大長谷若建命と葛城之一言主大神(再)
大長谷若建命(雄略天皇)が一言主大神が葛城の山で遭遇したという説話である。この説話も殆ど意味不明な説話となっていて、古事記の文字を、単に、現代文に置換えただけのようになっている。勿論「一言」=「ひとこと」としている。
既にこの説話が示すところは読み解いて来たのだが、葛城のどの場所に想定されているかは、些か不祥であった。今一度、その詳細を突止めてみようかと思う。
古事記原文[武田祐吉訳]…、
又一時、天皇登幸葛城之山上。爾大猪出、卽天皇以鳴鏑射其猪之時、其猪怒而、宇多岐依來。宇多岐三字以音。故、天皇畏其宇多岐、登坐榛上、爾歌曰、
夜須美斯志 和賀意富岐美能 阿蘇婆志斯 志斯能夜美斯志能 宇多岐加斯古美 和賀爾宜能煩理斯 阿理袁能 波理能紀能延陀
又一時、天皇登幸葛城山之時、百官人等、悉給著紅紐之青摺衣服。彼時有其自所向之山尾、登山上人。既等天皇之鹵簿、亦其裝束之狀、及人衆、相似不傾。爾天皇望、令問曰「於茲倭國、除吾亦無王、今誰人如此而行。」卽答曰之狀、亦如天皇之命。於是、天皇大忿而矢刺、百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故、天皇亦問曰「然告其名。爾各告名而彈矢。」
於是答曰「吾先見問、故吾先爲名告。吾者、雖惡事而一言、雖善事而一言、言離之神、葛城之一言主大神者也。」天皇於是惶畏而白「恐我大神、有宇都志意美者自宇下五字以音不覺。」白而、大御刀及弓矢始而、脱百官人等所服衣服、以拜獻。爾其一言主大神、手打受其捧物。故、天皇之還幸時、其大神滿山末、於長谷山口送奉。故是一言主之大神者、彼時所顯也
[また或る時、天皇が葛城山の上にお登りになりました。ところが大きい猪が出ました。天皇が鏑矢をもってその猪をお射になります時に、猪が怒って大きな口をあけて寄つて來ます(宇多岐:四段連用形。アタキという交替形があり、敵対するの意か。唸るの意ともされる)。天皇は、そのくいつきそうなのを畏れて、ハンの木の上にお登りになりました。そこでお歌いになりました御歌、
天下を知ろしめす天皇のお射になりました猪の手負い猪のくいつくのを恐れて
わたしの逃げ登つた岡の上のハンの木の枝よ。
また或る時、天皇が葛城山に登っておいでになる時に、百官の人々は悉く紅い紐をつけた青摺の衣を給わって著ておりました。その時に向うの山の尾根づたいに登る人があります。ちようど天皇の御行列のようであり、その裝束の樣もまた人たちもよく似てわけられません。そこで天皇が御覽遊ばされてお尋ねになるには、「この日本の國に、わたしを除いては君主はないのであるが、かような形で行くのは誰であるか」と問わしめられましたから、答え申す状もまた天皇の仰せの通りでありました。そこで天皇が非常にお怒りになって弓に矢を番え、百官の人々も悉く矢を番えましたから、向うの人たちも皆矢を番えました。そこで天皇がまたお尋ねになるには、「それなら名を名のれ。おのおの名を名のつて矢を放とう」と仰せられました。
そこでお答え申しますには、「わたしは先に問われたから先に名のりをしよう。わたしは惡い事も一言、よい事も一言、言い分ける神である葛城の一言主の大神だ」と仰せられました。そこで天皇が畏まつて仰せられますには、「畏れ多い事です。わが大神よ。かように現實の形をお持ちになろうとは思いませんでした」と申されて、御大刀また弓矢を始めて、百官の人どもの著ております衣服を脱がしめて、拜んで獻りました。そこでその一言主の大神も手を打ってその贈物を受けられました。かくて天皇のお還りになる時に、その大神は山の末に集まって、長谷の山口までお送り申し上げました。この一言主の大神はその時に御出現になったのです]
