2019年4月25日木曜日

當摩之咩斐・酢鹿之諸男・菅竈上由良度美 〔340〕

當摩之咩斐・酢鹿之諸男・菅竈上由良度美


新羅の王子、天之日矛の子孫が多遲麻国に拡散する記述があった。その系譜から「當摩」の地へと更に広がって行ったことが伝えられている。この系譜は重要な位置付けで、そこから息長帶比賣命が出現するのである。概略は、そんなに難しくなく読み取れるが、當麻の地の人々だけに詳細となると戸惑ってしまう…ようである。

初見で一応は紐解いたところではあるが、再度見直してみた結果を述べてみよう。関連する古事記原文は…、

故更還泊多遲摩國、卽留其國而、娶多遲摩之俣尾之女・名前津見、生子、多遲摩母呂須玖。此之子、多遲摩斐泥、此之子、多遲摩比那良岐、此之子、多遲麻毛理、次多遲摩比多訶、次淸日子。三柱。此淸日子、娶當摩之咩斐、生子、酢鹿之諸男、次妹菅竈由良度美。此四字以音。
故、上云多遲摩比多訶、娶其姪・由良度美、生子、葛城之高額比賣命。此者息長帶比賣命之御祖。故其天之日矛持渡來物者、玉津寶云而、珠二貫・又振浪比禮比禮二字以音、下效此・切浪比禮・振風比禮・切風比禮、又奧津鏡・邊津鏡、幷八種也。此者伊豆志之八前大神也。

新羅の王子ではあるが、天之日矛の居場所は「天」であって、大国主命の後裔の記述で登場した地、現在の壱岐島の北西部と推定した。
 
<天之日矛>

少々余談ぽくなるが・・・三叉矛は、トライデントと言われ、海神ポセイドンが所持するものと知られている。何とも勇ましい神が新羅から来たものである。

この血統が皇統に深く絡み、応神天皇はその海神の末裔になる…海神ポセイドンのことが伝わっていたのか?…妄想の領域である
・・・。

「日(炎)」と解釈することによって古事記の伝えるところが見事に浮かび上がって来るようである。並の王子ではなかった…のであろう。

この王子の系譜の詳細はこちらを参照願うとして、上記の「此淸日子、娶當摩之咩斐、生子、酢鹿之諸男、次妹菅竈由良度美。此四字以音」を再度紐解いてみよう。
 
當摩之咩斐
 
「當摩(麻)」の地名が登場する。既に記述したが、開化天皇紀の日子坐王が山代の苅幡戸辨を娶って産まれた小俣王は「當麻勾君之祖」と記述される。再掲すると…、
 
當([當]の字形)|麻(擦り潰された)

…「[當]の形の地形で擦り潰されたような地」と紐解ける。また「當(向き合う)|麻(魔:人を迷わすもの)|勾([勹]の字曲がりの形)」とすると、「人を迷わすものに向き合う勾がりの地」とも読み取れると解釈した。「麻」の文字を略字と見做して両意に受け取れるように記述されたと推測した。

<當麻勾君>
現地名直方市上境にある水町池を囲む山稜である。福智山・鷹取山の裾野に当たる。

正に修験道の聖地として存在したことを告げている。併せて「當」の文字で地形を象った表記であるとも読み解いた。

現在に繋がる「当麻」の文字からも推察されるように、英彦山、求菩提山、福智山における古代修験の地を示していると思われる。

今回は「摩」と記されていることから「魔」の意味はあり得ないことになる。

では當摩之咩斐」は何処であろうか?・・・。

咩」=「メエー:羊の鳴き声」と辞書にあるが、咩」=「口+羊」と分解することができるであろう。


<羊>
羊の甲骨文字を示す。「美」=「羊+大」に類似する地形象形と思われる。すると「」=「谷間の入口」と紐解ける。類似の文字「訶(谷間の耕地)」、これは「耕」が付くのである。「咩斐」は…、
 
咩(谷間の入口)|斐(挟まれた隙間)

…と紐解ける。初見では「羊の口」として紐解いたが、それも的外れではなかったようである。と言うか、例によってそう読めるようにも記述されていると思われる。いずれにせよ安萬侶コード「羊(谷間)」としておこう。
 
