2018年12月7日金曜日

速須佐之男命:櫛名田比賣と神大市比賣 〔291〕

速須佐之男命:櫛名田比賣と神大市比賣


八俣遠呂智を退治した速須佐之男命は英雄となってその地に根付くことになる。古事記の記述は一気に大国主命が誕生するまでの膨大な神の羅列となる。その系譜については、ほぼ加筆修正もなく、詳細はこちらを参照願う。

速須佐之男命の直系の娶りと御子の箇所については、ほぼ比定して来たが、より詳しく求めてみようかと思う。ありふれた文字で示されるだけに解釈の難度が高くなるが、古事記における出雲関連の記述の根底に流れる重要な意味を示していると思われる。

古事記原文…、

故、其櫛名田比賣以、久美度邇起而、所生神名、謂八嶋士奴美神。自士下三字以音、下效此。又娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神、次宇迦之御魂神。二柱。宇迦二字以音。
 
櫛名田比賣
 
<櫛名田比賣・足名椎・手名椎>

櫛名田比賣の出自は少し前に記されている…、

僕者國神、大山津見神之子焉、僕名謂足名椎、妻名謂手名椎、女名謂櫛名田比賣。

…大山津見神の孫である。

「櫛」=「櫛の形(櫛の歯が並んだような)」とできるが、「名」は何と解釈できるであろうか?・・・。

「名」=「月+口」で、「月」は夕月とか肉片とかと解説される。

月讀命と同様に「月」=「三角州」と読み解き、「口」=「区切られた大地」とすると…、
 
櫛(櫛の歯が並んだような)|名(三角州)|田|比賣

…「櫛の歯のように三角州が並ぶ地にある田」の比賣となろう。八俣遠呂智の近辺で探すと、現地名北九州市門司区奥田(四)にある山麓が「櫛形」をしていることが解る。

現在も川は小刻みに蛇行し、櫛の歯のように三角州が並んでいたものと思われる。既に住宅地になっているようであるが、名前「奥田」が示すように田があったのであろう。

ところで父母の「足名椎・手名椎」の地形象形はどうであろうか?…上図に示した通り、「足手」は「櫛」の両端を表し、「椎」=「背骨」のような地形を模したものと解読される。これで「八俣遠呂智」伝説(?)に登場する人物の”全解明に至った・・・ようである。

①八嶋士奴美神

八嶋の「嶋」=「山+鳥」と分解して紐解くと…、
 
八嶋(谷にある[鳥]の模様の山)|(蛇行する川)
(野)|美(谷間に広がる地)

<八嶋士奴美神>
「[鳥]模様の山麓で蛇行する川が流れる谷間に広がる野」の神となる。矢筈山の南麓の斜面に「鳥」の図柄があると見做したようである。

後に登場する神倭伊波禮毘古命が一時坐した「吉備之高嶋宮」の解釈に類似する。また、「美」=「羊+大」であり、羊の甲骨文字を用いた地形象形と紐解いた。

羊の文字の上部が二つの山稜を、そして下部がその谷間の地(川)を示していると見做すのである。

出雲北部では最も広い平野部だったろう。勿論肥河の氾濫対策は必至であるが・・・。現地名は門司区永黒辺りである。

後に「八嶋」の名称を持つ人物が登場する。上記と同様に解釈されるところである。
 
神大市比賣

<神大市比賣>
速須佐之男命が娶った大山津見神の比賣である。それを念頭に置いて・・・。

「神」=「雷:稲妻」、「大」=「平らな頂の山」、「市」=「集まる、交わる」として…、
 
神(稻妻の形をした山陵)|大(平らな頂の山)|市(集まる)

…「平らな頂の山の麓で稻妻の山稜が集まるところ」に坐す比賣命と読み解ける。

現在の戸上神社の近隣ではなかろうか。「大」は神世五世代の大斗乃辨神の「大(斗)」と解釈することもできる。地名は門司区大里戸ノ上である。誕生した御子が二名、大年神と宇迦之御魂神とある。


<大年神>
①大年神
 
大(平らな頂の山)|年([禾]のように嫋やかに曲がるところ)

…「平らな頂の山の麓にある[禾]のように嫋やかに曲がるところ」の神と解釈される。現地名は門司区稲積辺りと推定される。

「年」=「禾+人」であり、「禾」は図のような象形からできた文字と解説されている。

背後に聳える桃山は伊邪那岐の三つの桃の一つであり、下記の「御魂」とも表記される。更に後に登場する大国主命(葦原色許男)にも深く関連し、出雲における重要な地点であることが判る。

②宇迦之御魂神

宇(山麓)|迦(出会う)


…「山麓が寄集っている様」と読み解ける。「御」=「御する、臨む(面する)」、「魂」=「玉」として…、
 
御(面する)|魂(玉のようなところ)

…「玉のようなところに面するところ」と紐解ける。「魂」の語源は明確ではないが、「玉」と同源として現在の桃山を示すと思われる。現地名は門司区上藤松辺りと推定される。
 
<宇都志国・葦原色許男>
後の大国主命の段で速須佐之男命から多くの指示が授かる。

葦原色許男と名付けられた大国主命に、今度は宇都志国玉神となれと告げるのである。

間違いなくこの地は宇迦之御魂神及び大年神が坐した場所と重なる。

共に大山津見神の後裔である比賣から誕生する御子達ではあるが、二つの系譜が発生する。

そして居場所が被って行くことになる。即ち骨肉の争いを示していると読み解ける。詳細は既述したが(大国主命・大年神)、大国主命はその任務を果たせず、歴史の表舞台から去って行く。これが世に言われる「国譲り」である

従来より、出雲(現島根県)の地を天神一族に譲ったと解釈される。だが、その後に登場する出雲の「大物主大神」に手酷く傷めつけられる。チグハグな感じに読まれる物語が続くのである。「国譲り」と仰々しく解釈するが、一体それは何を意味しているのか、皆目理解不可の状況となる。

天皇史の肉付けのために先出雲王朝の言伝えを挿入した、のような解釈が横行することになる。古墳からの出土物、これも決して昔ではなく近年になってからであるが、出雲王朝の存在を示すかのごとき傍証として扱われている。本ブログ主は古墳の遺物に関する知見を持ち合わせていないが、現島根県での出来事は、古事記に無縁である、とだけは明言できるようである。