2017年8月3日木曜日

大国主神:蚕が築く大国の繁栄 〔076〕

大国主神:蚕が築く大国の繁栄


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
須佐之男命が肥河の川上の鳥髪に降臨して、出雲国の基礎を築いた。それを引継いだのが心優しき大穴牟遲神、様々な試練を乗り越えて、その度に名前を変え、立派に成人して大国主神、更に八千矛神となって子孫繁栄を招く。そんな話題がしばらく続く。

菟神の予言通りに射止めた八上比賣は正妻須世理毘賣に恐れをなして逃げ帰ってしまう。素菟の説話は、やはり隠岐島と天孫降臨場所の明示が目的か、と勘繰ってしまうのである。それはそれで重要なのだが、それだけでは何とも…また後日に考えてみよう・・・。

神様の行動は天皇様の行動に類似する、逆か?…ともかくも正妻なんて何のその、しっかり美しい比賣を求めて徘徊するのである。しかも真夜中に…「高志國之沼河比賣」の登場。高志国は幾度も登場した国で「沼河」は現在の大坪川であろう。現在も数個の貯水池から福岡県門司区伊川を流れて海に届く川である。

この比賣及び正妻との遣り取りは他の書籍などを参照願って先に話を進めることにする。色彩豊かな表現がなされ、当時すでに染色技術がそれなりに進歩していたことが伺える。その中に「蘇邇杼理」=「カワセミ」が登場するが、この「蘇邇」ついては既に紐解いた。なかなかお会いできないが・・・。

説話は後裔の記述に入る。引用を控えるが、注目人物がチラホラ。胸形奧津宮神・多紀理毘賣命を娶って生まれた神が阿遲鉏高日子根神(迦毛大御神)。「大御神」と称号されるのはこの神と天照大御神のみとのこと。古事記のみでは伺い知れないところがあるのかもしれない。この娶り、通説なら日本海交流文化圏を持ち出さないと難しいかな?・・・。

その他、事代主神。後日に活躍される神様である。この神についても多くの情報があるみたいだが、今は知る術がない。後日としよう。更に比比羅木之其花麻豆美神が登場する。前記で紐解いた新羅国の比賣であろう。新羅との関係、こんな形で埋め込まれていた。途切れることなく子孫繁栄に繋がっていくのである。

出雲之御大之御前

  
古事記原文[武田祐吉訳]

故、大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、內剥鵝皮剥爲衣服、有歸來神。爾雖問其名不答、且雖問所從之諸神、皆白不知。爾多邇具久白言自多下四字以音「此者、久延毘古必知之。」卽召久延毘古問時、答白「此者神產巢日神之御子、少名毘古那神。」自毘下三字以音。故爾、白上於神產巢日御祖命者、答告「此者、實我子也。於子之中、自我手俣久岐斯子也。自久下三字以音。故、與汝葦原色許男命*、爲兄弟而、作堅其國。」[そこで大國主の命が出雲の御大(みほ)の御埼においでになった時に、波の上を蔓芋のさやを割って船にして蛾の皮をそっくり剥いで著物にして寄って來る神樣があります。その名を聞きましたけれども答えません。また御從者の神たちにお尋ねになったけれども皆知りませんでした。ところがひきがえるが言うことには、「これはクエ彦がきっと知っているでしよう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでお尋ねになると、「これはカムムスビの神の御子でスクナビコナの神です」と申しました。依ってカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でもわたしの手の股からこぼれて落ちた子どもです。あなたアシハラシコヲの命と兄弟となってこの國を作り堅めなさい」と仰せられました]

少名毘古那神*の登場。一寸法師かと思えるほどの記述である。しかも誰も名前を知らない、という特異な設定である。すぐに帰ってしまうところもあって何だか狐につままれたような気分になるところである。が、この説話出雲国への接岸場所を示している。極めて重要な意味を示しているのである。

「出雲之御大之御前」の「御大(みお)」=「澪(みお)」=「水脈(船の水路)」である。入江の中で川の流れが作った水路であり、それを伝って接岸するのである。「澪標」=「澪つ串」であり、水路表示と言われるものである。本ブログでも幾度か取り上げた万葉歌で詠われた「身を尽くし」である。

出雲国、大斗にある入江、それは肥河(大川)河口、淡海から逃れ肥河の流れが鎮まるところ、それが接岸場所。現在の地形から当時の標高を推し量ると、現地名、門司区大里戸ノ上の西端辺りではなかろうか。その場所に少名毘古那神がひょっこり現れたのである。

後の安徳天皇が坐した場所は、この地近隣の御所神宮と言われる。大国の中心の地である。「御大」はそれを掛けた表記と推測される。通説は、全く意に介せず「美保」の地に比定する。これでは伝わらない、大切なことが。