「葛城山」が舞台となる。葛城は現地名田川郡福智町であり、福智山山系の西麓に当たる。「葛城山=福智山」と解釈される。手負いの猪の登場、まだまだ葛城には支配の届かない場所、その地に住まう人々が居たことを譬えているのであろうか…。福智山山系に関する記述は極めて少ない。倭建命が命を縮めた伊服岐能山(貫山山系)と同様、神の住まう場所としての位置付けであろう。
「葛城之一言主大神」も同じ背景を示していると思われる。互いに畏敬の念を示して融和な関係であったと伝えている。
互いに尾根を登って行くとなると限られた道となり、現在の福智町葛原からの道及び常福から岩屋に向かう道をそれぞれが歩いていたのではなかろうか。
「恐我大神、有宇都志意美者自宇下五字以音不覺。」=「畏れ多い事です。わが大神よ。かように現實の形をお持ちになろうとは思いませんでした」と武田氏は訳している。
「宇都志」は既出であって速須佐之男命が大国主命に宇都志國玉神となれと励ます段で出現した。山麓が寄り集まって蛇行する川が流れる地を示していると読み解いた。
間違いなく「宇都志意美」の「宇都志」も類似の地形を表しているのであろう。
とするならば「宇都志意美」は…、
…「山麓が集まる地に蛇行する川があって閉じ込められたような谷間が広がるところ」と紐解ける。弁城川沿いの長い谷間が開拓されたことを伝えているのであろう。その谷間から葛城山(現福智山)へと尾根伝いに上って行く姿が目に止まった。図に示したような状況を記していると思われる。
概ね武田氏の訳のように解釈されて来ているようである。しかし、いつものことながら「ひとこと」で善悪を言い分けるという内容と天皇が畏れ入ることが、決して違和感なく繋がっているわけでもない。言葉の意味は通じるが、一体何を伝えたいのかと考えると奇妙な文章である。
「一言主大神」が現実の姿を持っていることに恐れ入った、と読める内容であるとし、「一言」の意味は考慮に入っていないのである。どうやら「言」=「辛+口」として「大地を耕地(田畑)にする」と紐解いた安萬侶コードの出番のようである。「一」=「総ての」として…「一言主大神」は…、
…と紐解ける。
では「雖惡事而一言、雖善事而一言、言離之神」は如何に解釈できるであろうか?…「事」=「祭事(まつりごと)」、これは大国主命の御子、八重事代主神の解釈で登場した。また「離」=「区分けする」とすると…、
…と読み解ける。
だからそんな大変な神が現実に目の前に現れたから畏敬したのである。祭り事に関係なく一言主大神が居れば田は見事に稲穂を揺らすようになると言っている。安心せよ!…とも受け取れるし、もっと祭祀せよ!…と言っているとも・・・。いずれにしろ葛城が豊かな大地へと変貌したことを告げているのである。
「言」について関連する名前(月讀命、比古布都押之信命など)は、全て「大地を切り開いて耕地にする」の解釈である。大地を「口」に切り取って耕地にする象形と紐解ける。
身内同士の争いは徹底的に破壊的であるが、外向きにはそうではないと記述される。真偽のほどは判断できないが、「言向和」のモットーを貫いているかのようである。
[また或る時、天皇が葛城山の上にお登りになりました。ところが大きい猪が出ました。天皇が鏑矢をもってその猪をお射になります時に、猪が怒って大きな口をあけて寄つて來ます(宇多岐:四段連用形。アタキという交替形があり、敵対するの意か。唸るの意ともされる)。天皇は、そのくいつきそうなのを畏れて、ハンの木の上にお登りになりました。そこでお歌いになりました御歌、
天下を知ろしめす天皇のお射になりました猪の手負い猪のくいつくのを恐れて
わたしの逃げ登つた岡の上のハンの木の枝よ。
