2019年8月28日水曜日

高御産巣日神之子・思金神と神産巣日神之子・少名毘古那神 〔366〕

高御產巢日神之子・思金神と神產巢日神之子・少名毘古那神


造化三神と言われる内の二神にはそれぞれ息子が居たと告げられている。「此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也」と謎めいた記述をしている割には、しっかりと現に活躍されるのである。と言うことで、それぞれの居場所を前記<天之御中主神・高御產巢日神・神產巢日神 〔365〕>で突止めた。


<高御產巢日神・神產巢日神>

今回はその二神の息子の居場所を、訂正も含めて、求めてみようかと思う。

それぞれの父親の高御產巢日神と高御產巢日神の坐していた場所を再掲すると図のようになる。

「產巢日神」に冠される「高」(皺の筋目)・「神」(雷)の解釈がキーポイントであった。

「高」は「高い」の意味ではなく、「皺」の意味を示す。これで初めて紐解けたわけである。

更に、この二つの文字解釈によって常世國の地形がまざまざと浮かび上がって来ることが解った。決して常世は天上の世界ではないことが解る。

高精度の国土地理院地図、仰角計算に何故使用しなかった?…トウモロコシが国内不足?…怪しげな言い訳が横行する昨今である。
 
高御產巢日神之子・思金神

この神が登場するのは、天石屋の事件の中である…古事記原文…、

故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蠅那須此二字以音滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而訓集云都度比、高御巢日神之子・思金神令思訓金云加尼而、集常世長鳴鳥、令鳴而(以下略)・・・

天照大御神が速須佐之男命とのいざこざで天石屋に引き籠った事件の解決策を考える役目を担う。「多くの思慮を兼ね備えている神」を暗示する?…そうとも読めるであろう。
 
<思金神>
それと重ねて、やはり地形象形されている筈であろう。少し手の込んだ命名かと思われる。

「思」=「囟+心」と分解される。「囟」=「頭蓋骨の泉門(未縫合部分)」を象った文字と言われる。

頭の凹んだところである。二つある泉門は十字の溝が交差するような形を示している。そんな地形が見事に見出せる。勝本町東触にある。

「金」はその文字の形から「[ハ]の形の谷間にある高台」と紐解く。

伊邪那岐の禊祓で誕生する神々の一人である阿曇連の祖となる宇都志日金拆命に含まれていた。また後には幾度か登場する文字である(例えば廣國押建金日命(安閑天皇)など)。するとこの十字の谷間にある高台を示していると推定される。

また「金」=「加尼」と訓される。「尼」=「背中合わせに近付く様」を象った文字である。とすると「加尼」は…、
 
近付くところを更に近付ける

…と読み解ける。図に示した通り、近付く二つの山稜の間にある高台と解釈できる。高御產巢日神(後に高木神と呼ばれる)が坐した場所は後に求めたところ、狭い常世国とは言え、その近隣に思金神は坐していたことが解る。

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少々余談になるが・・・『先代旧事本紀』では「八意思金神」とも記される。「八意(ヤゴコロ)」と訓するようであるが、古事記風に紐解くと…、
 
八(谷)|意(閉じ込められたところ)

…と読み解ける。谷で囲われ閉じ込められた地形を表していることが解る。「思」の地形象形の別表記となる。

おそらくは漢字で地形象形すること自体は、その当時にはごく自然に行われていたのであろう。古事記はそれを体系的に纏め、齟齬のないように記述したと思われる。古事記風には「八意」→「八十」もしくは「八衢」であろうか・・・。

いずれにしても、そんな重要な手法をぐちゃぐちゃにしてしまったのが日本書紀ということになろう。勿論目的があってのことで、致し方なしの感があるが、漢字という特異稀な文字を使う民族にしか為し得なかった「地形象形」を埋没させてしまったことが悔やまれる。

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少名毘古那神

少名毘古那神の登場は、大国主命が出雲の国造りを始めた時に、その助っ人の役割を担う場面である。最新鋭の船に乗ってダウンジャケットを羽織っての登場である。勿論最新の稲作技術を携えて…古事記原文…、

故、大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、內剥鵝皮剥爲衣服、有歸來神。爾雖問其名不答、且雖問所從之諸神、皆白不知。爾多邇具久白言自多下四字以音「此者、久延毘古必知之。」卽召久延毘古問時、答白「此者神產巢日神之御子、少名毘古那神。」自毘下三字以音。故爾、白上於神產巢日御祖命者、答告「此者、實我子也。於子之中、自我手俣久岐斯子也。自久下三字以音。故、與汝葦原色許男命、爲兄弟而、作堅其國。」(以下略)・・・


<少名毘古那神>
「少名毘古那神」とは?・・・。

「名」=「山稜の端の三角州」、「毘古」=「田を並べ定める」、「那」=「揃える」と解釈できそうだが・・・。

残る「少」は何とするか?…「少」=「小+ノ」と分解される。「削ぎ取って減らす」と解説される。

これをそのまま地形象形に用いたのではなかろうか。

即ち「少」=「山稜の端を削ぎ取ったような様」を表していると読み解ける。

すると「少名毘古那神」は…、
 
少(山稜の端が削ぎ取られた)|名(三角州)
毘古(田を並べ定める)|那(揃える)|神

…「山稜の端が削ぎ取られたような三角州の傍らで田を並べ定めて揃えた」神と紐解ける。

図に示した場所は、常世国では数少ない広く長い谷間の地形である。勿論父親の「神產巢日神」が坐した場所に含まれるところである。先進の稲作技術の指導者であったと伝えているのである。稲穂を守るだけではなく、物知りの案山子を残して、サッサとご帰還、納得である。

この神は、仲哀天皇紀に再度話題に上る(勿論同一人物ではない)。御子の品陀和氣命(後の応神天皇)が高志前之角鹿で禊祓する際に「其地伊奢沙和氣大神之命」と名前を交換してご帰還なされ、それを迎える酒盛りの話題の中に登場する。息長帶比賣(神功皇后)がはしゃいでいる様を軽妙なタッチで記述しているところである。


<伊波多多須 須久那美迦微>
その歌中で少名毘古那神のことを「登許余邇伊麻須 伊波多多須 須久那美迦微」と表記されている。

登許余邇伊麻須」=「常世に坐す」として、以下の直訳は?・・・。

①伊波多多須

武田氏は「岩の上に立つ」の訳であるが、何を意味しているのか、唐突な感じであろう。
 
伊(僅かに)|波(端)
多多(真っすぐな)|須(州)

…「僅かに端が真っ直ぐな州」と紐解ける。「多多須」の解釈は丹波比古多多須美知能宇斯王に含まれる「多多須」と同じ解釈である。大きさが違う?…ちゃんと「伊波」を付けている。

②須久那美迦微

この文字列は…、
 
須(州)|久([く]の形)|那(ゆったりとした)|美(谷間に広がる地)
迦(出合う)|微(微かに)


…「[く]の形の州がゆったりと広がる谷間が微かに出合うところ」と紐解ける。少名毘古那神が坐していた場所の詳細地形を表していることが解る。

「少名」が読み解けない読者に、ここで教えておこう・・・の感じかもしれない。微妙に呼び名が異なるのも同一人物ではないことを示しているのであろう。