またもや神產巢日御祖命の登場、あげくには久延毘古(案山子の神名)、山田之曾富騰(案山子の古名)まで登場、案山子は古老の比喩なんでしょうか…いえいえ、少名毘古那神は最新の稲作技術を伝えに来たのである。と言ってる間に又もや「御諸山神」が海上を照らしながらやって来て、自分を祀れ、宣ったとか。

古事記に登場の偉い神様は押しつけがましい方が多い。まぁ、応えればそれなりの御利益があるから良いのだが・・・。「御諸山」は既出で、現在の竜ヶ鼻、それに続く山々であろう。現地名は北九州市小倉北区呼野辺りである。この神様は後に登場する「大物主神」であろうか、ここでは名前は記述されない。<追記❷>


*「少名毘古那神」とは?…「名」=「名代(領地)」と解釈すると…、


少(少ない、欠けている)|名(名代)|毘古(田を並べて定める)|神

…「領地を持たずに田を区画整備する」神と紐解ける。稲作の技術指導者の役割を示しているようである。案山子を教えたら、サッサとご帰還、納得である。(2018.03.29)



さて、大国主神の説話も最後の段となった。ここはかなり以前に紐解いたところであるが、今一度再確認も込めて挙げると…

近淡海國之日枝山・葛野之松尾


「大山咋神、亦名、山末之大主神、此神者、坐近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾、用鳴鏑神者也」

大年神は須佐之男命が大山津見神之女・神大市比賣を娶って生まれた神で、大国主神の兄弟。その神が天知迦流美豆比賣を娶って生れたのが「大山咋神」である。「近淡海国之日枝山」は現在の行橋市下稗田にある宮の杜とした。この地こそ日吉神社発祥の地であろう。古事記に近江はない。

更に「葛野之松尾」がある、文字の並びからすると、別名の山末之大主神として坐したのではなかろうか。「葛野」は現在の田川郡赤村赤である。その中の「松尾」=「山の尾根が延びた松葉のような麓」一般的でこれだけでは特定は難しいが、既に「阿太」という地名を特定した。

「大」に関わるところ、そこに「岡本」という地名が残っている。「岡本」=「山末」とできなくもない。山裾に二本の松葉が鎮座しているような特異な地形である。現在の地名は赤村赤岡本である。「用鳴鏑神」鏑矢を用いる神とは「言向」タイプではないと言うことか?…不詳である。


出雲の発展に伴って神々が各地に居を構えた。当然の成り行きだと思われるが、なかなか拡大発展の糸口が掴めぬまま時が過ぎた、ようである。羽山戸神の後裔が特に記述される。その後に登場する神でもなそうであるが、果たして…この神、出雲国の北端に居たと思われる。

今回も登場する「常世国」なかなか決め手の見つからない場所であるが、「常世」=「変わらぬ世」=「神の国」=「高天原」=「壱岐」として、また、考える機会を待とう。<追記❶>

…と、まぁ、大国主神の説話が終了、物語が動く・・・。



<追記>

❶2017.08.25
「常世国」の文字解釈。「常(床:大地)・世(節or輿:挟まれたところ)・国」図を参照願う。島と島とに挟まれた鞍部(輿)のような地形である。決して神の国などではなく、地形象形そのものの表現であった。「常世国」の特定、完了である。


❷2017.09.03
後日に詳細修正、結論のみ…①「美和山」=「足立山(竹和山)」(北九州市小倉) ②「麻紐の先の神社」=「妙見宮上宮」(妙見山) ③「畝火山=美和山」の重複回避 ④「御諸山」=「谷山」(三つの頂を持つ山)



葦原色許男*
賜った名前が「葦原色許男」と言う。何とも色男風の名前で、従来よりそのように解釈されて来ているようである。強い男も加わって、正に英雄に恥じない名前。一方、これは日本書紀の記述に準じて「醜男」とするが、古代は現在の解釈とは異なり、やはり英雄風の解釈である。

こんな有様だから「色許男」の紐解きになかなか至らなかった…少し言い訳も込めて…。時代が過ぎて邇藝速日命の後裔、穂積臣之祖:内色許男命及びその比賣内色許賣命などが登場するまでは手付かずの状態であった。詳細は孝元天皇紀を参照願うが、概略は…「色」=「人+巴」=「渦巻く(蛇の象形)」、「許」=「元、下、所」として…「葦原色許男」は…、


葦原(出雲)|色(渦巻く地形)|許(下)|男(田を作る人)

…と紐解ける。渦巻く地形は見つかるのか?…更に説話は続く・・・省略して地図を示す。(2018.04.21)