また或る時、天皇が葛城山に登っておいでになる時に、百官の人々は悉く紅い紐をつけた青摺の衣を給わって著ておりました。その時に向うの山の尾根づたいに登る人があります。ちようど天皇の御行列のようであり、その裝束の樣もまた人たちもよく似てわけられません。そこで天皇が御覽遊ばされてお尋ねになるには、「この日本の國に、わたしを除いては君主はないのであるが、かような形で行くのは誰であるか」と問わしめられましたから、答え申す状もまた天皇の仰せの通りでありました。そこで天皇が非常にお怒りになって弓に矢を番え、百官の人々も悉く矢を番えましたから、向うの人たちも皆矢を番えました。そこで天皇がまたお尋ねになるには、「それなら名を名のれ。おのおの名を名のつて矢を放とう」と仰せられました。
そこでお答え申しますには、「わたしは先に問われたから先に名のりをしよう。わたしは惡い事も一言、よい事も一言、言い分ける神である葛城の一言主の大神だ」と仰せられました。そこで天皇が畏まつて仰せられますには、「畏れ多い事です。わが大神よ。かように現實の形をお持ちになろうとは思いませんでした」と申されて、御大刀また弓矢を始めて、百官の人どもの著ております衣服を脱がしめて、拜んで獻りました。そこでその一言主の大神も手を打ってその贈物を受けられました。かくて天皇のお還りになる時に、その大神は山の末に集まって、長谷の山口までお送り申し上げました。この一言主の大神はその時に御出現になったのです]
「葛城山」が舞台となる。葛城は現地名田川郡福智町であり、福智山山系の西麓に当たる。「葛城山=福智山」と解釈される。手負いの猪の登場、まだまだ葛城には支配の届かない場所、その地に住まう人々が居たことを譬えているのであろうか…。福智山山系に関する記述は極めて少ない。倭建命が命を縮めた伊服岐能山(貫山山系)と同様、神の住まう場所としての位置付けであろう。
<宇都志意美> |
互いに尾根を登って行くとなると限られた道となり、現在の福智町葛原からの道及び常福から岩屋に向かう道をそれぞれが歩いていたのではなかろうか。
「恐我大神、有宇都志意美者自宇下五字以音不覺。」=「畏れ多い事です。わが大神よ。かように現實の形をお持ちになろうとは思いませんでした」と武田氏は訳している。
「宇都志」は既出であって速須佐之男命が大国主命に宇都志國玉神となれと励ます段で出現した。山麓が寄り集まって蛇行する川が流れる地を示していると読み解いた。
間違いなく「宇都志意美」の「宇都志」も類似の地形を表しているのであろう。
とするならば「宇都志意美」は…、
宇(山麓)|都(集まる)|志(蛇行する川)|意(閉じ込められた)|美(谷間が広がるところ)
概ね武田氏の訳のように解釈されて来ているようである。しかし、いつものことながら「ひとこと」で善悪を言い分けるという内容と天皇が畏れ入ることが、決して違和感なく繋がっているわけでもない。言葉の意味は通じるが、一体何を伝えたいのかと考えると奇妙な文章である。
「一言主大神」が現実の姿を持っていることに恐れ入った、と読める内容であるとし、「一言」の意味は考慮に入っていないのである。どうやら「言」=「辛+口」として「大地を耕地(田畑)にする」と紐解いた安萬侶コードの出番のようである。「一」=「総ての」として…「一言主大神」は…、
総ての耕地を作ることを司る神
…と紐解ける。
では「雖惡事而一言、雖善事而一言、言離之神」は如何に解釈できるであろうか?…「事」=「祭事(まつりごと)」、これは大国主命の御子、八重事代主神の解釈で登場した。また「離」=「区分けする」とすると…、
悪しき祭り事でも総ての耕地(口)を作り
良き祭り事でも総ての耕地(口)を作り
その耕地(口)を区分けする神
…と読み解ける。
「言」について関連する名前(月讀命、比古布都押之信命など)は、全て「大地を切り開いて耕地にする」の解釈である。大地を「口」に切り取って耕地にする象形と紐解ける。
身内同士の争いは徹底的に破壊的であるが、外向きにはそうではないと記述される。真偽のほどは判断できないが、「言向和」のモットーを貫いているかのようである。