が口を揃えて、霜が降り、大風があって五穀が実らなかったと述べている。

阿多隼人・大隅隼人

「阿多隼人」の出現は、極めて古く、古事記に海佐知毘古(火照命)が祖となったと記載されている(隼人阿多君)。「阿多」の地名は、邇邇藝命が娶った神阿多都比賣(木花之佐久夜毘賣)の出自の場所である。

<阿多隼人・大隅隼人>
また伊邪本和氣命(履中天皇)紀に登場する曾婆訶理も「隼人」であり、纏めて図に示した通りである。現地名は北九州市門司区黒川東辺りである。

ここで登場の「大隅隼人」は、何処を示す名称なのであろうか?…「越蝦夷」の西南の隅に、全く同様の形をした「隼人」が鎮座していることが解る。隼=隹+一=一直線のような鳥を表す文字である。そのままを地形に当て嵌めた表記であろう。

「相撲」をして大隅隼人が「勝」った、と記載している。そのまま読み飛ばしても何ら違和感はないが、相撲=山稜の隙間にギザギザした山稜が延び出ているところと読み解ける。

勝=大地が盛り上がった様であり、大隅隼人の山(金山)が高いことを表している、と解釈することができる。まぁ、天覧相撲としておこう。

<信濃國・束間温湯>
信濃國

「信濃」は書紀の景行天皇紀以降に幾度か登場しているが、直近では孝徳天皇紀に信濃之民に蝦夷対策の「磐舟柵」を造らせたと記載されていた。それに従って、その柵の近隣、「角鹿」の地形を「信濃」と見做したと読み解いた。

ところが古事記によるとこの地は高志前之角鹿であり、書紀では越前國と表記される場所である。即ち、越前國に命じたのではなく、その地(信濃)の住人に柵を造らせたと記述していることが解る。

となると「信濃國」は別の場所を示していることに気付かされる。この地は実に容易に求めることができたようである。

図に示した美濃國の東に隣接する場所である。「信濃」の文字列が示す地形を満たすことが解る。信=谷間が耕地にされた様濃=水際で二枚貝が舌を出したような様は「美濃」と酷似した形を持っている。現地名は京都郡苅田町雨窪・光国辺りである。現在の行政区分に残る國境のように思われる。

後に信濃にある束間温湯が登場する。束間=山稜に挟まれた地にある三日月の形を束ねた様と読み解ける。谷間の奥に「温湯」があったと述べている。「間」は有間温湯、また間人皇女も全く同様な解釈であった。温泉場では、決してない場所である。

八月壬戌朔、令親王以下及諸臣、各俾申法式應用之事。甲子、饗高麗客於筑紫。是夕昏時、大星自東度西。丙寅、造法令殿內、有大虹。壬申、有物、形如灌頂幡而火色、浮空流北。毎國皆見、或曰入越海。是日、白氣起於東山、其大四圍。癸酉大地動、戊寅亦地震動。是日平旦、有虹、當于天中央、以向日。甲戌、筑紫大宰言、有三足雀。癸未、詔禮儀言語之狀、且詔曰「凡諸應考選者、能檢其族姓及景迹、方後考之。若雖景迹・行能灼然、其族姓不定者不在考選之色。」己丑、勅、爲日高皇女更名新家皇女之病、大辟罪以下男女幷一百九十八人皆赦之。庚寅、百卅餘人出家於大官大寺。

八月初め、親王以下諸臣に「法式」(日常の儀礼)を用いる方法に意見を求めている。三日に高麗の客を筑紫にて饗応。黄昏時に大星が東から西へ渡ったと記している。五日、法令を作る殿中に虹が出たようである。十一日に「灌頂幡」(頭頂に聖なる水を注ぐ儀式に用いる幡)のようなものが真っ赤になって空に浮かんで北に流れたと述べている。それを皆が見て、越の海に入ったとも伝えられた。

