2017年11月21日火曜日

多麻岐波流と蘇良美都 〔125〕

多麻岐波流と蘇良美都

仁徳天皇が日女嶋で宴会を催した時という設定で説話が始まる。単純な話だけに難読の言葉も散りばめられているようである。とりわけ枕詞と片付けられる「多麻岐波流(タマキハル)」と「蘇良美都(ソラミツ)」はこの説話が初出である。前者はこの段のみ。何故ここで?…この二つの言葉の意味をあらためて紐解いてみた。

登場する前後の流れを示すと…古事記原文[武田祐吉訳]

亦一時、天皇爲將豐樂而、幸行日女嶋之時、於其嶋、鴈生卵。爾召建內宿禰命、以歌問鴈生卵之狀、其歌曰、
多麻岐波流 宇知能阿曾 那許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登岐久夜
於是建內宿禰、以歌語白、
多迦比迦流 比能美古 宇倍志許曾 斗比多麻閇 麻許曾邇 斗比多麻閇 阿禮許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登 伊麻陀岐加受
如此白而、被給御琴歌曰、
那賀美古夜 都毘邇斯良牟登 加理波古牟良斯
此者本岐歌之片歌也。
[また或る時、天皇が御宴をお開きになろうとして、姫島においでになった時に、その島に雁が卵を生みました。依つてタケシウチの宿禰を召して、歌をもつて雁の卵を生んだ樣をお尋ねになりました。その御歌は、
わが大臣よ、あなたは世にも長壽の人だ。この日本の國に雁が子を生んだのを聞いたことがあるか。
ここにタケシウチの宿禰は歌をもって語りました。
高く光り輝く日の御子樣、よくこそお尋ねくださいました。まことにもお尋ねくださいました。わたくしこそはこの世の長壽の人間ですが、この日本の國に雁が子を生んだとはまだ聞いておりません。
かように申して、お琴を戴いて續けて歌いました。
陛下が初めてお聞き遊ばしますために雁は子を生むのでございましよう。
これは壽歌の片歌です

背景を概略述べると…「日女嶋」は応神天皇紀に出現した「日女・嶋」=「阿加流(光を放つ)比賣・嶋」である。阿加流比賣神が新羅国から逃げて来て「難波之比賣碁曾社」に鎮座し、後を追って来た天之日矛を拒絶した難波津の入口にある場所である。

前記で現在の福岡県行橋市にある沓尾山の麓とした。周防灘に流れ込む祓川河口にあり、当時はその山は「島」であったと思われる場所である。この場所を選んで説話としたのも思惑あってのことであろうが、それは後に述べる。


多麻岐波流

天皇が神出鬼没の建内宿禰、その古老に問い掛ける歌…それに登場するのが…「多麻岐波流 宇知能阿曾」通常枕詞として処理される「多麻岐波流(タマキハル)」=「霊魂極まる」と訳されるようであるが、わかったようでスッキリしないところであろう。「タマ=霊魂」の形式的な理解が少々気に掛かる。

宇知能阿曾」=「内の朝臣(大臣)」内大臣となって建内宿禰にすんなり当て嵌まるようであるが、「霊魂極まる」の枕では眠れない。武田氏も困って「わが大臣よ」と、今回は省略の手法で読んでいる。枕の解釈多麻岐波流」を原点から見直すべきことを示しているようである。

掛かる言葉の「宇知」は「内」であろうか?…「宇」=「ウ+干」でドーム状に覆いかぶさる象形である。軒、屋根、無限の空間、天、空…を意味する文字と解釈されている。とすると…、


宇知=宇(宇宙)|知(知識、知恵)

…地上をドーム状に覆う広大な天空(全ての世の中)の知識、知恵を持つ…人と解釈すれば天皇の質問に答えるために登場した理由が浮かび上がって来る。

この紐解きが「多麻岐波流」は「宇」に繋がることを導く。「地」を中心に「天」を「玉」と見ると…

多麻岐波流=多麻(玉:天空)|岐波流(際る:限界、果てまで)

…玉のような天空の果てまで…と解釈できる。天動説・地動説ではないが人間の感覚は天が回っている、であろう。それは途轍もなく大きな玉と見ていたのである。それを何と五文字で表現したのが「多麻岐波流」であった。

この天空の、この世界(世の中)の、この宇宙の…果てまでを意味する壮大な概念を表現する言葉であった。仁徳天皇の時代にあったものか、安萬侶くんが編纂する時にあったものかは判別しかねるが、古代の世界観を示していて実に興味深く感じられる。「タマ=霊魂」では勿体ない解釈であろう。


蘇良美都

もう一つの「蘇良美都」は古事記中に3回出現する。仁徳紀が最初で2回、雄略紀が1回である。面白いのは、これが掛かる「夜麻登」の表記は計15回で初出は大国主神の段である。彼が何を思ったのか倭国に行くと言い出して后の須勢理毘賣命が思い留めようと詠う時である。が、それには蘇良美都」が付かない。

