両児嶋と伊伎嶋
何とまだ未解読が残っていた…一つ、二つと数を示すような命名なのであるが、それだけに一見解りやすいように思えて、これもまた読み飛ばしに入っていた。数の意味もあろうが、やはりそこに潜められた意味は深そうである。以前の解釈も併せて紐解いてみよう。
兩兒嶋
古事記原文「次生兩兒嶋、亦名謂天兩屋」と記され、国生みの最後の島である。通説は男女群島の女島(長崎県)とある。日本書紀に記述されないこともあってか、真面目に比定された形跡を見出すことはできなかった島である。言わば放ったらかしの島のようである。
<男女群島の女島> |
既述した通りに伊邪那岐・伊邪那美が玄界灘・響灘をグルグル回る経路上に位置し、島の形状が大きく二つに分かれ、それが辛うじて連なっている(二つに為りかけている:兒)ところから現在の蓋井島(下関市)に比定した。
通説の女島の地図である。根拠は明らかにされてはいないが、二つに為りかけ(兒)、の意味では当て嵌まる地形である。
そこでもう一度この島の名前を考えてみることにした。「兩」=「二つ」とする解釈も否定されはしないであろうが、その意味ならば何故「兩」という文字を使ったのか?…「伊豫之二名嶋」のように記述するのと同じ段にある島である。
「兩」の文字でなければならない根拠を求めることである。「兩」の原義は「天秤」の象形とある。
天秤棒の両端にモノを吊り下げた形である。古代から実用に供されていたことが知られている。またその釣り合う状態から二つのものを比較する、安定な状態に保つという概念を示すことにも使われる文字である。
ではその概念を表したのか?…いや、やはりそのズバリの地形象形に用いたのである。
「兩」の文字でなければならない根拠を求めることである。「兩」の原義は「天秤」の象形とある。
天秤棒の両端にモノを吊り下げた形である。古代から実用に供されていたことが知られている。またその釣り合う状態から二つのものを比較する、安定な状態に保つという概念を示すことにも使われる文字である。
<下関市蓋井島> |
蓋井島の地形を見ると、島の東半分は「兩」の下部、西半分は天秤棒が外れた形と見做すことができるのである。だから「兒」と記している。
古事記がその場所を表すことを主眼に置き、且つ真面目に記述していること、またその精緻さに驚かされる。
日本書紀が最も嫌うところである。場所を伝えたいものと暈したいものと、その両極の書物が手元にある、それが実情なのである。
ともあれ、文字を使った戯れと言えばそうであろうが、ここまでくれば、やはり、アートの域と言うべきかも、しれない。地形は、地球に存在する「水」が創るアートであろうか・・・。
謂れの「天兩屋」は何と紐解くか?…「兩」が「天秤」である以上、単にモノが二つ、ではなく、見た目が、即ち姿・形が異なるモノが二つ、即ち「対」になっている意味が主体であろう。
天(山頂)|兩(二つの異なる)|屋(山稜)
…「二種類の山頂が一組になった山稜」と紐解ける。同様な地形の島が僅かに連なっているのではなく、全く異なる地形を持つ島が連なっている様子を表していると思われる。「次生兩兒嶋、亦名謂天兩屋」と「兩」に拘った命名が意味するところが漸くにして読み解けたようである。
一方で「天(アマ)が統治する二つの山稜」の意味も込められているようでもある。「訓天如天」と註記しないのはそれが目的かもしれない。「両意」に取れるように記述しているのではなかろうか。
伊伎嶋
この島は「壱岐島」として間違いはないであろう。大八嶋国の中の五番目に生まれた島である。現存する地名及びそれに含まれる「壱=一」からも誰も疑いの目を向けることなく今日に至っている。勿論本ブログも上記の根拠に加えて国生みの経路上適切な位置にある島と推定した。余りに明らかなようであり、この島の命名については、やや読み飛ばし気味の感がある。それを紐解いてみよう。
「伊伎」とはどういう意味なのであろうか?…「伊」「伎」の意味を拾い上げると…、
伊伎=伊(僅かに)|伎(緩やか)
…島の起伏が緩やかな地形を示している。少々曖昧な表現ではあるが、壱岐島の地形に合致すると思われる。落ち着かないので、もう一つ文字遊びをして「伊」→「尹」、「伎」→「支」のようにすると…、
尹(整える)|支(分岐する)
…一様に分岐した地形を示し、この解釈がよりこの島の地形を表現しているように思われる。「亻(人偏)」は「人がしたように~」の意味であろう。「伯伎」=「白支(日別)」に類似する。
謂れが「天比登都柱」と記される。また「訓天如天」と註記される。「天(アマ)」ではないことを告げている。これに含まれる「比登都」を「一」と読むのである。「アメヒトツバシラ」である。武田祐吉氏は「天一つ柱」と訳している。何れにせよ「壱」であり、壱岐島との繋がりを示唆するのである。
しかしながら本当に「壱」であろうか?…何故わざわざ「比登都」と表現したのか?…国生みの段に「天一根」という表現もある。前記で紐解いたようにこれは「一つ」である。何かを伝えようとしていると思うべきであろう。
これを紐解く鍵は「柱」にあった。天神の数を表し、また通常の柱を意味する例が既出であるが、原義に戻って解釈してみよう。「柱」=「木+主」であり、「主」=「燃える火が台の上にある」の象形とある。安萬侶コードでは「木(山稜)」であるから、「柱」=「燃える火が山稜の台地の上にある」を表すと読み解ける。更に「天」=「上部」=「山頂」としてみると…、
天(山頂)|比(並ぶ)|登(昇る)|都(集まる)|柱(燃える火)
<長崎県壱岐市> |
これは複数の火山の噴火によって作られた島であることを述べていると解釈される。解いてみて初めて言っている意味の凄さに驚かされる。
壱岐島は溶岩台地の地形であることが知られている。しかも複数の火山が噴火した経緯も詳しく調査されている(ネット検索で見つかる文献)。この表現こそ古事記らしさを示している。
専門外で論文を紹介できるだけの知識はないが、火箭の辻、神通の辻などが該当する。壱岐の北部が古く、後に南部の岳の辻などが噴火したとのことである。
安萬侶コードを信頼して突き進んだ結果であるが、勿論真偽の程は別途としたい。
余談になるが・・・「辻」=「旋毛(ツムジ)」であって、頭頂を示す。「昇って集まる」という表現に繋がるのではなかろうか。何十万年という周期での噴火が当時にあったとは思えないが、彼らの認識に火山の存在とそれから流れ出た溶岩が陸地を形成していることが含まれていたように思われる。
「二つ」、「一つ」と分かりやすいがために簡単に解釈してしまう。当然のこととであろうが、その数の意味も含めて更に伝えようとする記述である。単なる戯れと言ってしまえばそれまでであろうが、複数の意味を包含させて記される内容は豊かであると確信する。
…全体を通しては古事記新釈の「伊邪那岐・伊邪那美【国生み】」を参照願う。