同日に「白氣」(白い雲?)が東方の山で発生して、その大きさは四人で抱えるほどであったと言う。十二日、十七日と続いて地震があった。虹が架かってその中央が太陽に向かっていたようである。十三日に筑紫大宰が三本足の雀がいると報告している。二十二日に儀礼言語について、評価・査定をする時は「族姓」・「景迹」(素行)をよく調べ、仮に「景迹」・「行能」が優れていても「族姓」が定まっていない者を選んではいけない、と命じられている。

二十八日、「日高皇女」(別名新家皇女)の病気を祈って「大辟罪」(死罪)以下の男女百九十八人を赦している。翌日、百名以上が「大官大寺」(高市大寺、場所の特定は難しいが、こちらを参照)で出家したと述べている。「日高皇女」は草壁皇子と阿閉皇女の娘で、後に「元正天皇」となる。「阿閉皇女」は天智天皇の娘の阿部皇女、後に「元明天皇」となる。

● 日高皇女

世継本命の草壁皇子が即位されることなく逝去されたために、止むを得ず皇統が揺らぐ時代を迎えることになったようである。

<日高(新家/氷高)皇女・吉備皇女>
「日高皇女」は、その渦中の一人の皇女である。別名が幾つかあって「新家皇女」、「氷高皇女」と呼ばれていたと伝えられている。

頻出の高=皺が寄ったような山稜であり、父親の草壁皇子の近隣だと、迷うことなく「朝倉」を作り出す尾根から延びた複数の山稜がある場所と推定される。

同じく頻出の日=炎の地形から図に示した場所が求められる。「新家」に含まれる文字も頻度高く登場して新家=山稜が断ち切られた地の傍にある豚の口のようなところと読み解ける。「炎」の先の地形を表している。

幾度か出現した「氷」=「二つに割ったような地形」であり、氷高=皺のような山稜が二つに割られたところと読み解ける。三つの名称は、間違いなく同一の場所を表す表現と思われる。書紀では見られないが、續紀で妹の吉備皇女(内親王)が登場する。高市皇子の子、長屋王に嫁いだと知られる。図に示した場所に実に綺麗な吉備=箙が蓋をされたような様の山稜が見出せる。「朝倉」の山麓に配置された姉妹だったと思われる。

九月辛卯朔壬辰、勅「自今以後、跪禮・匍匐禮、並止之。更用難波朝庭之立禮。」庚子日中、數百鸖、當大宮以高翔於空、四剋而皆散。冬十月辛酉朔戊辰、大餔。

九月二日、「跪禮・匍匐禮」は止めて、難波朝廷で用いた「立禮」とすることと命じている。唐風?…孝徳天皇紀の簡素化された儀式が復活する様子であろう。十日に数百の「鸖」(鶴)が空高く飛翔したが二時間ほどで散ったと記している。吉兆であろうか。十月八日に「大餔」(晩餐会?)を催している。

十一月庚寅朔乙巳、詔曰「親王・諸王及諸臣至于庶民、悉可聽之。凡糺彈犯法者、或禁省之中・或朝庭之中、其於過失發處卽隨見隨聞、無匿弊而糺彈。其有犯重者、應請則請、當捕則捉。若對捍以不見捕者、起當處兵而捕之。當杖色、乃杖一百以下、節級決之。亦犯狀灼然、欺言無罪則不伏辨以爭訴者、累加其本罪。」

十一月十六日、全ての者に対して、朝廷の中であろうが、その場で直ちに調べること、重犯者が訴えて来たらそれに応じること、隠匿したり、嘘偽り告げた者は、後に発覚したら罪を加えなさい、などを命じている。

十二月庚申朔壬戌、詔曰「諸氏人等、各定可氏上者而申送。亦其眷族多在者、則分各定氏上、並申於官司。然後、斟酌其狀而處分之、因承官判。唯、因少故而非己族者、輙莫附。」

十二月三日、「氏上」を決めよと申し付けている。一族が多く居る場合は分けてもよいが、少ないと言って己の氏族ではない者を加えてはいけない、と命じている。

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平和な治政だったようであるが、果たしてこれがいつまで続くのか?・・・。