2018年5月18日金曜日

穂積とは? 〔211〕

 穂積とは? 


「穂積」の文字が古事記に登場する場面は、神倭伊波禮毘古命と邇藝速日命が遭遇した時の説話である。そこに実に簡潔に「邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也」と記述される。邇邇藝命以前に降臨した邇藝速日命(ほぼ間違いなく兄の天火明命の別名)の系譜を述べているところである。

「穗積」は決して頻出するわけではなく、上記以外では孝元天皇紀の穗積臣等之祖・內色許男命そして成務天皇紀の穗積臣等之祖建忍山垂根のみである。しかしながら内色許男命の比賣から続く系譜は天皇家に広く、深く関わって行ったと記述している。草創期の天皇家の血統に大きく影響を及ぼした一族であったと伝えているのである。

既に紐解いたように邇藝速日命の「日」は「春日」「日下」など重要なキーワードの由来であり、また、それらが今日まで使われていること…いや今後も変わりなく…を思うと、更に日本(人)の「日」も含めて、現状のボヤけた古代史に一言主(古事記の意味は異なるが…)たらんと思う日々である。

論旨が散漫になりそうなので・・・「穗積」を一気に紐解いてみよう。「穂」は稲穂の象形なのであるが、既に幾度か出現したように、山稜の端が穂のようになっている様を表していると解釈する。「積」=「ひとところに集まり重なる」算数の「積」の概念である。


穗積=山稜の端が寄り集まり重なっているように見える

…穗積一族はこんな地形のところに居たと告げているのである。これは何処を示しているのであろうか?・・・大坂山から戸城山へ向かう尾根から無数の枝稜線が張り出し、それらが一箇所に集まるような地形を示している。既に幾度も登場している大坂山山塊の南麓の地そのものの表現であった。

<穂積>


邇藝速日命が娶った登美夜毘賣の子、宇摩志麻遲命を祖に持つ一族は、この地形が作る狭い谷間を切り開き子孫を繋げて行った。多くの御子の名前に「伊(小さい、僅かな)」の文字が冠される。先住人にはなし得なかった開拓を実現したのであろう。古事記が伝える重要な事柄の一つは、不毛の大地を緑の大地に、豊かに実る稲穂の景色に変えて来たことである。

図から判るように「穗積」の地は広い大地を持つわけではなく、御子達は当然のごとく各地に散らばって行く。この地が果たした役割は大きく、その後も繁栄を続けるのであろうが、次第にその役割を終えて行ったと推測される。
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邇藝速日命のについてはこちらを参照願う。