2018年5月31日木曜日

飛鳥と鳥髪 〔216〕

飛鳥と鳥髪

「飛鳥」と言えば本ブログの第一稿(近つ飛鳥と遠つ飛鳥)に記載した文字、反正天皇が関わる事件に登場する。「飛鳥」=「隼人曾婆訶理」であり、「飛鳥(アスカ)」は後世の人が事件の生々しさを避けて「隼人曾婆訶理」を省略し、「近つ明日処(アスカ)」(あすの場所で近付ける)「遠つ明日処」(明日の場所で遠ざける)と伝えたことに由来すると解釈した。

ではこれが「飛鳥」の初出かと思えば、そうではなく垂仁天皇紀の大中津日子命が祖となった一つに「飛鳥君」があったと記載されている。言い換えれば「飛鳥」には二つの意味が含まれていることになる。反正天皇の説話では、あくまで「近飛鳥・遠飛鳥」であり、その由来とは別個の「飛鳥」という地が存在していたと古事記は伝えているのである。

同じ「鳥」仲間に「鳥髪」がある。速須佐之男が降臨した出雲国にあった「鳥髪地」で出現する。その場所など間違いなく比定することができたのであるが、何故にそう名付けたのか?…は決して明瞭ではなかった。

更に古事記の記述では「登美」(以音)とされるが「鳥見(トミ)之白庭山」に含まれる「鳥見」にも「鳥」が出現する。これらは無関係に存在する言葉なのか、地形象形として共通の意味を有しているのか、古事記解釈上、重要なキーワードと気付き、再考することにした。


<鳥見之白庭山>
鳥見

紐解きは、最後の「鳥見」の考察が切っ掛けとなった。「鳥見」の表現は古事記にないが、「鳥見」は何と解釈できるのであろうか?…、


鳥見=鳥が見える

…と単純に読み解くと、見晴らしの良い高台のイメージである。確かに大坂山からの枝稜線の端にある戸城山は背後に聳える大坂山の方向を除き見事に視界が開けたところと思われる。

戸城山だが、それだけのことで命名したとは思えない。何かを意味していると思われる。図に示したように戸城山の頂上付近以外では香春一ノ岳、その麓までは目視困難な地形であることが判る。大坂山山稜が延びて遮っている(3D図を参照)。


<鳥見之白庭山3D>
とすると、「鳥」=「香春一ノ岳」を意味することになる。何故、鳥?…思い付くのが一ノ岳の山容、即ち稜線が作る姿を示していたのではなかろうか。

残念ながらこの山は図に示した有様であって確認不能であるが、サイトに元の姿を留める写真などが見出だせる。


飛鳥

驚くべきことにこの山は円錐形とは程遠いかなり歪な形で、岩山に見られるゴツゴツとした山容をしていたことが伺える。

更に左の写真は、鳥の胴体を示す、南に伸びる主稜線(香春二ノ岳、三ノ岳を結ぶ:背後の二つの山)に対して、枝稜線が鳥の翼にように…かつ少々折れ曲がった形に…広がり、正に「飛ぶ鳥」の姿をしているように見受けられる。

あらためて見てみると、現在も異様な山容ではあるが、元の姿は自然造形でできた特異な姿をしていたと思われる。即ち「飛鳥」は一に特定できる、間違うことなく辿り着ける場所、香春一ノ岳であったと結論できる。


<かつての香春岳>


鳥髪

速須佐之男命が降臨した場所は「故、所避追而、降出雲國之肥河*上・名鳥髮地」と古事記に記述される。初見では「鳥髪(トカミ)」=「斗の上」として、出雲の「大斗」の上にある場所と解釈した。決して間違いではなく、事実そう言っていると思われた。だが、何故、表記を変えたのか?…それには何らかの理由があった筈である。特にこの解釈では地形象形されておらず、気に掛かるところであった。

比定した現在の企救半島にある戸ノ上山をあらためてよく観察すると・・・「飛鳥」と全く同様に主稜線と枝稜線が作る地形を「鳥」に見立てていたことが判った。


<鳥髪>  


鳥髪地=鳥(鳥の姿)|髪(山稜)|地=鳥の姿をした山稜の地

…「髪=山稜」?・・・実に手の混んだ文字使いではあるが、「髪」=「毛」=「木」となり、安萬侶コード「木(山稜)」の出番なのである。飛び立つような鳥ではなく、ゆったりと大きな翼を広げた鳥を示している。「地」を付けて、山そのものではなく山稜が広がる地を表している。これも実に木目細かな表現と思われる。


後の大国主命の系譜に関連してこの「鳥髪」の近隣に、所狭しと神々が現れる。

繰り返しになるが、「八嶋牟遲能神之女・鳥耳神」、戸ノ上山主稜線の端に「耳の地形」がある。

「鳥鳴海神」は枝稜線が延びて淡海に接するところに住まったと紐解いた。

「鳥」を中心にした表記と解釈することができた。結果の図を再掲する。戸ノ上山、その山稜を眺めれば行き着くところである。「鳥髪地」そして出雲国は北九州市門司区にあったと確信する。

水齒別命(後の反正天皇)が伊邪本和氣命(後の履中天皇)(共に仁徳天皇の御子)の命を受けて「飛鳥」=「隼人曾婆訶理」を褒め殺しにするという乱暴な物語であるが、前記したように作業は近飛鳥で全て行われる。それに続いて…念入りに…明日、禊祓を行って石上神宮に参詣しようと述べ、その地を「遠つ飛鳥」と名付けた。この神宮の在処こそ「飛鳥」であった。

天高く飛び立つ「飛鳥」それは遠ざかる「隼人曾婆訶理」の姿を映しているのであろう。何故「飛鳥=アスカ?」に焦点を置いた解釈、それはそれとして、この「近飛鳥・遠飛鳥」の説話の伝えるところは真に深遠なものがあったと気付かされた。正に「万葉」のごとく重ね含められた意味を持つ表現と感心させられる。

・・・五木寛之著 ”青春の門” 読み飛ばしたような気もするが、引張り出してみようか・・・。

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肥河*

「肥河」の地形象形表現として何と紐解けるか?…「肥」=「月(三角州)+巴(蛇の形)」と分解すると…、


肥河=三角州のある蛇のように曲がりくねった川

…と読み解ける。川が蛇行することで山稜の端に多くの三角州ができる。これを「肥河」と表記したのである。「月」は月讀命の解釈と同様である。「肥」=「太」=「大」として「肥河」→「大川」(北九州市門司区)と読んだが、「八俣遠呂智」に繋がる表記をしていたことに気付かされる。(2018.06.08)
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