<當摩之咩斐>
図の水町池の東端、おそらくは当時の池は現在よりも小さく、羊の舌先の地も広がっていたであろう。現地名は直方市上境である。

さて、當摩之咩斐は「酢鹿之諸男、次妹菅竈上由良度美」の二人を誕生させる。どんな意味を含めているのか紐解いてみよう。

「酢鹿」とは?…「酢」=「酒を皿に作って、「す」にする」とある。この原義は些か難しいようであるが、「乍」を含む他の文字、例えば「作」「昨」「咋」など、「重ねる」意味を持つと解釈される。

「酒」がキーワード…上記の水町池は「輕之酒折池」であった。「酒=坂」である。この地に並列するところと推測される。

「酢」=「酒(坂)+乍(重なる)」とすると…、
 
酢(坂が重なる)|鹿(麓:ふもと)

…「麓で坂が重なるところ」と紐解ける。坂が段々になって続いている様を表している。「諸男」=「凹凸の地を田にする」人であろう。母親の近隣で求めると、大浦池がある長く積重なる坂があるところを示しているのではなかろうか。現地名は田川郡福智町上野である。

菅竈由良度美」は何と解く?…竈に関連する山、丘ととすれば「羊の舌」が該当するのではなかろうか。二つの坂に挟まれた小高い丘を「菅竈」と表現したと推定される。
 
<菅竈由良度美・酢鹿之諸男>
釡の蒸気が立つようにユラユラとした態度(様子)が美しい…かなり安萬侶くんの戯れの領域に立入るが、どうであろうか?…嫋やかな姿の表現と解いたが・・・。


その血筋が葛城の高額比賣命に受け継がれ、更に息長帯比賣命に・・・ちょっとイメージが違うかも?…當麻の血が流れて行ったことは間違いないようである。

流石に當麻の記述、惑わされる。その上洒落た文字使いも含まれていた。「由良度美」が「葛城之高額比賣命」を産む。

息長帯比賣(神功皇后)に繋がっていくという重要な意味を含んでいる。葛城之高額比賣を経て息長帶比賣に至る系譜はこちらを参照願う。

さて、文字の印象から読み解けば上記のような解釈も成り立つように思われるが、例によって一文字一文字を紐解いてみよう。「菅」=「[菅の小穂(ショウスイ)]の形」、「竈」=「稜線が放射状に延びた山(丘陵)」、「由」=「寄り添う)」、「良」=「なだらかなところ」とすると…、
 
菅([菅の穂]の地形)|竈(放射状に延びた稜線の丘陵)
由(寄り添う)|良(なだらかなところ)度(広がり渡る)|美(谷間に広がる)

…「[菅の穂]の地形がある放射状に延びた稜線の丘陵がなだらかなところに寄り添うように広がり渡っている谷間」と紐解ける。「由」は旦波の由碁理、その孫の比古由牟須美命に含まれ、「由」に続く文字、「碁・牟」が地形を表していると解釈した。

「竈」は神倭伊波禮毘古命の兄、五瀬命が葬られた竈山に準じた。枝木を交差して積み上げた様の地形象形と解釈した。また「由良」は後の仁徳天皇紀に登場する由良能斗(下関市彦島田の首町)の解釈と同様である。

當摩之咩斐・酢鹿之諸男・菅竈上由良度美の親子の名前は、正しく「當摩」の地の詳細を語っていると解る。橘豐日命(用明天皇)の時代にも登場し、長く皇統に関わる地であったことが伺える。ところで當摩之咩斐の段では「當摩」と表記されるが、他では「當麻」である

当然のことながら、これでは解釈が異なって来る。ここで登場する「咩斐」らの住まう「當摩」は、「麻」=「擦り潰された地」ではなく…、
 
[當]の形をしているところが近接している地

…と解釈される。要するに「斐」=「隙間」なのである。「麻(マ)」は、「マ」音の表記として真に使い勝手の良い文字、と言うことになるようである。いやぁ~、真に微に入り細に入りの表現であろうか・・・勿論橘豐日命が関わる時は「當麻」、隙間の出来事ではないようである