神武天皇紀以降に頻出するのであるが、これらも全て蘇良美都」は付かない。仁徳天皇の時代になって初めて古事記で使われ、雄略天皇で最後に使われて終わる。何を意味するのであろうか?…

日本書紀など「虚空見」の別表記がある。そもそもは邇藝速日命が哮ヶ峯に降臨した時に発した言葉として伝えられる。「虚空」の意味から「虚空見」=「今は何もないが、これから多くのものが存在することができるところ」と解釈した。

上記の蘇良美都」出現の状況を考え合わせると、古事記では「虚空」の意味ではなく、「ソラ=空」を示していると思われる。紐解くと…、


蘇良美都=蘇良(空:天空、世界)|美都(満ちた)

…天空の下(世界)が満ちた…倭国と告げているのである。仁徳紀で多くの説話を載せ、中でも民の竈の煙を語り、事績を列挙して登場させるのが蘇良美都」である。見事なシナリオとしか言いようがないのではなかろうか。

この二つの枕詞と言われる「多麻岐波流(タマキハル)」と「蘇良美都(ソラミツ)」紐解けて初めて共に「天空(世界)」に関連付けられると判った。伊邪那岐・伊邪那美の国生みに始まる彼らの世界を漸くにして手中に収めたという意識の発現であろう。実に壮大な意識である。

新羅から里帰りした阿加流比賣は赤い玉から生まれた伝説を持つ。卵、赤い玉、多麻岐波流、蘇良美都…どうやら「タマ」がキーワードの説話にしているように受け取れる。そんなことを匂わせながら仁徳天皇紀に倭国が出来上がって来たことを伝えているのである。これがこの説話が載せられている真の理由であると思われる。

…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。

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「虚空」の地形象形

「虚」=「虎+丘」とされ「虎(巨:大きい)+丘」=「大きな丘」と解説されている。これで解釈することもできるが、少し紐解いてみると…霊獣として対峙する「龍」は「淤迦美神(龗神)」として「川の蛇行」する様に比喩されている。ならば「山」を意味しているのではなかろうか…山の神として崇敬の対象であったことはよく知られている。体表面の縞模様と山稜との相似も考えられる。

すると単に「大きな丘」ではなく「虚」=「山の傍らにある丘陵」と解釈することができる。山があってその傍にある丘である。一般に「虚」=「中身・実体がない、一見では無いに等しい」という意味に相応しい解釈となる。


「空」=「宀+ハ+工」と徹底的に分解すると「麓にある谷で耕す田」の意味と思われる。纏めると…、


虚空=山の傍らにある丘陵の麓の谷で田を耕す

…と紐解ける。何とか意味のある文字列に還元できたようである。すると・・・「虚空津日高=天津日高」の解釈がピシャリと填まるのである。既に詳述したように「天」は山稜とは言い難く大半は丘陵と看做される地形である。しかもそれは天香山(壱岐島の神岳)の傍らにあり、その谷間が作る津を「天津」と呼んでいたのである。(2018.04.28)
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多麻岐波流・蘇良美都

ところで歌中で用いられた文字列は何を示そうとしているのであろうか?…それらの文字は地形象形表記に頻出する文字である。万葉仮名として記しながら、おそらく何処かの地形を表わそうとしているのではなかろうか・・・。「多麻岐波流」は…、

多(山稜の端の三角州)|麻(擦り潰された)|岐(分かれる)|波(端に)|流(広がる)

<多麻岐波流 宇知能阿曾>
…「擦り潰されたような山稜の端の三角州が分かれて端で広がる様」と読み解ける。続く「宇知能阿曾」は…、


宇(山麓)|知(鏃の地)|能(の)|阿(台地)|曾(積み重なった)

…「山麓が鏃の形をした積み重なった台地」と読める。正に「難波之比賣碁曾社」の地形を示していることが解る。

一方「夜麻登」に掛かる枕詞である「蘇良美都」も地形を表しているのであろうか?…今一度「夜麻登」の場所を調べてみると…、

蘇(様々な山稜が向かい合う)|良(なだらか)|美(谷間に広がる地)|都(集まる)

<蘇良美都 夜麻登>
…「様々な山稜がなだらかに向かい合って谷間に広がる地が集まったところ」と読み解ける。

図に示した通り大きく曲がった尾根から延びた幾つかの山稜が寄り集まるような地形である。これを「蘇良美都」と表現したと解釈される。

「夜麻登」に掛かる枕詞として「小楯」がある。これも「夜麻登」の谷を表した表記と紐解いた。

古事記の中で重要な地名である「夜麻登」、それを複数の修飾語でその在処を伝えようとしたのであろう。不幸なるかな未だその努力は報われていないようである。

いずれにしても万葉仮名が示す多様性を思い存分に使っている。漢字が持つ表意の奥深さと併せて実に多彩・多様な表現を行っていると思われる。現在に繋がなっていないことに歴史の空白を感じざるを得ない有様である。(2020.02.19)


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