2019年5月9日木曜日

八尺勾璁・八尺鏡・八咫烏 〔343〕

八尺勾璁・八尺鏡・八咫烏


元号が変わって、一週間余り、巷に「令和」の文字が溢れているようであるが、「生前退位」に伴う様々な議論が続いている。古事記に関連するところでは、三種の神器、天皇であることの証であるこの宝物の引継ぎの儀式が行われとのことである。

「生前退位」故に、この神器は相続税ではなく贈与税の対象になるのだが、法律的には規定がないそうである。慣例から外れるとなかなかに面倒なことが生じる、のであろうか・・・。

そんな俗世間のことを見聞きしながら、あらためて「八尺」の文字を眺めてみた。この文字が登場するのは、天照大御神が天石屋に閉じ籠っているのを八百萬神が寄ってたかって引き摺り出そうした場面である。その時の小道具に登場する。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蠅那須此二字以音滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而訓集云都度比、高御巢日神之子・思金神令思訓金云加尼而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而麻羅二字以音科伊斯許理度賣命自伊下六字以音、令作鏡、科玉祖命、令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命・布刀玉命布刀二字以音、下效此而、天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦此三字以音、木名而、令占合麻迦那波而自麻下四字以音天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而自許下五字以音於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡訓八尺云八阿多、於下枝、取垂白丹寸手・青丹寸手而訓垂云志殿、此種種物者、布刀玉命・布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言禱白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲𦆅天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而訓小竹云佐佐、於天之石屋戸伏汙氣此二字以音蹈登杼呂許志此五字以音、爲神懸而、掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。
[そこで天照らす大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇くなりました。永久に夜が續いて行つたのです。そこで多くの神々の騷ぐ聲は夏の蠅のようにいつぱいになり、あらゆる妖がすべて起りました。こういう次第で多くの神樣たちが天の世界の天のヤスの河の河原にお集まりになつてタカミムスビの神の子のオモヒガネの神という神に考えさせてまず海外の國から渡つて來た長鳴鳥を集めて鳴かせました。次に天のヤスの河の河上にある堅い巖を取つて來、また天の金山の鐵を取つて鍛冶屋のアマツマラという人を尋ね求め、イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に命じて大きな勾玉が澤山ついている玉の緒の珠を作らしめ、アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いて占わしめました。次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘にこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の玉の緒を懸け、中の枝には大きな鏡を懸け、下の枝には麻だの楮の皮の晒したのなどをさげて、フトダマの命がこれをささげ持ち、アメノコヤネの命が莊重な祝詞を唱え、アメノタヂカラヲの神が岩戸の陰に隱れて立つており、アメノウズメの命が天のカグ山の日影蔓を手襁に懸け、眞拆の蔓を 鬘として、天のカグ山の小竹の葉を束ねて手に持ち、天照大神のお隱れになつた岩戸の前に桶を覆せて踏み鳴らし神懸りして裳の紐を陰に垂らしましたので、天の世界が鳴りひびいて、たくさんの神が、いつしよに笑いました]

鏡を伊斯許理度賣命、勾玉を玉祖命に作らせたと記される。鏡については、「取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅」の記述に続くことから、鉄鏡と解釈するのが妥当のようである。また鏡の名称は枝に吊るす時に「八尺(訓:八阿多)鏡」とされ、「ヤ(ア)タ」と読めと述べている。とすると「尺」=「咫」であることも判る。

様々な情報が盛り沢山に記述されている。登場人物・地名などの一覧はこちらを参照。先ずは何とも長たらしい名前の勾玉から紐解てみよう。


八尺勾璁

「尺」の文字は「指を差し渡して長さを図る様」を象ったとされている。白川漢字学にも珍しく、神も死体も登場しない…死体の手か?…戯れずに進むと、地形象形的にはかなり判り易い表記となろう。八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠」は、上記武田氏の訳では「大きな勾玉の澤山の玉の緒」となっている

因みに、世界大百科事典によると「《古事記》に〈八尺勾璁(やさかのまがたま)〉というのは,緒に通した長さをいうものであり,〈五百津之美須麻流之珠(いおつのみすまるのたま)〉というのは,数の多さを五百個と形容したものであるが,もちろん勾玉ばかりをつないだものではない。」と解説されている。

「八尺」を「ヤシャク」→「ヤサカ」なのであろう。「五百津之美(御)須麻流之珠」については「五百」の解釈のみでその他は無視となっている。先ずは、長い文字列を紐解いてみよう。「津」「御」「須」など既に読み解いた地形を表す表記である。

ならば…「八尺勾璁」、「五百津之美須麻流」は…、
 
八(谷)|尺([手]の形)|勾璁(勾玉)
 五百津之(多くの津の)|御(束ねる)|須(州)|麻(擦り潰された)|流(広がる)

…「[尺]の形の谷にある連なった勾玉」及び「多くの津があり束ねられた擦り潰されたような州が広がるところ」の珠と読み解ける。「璁」は三つ連なった勾玉を象った表記と思われる。「五百」は「五百木」(伊豫国)の「多くの山稜があるところ」の解釈に通じる。


