2019年6月17日月曜日

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命:稻氷命 〔354〕

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命:稻氷命


邇邇芸命の御子、火遠理命(山佐知)が豐玉比賣を娶って誕生したのが天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命であり、その御子が叔母の玉依毘賣を娶って稻氷命と他三人の御子が誕生したと、古事記は伝えている。いよいよ古事記の記述が神代の世界から人代へと進んで行く場面である。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、娶其姨・玉依毘賣命、生御子名、五瀬命、次稻氷命、次御毛沼命、次若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、亦名神倭伊波禮毘古命。四柱。故、御毛沼命者、跳波穗渡坐于常世國、稻氷命者、爲妣國而入坐海原也。
[アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命は、叔母のタマヨリ姫と結婚してお生みになつた御子の名は、イツセの命・イナヒの命・ミケヌの命・ワカミケヌの命、またの名はトヨミケヌの命、またの名はカムヤマトイハレ彦の命の四人です。ミケヌの命は波の高みを蹈んで海外の國へとお渡りになり、イナヒの命は母の國として海原におはいりになりました]

その四人の一人(次男)、「稻氷命」は妣国(母親、玉依毘賣の国)の海原に入ったと解釈されて来た。海神、綿津見神の居場所が母親の国とすれば、矛盾のない解釈であろう。しかしながら「妣」=「亡き母親」の解釈では、古事記に記された「妣国」は二つあることになる。

「妣国」は、やんちゃな速須佐之男命が伊邪那岐に引導を渡された時に登場する。速須佐之男命が「僕者欲罷妣國根之堅洲國、故哭」と言い、「天」に住まうことは罷りならぬと告げられる。「妣国」=「亡き母親の国」ならば伊邪那美が母親のようにも思われるが、古事記には明記されない。そらしき読み方ができるが、やはり「妣国」≠「亡き母親の国」である。

既に根之堅洲国について述べたように、「妣」=「女(嫋やかに曲がる)+比(並ぶ)」と分解して、比婆之山に挟まれた国の解釈と結論付けられた。黄泉国を示すのである。通説は玉依毘賣の場所、即ち豐玉毘賣と同じであろうが、不詳ながら宮崎県に伝承されると言う。「豐」と無関係だが、お構いなしである。


<妣国・海原>
では「海原」は何と解釈できるであろうか?…「海原(ウナバラ)」=「広々とした海(池、湖の水面)」が通常に使われる意味であろう。

「入坐」は、あたかも海の底に坐しているような雰囲気を醸しているが・・・。

「海原」=「海浜の開けた場所。海辺」の意味もあると言われる。海の傍らの原と読めるであろう。

これがヒントになって、繋がった。

息長帶比賣(神功皇后)が品陀別命(後の応神天皇)を生んだ場所「宇美(ウミ)」である。

実に戯れた表記と言わざるを得ない。「ウミ」に掛けた文字であり、当て字は「宇美」=「宇(山麓)+美(谷間が広がる地)」なのである。

息長帶比賣が筑紫国を彷徨った時の地名をあらためて図に示した。現在の様な広大な扇状地に至ってはなかったと思われるが、海辺の開けた場所として名付けられて申し分なしの地形と推測される。「宇美」=「海」であったことが再確認されたわけである。


<稻氷命>
ところで「稻氷命」の命名は、母親の近隣の地を表していると読み解いた。後に三川之穂と呼ばれる場所であって、筑紫嶋の南西端に当たる。

彼はそこから北端に近く開けた宇美に移ったのである。言い換えれば筑紫国の西部を縦断したことになる。

後に長男五瀬命と四男神倭伊波禮毘古命が一時滞在する筑紫之岡田宮はその道中にある。唐突に登場するように見えて、その実、次男が手掛けた宮であったことが伺える。

爲妣國而入坐海原也」は、妣国を治め、海原に侵入して坐したことを表している。海に入った、のではない、近隣の地を切り開いた命であったことを告げている。

伊邪那岐・伊邪那美が生んだ筑紫嶋の面四、そして筑紫国、豐国及び肥国(出雲国)、更に黄泉国が隣接する地でなければ稻氷命が果たした役割は全く理解の外であろう。

こんな齟齬を受け入れて、と言うか放置するのが、日本人的なのであろうか・・・昨今の「上級国民」の為体さに通じる、かもである。

余談はさて置き、「海(ウミ)」に関わる古事記の記述の奥深さを感じると共に、更なる読み解きを継続する勇気を与えてくれた件であった。