八重事代主神:天逆手矣・青柴垣
建御雷之男神が出雲に降り立ち、大国主命に国譲りを迫る場面で登場する八重事代主神は、何ともいとも簡単に引き下がり「此國者、立奉天神之御子」と言って雲隠れしたと伝えている。その最後の記述で記されるのが「天逆手」、「青柴垣」などの文字がある。下記に関連するところを抜き出して記載したが、すんなりとは読み下せない文字列と思われる。
古事記原文[武田祐吉訳]…、
是以、此二神降到出雲國伊那佐之小濱而伊那佐三字以音、拔十掬劒、逆刺立于浪穗、趺坐其劒前、問其大國主神言「天照大御神・高木神之命以問使之。汝之宇志波祁流此五字以音葦原中國者、我御子之所知國、言依賜。故、汝心奈何。」爾答白之「僕者不得白、我子八重言代主神是可白。然、爲鳥遊取魚而往御大之前、未還來。」故爾、遣天鳥船神、徵來八重事代主神而、問賜之時、語其父大神言「恐之。此國者、立奉天神之御子。」卽蹈傾其船而、天逆手矣、於青柴垣打成而隱也。訓柴云布斯。
[そこでこのお二方の神が出雲の國のイザサの小濱に降りついて、長い劒を拔いて波の上に逆樣に刺し立てて、その劒のきつさきに安座をかいて大國主の命にお尋ねになるには、「天照らす大神、高木の神の仰せ言で問の使に來ました。あなたの領している葦原の中心の國は我が御子の治むべき國であると御命令がありました。あなたの心はどうですか」とお尋ねになりましたから、答えて申しますには「わたくしは何とも申しません。わたくしの子のコトシロヌシの神が御返事申し上ぐべきですが、鳥や魚の獵をしにミホの埼に行つておつてまだ還つて參りません」と申しました。依つてアメノトリフネの神を遣してコトシロヌシの神を呼んで來てお尋ねになつた時に、その父の神樣に「この國は謹しんで天の神の御子に獻上なさいませ」と言つて、その船を踏み傾けて、逆樣に手をうつて青々とした神籬を作り成してその中に隱れてお鎭まりになりました]
該当する場所の武田氏の訳は「逆樣に手をうつて青々とした神籬を作り成してその中に隱れてお鎭まりになりました」となっている。「逆様に手を打つ」とは、「手の平」ではなく手を上下に重ねてように「手の甲」で打つことなのか?…デジタル大辞泉では「まじないをするときに、普通とは違った打ち方をする柏手(かしわで)。具体的な打ち方は未詳」と記されている。
「逆手」はともかくも「天」が示し意味を明らかにすることから読み解いてみよう。「天」=「阿麻」古事記の冒頭に記された訓であり、「擦り潰された台地」を表すと紐解いた。得体の知れない「天」ではなく様々な場所にある「阿麻」の地形を示している。
「手」=「山稜が延びたところ」であり、麓に事代主神が坐していた戸ノ上山の尾根から延びる山稜を表していると思われる。「逆」は、通常の意味では「逆(サカ)さ」であるが、「逆」=「辶+屰」と分解される。「屰」=「大の逆様」を象った文字と解説される。ある方向に対してその真逆の方向を表すことができる。「逆」=「迎える」という意味も有する。
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該当する場所の武田氏の訳は「逆樣に手をうつて青々とした神籬を作り成してその中に隱れてお鎭まりになりました」となっている。「逆様に手を打つ」とは、「手の平」ではなく手を上下に重ねてように「手の甲」で打つことなのか?…デジタル大辞泉では「まじないをするときに、普通とは違った打ち方をする柏手(かしわで)。具体的な打ち方は未詳」と記されている。
一体何を伝えんとした表記なのか、命乞いをしたのなら、真に失礼な態度とも思われるし、隠れるために何か特別な行為(一説には呪いの所作?)とも思われない。実に不可解な故に明解に解釈された例が見当たらないようである。
天逆手矣
「逆手」はともかくも「天」が示し意味を明らかにすることから読み解いてみよう。「天」=「阿麻」古事記の冒頭に記された訓であり、「擦り潰された台地」を表すと紐解いた。得体の知れない「天」ではなく様々な場所にある「阿麻」の地形を示している。
「手」=「山稜が延びたところ」であり、麓に事代主神が坐していた戸ノ上山の尾根から延びる山稜を表していると思われる。「逆」は、通常の意味では「逆(サカ)さ」であるが、「逆」=「辶+屰」と分解される。「屰」=「大の逆様」を象った文字と解説される。ある方向に対してその真逆の方向を表すことができる。「逆」=「迎える」という意味も有する。
<神屋楯比賣命・事代主神>
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すると「逆手」=「延びた山稜が出会うところ」と読み解ける。
「天」が付くことより、その出会った山稜が「擦り潰されたような台地」であると記していると読み解ける。
更にこの文字列に「矣」が付加されている。
通常は「漢文の助字。句の最後につけて断定・推量・詠嘆などを表す」と解説されているが、助字の機能のように思わせて、異なる意味を持たせているように思われる。
あらためて紐解くと、「矣」は「挨」(挨拶)、「埃」(塵埃)などに含まれる文字で「寄り集まった様」を表す文字であることが解る。
即ち、天逆手矣=擦り潰されたような台地で延びた山稜が出会い寄り集まったところを示していると解釈される。図に示した「神大市比賣」(稲妻のように平らな頂から折れ曲がって延びる山稜が集まったところの比賣)が表す山稜が寄り集まった場所の別表記と見做せると思われる。この谷間は多くの山稜が寄り集まった地形であり、その全体像を示している。
「柴」=「布斯」と読めと注記されている。「節(フシ)」=「幹から枝の出るところ」であるから青柴垣=幹から出た枝山稜が垣根となりつつあるところと読み解ける。上図のちょうど「主」の頭頂に当たるところを示していると思われる。それを「打成」(作る)と続くのである。
青柴垣
「柴」=「布斯」と読めと注記されている。「節(フシ)」=「幹から枝の出るところ」であるから青柴垣=幹から出た枝山稜が垣根となりつつあるところと読み解ける。上図のちょうど「主」の頭頂に当たるところを示していると思われる。それを「打成」(作る)と続くのである。
「天逆手矣、於青柴垣打成而隱也」を纏めて解釈すると八重事代主神は、坐していた谷間の最奥に引っ込んで隠れたと告げていると解る。日本書紀では事代主神の後裔が皇統に絡むような記述がなされている。出雲を淡海から遠く離れた地に持って行き、尚かつ、出雲の奔流が皇統に絡むような筋書きに仕立てているのである。
憶測の域を脱せないが、出雲(現島根県)と奈良大和との繋がりを強く意識した物語のように伺える。それは原・奈良大和が島根地方との深い繋がりを有していたことに由来するのではなかろうか。倭人の渡来に、九州北部に加えて、現山陰・北陸地方、即ち日本海沿岸への複数の渡来を匂わせているように感じられる。
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