<玉祖命>
図に「尺」の甲骨文字を黄色破線で示すと見事に合致することが解る。

「手」の指の状態を表し、親指とその他の指がを拡げた形を示している。

五百津之御須麻流」は「五百津之美須麻流」とも記される。素行の悪い速須佐之男命を迎え撃つ準備の際に天照大御神が身に纏った珠である。

「美」=「谷間に広がる地」であり、「御(束ねる)」するところが谷間であることを表している。

同音異字で地形の詳細を告げる手法の例であろう。後に登場する邇岐志天津の別表現とも受け取れる。

邇邇芸命の南に隣接する場所である。図に示したように「玉祖」の補足説明であり、紛う事無く、現地名勝本町百合畑触にある真ん丸の地形の場所を表していると解る。その意味も解釈しておこう。「祖」=「元(もと)、初め」として…、
 
元にある玉のような形をしたところ

…と解釈できる。少し後の話になるが、大国主命の後裔が天之甕主神之女・前玉比賣を娶ったと伝える。出雲から「天」への舞い戻りの初めである。「玉祖命」に続く「玉」の地がある。実に古事記らしい用意周到な記述ではなかろうか。高天原に広がった天神一族を表しているのであろう。
 
八尺鏡
 
<八尺鏡>
伊斯許理度賣命に作らせたこの鏡は何と読み解けるであろうか?・・・。
「於中枝、取繋八尺鏡訓八尺云八阿多」と注記される。「尺」=「咫(アタ)」を簡略にした文字と解釈される。

わざわざ訓を付けたのには、「咫」=「尺+只」を示していると思われる。

いずれにしても「尺」=「親指と他の指とが開いた様」と「只」の地形を象形したと考えられる。

図に示した通り、伊斯許理度賣命が坐した場所は「斯」=「切り分けられたところ」であり、「尺」と「只」共に谷の様相を表す文字と読み解ける。


「八阿多(ヤアタ)」との文字列は「谷と山稜の端の三角州に挟まれた台地」と読み解ける。地形的には問題ないが、場所を特定するための表記でなく、「尺」の用法には「咫」もあることを記していると思われる。

図に示した通り、「咫」の文字で地形象形していることが解る。どうやら伊斯許理度賣命は、この谷の出口付近の小高いところに坐していたのではなかろうか。

上記の勾玉と同様に「八尺鏡」は「八尺で作られた鏡」であって、銘刀「伊都之尾羽張」と同じく作られた地名(神名)を表していたと思われる。現存する「八尺鏡」は、この地壱岐島の勝本町新城東触で作られた、と言うことになろう。正に”世界遺産”である。

八尺入日子命之女・八坂之入日賣命

ずっと時代は下るが、「八尺」の名前を持つ命が登場する。この記述が「八尺(ヤサカ)」読むことに繋がったようであるが、全く混同であろう。「尺」≠「坂」である。それぞれの居場所を求めてみよう。
 
< 八尺入日子命・八坂之入日賣命>
関連する人物名に崇神天皇紀の「八坂之入日子命」がある。詳細はこちらを参照願うが、巨大な谷の麓に坐した命と紐解いた。

幾つも稜線が延びる端の中の一つに、上記と同様に「手」の指の状態を表し、親指とその他の指がを拡げた形「尺」を示しているところが見出せる。

「天」(壱岐)とは違い、山が高くなって地形が鮮明な分、判り易いようである。

即ち「八坂」の中の「八尺」であることが解る。正にその谷の中央部に当たるところ、そこに坐していたのであろう。

統治する領域は「八坂」であり、居場所は「八尺」であったと伝えている。

些か不明瞭であった「尺」を使った地形象形もここに来て、明らかになったように思われる。

最後に「八咫]について考察してみよう。かの有名な「八咫烏(ヤタガラス)」に含まれる文字である。上記の「八尺鏡」で述べたように「咫」の地形象形を見出すことになる。
 
八咫烏

<八咫烏>
神倭伊波禮毘古命が熊野の山で彷徨った時に道案内をした烏である。日本中で最も有名な烏ではなかろうか。

神様扱いにもなっているそうで、何故か足が一本増えて、蹴球の世界ではシンボルにもなっている。

既に「八田の住人」として紐解いたが、若干現存地名に依存した解釈であったように感じられる。

あらためて上記の「尺」の解釈に続いて読み解いてみよう。「尺」を用いずに「咫」を使っているのには、明らかな地形があると思うのだが・・・。

地形は、ぼんやり眺めているだけでは何も教えてくれないが・・・一目である、図に示した通り、「尺」の隣に「只」の地形が見出せる。細長く延びた山稜の端の両脇が窪んだところである。そこを「八咫」と表記したと解釈される。

「八尺」及び「八咫」は日本の古代における重要な事柄を示す文字である。「尺」「咫」は長さを示す以外に解釈されたことはなく、それによって意味不明なままで今日に至っている。鏡、勾玉の名称ならば、その製作地、あるいは製作者と考えれば至極当然の結論が得られたと思われる。

更に超有名な「八咫烏」の出自も明らかにすることが可能となった。それらは全て古事記編者の地形に対する精緻な認識に基づくものと思われる。あらためて敬服するところである。

最後になったが、三種の神器にはもう一つ、邇邇芸命の降臨に際して「八尺勾璁・鏡・及草那藝劒」を賜ったと記述される。後になって倭建命が焼津で火に囲まれた時に草を薙ぎって難を逃れたから、と洒落で名付けられるのだが、本来の意味は、目下のところ不詳である。出自が明らかな銘刀伊都之尾羽張」との関係も不確か…また後日に紐解いてみよう。